駄目ままの戯言...まきまま

 

 

最初で最後にしたい - 2002年09月29日(日)


誕生日だった。

祝いの料理もケーキも用意しなかった。
誕生日を祝えるような気分じゃない。
「プレゼント何がいい?」

そう聞く旦那に離婚届と真面目に答えてしまいそうなくらい。
こんな気分で迎える誕生日は最初で最後にしたい。

イチゴののっかったケーキを食べるのが楽しみなたには
可哀想な事したけど。
近所にケーキやさんがないのでケーキ食べるのは
誰かの誕生日のみ。
もしくは気が向いて作った時くらい。

今日が誕生日だと知ってる訳じゃないから
別に悲しんでるわけじゃないが。

たの幼稚園が決まったらケーキを用意してあげよう。
イチゴのたくさんのっかったケーキを。

体調はだいぶ落ち着いた。
まだ時折腹痛があるものの、
一時よりもはるかに楽。
心配していた貧血も今回はなし。
経過観察といったところ。
定期的に病院通いはしなければならないだろう。


このところかなり暗い日記が続いてしまっている。
体調のせいもあるが、精神的なダメージがかなり強い。
心から笑えない日々が、
体をくたくたになるまで追い詰めないと
眠れない日々が続いている。
怒りと悲しみに幾度涙を流しただろう?
そんな私を息子たちは、
気にかけながらもそっとしておいてくれる。
「早く良くなるといいね」

そんな言葉もいつのまにか覚えたらしい。
相変わらず喧嘩も多いが、
仲良く遊べる時間も増えてきた。

いずれ心も落ち着きを取り戻すだろう。
全てを受け入れられる日も来るだろう。
それまで少しの間息子たちに甘えてしまおうと思っている。







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あたりまえ・・・ - 2002年09月28日(土)

我慢してあたりまえ
頑張ってあたりまえ

母親なんだから
妻なんだから
嫁なんだから

誰でもやってること
誰でもそうやってきた

確かに
誰でもやってることだけど
誰にでも簡単にできるわけじゃない
それ程努力をしなくても
できてしまう人もいれば
どんなに頑張っても
努力を重ねても
できない人もいる

それでも全ては結果で判断される
どれだけ頑張ったか
どれだけ努力したか
途中のプロセスは関係ない
できているかできていないかだけ


「私は全て一人でやってきたわよ」

「あの子は頼らずに頑張ってるのに」

「あのお母さんは良くやってるわね」

「あそこの奥さんはいい奥さんだよな」

「あのお嫁さんは良くできたお嫁さんよね」


駄目な母親で悪かったですね
駄目な妻でおあいにくさま
駄目な嫁で残念でしたね

私の両親は決していい父親、いい母親ではなかったけれど、
それでも弱ってる人や困ってる人に手を貸すことを
助けることを厭わなかった。
自分にも他人にも厳しかったけれど、
傷ついてる人にさらに追い討ちを掛けるようなことは
決してしなかった。
具合の悪い時には頼まなくても
心配して来てくれるような人達だった。

どうしようもなく困った時に
助けを求めることはいけないことですか?
誰かを頼りにすることは悪いことですか?

どんな状態でも我慢して
無理をしなければいけないのですか?
無理を重ねて倒れてしまっても
それでも自己管理が悪いと言うんですね。

男性だからというだけで
何もしなくてあたりまえですか?
女性なら病人でも家事をするのは当然ですか?
全てを犠牲にするのが当然ですか?

我慢が足りないと
頑張りが足りないと言うんですね
甘えすぎだと
頼りすぎだと言うんですね
迷惑をかけるなと言うんですね

迷惑をかけたいわけではないけれど
結果的に迷惑をかけてしまったのは事実
何を言っても言い訳にしかならないですね

どんなにできた奥さんだろうが
どんなにできたお嫁さんだろうが
傷に塩を塗って傷口広げるようなことを
平気で言ってのける人を
平気でする人を
私は認められない

そんなのがよくできた人とというのなら
私は
駄目な嫁でいい
駄目な妻でいい
駄目な母親でいい





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所詮 - 2002年09月25日(水)

身も心もぼろぼろ。
痛みも辛さも我慢を重ねて、
しんどくなってだしたSOS。
それですら言われる文句。
こんな時母が生きていたらと思う。
こんな辛い悔しい思いをする事はないのに。
所詮他人。
あてにするのがそもそも間違いか。
帰る場所が欲しい。


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- 2002年09月20日(金)


今日という日を忘れない
己の犯した罪の深さと愚かさを


逆恨みだと
八つ当たりだと判っていても
恨んでしまわずにいられない

涙と一緒に全て
消えてなくなればいい



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- 2002年09月18日(水)

相変わらず体調が最悪

それでも息子たちは張り付く
いつもにも増してまとわりつく

部屋を移動するだけで
「まま何処行くの?」

二人そろってついて来る
息子らなりに不安を感じてるのだろう

お願いだからそっとしておいて
少しの間でいいから一人にさせて
ゆっくり休ませて

金曜がくれば全てが終わるから
また日常が訪れるから

久しぶりに兄と電話で話した
流石に見抜かれてるというべきか
相変わらずきついね
話していてそれまで私が知らずにいたことも知った
20年以上前のこと
記憶になくても当然か






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結論を出した日 - 2002年09月17日(火)


努力だけではどうにもならないことがある

この一ヶ月あまりずっと悩んで
一番良い方法を模索してきたけれど、
結局出した答は最悪にして最善のもの。
他にすべはない。

同じような立場で立派にやり遂げてる人はいるのに
何故自分だけがと思う

自分で出した結論だけど
間違いなく後悔するだろう。
一生本当に他に手段がなかったのか
悩みつづけるだろう。

それでも今ある家族を守らなくてはいけない。






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移動検討中 - 2002年09月12日(木)


気が付いたらエンピツに新ジャンルが増えていた。

恋愛と純愛の差は何処で決めるのだろう?
静かな日常って一体?
なんて疑問も浮かぶが、
いろいろ細分化されたようで面白い。

でも私の日記、育児ジャンルでいいんだろうか?
最近育児とは違う内容が多い気もする。
そうするとやはり日常あたりに移動したほうがいいのだろうか。

育児日記と言うより、愚痴日記もしくは育児ノイローゼ日記。
そうすると苦悩かな。







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9.11 - 2002年09月11日(水)


このところずっと新聞やテレビで報道されてる、
1年前のテロ事件。

一年前旦那の帰宅を待つ間、
たまたまつけたテレビ。

画面には燃えてるWTCが映っていた。

大きな火災が起きてる。
被害が大きくなければいいけれど。
ただ単純にそう思った。

そう思った途端、視界に飛び込んできた飛行機。
そのままもう一つのWTCにぶつかって行った。

何が起きたのか判らなかった。
事故?
そのままテレビに釘付けになった。
遅まきながら、すでに燃えてるビルにも飛行機が
ぶつかって行ったことを知る。

泣き出して起きてしまった息子らを、再度寝かせる為に離れ
テレビの前に戻った時にはビルがすでに崩れ消えていた。

時間が経つに連れて、4機の飛行機がハイジャックされ
事故に巻き込まれたことが報じられた。
同時に起きたテロ。
テレビで何度も繰り返される映像はあまりにも
衝撃的で悲惨なものだった。

一年前の事件当日のWTC内を写した映像。
時折聞こえてくるズシンと響き渡る衝撃音。
ビルの崩壊による粉塵。
想像を絶するものだった。

唯一乗員乗客以外の犠牲者を出さなかった飛行機。
残された音声などから再現された機内の映像。
彼らの勇気がなかったら、
被害はもっと大きくなっていたのだろう。

あれから一年。
2800人を数えたグラウンド・ゼロ犠牲者のうち、
その半数が行方知れずのままだという。

先日の新聞にテロ事件で父親を亡くした、
テロ事件後に生まれた子供たちの写真が掲載されていた。
一方で空爆で家族を喪った子供の写真が載せられていた。

アメリカの報復攻撃は未だに続いている。
テロは許される行為ではないけれど、
報復攻撃もまた新たな悲しみを生み出している。
宗教や文化の違いは1括りにすることができない。
どちらにも自分たちなりの思想と正義が存在する。

追悼番組が報じられる一方で、
別世界のような風俗番組や娯楽番組が同時に流される日本。
テロ事件の番組を見たくない人もいるでしょう。
それにしてもあまりにも内容の差が有りすぎる。
もう少し番組内容を考慮してもいいのではないかと思う。
まさに対岸の火事的日本。
この姿勢が一番問題じゃないだろうか?

温暖化による環境破壊から人類の存続さえ
危ぶまれてる現在。
日本は世界は何処に向かうのだろう?

全世界がなんておこがましい事を言うつもりはないけれど、
私は自分の子供たちや家族が、
親しい人たちが安心して暮らせる世界であって欲しい。
笑顔で暮らせる世界であって欲しい。







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最後の一つが。 - 2002年09月05日(木)

最近何故かはまってしまった物がある。

カプセルプラレールのトーマスシリーズ。
バーティとテレンス、クランキー編で全16種類。

がちゃがちゃの1個200円のカプセルに入っているおもちゃ。
プラレールの小さいやつ。

残念ながら我が家にはプラレールを広げるだけのスペースはない。
でも息子らはやはり男の子。
たもつんも線路をつなげて電車を走らせるのが、
とても興味を引くらしい。
おもちゃ売り場に行くたびに買えとうるさかった。

で、たまたまその場にあったカプセルプラレールに目が行った。
それもトーマス。
値段も一個200円。
おまけに場所もそれほどとらない。

かくしてついでに息子たちはがちゃがちゃを楽しみ。
トーマスを手に入れ、一応プラレールも手にした。

人間一つを手にすると当然シリーズを揃えたくなる訳で、
全16種類を揃えるべく、私まきまま燃えてしまったのである。

が、所詮がちゃがちゃ何が出てくるかわからない。
重なることも多々有るわけで・・・。
息子たちは長くなる線路に喜び、
私は溜め息をつく。

それでも旦那の協力もあり、
何とか15種類まで揃えられた。
あと一つ。
それもその一つは双子の機関車のベン。
ベンかなと思うとビルだったりする。

最後のベンを手にすべくもうしばらく、
がちゃがちゃとの戦い(?)が続く。

それでも、プラレールを買い揃えるよりは安いんだよね。






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アルゴリズム体操 - 2002年09月04日(水)

子供向けの番組を見ながら、
つんが踊るようになった。

よく注意してみると一応歌も歌っている。

ちびっこまん体操やあいう体操を
2人で踊ってる姿はほほえましいですむ。

が、ピタゴラスイッチ(教育テレビ)の
アルゴリズム体操を嬉々として踊るつん。

テレビに張り付いて
「ぐ〜う。ぐ〜う。」

と歌付きで踊る。

アルゴリズム体操を踊る2歳児。
はっきり言って不気味。

そもそもピタゴラスイッチは
幼児向け番組なんだろうか?

たもつんも番組が始まると
嬉しいそうに始まったよと報告に来る。

息子たちの感性についていけない母である。






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