斜め読み日記
みなと



 今年の忘れられない事。後編

あまり眠れないまま翌日
朝10時に病院に行きました。
麻酔に備えて前日から食事抜きです。

2人で再度話を聞いて
昼前に病室に入りました。
12時過ぎに呼ばれる予定だったのだけど
前の手術が長引いてるとかで
結局1時ちょっと過ぎに呼ばれました。



部屋の中には
ピンクのやわらかそうなソファーと
殺風景な茶色のただの四角い処置台があって
私は茶色の方に寝ました。
あのカラーリングもうちょっと考えてほしいですね(苦笑)。

暴れないように手足を縛られた時は
仰々しいなぁと思いました。
麻酔をかけられて看護婦さんに続いて数字を数えていくのですが
15までは数えてた記憶があります。

いろんな音が聞こえました。
いっそのこと意識も全部持ってってくれよ…と思いながら
たぶん呻いてました。
「終わりましたよー」と言われて目を開けたら
麻酔に酔ってたようでリバース。
なるほどこのために空腹にさせたのねーと
妙に冷静になってました。

ストレッチャーで病室に戻されて
麻酔が切れて動けるようになるまでおよそ2時間かかるので
それまで楽にしててください。
動けるようになったら帰っても大丈夫です。と言われました。

処置に入る前には
「私が寝てる間に前に気になるって言ってたスープカレー屋さんにでも行っといでよー」
と気楽に話してたのですが

私が麻酔でぐったりして帰ってきたのにどん引きしたらしく
近くのコンビニで簡単な買い物だけして
すぐ戻ってきました。

それから半分起きてるような寝てるような感覚の中
ぼんやりテレビを見てました。
そこでは動物園のパンダの赤ちゃんが死んだというニュースが
長々と放送されてました。

変なの。


その後時間も過ぎたので
家に帰りました。
体は非情なまでに正直なもので
昨日まであった悪阻の気持ち悪さが
すっかり無くなってしまいましたね。

手術が終わってからも1か月ほどはアフターケアで
何度か病院で痛い思いをしました。


というわけで思ったのは
中絶を安易な事と考えてはいけない。という事ですね。
精神的はともかく実際肉体的にかなり痛いです。

子供が欲しいと思ってても
こういう事が起こって痛い目に遭うから
できたら困る人の相手には絶対なるな。

いつか子供ができたら教えたいもんです(遠い目)。

2012年12月31日(月)



 今年の忘れられない事。前編

誕生日が過ぎて間もない頃の話です。
みなとです。

早めに子供に恵まれると良いねと話す中
その兆候が現れました。

病院に行け行けとノリ君の方が急かすので
恐る恐るしぶしぶ病院に行って
あっさり確定。

仕事中のノリ君に知らせると
「おめでとう。母よ」
というメールが返ってきました。

まだ別々に住んでいて
親元も遠く
一人で過ごしてこの先大丈夫なのかと
不安に思う日々が始まりました。

少しして
食欲が無いのに
お腹がすいて目が覚めるようになりました
夕方4時ごろにもお腹がすいて気持ち悪くなるので
仕事中コンビニに寄ってサンドイッチを買い
休憩室でちまちま食べたりしてました。

仕事でバイクに毎日乗ってました。
外回りがいきなり室内作業に回っても
触れる機械も少なくてはっきり言って役立たずだし。
乗れるうちは乗るつもりでした。夏くらいまでは。

ちょうどそのころ
職場でもう一人同じ状況の人が現れました。
病院に行った時期もほとんど同じだと言ってました。

でも
私と違うところがありました。

その人は2回目の通院で
具体的な予定日を聞いていました。

毎週のように病院に行ってるのだけど
私にははっきりとした予定日が告げられていません。

あとから思えばその時既に
それは表れていたのだと思えます(遠い目)。

検診を重ねてあれこれ見えるようになりました。
心臓も見えました。
心音も聞こえました。
ちょっとだるいのと空腹が耐えられないくらいで
目に見える変化はまだ何もないけど
不思議な感じでした。

予定日が確定したら
病院に行くのは月に一度になるらしいのだけど
相変わらず1週間から2週間おきの通院が続きました。

そして7月9日。

検診で先生の顔が険しかったです。

「ずっと頭の大きさがあやふやで週数が分かりませんでした。
頭に大きな空洞があります」
そう言われました。
「すぐ明日もっと大きな病院に行って検査してください。
時間がありません」

ノリ君は仕事が忙しく今日は来れないので
帰宅後母君に連絡して
急遽来てもらう事にしました。

翌日
渡された紹介状を持って市内の総合病院に行きました。
同じような検査をされた後
母君と説明を聞いてました。

「紹介状をくれてる先生の見解とまったく同じですね」

目の上から上の頭蓋骨が形成されてない事
脳に当たるものが全く入っていない
いわゆる無脳児症と言われる状態です。

「この先も脳以外の器官は出来ていきます。
お腹の中にいる間は栄養をもらって大きくなります。
でも、出てきたら生きることはできません」

「年齢も環境も関係なく、そう言う育ち方をする子が出てきます。
そして、同じ母親が2度そういう妊娠をする可能性は
ほとんどありません。
今週末には週数が増えて4カ月に入ります。
そうなると手術の方法が大きく変わります。負担も増えます。
身体に残すダメージが小さく済むうちに…」

という事でした。
治療じゃなく、セカンドオピニオンだったわけですね。

その足で最初の病院へ。
「急いだ方がいいです。できれば明日」

職場に行って申請を出し
母君は帰っていきました。

かわって夜にはノリ君が仕事終わりに駆けつけてきました。
明日たまたま休みなので病院に付き添ってくれます。

2012年12月30日(日)
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