三崎綾+☆ 綾 姫 ☆の不定期日記

☆ 綾 姫 ☆

リンク切ればっかりやんっ(汗
2003年10月23日(木)
本文はこちらです♪
日記URLが変更になります♪
2003年10月22日(水)
こちらです♪
日記の更新は・・・
2003年10月15日(水)
こちらでしています。
なんやねんなぁ(▼▼メ
2003年10月08日(水)
レス書きを終えて、長文日記を書こうと思ったら病院から電話っ
入院受付まで来いってどういうこっちゃ〜全く(▼▼メ
つーことで、ちーと病院まで行って来るずらっ♪
帰宅したら日記書くでよ〜〜
何の用事?また入院ってか?嫌や〜〜(涙)
退院しました(*^_^*)
2003年10月07日(火)
無事に退院しました〜(*^_^*)

書きたいことはいっぱいあるけど、
別サイトでやりたいことがあるので、後日まとめて長文日記という事で。
ご心配おかけしました。
低血糖でドテッ(涙)
2003年10月04日(土)
はぁ。。。すっげーお疲れモードだす。

娘は随分とましになりました〜まだ痛い痛いは言ってますけど。
売店に行ったり、喫煙所に行ったり、喫茶店でモーニングを食べに行ったり♪
喘息とか風邪とかじゃ無いので、ある程度の行動は自由にさせて貰えてるし。
が、何処に行くのにも引っ付いて来るから、喫煙所で長話も出来なかったりして。
私のストレス発散場所までついてくるな〜〜って感じです(笑)

昨日、お昼ご飯を食べて昼寝をしてたんだけど、
起きた途端に脂汗・・・血糖値を計ると60〜〜こりゃやばいっ。
娘に「看護婦さん読んで来て」「看護婦さん〜〜ママが大変〜〜」
看護婦さんに「すいません〜お砂糖下さい」
慌てて走って行ってお砂糖を持って来てくれました。
取りあえず5グラム飲んで少々横になってたら落ち着きました。

血糖値のコントロールがうまく行って無い。
高い時は、250もあるのに、低いときは60って。
ストレスと寝不足と過労だろうなぁと思いながら。
8日には退院出来るはずだし・・・そしたらしばらくのんびりしよう♪

あんまりしんどいので、看護婦さんに頼んで今日は自宅で寝ることに。
点滴も無いし自宅が近いので〜♪
書きたいことはいっぱいあるんだけど・・・取りあえず寝る(*^_^*)


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喫煙所に居た時の話・・・「あの子、強制退院やって〜」
あの子とは、ちょっとした有名人?の女の子。
髪の毛を2つにくくり、幼顔をしている。
喫煙所に入り浸って、自分と同年代の男の子を捕まえては、
「彼女居るん?」「友達紹介して」と言いまくって居た。
毎日誰かが見舞いに来ているのだが、
「彼氏?」と聞くと違うと答えて居たらしい。
あの子と言う名の女の子は、外泊許可で病院から出たのだが、
酒を飲んで救急車で病院に戻って来て居た。それも2回続いたらしい。
精神科に入院してて、外泊許可で酒飲んで救急車。
呆れてモノが言えんと言うか、何やってるんだ?って感じ。

外泊許可をやった病院にも責任がある気がするが、
外泊許可は、一種の実験要素が入っているのは暗黙の了解事項である。
私も糖尿病棟入院中、外泊許可が出て1度外泊したことがある。
病院に戻ってすぐ血糖チェックがあった。
入院中の血糖値と比べ、基準値以内なら合格で退院。
基準値以上だったら、不合格で2週間退院が延長だと後で聞かされた。

精神科も開放病棟なので、
「自分の管理は自分で出来る人」が入院の絶対条件なのだ。
開放病棟なので、「自分に合う薬を探す・精神的に落ち着いたら退院」等、
軽度の精神性疾患の人しか入院出来ない。
まぁあたしの場合は、ステロイド精神病勃発で統合失調症が悪化したんだけどね。
本当は、悪化した時点で隔離病院に移動する必要があったんだと思う。
そやけど、総合的治療が必要だったので転院しなかっただけなんだろうけど。
喘息で入院してインスリン打ちだして精神科の治療になった人だから(笑)

1度の入院で、2度外泊許可が出て、2度とも酒を飲んで救急車・・・
病院は責任持てないよね〜そりゃ。
私の入院していた病院は、「☆☆市最後の砦」と呼ばれて居る病院で、
重症さんは、ほとんどがこの病院に転送されて来る。
あの女の子は、2度とこの病院で治療は受けられないだろう。
強制退院させられた子だからなぁ。

ちゃんと治療を受けてての強制退院なら、
わたしゃ医院長室に怒鳴り込んでたで〜「医療事故の次は医療放棄か〜」って。
そやけど、このケースは助けて上げたくても助ける方法が無いわさっ。
あの子の主治医は精神科部長先生。この先生は私の主治医でもある。
とっても温厚で物静かな先生。
この先生が強制退院を決めたんだから、私には言う言葉が無いし。

しかしこの女の子も、もう少しどうにかならんかったんかなぁ・・・
開放病棟で治療が受けられたら、それが一番楽なのに。
閉鎖病棟は・・・(以下略
点滴が取れた〜(*^_^*)
2003年10月03日(金)
昨日、日記を書いて少し寝ようとお布団へ・・・あかんっ寝れない!!
携帯がピカピカ光ったので、見て見ると旦那からのメール「点滴取れたよ」
病院へダッシュで戻りました。

病棟入り口まで行くと、プレイルーム入り口で娘のスリッパ発見☆
「もう遊んでるん?」
娘はご機嫌〜プレイルームでよその子供さんと遊んでいました。
「☆〜ちゃん、大丈夫?」
話しかけても眼中に無し〜おもちゃで遊んでるし。

看護婦さんに、
「すいません〜めがねを作りに行って来るので3時間ほど留守します」
「解りました」
「5時までには戻ります」
と言う事で旦那と私はダイエーへめがねを作りに行きました。

私が入院している時から、新しくしたかったんだけど、
バタバタしてて買いに行くことも出来ず、レンズは傷だらけになってました(涙)
ダイエーはセールと言う事もあって、めがねも結構割引してました♪
ラッキー〜〜何時もと同じレンズを入れたのに、1万円くらい安く出来ちゃった☆
浮いたお金で、私のTシャツと旦那のジャンパーを・・・♪


時間ギリギリの5時に病棟に戻りました。
私の顔を見ると娘は走って来て「ママ〜寂しかったよぉ(涙)」
「お友達と看護婦さんと遊んでたんでしょ?」
「でもママが居ないと寂しいもん!」
と言う事で病室へ・・・ママプリン〜ママジュース〜ほいほい(笑)
相変わらずあまり話さず、プリンを食べるのも一苦労ですが、
少しずつ痛みが和らいで居るようです。


看護婦さんと少し話をしました。
点滴は取れたんだけど、
飲んだ水分とおしっこの量をきちんと書いて下さいとの事。
喉が痛くて水分も取れてなかったら、また点滴するんだろうねぇ。
重湯も全く食べないし。はぁ困った(涙)
スケールを家から持って行って、病室に置いておくことになった。


娘が落ち着いて来たのを見計らって、
「ママはあちちさん(タバコ)行って来るからね」
「いってらっしゃい〜」
旦那には家に帰るわ〜と合図して。
夕方に家に戻って来てサイトの更新をしてたんだけど、
座椅子に座ったままうとうと〜〜こりゃあかんっ眠たい。
精神科の薬を少量飲んでお布団へ・・・5時間ほど熟睡(*^_^*)

目が覚めた時、家の中で独りぼっち。なんか寂しいよね〜
旦那と娘が寝てて、私1人起きてても、寂しいなんて思わなかったのに、
1人で家にいるのは寂しいし落ち着かない。
ゆっくり原稿書くなら、今しかないのにって思うんだけど、
頭の中が整理できなくて・・・(トホホ


扁桃腺の手術に踏み切った事は、
良かったのか悪かったのかまだ結果は出ていない。
今の段階では「失敗」だったと思っている。
手術室は、緑の帽子をかぶり、緑のマスクをして、緑のエプロンと手術着を来て、
目しか出て居ない、表情のない人達が沢山居て、
回りは冷たい空間で、きっと痛くて心細くて怖かったんだと思う。
娘の精神状態は少し不安定。
退院して、元気に幼稚園に行けるようになったら、少しは落ち着くかな?
まるで今の娘は「養護施設」から帰って来た時のようで。
話せないから仕方無いよね〜解っては居るんだけど。
昨日娘が言った「怖かった・・・」
熱での入院が減った時、娘に言ってやろう。
「お喉のバイキンマンのお家を取ったから、入院が減ったんよ〜」って。
そしたら、少しは納得してくれるかな?

もしも、扁桃腺の手術を考えている人が居るなら「1日も早く」と言いたい。
大きくなって、ちゃんと解るようになったらと言う人が居るが、
それは違うと思う。
小さい内に、まだ訳が分からない内に・・・その方が良い。
恐怖が出て来てからだったら、もっと大変だったと思うし。
娘は、小さい時から点滴や採血になれていて、病院を遊び場にして居た。
それでも怖いと言った。

が、反対にも考えられる。
小さな内に「病院は痛くて怖い所」と思わせないよう、
少し大きくなってからと言う考え方もあるかも知れない。
扁桃腺の手術を終え2日たった私の感想としては、
「もっと早くしておけば良かった」
中途半端な年齢でするより、小さな内か自分で選択出来る年齢まで待つ・・・
これしか無いかなぁ。



今日は、糖尿病・呼吸器外来の診察日
血糖値が恐ろしく高いよぉ〜寝不足と疲労だって解ってるんだけどね。
はぁ・・・行くの嫌だなぁ(涙)



「愛してると言ってくれ」再放送やってますね。
このドラマを見ると、昔愛した人を思い出します。
彼は・・・どうして居るんだろう。
たまには、メールくらいくれても良いのにね〜って、
そんな事する人じゃ無いって解ってるのに・・・(笑)


さて・・・薬飲んで寝よう〜(*^_^*)


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もし1年間のお休みが貰えたなら・・・今週の日記同盟のテーマ

お休みなぁ・・・あたしって仕事してるのか(ぉぃ
一応作家さんなんだけど、気が向いた時しか原稿書かないし、
原稿がいっぱい溜まった時に、次の本を考えると言う事にしてるし、
今の所、次は出すつもりは全く無いし〜(社長ごめんっ
ノンフィクションが10冊くらいは書けるネタと、
恋愛小説が1冊は書けるネタは持ってるんだけど、
気が向いた時しか文字にしてないし〜これでも作家かよ〜(自爆)
1年間お休みったって、仕事してる自覚は0だし(ぉーぃ
もしも、1年間活動しなくて良いよって言われても、
やっぱり書き続けるだろうなぁ。
ノンフィクションってのは、その時の感情で書かないと意味が無いし。
原稿書きを禁止って言われたら・・・医療コラムを書く(ぉぃぉぃ
やっぱり書くって事やんなぁ(笑)

主婦業お休みって言われても、育児をお休みって言われても、
今の生活スタイルだし、変える事は出来ないなぁ。
どうせお休みって言われるなら、病気がお休みしてくれたら嬉しいなぁ。
病気だったら1年と言わず一生お休みしててくれたら良いのにっ(笑)
泣く事しか出来ない・・・
2003年10月02日(木)
ベビーベットの上で、バタバタと暴れながら娘はオペ室から出てきました。
麻酔の先生も一緒でした。
「麻酔から覚める時は、子供さんは良く暴れますから気にしないで下さいね」
「☆〜ちゃんママだよぉ、良く頑張ったね〜」
涙を流しながら、咳き込んで居ました。エレベーターで病室へ。
パンツをはかせて病衣を着せてベットへ。
すぐに酸素計と血圧計がつけられました。
痛い〜痛い〜声にならない声で、涙をいっぱい流して娘は泣いて居ました。
脈拍は200を超えて、機械がビービーと鳴りっぱなし。
「落ち着きなさい〜もう大丈夫やから。よく頑張ったね」
「抱っこ〜」手を伸ばして来ました。
普段、全く抱っこ〜って言わない娘が・・・よっぽど怖かったんだろうなぁ。
私が泣きたくなりました。
でも、此処で親が慌てると子供は余計に動揺する。
「はいはい〜だっこしようねっ」
抱っこしてても、ずっと涙を流したままでした。
此処で、痛み止めの座薬を入れて貰って、少し落ち着いて来て・・・
ベットで添い寝してやるとうとうとと・・・

10分もしない内に、痛い〜痛い〜と泣き出して。
抱っこしてはベットに下ろし、添い寝して背中を撫でて・・・
2時間くらいはその繰り返しでした。

しばらくすると「ジュース〜〜」
そりゃあかんやろ〜〜
看護婦さんが飛んできました。
「☆〜ちゃんどうしたん?」
「ジュース〜」
「先生に聞いてみるね、ちょっと待っててね〜」
無理なのは解ってたので、時間稼ぎって奴です。
水入れに、氷を入れて来てくれました。
「ジュースはあかんけど、お口濯ごうかぁ」
「うん」
うがいをして口をぬらして、少し落ち着いてまたうとうと〜

目が覚めるとまたジュース〜と泣く。
根負けして、看護婦さんが氷の小さいのを1個口に入れてくれました。
先生の許可は、まだ出て無かったんだけどね。
娘はとっても嬉しそうでした。
私が娘に食べさせた事にする。私が責任取るから。看護婦さんに一言。
看護婦さんは解りましたと一言。
お母さん少しずつで御願いしますね。解ってるってばっ。


先生が来てくれました。私は病室から出て先生と話を。
「先生ごめんっ。娘がジュースって言うから氷食べさせてるねん」
「本当はあかんのですけど、その子その子で回復力も違うのでまぁ良いでしょう」
「ありがとう」
「ご飯も食べたいって言ってるんだけど」
「ご飯ですか?!普通は痛くて食べられないんですけど、出して見ましょう」
「有り難う御座います」
結局ご飯は食べる事が出来ず、プリンもゼリーも駄目でした。
ジュースは少しずつ飲めるようになりました。

オペ当日は麻酔が残るので、よく寝ると言う事だったのですが、
娘はほとんど寝ることも無く、涙を流し続けてました。
落ち着いたのは、オペ室から出て来て12時間後くらいでした。
2日に日付が変わろうとして居た頃、やっと娘は寝てくれました。
いや〜〜長い1日だった〜疲れた。


2日は午前7時頃起床。体温・血圧・採血がありました。
採血では泣かなかった娘が涙をボロボロ流して。
よっぽどオペ室が怖かったんやなぁ。

重湯を少々飲む事が出来るようになりました。
でも、しゃべることはまだ不自由です。
「あー」「うー」赤ちゃん言葉で私に指示します。
親だから言いたいことはすぐに解るんだけど、まだ話すのも辛いんだね〜
点滴は今日のお昼には取れる予定。トイレには自分で歩いて行っているし。
歩行も問題なし。


お風呂に入って、日記を書いたので、病院に戻ります。
本当は少し寝る予定だったんやけど、やっぱり気になって寝れそうにありません♪
こんだけ辛い思いをしたんだから、熱での入院が少しでも減ると良いなぁ☆
痛いよ〜痛い〜(ρ_;)
2003年10月01日(水)
30日午後8時には寝た娘は、1日の朝7時半に起こすまで寝てくれました♪
30日娘が寝た後、私はお風呂と日記を書きに帰宅。
少し仮眠する予定だったのですが、
布団に入っても寝る事が出来ず、結局日付が変わる頃に病院へ戻りました。

1日、午前5時に目が覚めて喫煙所へ
その頃から胃が痛くて・・・
根性だけは座ってるはずなのに、娘のことになると胃が痛くなる〜
親ってこんなものかなぁ。

午前7時。看護婦さんが来て、
「☆〜ちゃん起きた?浣腸しないとあかんねん〜」( ̄□ ̄;)が・がーがん!!!!
点滴も採血も泣かない我が娘なんだけど、浣腸と座薬は泣くねん。
困ったなぁ・・・
看護婦さんに
「☆〜ちゃん泣くけど、あたしが言うてもあかんししらんで〜」と言うと、
「え〜〜〜どないしよっ」
どないしよったって〜しなしゃあないんでしょうが。
つーことで、無理矢理起こしてトイレに連れて行きました。
「☆〜ちゃん、お喉のバイキンマンのお家を今から先生に取って貰おうなぁ。
元気になったら、何か1つだけ言うこと聞いて上げるからね。
何処に行きたいかな?」
「プール〜〜」
「先生が良いって言ったら、プール行こうね〜。
お喉のバイキンマンのお家取る時な、うんちが出たら恥ずかしいで、
お薬入れてウンチしようか?」
「ウンチない〜〜」
「無いからお薬入れてウンチ出して、綺麗綺麗してから行こう」
「嫌だ〜〜〜」
と話ながらトイレに行ったんだけど、
浣腸見せても泣かず、入れる時だけ「痛い」と一言言っただけやった。
すぐにウンチされると困るので、「あっちむいてほいっ」しながら時間かせぎ♪
無事にウンチも終わって、いよいよ手術室に向かう時間となりました。

少し大きなベビーベットの上に娘を座らせ、
横には、りかちゃん(お人形)を乗せて娘はご機嫌で手術室へ。
看護婦さんが「いってらっしゃ〜い」とニコニコ笑顔で言ってくれるので、
娘は「いって来ます〜〜」とニコニコ。


エレベーターで手術室前まで行くと看護婦さんが、
「お母さんも中へどうぞ〜」入っても良いのぉ〜ドキドキしながら中へ。
中待合室まで入りました。続々とベットに寝かされて患者さんが入って来ました。
中待合室はあっと言う間にベットでいっぱい。子供は娘だけでした。

オペ看護婦さんが来て、病棟看護婦さんと別の場所でうち合わせ。
麻酔科の先生も来て「☆〜ちゃん、お喉のバイキンマンのお家取ろうね〜」
「うん!!」娘は裸にされて布団にくるまっていました。
中待合室は寒い〜〜〜
では行って来ます〜いってらっしゃ〜い♪
泣かれなかったのが救いだったんだけどね。その時は・・・



術後1日は絶飲食と聞いて居たので、
11時にオペ室前で看護婦さんと待ち合わせ〜と言う事にして、
私と旦那はご飯を食べに行った。
気になって、何を食べてるのか解らない状態。
取りあえず、何か食べておかないと・・・って感じ。

喫煙所に行っても、じっと座っている事も出来ずに、
結局10時前には、オペ室前の待合室に・・・
「☆☆☆さんのご家族の方〜中待合室にお入り下さい」
10時半にいきなり呼ばれた。旦那はまだ来て無い。どうしよう〜
オペ室入り口まで行くと、
「お母さん、どうぞお入り下さい」先生に呼ばれた。
失礼します・・・小さな小部屋に通された。
「これが☆〜ちゃんの扁桃腺です」と切ったのを見せてくれた。
小指の一関節くらいの大きさの固まりを2つ。
「手術は成功して、もう麻酔も覚めてます。もうすぐ出てきます」
「有り難う御座いました」
「問題なかったですよ〜」
私は此処で大胆発言。
「先生この扁桃腺を私に下さい、ホルマリン漬けにして保存しておきます」
先生はびっくり。
「お母さん、一応検査に出しますので、それは出来ないですよぉ」
「そうですか・・・」
解ってたんだけどね〜欲しかったなぁ(笑)
有り難う御座いましたと頭を下げて、オペ室前待合室に出ました。
しばらく待っていると、病棟看護婦さんが来ました。
「お母さん、☆〜ちゃん連れてきますのでちょっと待って下さいね」
「はい」
私はオペ室前をうろうろ〜うろうろ〜〜
子供のかすれた泣き声が聞こえて来ました・・・「泣いてる〜〜」