三崎綾+☆ 綾 姫 ☆の不定期日記
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☆ 綾 姫 ☆
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なんかさぁ・・・
2003年06月30日(月)
今回の入院の事を、ここ数日書いて来たけど、
どんどんと長くなって行きそうなので、 医療コラムに新しく書く事にしました(*^_^*) 数日中に書き上げたいと思います♪ 全く違う話題にしたいと思います〜 サイトマップを定期的に見てくれて居る人なら、 サイトが少しずつ変わって居たり、 日記が1つだけで無い事を知ってくれて居ると思いますが、 BU日記が2月で止まったままになっていました。 もしも、この日記のログが無くなったら・・・ 今日は1日、BU日記にコピペ作業をしていました。 ファイルのアップロードが出来なくなりました。 300Mの容量がいっぱいになったのかな?と思って、 容量を増やして貰おうとサーバーに電話しました。 容量を増やしてくれると言う事で、せっせとサイト縮小に向けての工事をしていて、 ん???もしかして・・・ アクセス解析のログが1ヶ月分、サーバーにありました(爆) アクセス解析のログは結構でかかったりする。それが1ヶ月分溜まってるんだから、 サーバーを圧迫するわなぁ・・・ 慌ててバックアップをとって、3日分だけ残してすべて削除。 すると超軽くなりました(笑) 使っていない掲示板、人気のないコンテンツ削除に向けて、 少しずつサーバーの整理をしています。 無理しないように、でも娘を迎えに行くまでには出来るだけの整理をしてしまいたい。 娘を迎えに行ったら、しばらくの間、PCから離れようと思います。 1ヶ月間、娘を施設に預けてしまった。1から愛情の注ぎ治しです。 何時、どうなるのか解らない身体を持ってて、 明日が解らない私には、今は何より娘の心が心配です。 娘が大きくなった時に、施設に居た事で心に傷をつけて居ないか、 もしも、心に傷がついて居たとしても、その傷をケアしてやれる事が出来るのか、 側に居る事が出来て居るのか・・・不安だらけです。 今回の入院で、自分の身体がまた思うようにならない事を知りました。 今度、薬物アレルギーの発作が起きたら・・・ あたしの命はどうなるのだろう。 でも、悲観してても何も前には進まないし、 今、出来る事を無理のない程度にやって行くしか無いと思っています。 娘が夏休みの間、いっぱいいっぱい愛情を注いでやりたい。 わたしが娘とどれだけ逢いたかったか、どれだけ寂しかったか、 何度も何度もごめんねって言いたい。 それと、BU日記にコピペして気がついた事。 これがしたいなぁ、こうしたいなぁ、工事中ですってお知らせしてるのに、 出来て無い事がいっぱいあったりするんだよね。 また、単語登録ミスでいっぱい誤字脱字があったりしたし。 ランキングサイトも作りたかった。未来予想図も書きかけのまま。 メルマガ原稿もいっぱい書きかけ。 いっぱい途中の物があったりするんだよね。 でも、仕上げることなく削除になりそうなものや、 出来そうにない物がいっぱいあったりします。 「する」って約束してたのに実行できなくて、 待っててくれた人・・・ごめんなさい<(_ _)> でも、今回の入院の事は、絶対に書き上げるからねっ♪ ただし・・・無理はしないのだ。11日に娘を絶対に迎えに行きたいから〜★ 決戦の前の説明(ぉーぃ
2003年06月29日(日)
喧嘩を売りに病院の入り口を入ったら、
救急外来でしか逢わない、救急外来の部長とばったりあった。 2年前の事故で、話し合った時からの付き合いで、 あたしが救急外来に行くと、何時も挨拶?に来てくれて、 「この患者さんは僕の知り合いだから、ちゃんと治療をして上げてねっ」と スタッフに声をかけてくれたり、 時には、普段は救急外来に絶対に来ない、 部長クラスのDrを私の為に呼んでくれたりと、いろいろと世話になっている。 これは、2年前の事故の時の約束だからだ。2年前・・・あの恐怖の事故。 私は裁判しようと決めて居た。だが、親父の一言で裁判するのをやめた。 裁判するのをやめる代わりに、 「我が家族がちゃんと治療を受けられるようにしてくれ」と言った。 あれから2年、救急外来では本当に良くして貰った。 他の患者さんが、2時間待ちで待っているのに、 私はカード1枚で、待ち時間無しで診察して貰っている。 娘も「救急外来に待ちがある」と言う概念が無く、 「こっちよ」と救急外来を指さすと、 受付もせず堂々と診察室入り口のドアを開けて入って行く(笑) 入り口を入ると、知り合いのDrや看護婦の1人や2人は必ず居て、 「今日はママかな?娘ちゃんかな?」と、時には遊んで貰ったりして(爆) おいおい〜此処は超多忙な場所で、みんな待ってるって解ってるの?って、 何時も思うけど・・・まっ良いか〜(笑) と、こんな付き合いをしている救急外来の部長に、今回の事を怒鳴りまくった。 「スタッフにちゃんと指導しとくから」と約束してくれた。 いよいよ・・・10階呼吸器病棟に向かう。 先に、私の主治医が居る所の病棟婦長に、第三者的意見を聞こうと思ったからだ。 10階、呼吸器内科病棟に居る看護婦さん達や婦長さんには、 ものすごく良くして貰った。 熱発している時などは、頻繁に様子を見に来てくれたし、 何時も酸素を気にして、酸素計を持って来てくれたり、 顔を見ると「調子はどう?」といろんな看護婦さんが声をかけてくれた。 ここの婦長は、じっとしている事が無い。 何時も病棟の中を走り回って居る人で、 手術前の人を安心させたり、お年寄りには声をかけたり・・・ 本当に頭が下がる思いだった。 婦長なのに一番働いて居るんちゃうか?と思うくらい。 だから、病棟看護婦も本当に良くしてくれる人ばかりだった。 婦長が笑顔で話しかけると、患者の顔色が変わり笑顔になった。 これは婦長の人徳。 それと、2年前の事故の事を知っているので、 主治医がちゃんと指導をしてくれて居たのだと思う。 いろんな部分でVIP待遇だった。 多い時には、主治医は1日に6回くらい、私のベットの所まで来てくれた。 普通、あの多忙病院では考えられない多さだった。 消灯になりテレビも消えた深夜、私は2年前の事故のフラッシュバックに襲われて居た。 このまま眠ってしまったら、目が覚めないのでは? また発作が起きるのでは無いのか? 泣いている私を見回って来た看護婦さんが、 背中をさすりながら1時間話を聞いてくれた事もあった。 「辛かったね〜苦しかったね。一生頭の片隅に残る、辛い傷をつけてしまったね」 看護婦さんの手は温かくて・・・ 10階呼吸器内科病棟で精神的ケアもして貰った。 所が、9階糖尿・内分泌・精神科病棟は最悪の病棟だった。 まじ切れ(▼▼メ
2003年06月28日(土)
車を飛ばして病院に戻り、救急外来に飛び込んだ。
知り合いの医者や看護婦が大勢居るからだ。 消毒用エタノールを見せて、 「インスリン打つ時に使う消毒はこれで良いんか?」聞いた。 「良いんですよ〜」 「あたしは、消毒用アルコールって説明を聞いたんやけど、 商品名は消毒用エタノールってなってるし、 消毒用アルコールと消毒用エタノールが同じものだって知らなかったし、 もしも別物だったら、薬物アレルギーどころでは済まないと思って、 確認しに来てん。忙しいのにごめんなぁ」 「いえいえ〜」 まじで切れた。 入院していた糖尿病棟に上がって怒鳴った。 「消毒用アルコールって電話で言うたやん。 なのに商品名は消毒用エタノールになってるやんけ。 消毒用アルコールと消毒用エタノールが同じもので、 商品名が消毒用エタノールだったら、どうしてちゃんと説明してくれないのん?」 すると看護婦は「言葉が足らなかったですねぇ。ごめんなさいねぇ」 の一言言っただけだった。 こりゃあかんわ。 呼吸器病棟でまたまた同じ事を言った。 呼吸器病棟の看護婦さんは、「なんでそんな説明も出来ないの?」と呆れて居た。 も〜〜〜〜超大爆発モード突入となった。 次の日(昨日)病院に喧嘩を売りに行った。 ちゃんとした謝罪が無かったら、病院名公表する覚悟をして、 作家三崎綾として喧嘩を売りに病院に向かった。 馬鹿ばっかりかい(▼▼メ
2003年06月27日(金)
退院の日・・・
退院の前日、主治医が「何時に帰りたいか?」と聞いた。 「出来るだけ早く帰りたい。掃除もしたかったし退院荷物の片づけもしたいし、 次の日は免許の更新に行くから」と答えた。 主治医は「朝ご飯だけ出すね。午前中には帰れると思うよ」と言った。 当日、朝から荷物の片づけを少しずつ始めた。 退院前日、主人が夕方主治医の呼ばれて居た。 退院後の生活・病状などの説明があった。 退院当日は仕事があるので、私1人で退院しなくてはならない。 主人は8割方荷物を持って帰ってくれて居たので、 退院当日は紙袋2つ分の荷物だった。 朝ご飯を食べて、何時ものように喫煙所に行き「今日退院やし〜お先に」 なんて、喫煙所友達と話しをしていた。 昼前になってようやく会計から明細が来た。 病棟から1階会計に行き、支払いを済ませて「支払い終了書」を貰う。 それを病棟に持って帰ると退院出来るシステムになっているのだが、 退院後から次の予約までの薬が足らない事がこの時点で発覚。 足らない薬が薬局から病棟に上がって来るのを待つことになった。 支払い明細書を見ると、病衣の支払いをしている事に気がついた。 私は病衣は1度も着て居ない(サイズが無いのぉ) 病衣要りません用紙に、入院当日署名捺印をしていた。 それにも関わらず病衣代を取られて居た。 看護婦にそれを言うと、またしばらく待たされた後に、 2階の会計に行って返金して貰って来てと言う。 2階の会計に行くと、1階の会計に行けと言う(▼▼メ 1階の会計では、またしばらく待たされた後に、ようやく返金された。 病棟に上がると、足らなかった薬は薬局から届いたけど、 薬の支払いは次の病院代と一緒に請求すると言う。 だったら、病衣の払い戻しもその時に一緒にしてくれたら良かったのにと言うと、 それは出来ません(▼▼メ 1階の会計を済ませたら、次の予約券が貰える。 が、予約予定日の指定をしているのにも関わらず、全く違う日が予約されて居た。 なんでじゃ〜 看護婦に確認して貰って日にち変更をして貰う。また待たされた。 やっとインスリンセットが届き、針などの説明を聞く。 そんなもん聞かなくてもみたら解るわい。 すでに3時頃になって居た。お昼のインスリン打って無いやんけ〜 原因不明の薬物アレルギーで、熱発した時に飲んで居た薬の処方箋を 退院の時にくれるように、主治医に頼んで居た。 次回から「熱発した時に飲んでた薬は怖くて飲めない」 看護婦に「処方箋貰って無いんだけど」また待たされた。 やっと予約券も処方箋も薬も揃って退院した時は、 すでに3時を回って居た。まじで疲れるわ〜 話はこれで終わらないのだ。 家に帰って、軽くご飯を作って「はい食べましょう」と思ってインスリンを出すと、 消毒用コットンが入って居ない(どてっ 病棟に電話をして「消毒はどうすれば良いんでしょう」と聞くと、 「退院の時にはお出ししていませんので、自分でコットンと密封パックと、 薬局で消毒用アルコールを買って来て作ってくれ」と言う。 退院の時に説明してくれよ〜 そうこうしている内に旦那が仕事から帰って来た。 買い物に行かないとインスリンが打てないので、買い物に連れて行って。 町まで買い物に行くことになった。 100円均一に行って、持ち運び出来るケースとコットンと密封パックを買う。 その後、大きな薬局に行って、消毒用アルコールを買った。 薬局で、「消毒用アルコールを下さい」と言った。 定員さんは、紙袋とビニール袋の2重に入れて渡してくれた。 商品を確認しなかった。これが大きな問題となった。 少し旦那と散歩をしたりして、車に戻ったのが午後10時頃。 薬局の袋を開けてびっくり。 「消毒用エタノール」と商品名が書かれて居た。 あたしは消毒用アルコールと言ったはず。 なのに何故に消毒用エタノールが入ってるの??? 養護施設へ
2003年06月26日(木)
私が入院するのと同時に、娘は養護施設に預けました。
主人は仕事・私は病院・娘は施設と、初めて家族がばらばらになりました。 養護施設に預けて3日後、娘が高熱を出したと知らせが来ました。 すぐ私が入院している病院に連れて来て!! 娘は肺炎になっていました。即入院でした。 私は10階に、娘は7階に・・・離ればなれの入院生活となりました。 わたしは主治医と大喧嘩をしました。 「娘の付き添いをさせてくれ」 「今、無理すると命の保証が無い。絶対に駄目だ」 「だったら退院して付き添いする」 結局、主人が仕事を休んで付き添うことになりましたが、 私も治療の合間に、車椅子で娘の所に通っていました。 小児科の部長と主治医と話し合って、 娘は小児科で全面的に面倒をみてくれることになり、 主人は仕事へ、あたしは10階で、娘は小児科の看護婦さんに任せて。 娘は1週間ほどの入院で済みましたが、退院後そのまま施設に帰っていきました。 私は退院を見送る事も出来なかった。 そうして、また家族はばらばらになりました。 昨日退院して、今日免許の更新に行って、帰りに養護施設に行って来ました。 私は娘を連れて帰りたかった。 だけど、主人は「体調が少し戻るまで辛抱しろ」と言う。 解ってる。良くわかってる。今無理をすると命の保証が無いって事は。 でも、娘を抱きしめて上げたい。ごめんって謝りたい。一緒に寝たい。 窓越しに隠れて見た娘は、少し背が大きくなってたくましくなっていました。 涙が出ました。心の中で何度も謝りました。 「ごめんね。連れて帰って上げられなくて」 親のエゴで産んで、私がこんな身体だから施設に預ける事になってしまって、 娘はどう思ってるのだろう。親に捨てられたと思っているのだろうか。 子供なりに心に傷を付けてないだろうか・・・ こんな母親でごめんね。 私は「喘息の治療薬」「インスリン道具一式」「総合失調症」の薬を持ち歩く 生活となりました。 入院していた時は、「インスリン注射なんて楽々」と簡単に考えていましたけど、 いざ、帰宅して自分で血糖コントロールしようとしても、 病院に居る時みたいに、時間がきっちりならない。 1日3回の血糖チェックが2回になってしまってる。 すでにこれが問題なんだよね。 ちゃんと3回ご飯を食べて、血糖チェックして、インスリン打って・・・ これが出来ないと娘を迎えに行けないよね。 ん〜〜〜〜〜〜1日も早く娘を抱きしめて上げられるように、 あたしはちゃんと治療するぞ!! だって、娘は私の宝物で生き甲斐なんだもん(*^_^*) 入院中、総合失調症の勉強をしました。 パンフレットも沢山貰って帰ってきました。 少しずつ医療コラムに書いて行こうと思います♪ 今の私は、日記を書くのが精一杯です。 掲示板にレスを付けられなくて本当にごめんなさいね。 もう少し待ってて下さいね。 それと、サイト縮小の工事を少しずつ初めて居ます。 サイトが大きくなりすぎた。 これからの私は、無理が出来ない身体です。 自分で管理が出来るくらいに縮小します♪ あの事故から2年、ずっと無理をし続けて来た気がします。 寝る時間削って、いろんなものを削って、PCの前に座り続けて来ました。 もう無理はしません。のんびり行こうと思います(*^_^*) もしかしたら、すべての掲示板が無くなるかも知れません。 一方的発信となるかも知れません。 それでアクセスが減ったとしても、私は構わないと思っています。 無理をすることが、私のサイトに来てくれて居る人の願いでは無いと思ってる。 私らしく生きている事を、私の主張を聞きに来てくれて居ると思ってる。 掲示板なんかなくても、このサイトはなりたって行くと私は信じてる。 少しの間、自由にさせて下さいね。無理のないサイト管理が出来るように。 閉鎖だけは絶対に嫌だから(*^_^*) ただいま〜(*^_^*)
2003年06月25日(水)
無事に退院して来ました♪
ご心配おかけしましたが、何とか生きて退院出来ました(*^_^*) 書きたいことがいっぱいあるのだけど、 いろいろと心の整理をつけなければならない事があります。 これからの事・自分の身体の事・遺書も書き直す必要が出て来ました。 心の整理が出来た所から、順番に医療コラムに書いていこうと思います。 少し時間を下さいね(*^_^*) あたしはそれなりに元気です♪ それと・・・
2003年06月24日(火)
無事に退院した後の事なんだけどね。サイトを大幅に縮小します(*^_^*)
大きくして小さくして大きくして・・・ずっと繰り返して来たんだけど、 はっきり言って、今の私にはこの巨大サイトの管理は出来ないんだわさっ。 つーことで、おもいきって縮小しようと思ってまふ。 ただし、三崎綾が三崎綾として自己主張している所は無くさないよ♪ 何処をどう削って・・・まだ考え中だけど。 取りあえず縮小するってことだけは決めてる。 ある日突然、小さくなってるって事があるかもしんない。 常連さんはなれてるよね〜あたし改造得意だし(ぉーぃ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 今回の入院は、「誰かが私に心配をかけたから」とか、 「メールで相談に乗って貰ってたから、あたしに負担をかけたのが原因?」 って思ってる人が居るみたいだけど、それは絶対に違うってことだけは言っておくね。 気圧の変化に身体がついて行かなかった事、 医療事故からの私の多忙さが招いてしまった事、 何より医療事故からの精神的な疲れであって、 人のせいじゃ無いんだからね。 すっげー無理してたって思う。寝る時間、本当に削ってしまってたもん。 だから、サイトを小さくしようって考えたのさ。 あたしが居ないと寂しいって言ってくれる人の為にも、 そして家族の為にも、あたしは「自己主張はするけど、無理のない範囲で」 そう考えてまふ(*^_^*) ・‥…━━━☆ ・‥…━━━☆ ・‥…━━━☆ ・‥…━━━☆ M君・ひろへ 最悪の精神状態の時に支えてくれてありがとう。 もう大丈夫だからね。あたし、ちゃんと生きてるからね♪ またM君に助けて貰っちゃったよ・・・京都に帰りたいなぁ(笑) 26日退院予定だよん(*^_^*)
2003年06月22日(日)
いや〜実に長かったぁぁ。
やっと、木曜日に退院出来るかな?って所までたどり着いたわさ♪ 管理人も居ないサイトに、相変わらず大勢の方に来て頂きまして、 感謝感激で御座います(*^_^*) 今日、精神科で退院許可が出て、 糖尿・内分泌の先生に、文句ブーブー言い倒して、 やっとこさ退院許可を貰いました♪ で、何でこんな時間に日記の更新してるのかと言えば、 今日は試験外泊をしているのだ。 明日の朝、7時までに病院に戻って「採血・尿検査」で、合格点が貰えたら、 一応退院が出来るかな?って感じだす。 が、糖尿の方だけじゃ無いんだよね〜CRPと炎症反応の事もあるから、 そっちの方も合格点になってたら、無事に退院・・・になる予定なのだ★ しかし、やることがすごい!! 旦那に病院に迎えに来させて、パチンコ屋に直行したあたし(爆) ひさ〜〜〜〜〜〜〜〜しぶりにスロットちゃんとご対面して、 2万円ほど勝って帰ってきたわさ〜(笑) 焼き肉でも行きたい所だったけど、今日はじっと我慢の子してまふ。 明日の採血で不合格になったら、退院が2週間延びてしまうもん〜 それだけは嫌ずらっ。 退院したら、食べたい物がいっぱ〜〜〜〜〜〜〜いあったりするが、 しばし我慢して、取りあえずインスリンを打つ生活になれないとね★ 喘息ノートと血糖値ノートのWは超めんどくさいだろうけど、 しゃあないよなぁ・・・慣れるまで時間がかかりそうだわさっ。 病院で知り合ったお友達が2人、あたしの本を買ってくれたりして、 結構、宣伝しまくってたあたし。 しかし、あたしんちから一番近くの大手の本屋にも、 あたしの本が無いと言う事実を知って、 売れてるのかどうなってるのか、さっぱり解んない(爆) 落ち着いたら、出版社の社長にでも電話してみっぺ♪ 結局、精神科のお薬は、エリスバン・アモバン・レスリンで落ち着いて、 喘息は何時ものお薬。後はインスリンとなりました。 精神科の頓服(薬名忘れた)は薬物アレルギーの原因の1つかもしれんって事で、 安全パイの薬だけを残した感じになりましたずらっ★ 本当は、パキシルとか飲んだ方が良いらしいんだけど、 パキシルは薬物アレルギー出たしね〜(ρ_;) 飲める薬が限られてるあたしは、本当辛いっす。 けど・・・入院してて思った。もっと辛い思いしてる人がいっぱい居るって事。 糖尿病棟でお友達になった尚子ちゃん。 甲状腺取って、女性ホルモンが分泌されなくなって、 ガンが肺にも転移してて・・・被爆治療を孤独と闘って受けてた。 尚子ちゃんのママが今日言ってた。 「本当だったら、前回の治療まで命が持たなかったかも知れなかった」って。 自分の子が、自分より先に死ぬかも知れない・・・ そんな環境の中で生きて行かなければならない人が居る。 30歳になって、仕事を辞めて喘息治療しながら基礎体温を付けてた人が居る。 子供が欲しいからと・・・ なのに、喘息発作で呼吸停止となって脳細胞のほとんどが死んでしまった。 母親は泣きながら私に言った。 「喘息は怖い病気だから、ちゃんと治療してね」 孫を抱ける日を楽しみにしていたただろうに、娘さんは一生健常者になることは無い。 まだ20歳そこそこで乳ガンになって、片方のおっぱいを全部切り取って、 抗ガン剤で髪の毛がすべて抜けてしまった人とお友達にもなった。 転移もあって余命いくばくも無いのに、辛い治療を必死で受けてた。 こんな話は、病院にいっぱい転がって居た。 私のサイトに来てくれて居る人には、 心の病気を抱え、死を考えている人が大勢居る事は良くわかっているつもり。 だけどね。 生きたくて必死で闘っている人が大勢居るって事を知って欲しい。 子供を先に見送らなければならない親の悲しみを知って欲しい。 今居る場所から少し動くだけで、もしかしたら人生開けるかも知れない。 辛いのは自分だけじゃ無いって知って欲しい。 もっももっと辛い人は大勢居るって知って欲しい。 出来れば少し前向いてくれたらもっと嬉しい。 あたしも、 総合失調症・アスピリン喘息・薬物アレルギー・糖尿病を抱えてしまったけど、 それでも、あたしらしく前向いて生きて行こうと思う。 こんな身体で、何時まで生きられるのかはっきり言って全くわかんない。 だけどね・・・生きていられるってすっごい有り難い事なんだよ♪ 今と言う時間を大切にして欲しいって心から願ってまふ(*^_^*) 三崎綾は三崎綾になれた事に感謝します。 そして、三崎綾を応援してくれるすべての人に・・・大好きだよん♪ 一緒に歩いて行こうね〜絶対に無理しないように歩いて行こうね〜(●⌒∇⌒●) インスリン注射を打つ練習開始
2003年06月19日(木)
皆様、ご心配をおかけしています。
呼吸器病棟から糖尿内分泌病棟に、やっと移動する事が出来ました。 糖尿・内分泌病棟は、精神科のオープン病棟を併設してあり、 今は糖尿病と総合失調症の治療を開始しています。 大量の内服薬で薬害が起き、CRPが10を越えました。 抗生剤を打っても、CRPが全く下がらずに、 38度以上の熱が10日以上続き、医者も原因を必死で探してくれましたが、 どの薬が悪さをしているのか結局解らず、 すべての内服を停止することで、CRPを正常値に戻し、 今は1つずつ必要な薬を足している状態となっています。 大量のプレドニンを使った為、血糖値のコントロールが出来なくなって、 入院当初から、インスリン注射を打っていました。 退院時には、何とかインスリン注射オフにして・・・ 糖尿の先生はそう考えてくれていましたが、 思うように血糖コントロールが出来ず、 退院後もインスリンを自分で打つ事になってしまいました。 喘息の悪化→喘息内服での血糖値の上昇→副作用の脱水→精神的な疲労 この悪循環スパイラルにどうもはまってしまったらしく、 入院当初は、笑うことも出来ず喜怒哀楽も激しく・・・ 喘息の悪化がすべての病気の引き金を引いてしまうことが、 今回の入院で良くわかった・・・これは大きな収穫でした。 一時は悲観的になり、「こんな身体で生きて居ても・・・」 そんなことばかり考えていました。 前回の医療事故の事もあり、 私には、精神科は部長先生・糖尿も部長先生・呼吸器も偉い先生が主治医と なってくれて、みんなで必死に私の治療をしてくれました。 確かに、医療事故では心に大きな傷をつけました。 その後のアスピリンテストまでの期間で、私はボロボロになりました。 何度も病院を訴えようと思っていました。 でも今回の入院で「訴えよう」と思う気持ちは無くなりました。 今居る場所で、私らしく生きる道を探して行こう。 私よりずっとずっと辛い思いをして生きている人がいっぱい居る事を、 今回の入院で思い知らされました。 医療の部分で、他の患者さんよりずっとずっと、 恵まれた環境にしてくれて居る事を知りました。 肺ガンで手術も出来ず、必死で抗ガン剤の副作用と闘う人、 甲状腺ガンで女性ホルモンも無くして被爆治療と闘う人、 いろんな人と、今回の入院で知り合うことが出来ました。 そして、自分が恵まれた環境に生きて居る事を知りました。 三崎綾はやっぱり三崎綾らしく、これから先も三崎綾の主張をし続けて行こう。 生きているから喜びも悲しみもある。 生きて居たくても、死んで行かなければならない人も居る。 頑張るのでは無く、少しだけ前向いてみんなで歩いて行こう!! 頑張ったから、今生きている貴方や私が居る。 もう頑張る事はしなくて良いんだから。 でも、立ち止まるのでは無く少しだけ前向いて歩いて行こう。 退院したら、まだまだ書きたい事がいっぱいあるから〜♪ であ行って来ます。退院予定は1週間後です(*^_^*) 帰って来たら、掲示板でいっぱい話そうね★ みんなと話が出きるのを楽しみにして治療してくるね♪ 薬害トラブル発生
2003年06月15日(日)
1週間以上帰宅する事が出来ませんでした。
皆様、ご心配をおかけしました。 また、携帯メールにはお誕生日おめでとうのメッセージを沢山頂きまして、 本当に有り難うございました(*^_^*) 原因不明の38度以上の熱が1週間続き、ふらふらになっていました。 抗生剤も全く効かない状態でした。 詳しい事は、もう少し元気になったら改めて書くことにします。 何とか折り返し時点を越えることが出来て、 このまま行けば、来月中旬には退院出来そうです。 しかし、今回の薬害トラブル熱発はDrもまじで頭を抱えていました。 なんでこうなったのかわかんないって。 退院する頃には原因究明されるはず。 私も知りたいし(笑) カウンターやっぱり吹っ飛んでますねぇ。 退院したら、ちゃんと戻しますので、今しばらくこのままほっときます。 CGIを設定してる余裕が今の私には無いので(汗 であ行って来ます(*^_^*) |