鶴は千年、生活下手

2018年04月20日(金) 選択する日々

人生は選択の連続だ。
息子だって、毎日、学校に行くのか行かないのかを選択する。
普通は当たり前のように学校に行くものだろうし、わたしなどは
小中学校の頃は学校が一番楽しいところだったので、学校に行く
のは喜びだった。
複雑な家庭環境だったわたしとは違い、息子は家が一番落ち着く
場所であり、一番安心できる場所である。
学校に行かせるには、毎朝、息子の引っかかりが無いように気を
つけて送り出すところまで持って行く。
自分で何でもできるのだ、ほんとは。
しかし、わたしが居る場合は、自分でやらないのもまたほんと。
わたしは入院していたときは、夫と二人ちゃんと自分でいろいろ
準備して学校に行っていたのだから、できないわけではないのだ。

思春期だからなのか、自閉症だからなのかはわからないが、準備
している最中や、準備に取りかかろうとしている時に、何事かの
引っかかりを感じとると、動かなくなる。
いくら声をかけても動かない。
いや、動けないのかもしれないが、それはわからない。

いろいろと声をかけ、話をし、強く言ってみたり、冷静に話して
みたりするが、いっこうに準備に移ろうとせず、2時間目からの
登校にするのか、休むのかの決断を迫ることになる。
それでも決断できずに、ぐずぐずと時間がすぎ、結局休むことに。

わたしは、休む息子を置いて、病院に行く。
病院から帰ってから、選択する時にした例え話のその後について
息子に聞かれた。
例え話は、人生は選択の連続だが、その選択を正解にするのは、
その後の意思と行動であるということを伝えたかったと言った。

少し難しい話もできるようになった。
わたしが高校を選んだ時は、担任の先生の薦めるままに県内一の
高校を受験して入学したが、一年生の秋に挫折を味わったこと。
毎日、つらかったりもしたが、卒業する時には、この高校にして
良かったと思えた。
もう一つの高校を選んで進学していたら、わたしは挫折を知らな
いまま成人していただろう。
挫折を知ることは、その後の人生にとってとても大事だったこと
など、話すことができた。

息子はちゃんと聞いてはいたが、だからといって引っかかりで動
けなくなることは無くならないだろう。

選択することが苦手である。
それは選択しなかった一方のことを切り捨てられないからかもし
れない。
何しろ別離や捨てるということに、強く反応してしまう子だから。

人生は選択の連続だ。
正しい選択だったかどうかは、その後の生き方で決まる。
自分で決めたことならば、たとえ失敗しても立ち直りは早い。

そう思うのは、わたしがもう「アラ還」だからか。


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市屋千鶴 [MAIL]