鶴は千年、生活下手

2016年09月30日(金) 金賞

息子の中学校の文化祭舞台部門の発表会があった。
会場までは行きも帰りも、仲良しの友だちと一緒だったので、母
とは別行動だった。
合唱で各学年の金賞と銀賞を決める。
4組の中から2組が表彰される。
わたしは、息子の勧めもあって、全てを鑑賞してきた。
1年、2年、3年と、学年が上がるにつれ、合唱の迫力は増す。
男子の声変わりの時期でもあるので、1年生は何かとつらそうだ。
やはり3年生の合唱は、しっかりと声が出ていながらも各パート
のバランスが良くて、鳥肌が立つような合唱もあった。
帰宅後、息子と色々話し合うために、聞きながら感想をメモして
いたが、各学年の金賞も銀賞も予想通りの結果だった。
息子のクラスは、金賞だった。
1年生の中では、バランスもよく、しっかりと声が出ていた。
支援級の他のお母さんたちと休憩時間に話をしたのだが、わたし
が息子に感想をいうためにメモしているのを笑いあった。

合唱のあとで、吹奏楽部の発表があり、ひさしぶりに吹奏楽を楽
しんだ。
生で演奏を聴くのは、ほんとうにひさしぶりだ。
パーカッションの担当が、入れ替わりながら演奏しているのを見
ながら、パーカッションやってみたかったなあと思ったりした。
演奏が終わって、会場からアンコールがかかったが、それには応
えてもらえなかった、というか応えさせてもらえなかったようだ。
1曲ぐらい、短い曲をアンコールで演奏しても良さそうなのにと、
アンケートに書いた。

帰宅後、やはり息子は感想をもとめてきたので、メモをしたんだ
よと見せながら、感想を話し合った。
同じ金賞でも、1年の金賞と3年の金賞とでは何がどう違うのか
とか、声量とバランス、指揮の仕方などなど。

今日は音楽付漬けの一日で幸せだったねと、母と子は穏やかだった。



2016年09月21日(水) 耳に心地よいこと

秋は文化祭シーズン。
息子の中学校も同様に、舞台部門と体育部門がある。
舞台部門は今月に、体育部門は10月だ。
2学期に入って、それぞれの練習が放課後に入ってくるのだが、
息子はそれがどうも嫌で仕方がないらしい。
小学校では、そう言った練習は授業時間に行われ、放課後の練習
ということはなかったので、放課後は早く帰りたいから部活もし
ていないのに、放課後練習はなかなか受け入れ難いことのようだ。

ただでさえ、大人数になったときのざわつきとかが苦手なので、
体育部門は体を動かす分だけ気が紛れるのかもしれないが、合唱
の練習とか、イライラする自分を想像して不安になるという状態
のようだ。
無理はしなくていいんだよと何度も言い聞かせるが、先週は手足
をかきすぎてアザを作ってしまうほどだった。
クリニックの医師にも、そんなになるほどガマンしなくていいん
だよと言われていたが、意識してそこを判断できるかどうかだ。
ほんの1時間のガマンができないのは残念な感じもするが、いら
いらをガマンしながらの1時間はどんな感じなのだろう。

さて、今日はどうかと多少の不安を感じていたが、元気に帰宅。
舞台部門のリハーサルで、他の学年の合唱を聞いてみて、とくに
3年生の合唱がとても良かったと言ってテンションが高かった。
いろいろ聞き分けできる息子の耳にも、それはすばらしいものと
して聞こえたようで、パートごとの声の出方がやはり1、2年生
とは違うんだよと、感心しきりだった。
まあ、こういう日もあるのかなとやや安心する母である。

いいものを聞けば心地よいというのは、聴覚が敏感である分だけ
普通の子以上に強く感じるのであろう。
この聴覚を活用しようと思わないところが、「宝の持ち腐れ」だ
よねと話し合う母と子である。



2016年09月14日(水) 男と女の違いを実感

夫に、息子が休んだことを伝え、そのいきさつなんかを話した。

火曜日は母自身が一番体調の悪い朝を迎えるので、しんどい。
そのうえ、前夜は、なんだかお腹が張って3回も起きてトイレに行
ったりして、寝不足も加わっていた。
そんな絶不調の母の息子対応がよくなかったと、忠告されたのだ。

学校に行くのに着替えられない状態で、次第に泣き出す息子。
何が嫌なのかをやっとこさ聞き出したのが、8時をだいぶ過ぎてか
らのことで、一応学校には遅れて行くことを連絡した。
しかし、休むのか遅れて行けるのかを決めるのに、そこから1時間
近くかかり、わたしの病院へ行く予定の時間もとっくに過ぎていた。
結局休むことになったが、決まったのが9時半近くだった。
雨が激しかったのでタクシーで行きたかったが、なかなか電話すら
繋がらず、仕方なく、絶不調のまま歩いて病院へ行った。

なんだか情けなくて、歩きながら泣けてきたりして、病院に着いた
時はもうへとへとだった。
透析のベッドで準備をして横たわったら、また泣けてきた。
落ち着くまで待ちましょうかと言われ、少しの間静かに泣いて、い
つもより1時間遅れで透析をスタートした。

そんな一日のことを、夫に話して、わたしは大変だったなとひと言
言ってほしかっただけだった。
が、夫から返ってきた言葉は、
 「ずっと話しかけてたんじゃないのか?
  ずっと話しかけてると頭が真っ白になっちゃうから、待つこと
  が大事だよ。
  何分までに決められなかったら休みだよと告げて、あとはそれ
  まで待ってればいいんだよ。」
だった。
そんなことは、わかっている。
わかっていても、自分自身がしんどいと早く答えが欲しくなる。
対策を教えてほしかったわけじゃない。
大変だったねと言ってほしかっただけ。

女はただ話を聞いてほしいだけで、男はそこに解決を求めるとは、
まさにこれだと思った。
夫はとても優しいし、いい人だ。(愛している。)
子どものことも一緒に考えてもくれるし、面倒も見てくれる。
だが、こんなわたしでも女脳で、主婦にしたいほどの夫でも男脳
であることは間違いないなと思ったひとときだった。



2016年09月12日(月) 目をみて話すこと

「人と話をするときは相手の目を見ろ」というのは、よく言われ
てきたことだと思う。
自閉症の子ども達は、相手の目を見るのが苦手なことが多い。
どうしてなのかわからないが、目を合わせない。
というよりも、目で見ていると耳がおろそかになるからなのかも
しれないと思ったりもする。

先週、息子が、どうやらマイクラでいつも遊んでいるサーバーの
ところで課金したいらしい様子で、もじもじしたり言い出せない
で頭のなかがぐるぐるしてしまったりしていたので、最初は何が
したいのか言ってみなさいよと、いつものように息子の頭の中に
攻め込もうとしていた。
あーあーと言う息子の声に遮られるので、どうしても話しかける
声がだんだん大きくなってしまうが、突然、小声で話しかけてみ
ようと思った。
そのためには、息子を自分の方に向かせなくてはならない。
夫が息子に、話を聞く姿勢というのを教え込んでいたので、それ
を使って、話を聞く形になってとお願いした。
そうすると、座り直してわたしの方を見てくれた。
わたしの方を見てくれた所で、落ち着いた声で静かに話しかけて
みる。

課金したいのは気づいているよ。
どうやればいいのかわかってるの?
そのやり方は、こうじゃなきゃだめなの?
じゃあ、その金額で何が手に入るの?
同じ金額で、他のゲームだったら何が手に入るの?
手に入る物を比べてみて、高いと思う?安いと思う?

そうやって息子に説明させているうちに、息子の頭の中が整理され、
いい判断ができるようになっていった。
結局、課金はしないという答えに落ち着いた。
言ってもきっとダメだよねと思って、言い出せずにぐるぐる考えが
回っている状態では、上から何を言っても納得はできないかもしれ
ないが、静かに説明をさせていくと、自分で答えが出せた。

話しかけるこちらの方が、目線を合わせ、相手を気持ちを尊重して
いることをわかってもらうことで、落ち着いて話ができるたようだ。

目をみて話すって、こういうことかと思った。



2016年09月09日(金) ぷらむの前の大汗

日曜日、ぷらむ短歌会だったが、その前に多摩センターで義兄の
お見舞いに行った。
病院まではバスがあると知ったのは、病院についてからのことで、
歩いて行った我ら三人は汗だくだった、
炎天下の歩きは、ほんとにしんどい。
お昼を食べた直後だったので、息子はタクシーは気持ち悪くなる
から嫌だと言い、なんとはなしに歩いてみようかということに。
予想以上のしんどさに、言葉も少なくなってしまった。
坂では息子が手を引いてくれて、もう少し力が欲しいと思ったら
夫も手を引いてくれた。
帰りはしっかり駅までバスに乗った。
もう2度と行かないと思われる病院だが、バスが割と頻繁にある
ことがわかった。

とにかく大汗をかいて、夫や息子と別れ、なかばぐったりした感
じで南大沢に向かった。
1時間ほど遅れて参入。
ぐったりしていたせいか、発言することがあんまり浮ばなかった。
終わったときも、いそいそと真っ先に帰宅した次第。
相模大野からタクシーで帰った。

昨日は、台風崩れの低気圧の影響で、朝は学校の直前で土砂降り
になったようだったが、中間テストで帰りは早かったので、帰宅
した直後に土砂降りという絶妙のタイミングで帰ってきた息子。
ラッキーだったとつぶやいていた。

次回、ぷらむ短歌会のお題は「米」。
初めてのお題である。



2016年09月02日(金) いるだけでいいと思うこと

昨日から2学期が始まり、いったん持ち帰った教科書を半分以上
入れた重いリュックを背負って、よたよたと登校していった。

乳がんの有名人が、ブログを開設することが話題になった。
幼い子ども達といっしょにいてやれなくて申し訳ないと思ってい
る人に、自分も同じだと伝えたい、とか。

がんに限らず、子どもと一緒にいてあげられないことをすまない
と思っている親は少なくないと思う。
仕事でという人もいれるとたくさんいることだろう。

病気で一緒にいる時間が少ないとすまなさを感じている人たちに
わたしだって言いたい。
それは、いてくれるだけでいいということ。
病気と闘ったり、病気とつきあったりして生活している人は、と
にかく生きていてくれることが何より大事なのである。
無理はしない。
自分の体のことを第一に考えること。
そうすることが結果的には、家族への愛情になるのだ。

生きていてくれるだけでいい。
これは実感である。
わたしも1ヶ月程度の入院を2回、経験している。
本人の意識とは別に、担当医師の中では緊張する段階もあったと
聞いている。
臨月のようなお腹を抱えて、毎朝の吐き気と戦いながらトイレに
いき、週に3回4時間(前後の処置を入れると5時間ほどか)の
拘束時間を持つ。
子どもが熱を出しても一緒にいてやれない日も多かった。
今ではすっかり熱を出さない子になったが、インフルエンザでも
一緒にいてやれないこともあるし、軽いとはいえ自閉症の子を、
具合が悪い状態で留守番させることになる日もある。
夫がでかけてから、具合が悪いとわかったときは、なかなか大変
なのである。
しかし、とにかくわたしは生きている。
夫や息子にとって、それは何よりも大事なことなのである。

いてくれるだけでいい。
それが家族の物差し。


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市屋千鶴 [MAIL]