鶴は千年、生活下手

2003年11月29日(土) うつったか

鼻水は、左の鼻からだけ出ている。微妙に鼻声。
やっぱり、夫の風邪がうつってしまったのだろうか。
いっぱい寝て、治すのだー!

昨夜、あわや終電に間に合わなくなってしまうか、というタイミ
ングで会社を出たという夫。
今日も出勤である。何時に帰るかわからない。たぶん終電。
いやぁあ、相変わらずで、困ったもんだ。
上司は、夫の帰りがけに、背後がざわざわする場所から電話をか
けてきて、誰かの緊急連絡先を教えてくれと言ったらしい。
そのおかげで、終電に遅れそうになったのだった。
もう少し、その上司がしっかりしてくれればなぁと、夫の口癖。
休みも多いらしいし、テレビ会議のある日に遅刻することもある
らしい。 困ったもんだ。

今朝、年金問題の話題がテレビで流れているのを見ながら、夫の
ひと言。
「それ以前に、仕事量に見合った報酬が欲しいよ。」
ものすごく、納得して大きく頷いたわたし。
SEになった段階で、役職手当がついて残業代が付かなくなって
しまったから、毎日終電で帰ってきても、給料は変わらない。
それに、休日出勤の分の代休を取る余裕が無いなんてねぇ。(涙)
一応、緊急対応なので、代休は取るようにしてくださいと言われ
るようなのだが、状況が許さないのだろう。

そういえば、きわみちゃんもこの週末は土日とも出勤だそうだ。
毎月、月末から月初にかけては、非常に忙しいのだ。
期間限定でこなさなくてはならない仕事が集中するから。
どうしても仕事が集中してしまうところがあるのだなぁ。

この年で子供を産むということは、子供が小学校にあがる頃には
もう50歳ということで、子供が大きくなったからと仕事をする
には、年齢的に探すのが大変なのだろうなと思う。
自分としては、夏場の忙しさには閉口していたが、我孫子にいた
ころのパートの仕事は、なかなか自分に合っていたと思うのだ。

なんだか思い出すと、我孫子に生活って、結構充実していたので
はないかと思ったりする。
引っ越してきて、ついこの間までは、東林間で暮らし始めた頃の
ことを思い出すことが多かったが、最近では、妙に我孫子のこと
を思い出すようになっている。
この先十数年、二人きりの生活にはなれないのだなぁという妙な
感慨が有って、それが夫への依存度を高くしている気がする。
臨月を目前にして、最後の気の迷いか。
(子供が居ても、甘えればいいんだろうけどね。)

東林間で夫のと生活がスタートし、我孫子で熟して、再び東林間
で新しく3人の生活がスタートする。
新しいことは、東林間から、か。

 新しいことはここから始めよう三段跳びの最後の一歩(市屋千鶴)



2003年11月28日(金) リンクする

どうもお天気と気分はリンクするものらしい。
曇り空だと、やる気まで灰色だ。
雨の日は、もっとぐれーーである。
日がな一日、ぼーっとして暮らしてしまうので、自分ではなんと
もしようがないけれど、もったいないような気がするのだ。

暖房を使い始めたからか、鼻やのどの奥が乾燥してしまう。
左の鼻がときおりつんとする。
時間によっては鼻水が出るときもある。
気をつけないとなぁ。
それこそ、室内干しで湿度を補わないと思うが、明日は雨である。
その効果を実感することはできないらしい。

最近、そんなに見なくなっていた類いの夢。
誰かに対して怒っていたり、大声で抗議していたりする夢。
このところ、怒る夢を見ていないのは、欲求不満ではないからだ
と思っていた。
欲求不満というのは、夫と一緒にいる時間が短いとか、もっとか
まってほしいとか、くっついていたいとか、大したものではない
のだけれど、それがあまりなかったのだ。

今日、昼寝の時に二度寝をしたら、怒っている夢を見た。
女性に対して、なんだかとても怒っていた。
おまけに、借金が有ったけど自分で返してきたんだよー、などと
いうことまで説明している始末だ。
なぜ、そんな夢を見たのか。
何が不満だったのだろう、夢の中の自分。

久しぶりに見た怒る夢。
疲れるものである。
昼寝で疲れてどうするのか、自分。

夫は、わたしの半纏を着ている。
夫の半纏は、どうも湿気くさいような気がするから。
夫の半纏を洗って、自分の半纏を取り戻さなくては。
半纏が有れば、暖房だってほとんど使わなくてもいいのだから。
最近では、座椅子に長座布団をしいたところが、わたしの居場所
になっており、そこに座っていると背中も暖かい。
よりかかってひざ掛けもすると、ぽかぽかしてすぐに眠くなる。
基本的に、頭の高さが1mより低い位置になると、眠くなってし
まうという特性を持つわたしには、極めて危険な状態。
そのまま、うたた寝なんかしないように気をつけないと。

 すっぽりと納まっているその場所は胎児とともにまどろむ心地
                           (市屋千鶴)



2003年11月27日(木) 冬の空を待って

東京の冬が好きだと書いた途端に、来週の月曜日まで雨とは。
まだ、東京の冬には早いということなのだなぁ。
典型的な冬型の気圧配置が待ち遠しい。

病院の母親学級で、紙おむつか布おむつかの話が出た時に、布の
おむつはお洗濯が大変で乾かないと困るというが、これからの季
節は乾燥するので、室内に干しても暖房で乾くし湿度を補うため
にも役に立つといっていた。
なるほど、言われてみればそうかもしれないと感心したのだが、
やはり天日干しにこだわる気持ちもあるのだと思う。
加湿器を使わなくても、洗濯物で湿度調節が出来ますよと言った
助産師さんは若かったが、子育てにはお金がかかるから、何かで
代用できるものは代用しましょうという考え方の人だった。
金銭的にも肉体的にも無理をしないで子供に接することが大事だ
という考え方のようだった。

子供に、どれだけお金をかけるのか。
それはその家によって異なることだろうが、後継ぎという意識の
ある家では、長男優遇という意識は未だに残っている。
わたしの身内でも、やはり長男にはどこも甘いような気がするし、
それにきちんと応えられていない長男もいるものだから。

夫も長男だが、いろいろあって実家とは年賀状を交わすだけの関
係になっている。
いろいろあったのは、わたしとの結婚問題が発端なのだが、夫に
言わせると、わたしとのことに反対したからではなく、その時の
自分に対する親戚の態度に失望したからなのだそうだが。

家を持っているということ、継ぐべきものを持っているというこ
とは、面倒なことだ。
財産なんて、いらないなぁと思った。
自分自身、生まれ育った家は既に無く、財産も無い。
子供に残してあげられるのは、愛情くらいのものだから。

夫の実家に、子供のことはまだ知らせていない。
それよりもまず、年賀状には住所は書いてあっても、電話番号は
書かない夫。
生まれてから、写真を撮って送ればいいと思っているらしいが、
それはそれで、また何か言われそうである。

今にして思えば、わたしが初めて夫の実家に行った時に、夫の祖
母に与えたショックはかなり大きなものだったに違いない。
わたしは、自分の身内の感覚でズケズケと他人の家に入り込んだ
無神経な年上の女だったのだから。
初めて孫が連れてきた女が、家の中を掃除したりおせちを作った
するのは、祖母にとって堪え難いことだったのだろうと思う。
わたしの祖母とは異なり、80歳を過ぎても、なんでも自分でや
っていた人だから。
それを考えると、夫の祖母に申し訳ないと思う。
それを考えて、泣けてきてしまうこともある。
わたしは、なんて無神経だったのだろうと。

子供が大きくなって、新幹線の時間に耐えられるようになったら、
顔を見せに連れて行かなくてはなと思っている。
その時に、わたしが一緒のほうがいいのかどうかは、
まだわからない。
それまで、元気で居てね、おばあちゃん。

 君が大事 君の育った家も大事 思いの届く日はまだ遠い(市屋千鶴)



2003年11月26日(水) おー天気

いや、実にいい天気だった。
洗濯していても、ふんふんと鼻歌が出てしまうくらい。(笑)
これから、だんだんといいお天気の日が続くようになるんだなぁ。
これだから、東京の冬は好きさっ。

先日編み上げたマフラーも洗った。
出来上がり直後に、夫に巻いてみたところ、ちくちくすると言わ
れたので、一度洗って柔軟剤を使えばいいかなと思ってね。
思ったととおり、柔らかくなった。
これで、夫も心地よく巻いてくれるようになるかな。

さてと、今日で35週。九か月目も最終週になった。
来週の水曜日には、36週だ。
昨夜、姉から電話が有って、アメリカの従妹(夏に二人目を出産)
から、うち宛の手紙が姉の家に届いているということだった。
住所が分からなくて、姉の家に送ったんだろうね。
まあ、その方が確実ではあるな。(笑)
で、その時に、来週はもう36週だねという話をし、心配してい
たけど、よくここまでおなかの中で育ってくれたねぇと感慨深い
二人。
よく、妊娠中毒症にもならずに、ここまで来たもんだ。

終電で帰ってきた夫と、一緒にお風呂に入りながら、同じような
感慨を再び味わった。
よく育ってくれたねぇ、あとは、普通に生まれてくれればいいん
だけどねぇ、と。

二人で一緒にお風呂に入っていられるのも、あと少しのこと。
一緒にといっても、二人とも大きいので湯船には一緒は無理。
かわりばんこに洗い場と湯船の中なのだが、もぐちゃんが生まれ
たら、二人一緒は無理だよね、きっと。
そのかわり、もぐちゃんと入る楽しみが増えるのだろうが、わた
しにしてみれば、少し寂しい気がするのだった。

ことごとく夫に依存しているなぁと思うわたし。
もぐちゃんが生まれたら、夫依存も少しは軽くなるのだろうか。
夫の方が、かまってくれなくなったと言って寂しがるだろうか。

 湯の中で揺れる妊婦の腹の中 胎児は動く我もと動く(市屋千鶴)



2003年11月25日(火) 雨の給料日

雨の給料日。
夫と一緒に家を出て、銀行ATMめぐり。

朝、8時半過ぎに、昨日の配達業者の別に人間から電話が入った。
こういう風に朝の内に電話をもらっておけば、万全だったのにね。
(まだ言うか。)

帰宅して、パソコンを開いていると、携帯電話がなった。
ハロー・マザークラスで一緒だった方からだった。
予定日より10日遅れて、11月13日に女児出産とのこと。
なにやら、出産直前に尾てい骨のあたりが肉離れを起こしてしま
って、そっちのほうも大変だったとか。
よくわからないけど、なんだかとても大変そうな話だった。
そして、急に実家のそばに引っ越すことになったというのだった。
せっかく仲良く慣れたのにねぇ。(しくしく)
でも、そんなに遠いわけじゃなくて、中央林間から田園都市線に
乗って少し行ったところなので、遊びにきますからと言ってくれ
たのだった。
和歌山に里帰りしている妊婦さんもそろそろ臨戦態勢のころ。
そちらは2月に相模原に戻って来ると聞いているので、じゃあそ
の頃にでも会いましょうねと話し合った。

午後、商品到着。もぐちゃん用品である。
早速、箱から出して、あれこれ触ってみた。
早く実際に使いたいなぁと思うのだった。

生協から、おせち料理のお勧めの電話が有った。
今年は作ってられないかもしれないから、買ってしまおうかとも
思っていたのだが、どうしようかなぁ。



2003年11月24日(月) 怒りより悔しさは長く続く

結局、ちょっとした模様替えはせずに、夫の風邪を治すことにし
たのだった。
外出といえば、買い物に出かけたくらい。

この三連休の成果は、「クーロンズ・ゲート」を終わらせたこと
くらいかな。
まるで、お正月のようなだらだらとした感じの三日間だった。

夫は、毎週、何かすることが有るのを伸ばし伸ばしにしているの
が申し訳ないと言ったが、本当に急いでやるべきことなら、尻を
叩いてでもやってもらっていると思うので、それはかまわないと
とりあえず言っておいた。
他の嫁さんだったら、どこにもつれて行かないこんな旦那は、嫌
だって言われてしまうんだろうなぁ、と夫が言うのだった。
別にわたしは、ちゃきちゃきと仕切っていろんなところに連れて
行ってくれる人を求めていたわけではないので、多少の物足りな
さはあっても、それを補う部分があるのだから、それでいいのだ。

夕食の準備をしようとしていた、午後7時すぎ。
先日、トイザラスで商品の配達という人から電話が有った。
この商品は代引で、この三連休に届くだろうと思って、その分を
確保しながら暮らしていたのだが、三連休も最終日の夕方になっ
てしまったし、朝から連絡も無いので、もう配達は無いだろうと
思い、少し使ってしまった。
代引金額ぎりぎりしか手元には無くなっていたのだった。
それでは、明日、夫が会社に行くのに持ち金が無くなってしまう
ので、明日の午後にしてもらった。

そんな時間にこれから行ってもいいかと聞かれても、駄目だとい
う他は無くて、余分のおろしておかなかったことを悔やんでしま
うのだった。

最初は、代引が有るときは、朝のうちに電話するもんだろうと、
怒りを覚えたのだが、だんだんと余分におろしておかなかった自
分が悔しくなってしまう。
怒りは案外長続きしないものだが、悔しさは長続きしてしまう。
結局は、なんでも段取り良くできないと気が済まない、人にいい
評価を受けたいという気持ちが根底に有って、それが実現できな
いから悔しくなるのだろうけれど。

本当は、コンビニに行っておろすことも出来たのだけど、電話を
もらったときは怒りで冷静さを失っていたので、断ってしまった
のだった。
給料日前だからといって、ぎりぎりのお金だけもって暮らしてい
てはいかんなぁと深く反省した次第。
この先は、子供もいることだし、いざと言うときのために、そん
なこといってちゃだめだろうってね。

立ち直るにはやっぱり食事だった。
夕食(すいとん入り鍋)を食べたら、少し元気になった。

 怒りより悔しさばかり引きずって生きてきたのさ40年も(市屋千鶴)



2003年11月23日(日) 勤労には感謝

勤労感謝の日。
夫の常日頃の勤労には、深く感謝している。
毎日、23時半くらいまで仕事しているのだから、お疲れさまな
のである。
だから、今日は好きなだゴロゴロさせてやったさ。(笑)
とはいえ、週末はいつも1日はごろごろさせているんだけどね。
少しだけ模様替えをと考えていたのだが、夫の風邪を治すのが先
だということで、夫の体調次第ということに決めた。
だいぶ良くなったんだけどねぇ。

昔から、勤労感謝の日というと、仕事をしているお父さんに何か
してあげようという日のような気がしていたが、母の日よりも、
父の日の方が控えめなことを考えると、勤労感謝の日でお父さん
にサービスして、ちょうどいいのかもしれないと思ってみたり。
しかしながら、働いているのはお父さんばかりではないので、や
はりこの日は、働いている全ての人に感謝する日と思わなくちゃ
いけないだろうなぁ。

家のことをこなしながら仕事もしているお母さんだって、家族の
ために毎日家事をこなしているお母さんだって、扶養家族はいな
いけれども、一生懸命仕事しているお兄さんやお姉さんだって、
みんな感謝されるべきなんだよね。
だって、そうやって暮らして税金払って、社会に貢献してるんだ
ものねぇ。

優等生的な発言かもしれないけれど、ほんとに税金でお給料をも
らっている人達にも、考えて欲しいことだと思ってみたり。

高い学歴をもっているから、難しい私見に合格したから、高い給
料をもらってキャリアと呼ばれて仕事しているんだよね。
仕事の成果だけを評価されてお給料をもらうようになったら、公
務員になる人は、減ってしまうのではないだろうか。

なんでもかんでも、能力次第でお給料が決まるというのも考えも
のかもしれないが、それは能力の捉え方一つだろうと思うのだ。
確実に目に見える成果をあげるタイプの人と、サポート能力が人
よりも秀でている人だっているだろうし、仕事しやすい環境を提
供するのが能力だという人だっていると思う。

いろんな能力を、正当に評価されて働ける社会なんて、夢の夢の
話かもしれないけど、そうなるのだと思うことができれば、子供
の将来のことだって、もっと希望が有るものに思えるのではない
のだろうか。

わたしは、職人さんが好き。
何かを作り上げることができる技術を持っているなんて、なんて
素晴らしいことなんだろうと思う。
日本の職人さんって、もっと優遇されてもいいんじゃないのか?

子供の将来は子供のものだから、親がどうこう言うものではない
と思っているが、商社マンより何か作る人になって欲しいと思う
のはなぜなのだろうか。

いや、決して高専のロボコンを見たからではない、はず。(笑)

 触れることのできないものを作ってる君の手はほら気持ちが良くて
                           (市屋千鶴)



2003年11月22日(土) 徹夜明けだった夫

昨夜、終電が到着する時間に形態にメールが入った。
「徹夜です」のひと言だった。
翌日も一日仕事なのかと問うたら、たぶんという答え。
夜中の1時頃に電話して、ゲームしてから寝るよと告げて、声を
聞いた。
ゲームは1時間半くらいで飽きてしまったのだが、なかなか眠く
ならなかった。
結局寝たのは、4時少しまえのこと。
その後も目が覚めたりしたが、いつも起きる時間になると、自然
に目が覚めてしまった。
まだ、もう少し寝ようかなと思っていると、郵便受けから新聞を
抜く音が聞こえた。それから少しして、鍵を開ける音。

夫、帰宅。
昼まで寝るからと言って、真っ暗にした部屋で数時間眠った。
お昼に起きて、別の担当者に電話してみるが、電話に出ないので、
3時頃に出かけるつもりで、さらにもう一眠りした夫だったが、
その人からの折り返し電話で、予定より早く起きるはめになった。
結局、夜にメールチェックして、作業が残ってるようなら、日曜
に出ましょうという話になった。
夜にメールをチェックしたら作業が終わっていたので、日曜も寝
ていられることになった。

風邪を治してもらわなくちゃならないので、なるべく起こさない
ようにとは思うのだが、起きてくれないとできない作業が有って、
いつ頃起こすかが微妙なところだ。

夕飯は、きわみちゃんと食べた。(夫はまた寝たので。)
食べた後で、恋愛相談を受けた。(笑)
といっても、きわみちゃんが思いを寄せているという話ではなく
て、思いもかけない人からお誘いが有ってとまどっているという
話だった。(きわみちゃんが好きな画家の個展だとか。)
わたしなら、全然迷わずに誘いにのったのだが。(笑)
だって、思いがけない人だって、二人で話してみなければどんな
人なのかわからないものだから。
会社でしている会話とは、たぶん、違って来ると思うし。
その会話から、その先のことを考えればいいだけだと話した。
最初から、何もかも考え過ぎちゃだめだよ〜ん。
いい人かもしれないし、逆に年齢差をひしひしと感じてしまうか
もしれないし、それはプライベートで話してみないと分からない。

その誘った相手は、夫も顔は知っているという程度の男性であり、
確かに誰が見ても彼女がいそうな二枚目系なのだそうだ。
まあ、その点がきわみちゃんにしてみれば、思いがけない相手と
いうことになるんだが。
ただ、夫は、よく知らないから分からんよと、言うだけだった。

お誘いがあるというのは、いいことではないか。

 振り向けば思いがけずに君がいてわたしを見ていたことに気が付く
                           (市屋千鶴)



2003年11月21日(金) 検診の日

34週の検診日は外診のみだったが、次回は胎児観察と超音波の
検査が有るとのこと。
今日は内科のいつもの女性医師が学会のため、最初の頃に診ても
らっていた医師のもとへ。
お久しぶりですねぇ、順調ですかと訊かれ、太っちゃいましてね
と答える会話。
貧血の薬を気にして水分を多めにとっていたからか、いつもより
少しむくんでいるようだった。気をつけなくちゃ。
他は、いつもどおり。

終わってから、病院の展望レストランで食事をした。
一度、そこで食事をしてみたかったのだが、少しだけ期待外れ。
少し待たされて出てきた食事は、ビーフシチューなのに熱くなく
て、猫舌のわたしでさえ物足りないと思う温度だった。
料金の割には、いまひとつか。
次からは、いつものカフェテリアで食事した方が良さそうだった。
まあ、何事も経験だからね。

帰りは、ちょっとおなかが張りぎみで帰ってきたので、帰宅して
から休憩して一眠りした。
お昼に、濃いめの食事を摂ったので、夕食はふかし芋とトマトだ。

昨夜は、帰宅した夫の愚痴を聞いてあげた。(笑)
仕事を任せている各チームの特徴のこととか、経験者だからわか
る話。
夫が、「愚痴になっちゃうんだけどさぁ。」と言うので、せっか
く同じような仕事をしていたのだし、よくわかるから愚痴っても
いいじゃないかと言って、聞き役に回った。
こんなとき、夫と同じ仕事をしていて良かったなと思ったりする。
夫の嘆きは、もっともな話で、それは愚痴りたくもなるわな、と
思うような話だった。

がんばれっ、とうちゃん!



2003年11月20日(木) 風邪か?そうなのか?

昨夜、帰宅した夫は、鼻風邪っぽくなっていた。
一昨日に眠いからと風呂にも入らずに寝てしまい、昨日の朝には
シャワーだけなのかと思ったら頭まで洗っていたのだから、それ
で出かけて風邪をひくのは、至極当たり前なことだ。
朝シャワーとか朝シャンとか、やり慣れないとやっぱり風邪をひ
くものなのだなぁ。
たぶん、わたしなら平気だったと思うのだが。

湯冷めって、暖まるから冷めるんだよね。
じっくり暖まれば暖まるほど、出てから冷えた時のギャップは大
きいのだろう。
わたしは、シャワーも手短な方なので、基本的には暖まらない。
すぐに服を着ることで暖まるくらいの方が風邪はひかないのかも
しれない。(まあ、わたしの場合は、ってことだが。)

朝から風邪薬を飲んで、カバンに入れて出かけて行った。
今日は、ズボン下を履かせたよ。
なにしろ、帰りが夜中だからなぁ。
この週末は、三連休。
ゆっくり休めれば、風邪も直るのだろうが、休めるのだろうか。

わたしに移さないようにと、昨夜はお帰りのハグを拒もうとした
夫だが、直接感染の風邪はハグぐらいでは移らないさと言って、
わたしはお帰りのハグをした。

夕方、具合はどうだとメールをしたら、「問題無し」という返事
が返ってきた。
夫は、風邪をひいてもほとんどが鼻風邪で、熱を出したりするこ
とはあまりないのだ。

わたしはといえば、糖尿病対策で痩せた時に大熱を出した後は、
ほとんど風邪もひいていない。
たぶん、睡眠が足りているからだろうなぁ。
風邪の予防には、充分な睡眠が不可欠だと思っているから、今日
もしっかり2時間昼寝をした。
夜は午前2時頃に寝るのだが、いつも5時から6時くらいに一度
目が覚めてしまう。
それからじりじりと眠って、目覚しの時間を迎えるのだ。

連続して6時間とか7時間とか眠れなくなってきたのは、仕事も
していないし、それほど疲れることをしていないからだろうなぁ。

 かぜなんてひきはしないわたっぷりと愛情もらって眠っているから
                           (市屋千鶴)



2003年11月19日(水) 右側(短歌修正)

もぐちゃんは、最近は右側が好きらしい。
前回の検診のあたりから、右側にいることが多くなったようだ。
左側には、母の腸内の邪魔者がいるからなのか。(笑)

寝る時、夫はわたしの右側に寝る。
起きている時、歩いている時は、夫は左側にいるのがほとんどな
のだが、いつのまにか右側に寝るようになっていた。
もぐちゃんが生まれたら、ベビーベッドの位置などから考えると、
夫は左側に寝てもらうようになるだろう。
そうなると、夫はいつも左側ということになるか。

夫は、妙なところで左手を使う。
もともと左利きなのかと訊いてみたが、そうではないと言う。

そういえば、前のいた会社で、右利きだがマウスは左手で使うと
いう人がいた。
というのは、右手でテンキーをよく使うので、いちいちマウスを
持ち直すのが面倒だからなのだそうだ。
なるほど、それは効率的だなぁ。

わたしは、未だにキーボードでできることは、キーボードで行う。
コピー&ペーストも、スクロールも、ウィンドウを閉じるのも、
アプリケーションを終了するのも、キーボード上の操作でやる。
だって、いちいちマウスの位置を合わせるのって面倒だもの。
まあ、どちらかというと、DOS世代の名残みたいな人間だから
なのかもしれないけれどね。(笑)

とにかく、右側が好きなもぐちゃんのおかげで、わたしは夫のい
る右側を向いて眠れるようになったのだった。

 心臓を下にしたまま寝た時に見た夢はもう忘れてしまえ(市屋千鶴)



2003年11月18日(火) 返事

銀行員時代の同期の子の「はい」という返事が、どうもぎごちな
くて、言われた方の人間が機嫌が悪いのかと気にしていたことが
有った。
そのことを、彼女に訊いてみたところ、彼女はほとんど「はい」
という返事をしたことが無かったということだった。
学校では、「はい」ということは有ったろうが、それは出席をと
るときくらいではなかったのだろうか。
一番「はい」という返事を多用するのは、家庭の中なのかもしれ
ないと、その時思った。
小さい頃から、家庭の中で「はい」という返事をしないで育つと、
社会に出てからぎごちない「はい」を言ってしまうのではないの
かと思った。
イントネーションの問題で、「は」よりも「い」の方が低いと、
どうも不機嫌な「はい」に聞こえるらしい。
普通は、「は」も「い」も同じ高さだと思うのだが、どうだろう?

言い慣れないことは、上手く言えない。
やり慣れないことが上手くできないのと同じだ。

人を思いやるということも、やり慣れないとうまくできないのだ。
思いやっているつもりで、かえって負担に思われてしまったりす
るのは、自分ではなかなか気が付かないものなのだが、そうなっ
てしまいがちなんだよね。

それはさておき、やっぱりちゃんと返事をする習慣というものは、
大事なことなんだなと、社会人一年生のわたしは思ったのだった。

返事一つで、その人の印象が分かってしまうことも有る。
都会では「ええ」という返事が普通に使われるが、母の実家の若
いお嫁さんが嫁いで来たばかりの頃、聞き返す時に「ええ?」と
いう言い方を多用していた。
田舎のお母ちゃん達からすると、その「ええ?」と聞き返す言い
方は、とても冷たい反応だと感じたらしい。
「はい?」といって聞き返すのも、言い方次第なのだろうが。
田舎では、訛ってるから「はえ?」と聞き返すか、「なえだべ?」
という聞き返し方になるので、「ええ?」とか「はい?」とかの
きっぱりとした発音が、冷たい感じを与えてたのかもしれない。

返事一つでも、難しいもんだなぁ。

 叫んでも何も帰って来ないほど積もった雪を思い出してる(市屋千鶴)



2003年11月17日(月)

他の人の日記を読むのは好きだ。
だが、読んでいてせつなくなることもあることは確か。
読んでいると、自分がなんて家庭人らしくないのだろうと思い知
らされてしまう日記とか。(笑)
サイトも同様で、いやぁ、そんなにいいお母さんにはなれないや
って思わされてしまうサイトとか。(笑)

できる人とできない人の違いは、やるかやらないかなのだろうと
思うのだが、潜在能力にも関係はあると思う。
やってもできないってことだってあるのだから。
やってもできないからやらなくなるという悪循環もあって、それ
こそ、やったらできる人には分からない感情だろうと思うし。

それと、知らないことはできないのは当たり前。
知らないからやらないというのと、知っていてもやらないという
のは全然違う。
だから、知らないといって非難することは誰にもできないと思う。
知ろうとする意欲がないのは、少しは非難されて仕方が無いのか
もしれないが、それだって知るための方法を知らなかったり、そ
の方法をとることができなかったりすることだってあるのだから。

それから、知っていてもあえてやらないという場合は、その人な
りの理由が有るからだろう。
それは、他人から見たら些細なことなのかもしれないが、本人に
とってはとても大事な理由だったりするのかもしれない。
その理由をもとに、やる場合とやらない場合を天秤にかけて判断
していることだってあるだろう。
まあ、ただ嫌いだからとか、面倒だからということもあるが。

「信じられなーい」という言葉が嫌いだと書いたことが有るが、
その気持ちの根底には、今書いたような意識が有る。
知らないことと、やらないことは違う。
それに、自分の知っている常識の範囲で、他人を測ることも嫌だ。

料理だって、洗濯だって、掃除だって、仕事だって。
それに性に関することだって、知らないことを知った時に信じら
れないなどと言うことはしないようにしようと思っている。
自分が当たり前のように知っていることを全く知らない人に出会
ったとしても、それは「信じられない人」ではなくて、自分とは
育った文化が違う人だということだと思うのだ。
もちろん、逆の場合もあるのだし。

そういうところを自覚していないと、誰かと一緒に暮らして行く
ことはできないのかもしれないなぁ。
まあ、我慢できないことは、我慢できないと言えばいいのだし、
話し合って妥協できることは妥協すればいいのだろうが。
その妥協する部分がどれくらい少なくて済むのかが、一緒に暮ら
すポイントなんだろうと思う。

誰かと一緒に暮らして行けないということを自覚していることは、
かなり辛いことなのかもしれない。
たとえ、その本人がそうは思っていないとしても。
わたし自身が、夫と暮らし始めるまでは、誰かと一緒には暮らし
ていけない人間だと思っていた。
それは、あきらめにも似ていた。

ただし、公共の場でも常識(マナー)は別問題で、知らないのな
らば教えてあげるくらいの余裕が前もって必要なのかもしれない。
でも、これだって、いろいろなんだろうなぁ〜。

自分の知っていることを知らないでいる人を相手にするのは、け
っこう寛容さが必要なことなんだと思う。
その人に対してどれだけ愛情(友情・親近感)を持っているかが、
妥協したり許せたりするする重要なファクターなんだな。

 許せないと思った人への愛情は偽物だったと知るまで5年(市屋千鶴)



2003年11月16日(日) 日課のように

このところ、夫と二人で毎晩のようにやっていること。
それは、「クーロンズ・ゲート」。
プレステのゲームソフトである。
DISKは、「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」の4枚。
プレステ2ではなくてプレステのころでは、最高に面白いゲーム
だと思っている。(わたし達は、だけど。)
年単位で、やってみたくなる。1年に1回とか2年に1回とか。

このゲームを買ったのは、一緒に暮らしてはいたが、まだ結婚は
する前だった。あれから、何回やったことだろう。
夫と二人でだったり、一人でだったり。

夫の帰りは、毎晩遅いので、遊べるのは1時間くらい。
眠いな〜、という状態になってから、二人でばったりと寝る。
今は、主人公が清朝にタイムトリップしたところ。
(分かる人にしかわからなくて、申し訳ない。)
あちこち歩き回り、情報収集をして結果を得るのが目的なので、
少しだけぼんやりしてしまう。眠くなりやすいところ。

午後から、相模大野まで出て、だっこ帯を買ってきた。
予定通りのものを購入。
その後、「さくらや」で、「Mac OS X Panther」
を購入して帰った。
夕食に天ぷらうどんを作って食べ、ただいま夫はDASH村を見
ながらインストール中である。

昨夜、布団に入ってからこんなことを話した。

二人で暮らして行くのだと覚悟していた頃は、10年後とか20
年後とかを思いやることは無く、一年ずつを二人で暮らして行け
ばいいと思っていたし、ほとんど何も考えていなかった。
今、このおなかのなかにわたし達の子供がいて、来月には生まれ
てくるのだということを思うと、そうか、この先の20年近くは
この子の成長を見守って行かねばならないのかと、気が遠くなる
ような気がした。
気が遠くなるというのは、適切な表現ではないかもしれない。
そんなに先のことまで思いを馳せることは、これまでほとんど無
かったのだから、そんなことを考える自分に驚くような気持ちか。

実際に生まれてみれば、おそらく今で手いっぱいになるのかもし
れない。
おなかの中でもこもこ動いているこの存在が、一つの個別の存在
として世の中に出て来るんだもんねぇ。
おなかのなかにいても、狭いだとか、位置が悪いだとかでもこも
こと動いて主張したリ、位置修正したりしているこの子がねぇ。

その一つの生命を、守り育てるということの責任の重大さに考え
が及んでしまうと、怖くてたまらなくなる。
不安でたまらなくなる。
昼頃、夫を起こしながらそう言ったところ、夫にこう言われた。
「産んでから、実際にもぐちゃんを目にしたら、頭ではなく体が反
 応するから、大丈夫だよ。」と。
きっと、わたしは夫にこう言って欲しくて、怖いと訴えたのかも
しれない。

 先を見る余裕ができるまでのこと見守っていてください、あなた
                           (市屋千鶴)



2003年11月15日(土) あれこれ

今日も夫は、電話番だと言って出勤して行った。
それも、iBOOKとOSXの本を背負って。
電話番だから、暇な時間にMACでプログラムを作ったりしてい
るらしい。
こういうところが、好きでやってる仕事なんだろうなぁ、と思う
要因である。
仕事では、実際にプログラムを作らなくなってしまったのだけど、
作りたくなったらどうするのと訊ねた時に、MACで作ってるか
ら、と答えた夫だもの。
就職に有利だからと、電算専門学校に入学して就職したわたしと
は、根本のところが違っているのだなぁと思う。

昼食後、買い物に行って戻ったところに、夫から電話が入った。
わたし「どうしたん?」
夫「ひまー。」
何事も無く、電話番は暇だったらしい。(笑)
他にすることもなさそうだったので、「妊婦ちーちゃんの絵でも
書いてくれ。」と指示を出しておいた。
はたして、書いてくるのかどうか。(笑)

先週の検診のときに貧血の薬を処方され、薬局では便が硬くなり
やすいので水分を多めにとるようにと言われたわたしは、意識的
に水を飲むようにしている。
そのせいかどうか、食事を極端に増やしたわけでもないのに、体
重が増えている。
普段よりも、コップで4、5杯くらい多くなっていたからなぁ。
水分のとり過ぎかもしれないので、今日辺りから元に戻そうかと
思っている。(お通じもちゃんとあることだし。)
むくんだら、大変だもの。それに血圧もね。

食べると言えば、東林間駅から自宅までの道に、和菓子屋さんが
何軒かあるのだが、いつもお店の前を通っていて、気になってい
た和菓子が有って、先日買ってみた。
「あずき餅」という商品なのだが、お餅に餡を練り混んであるだ
けのもので、小振りでそんなに甘くないし、おやつに丁度いい感
じだった。また、今度買って来ようっと。
明日は、相模大野に行きたいなぁ。

夫のいない土曜日は、平日と同じはずなのに、なんだかそわそわ
してしまう。
いつもより早く帰って来れるといいな。
今日は、生姜焼きときんぴらごぼう。
夕飯、一緒に食べられるといいな。

 一緒には居られないのと言ってみる嘘で固めた始まりだった(市屋千鶴)

大昔の話、ってことで。(笑)



2003年11月14日(金) 上天気

今日はとてもいいお天気だった。
明日から明後日にかけては、どうやら天気が崩れるようだから、
洗濯してよかった。

昨夜は、23時半頃に帰宅した夫と、一緒にお風呂に入りながら、
昨日の日記の話をしたりした。
夫は、妊娠・出産についてはまったく楽観的に、そのうちできる
だろうと思っていたらしい。
産むのはわたしで、そのうちといっても、年齢的にだんだん辛く
なるのにねぇ。

まあ、夫婦が二人揃って、考え過ぎるようだと、うまくいかない
のかもしれない。
片方が悲観的な時に、片方が楽観的に前を向いて歩いて行けるよ
うなバランスだから、なんとかやっていけるのだろうし。

そういえば、姉もそんなことを言っていた。
姉が何回も大きな手術をして入院している時に、姉の友人が自宅
に電話すると、義兄が元気に笑いながら話をするので、電話した
友人の方が救われる気がしたと言っていたということだった。
夫婦って、そういうものなのかもしれないなと、一緒に暮らし始
めてから8年弱、結婚してからまだ6年弱のわたしは感心するの
だった。

今日は、ダスキンさんがやってくる日だった。
来月から春まで、花粉症対策をかねて、空気清浄機を借りてみる。
空気清浄機で、どれくらい花粉症が楽になるものなのか、試して
みてから、購入を考えてもいいなと思ったりしているのだ。
だが、買ってしまった方が安上がりかもしれない。(汗)
買うとしたら、買いたいものはもう決まっているのだが。

おお、それよりも、おんぶ帯(だっこ帯)を買わなくては。
こちらも、買いたいものはもう決まっている。

姉が来た時に、入院セットは、夫にも分かるようになっているの
かと訊かれた。
外出先で万が一にも産気づいて、即入院ということになった時に、
夫に言えば何を持って行くか分かるようになっているのかと。
それは、大丈夫。
「もぐ」と書いてある箱から、カバンを出して持っていけばいい。
その辺はもうばっちりだと、姉に得意げに言ってみたりしてね。
もぐちゃんが退院時に着る服とかも楽しげに見せたりして、もう
すでに充分に親ばかか。

早くもぐちゃんの顔が見たい。
どんなふうに動いているのか、早く実物を見たい。
今はまだわたしのおなかに内蔵されている「おちんち○」を、早
く見たいのだ。(笑)
自分のおなかの中に内蔵されているのだと思うと、妙に面白い。

 少しだけ後ろを向いてしまうときは前向きの君に預けてしまおう
                           (市屋千鶴)



2003年11月13日(木) 自然妊娠

今朝、フジテレビの番組で取り上げていた、47歳で出産したと
いうご夫婦の話。
卵子を第三者から提供してもらっての妊娠・出産だった。
40歳から不妊治療を始めたということだったが、40代では、
妊娠の可能性は10%だと言われたらしい。

自分が妊娠する前は、この手の番組というか話題は見ないように
していた。
子供が欲しいと思うこと、そのために検査して不妊治療をするこ
とが取り上げられる度、自分が責められているような気がした。

38歳で結婚して子供が出来なかったから、なぜ検査しないのか、
なぜ不妊治療をしないのかと言われているような気がした。
検査も不妊治療もしないのは、そんなに子供が欲しくないからだ
ろうと言われている気がした。

だから、そこから目を逸らしていた。

自然妊娠したからといって、その手の番組や話題が平気になった
わけではない。
はたして自分は、そこまでして子供が欲しかったかという気持ち
は、まだどこかにあるのだ。
できないものはできないではいけないのか。
今の時代ならば、なんとでもなるからなんとかするのか。
それでいいのか。

自分が原因で子供が出来ないのだとわかったときの、配偶者への
申し訳なさや、逆だった場合の配偶者への思いやり。
そこまで覚悟しなくては検査だって受けられないような気がした。
自分が原因で子供が出来ないと分かった時、それまでと同じよう
に二人で暮らして行くことができるのだろうか。
わたしは、強烈に子供が欲しい、どうしても子供なしでは嫌だと
いうことはなかったけれど、それでも申し訳ないという気持ちは
ずっと拭いきれないで暮らして行くのだと思っていた。

わたしが、どちらのせいだとか、そういうところを曖昧のままに
しておきたかったのは、たぶんその覚悟が出来ていなかったから。
することはしてるんだけど、できないものはしょうがないよね、
という空気で暮らして行こうと思っていたから。

そうだ、妊娠するまでは。
必死に不妊治療をしている人達を、複雑な気持ちで見ていた自分
が、いざ妊娠した途端に、やっぱり子供はいないとね、などとは
決して言えないのだ。
子供が出来たからと言って、それまでの複雑な気持ちが消えてし
まうわけではないから。

夫の実家に対する意地もあった。
年をとった嫁では、跡継ぎが出来ないから駄目だと言われたこと
や、遅くに子供が産まれると子供が大人にならないうちに死んで
しまう確率が高くなって、子供がかわいそうだと言われたことと
か、そんなことに反発する気持ちがあったことも確かだった。
夫の母親は、その年代の人にしては比較的遅めの子供だったらし
く、夫が高校生の時に癌で亡くなった。
夫の実家(親戚)では、そのことを引き合いに出したのだった。

そういった事柄を、やっと自分中から払いのけた途端に妊娠した
のだから、言い方は悪いが、拍子抜けした感じだった。

夫は、わたしの子供だから欲しいのだと言った。
夫は、わたしに似た子供が産まれるから欲しいのだと言った。
わたしは、夫の子供なら産めると思っていた。
わたしは、夫に似てくれるならと思って産めると思った。
自分の気持ちだけを通すのならば、夫の遺伝子が伝わっていれば
いいことになるのだが、夫の気持ちを考えると、それはわたしの
子供でなければならないらしい。

それにしても、不妊治療の費用は大きすぎると思う。
不妊治療を、もっと安くできるとしたら、子供がもっと産まれる
のではないかと思ったりもするのだが、どうだろうか。

妊娠するのは自然なことなのだろうが、自然妊娠とあえて言わな
くてはならないような、そんな時代に生きている。

不妊治療の番組や話題を目にする時は、未だに複雑な気持ち。

 「授かり物」そんな言葉を使いながら義務だと責める人の多さよ
                           (市屋千鶴)



2003年11月12日(水) 文字

姉は13時15分にやってきた。
東林間の駅前の喫茶店で昼食を摂り終わったのが12時半ごろで、
そのお店の人と話し込んでいて遅くなってしまったらしい。

姪の再就職の書類を見ていて、姪の字が姉の字にあんまりよく似
ていることに驚いた。
本人署名保証人署名欄は、姪と姉が書いたのだが、まるで一人の
人間が書いたようだった。
その下にわたしは夫の名前を書いたのだが、下手さ加減がはっき
りわかってしまって、少しだけ悲しいぞ。

先日の、従姉の旦那さんのお父さんが亡くなった時に、御霊前を
義兄に持って行ってもらったのだが、その時に姉がわが夫の名前
を書くのに、練習したらしい。
なかなか上手く書けないという姉に、姪はこう言ったのだそうだ。
「大丈夫だよ、それでも、おばちゃん達の字より上手だから。」
その話を聞いて、わたしは大きく頷いた。
というより、姪の言葉をそっくりそのまま言えたのだった。
かなしいけど、まさにそのとおりなのだった。(しくしく)

細かい字を書いている時は、まあそこそこ治まりがいいのだけれ
ど、字が大きくなるにつれて、あらが目立って来るのだ。
もっとちゃんと字の練習をしておけば良かったなぁと思うのだが。
姪も高校生の頃は字が上手じゃなかったのだが、就職して、毎日
事務の仕事をしているうちに上手くなったらしい。

言い訳のようだが、わたしは(夫もだが)書くよりもキーボード
で文字をタイピングしていた方がずっと長い人間で、ちょっとし
た文書は打ち出した方がずっと早かった。
間違っても、書き直しじゃなくて、修正で済むし。
そんなだから、ちゃんと教わったわけではないが、タイピングは
早い方だと思う。

が、やっぱり、字がきれいな方がいいに決まっている。
銀行員の新人時代、ペン習字を習ったのに、うんまくならないの
はどういうわけなのか。
適当に課題をこなしているだけでは、本当に上手くはならないも
のなのだろう。

 少しだけ柔らかいのが年の功 娘の字には勢いが有る(市屋千鶴)

こんな感じの二人の文字だった。



2003年11月11日(火) 25周年

昨年の日記にも書いたかもしれないのだが、11月11日は姉達
の結婚記念日である。
わたしが19歳のときに結婚したのだから、今年で25年だ。
う〜む、長いようで短いのかなぁ。
この10年は、姉の病気のために、あっという間だったようにも
思えて、感慨深い。
姉の家では、何かお祝いをするのだろうか。

明日は、姉がやって来る予定。
一か月半ぶりくらいに会うのだが、姪が病院の受付として再就職
するので、そのための書類書きにやってくるのだ。
姪は、スーパーのジムの仕事を今年の春にやめて、医療事務の勉
強をしていた。
それが終わって、再就職先は、なんと脳神経外科の病院だとか。
それを聞いた時は、ちょっと笑ってしまった。
脳神経外科は馴染みの深いところだからなぁ。
姪にとっては、母親が2回もお世話になっている診療科目だし、
脳神経外科の病棟には、会わせて2か月以上通ったのだから。
まあ、仕事をするうえで特に関係はないと思うのだが、縁という
ものがなんとなくおかしかった。

姉が1回目の倒れた時は5月だったが、2回目は11月だった。
それも、手術の日が11月11日という結婚記念日だったことも
あって、姉の入院中に姪や甥とお祝いを買いに行ったりした。
義兄は、とんだ結婚記念日になったと苦笑していたっけ。

そんなこんなを思い出しつつ、今日という日は終わってしまうの
だが、明日、姉に会ったらお祝いを言おう。
なんだか、姉の家に電話すると、義兄がやたらと嬉しそうに子供
のことなど聞きたがるのは、どういうものか。
義兄は、子供が好きだからなぁ。
姪も甥も、わくわくしているという、もぐちゃんの誕生。
思いがけずに喜びがやってきたのは、わたし達だけではなかった
のだろうと思うのだった。

で、わたし達からのお祝いは、もぐちゃん、ということで。(笑)

 生まれくる命を喜ぶ人のなかで抱える不安が少しやわらぐ(市屋千鶴)



2003年11月10日(月) 日向杉

昨夜のうちに、九州の会社から送られてきたデータを調べ、その
原因と対処方法をメールして、一段落。

NECのノートPCでメールをダウンロードするには、足りない
ものがあった。LANカードだ。
実はLANカードは夫の会社のものを借りていたので。(汗)
そんなわけで、データはわたしのiBOOKから夫のiBOOK
に移され、さらに夫のiBOOKからCDでNECのノートPC
に移された。
MOドライブを使えば、もっと簡単だったのだが・・・・

今朝、その返事が来ていた。
原因と対処方法をメールする前に、少し時間がかかるかもしれな
いというメールを出しておいたのだが、その内容には妊娠のこと
も報告したりしていて、お祝いの言葉をいただいたのだった。
九州の会社では、データの入力は女性が担当していて、帳票の出
力なども任されているらしい。
仕事の内容はあまり詳しくは書けないのだが、測量会社であり、
上司と部下の関係もなかなかいい感じの会社なのだった。

何回も宮崎に出張していて、女性社員のみなさんとも顔なじみに
なっていた。
日向杉(花粉症だから)と台風さえなければ、住んでみたいなと
思う場所の一つだ。
うちに就職しないかと誘われたことも有った。(笑)
高額でシステムを買い取った会社だし、そのシステムを本格的に
使う最初の会社だったということもあって、できるだけそこの要
望はかなえてあげたかった。
予算や会社の事情でおつきあいは個人的なものになってしまった
のだが、大好きな会社だった。

 花粉症の薬を飲んでもおさまらぬ日向の杉の旺盛なことよ(市屋千鶴)



2003年11月09日(日) 投票、行きます

今日はぷらむの日なのだが、先生にお休みしますと昨日メールを
しておいた。
今月のお題は、「足」。あんまりいい歌ができなかったなぁ。

メールといえば、金曜日に九州の会社からメールが来ていた。
データ入力の仕方が悪かったのか、思い通りの順番で帳票が出力
されないのだという。
そのシステムが動くのは別のノートPCだから、そっちでデータ
を見てみないと分からない。
それよりなにより、そのシステムはDOSで動くのだ。
おまけに、データベース言語を使っているから、MACでデータ
を見られるはずが無いのだった。
そのPCは、今押し入れの中で、それを出してきて、ニフティに
つないでメールをダウンロードしなくてはならない。
今日は、それで終わってしまいそうだなぁ。

昨日、今日と、食後に気持ち悪くなったりし始めたのだが、それ
が貧血の薬の影響なのかどうかはわからない。
朝食(ふかしいもと牛乳)後から、気持ち悪くなっている。
芋なんか食べてるから?

従姉の旦那さんのお父さんの告別式には、叔父と義兄が行くこと
になった。うちでも義兄に代理をお願いした。
面識が有るのはわたしだし、わたしが身軽ならばわたしも行きた
かったのだが、もう32週だし、前橋までは行かないことにした。

相変わらず、土曜日はごろごろと暮らしている我が家だが、そう
していられるのも今の内だから。
日曜日は、ごろごろしていると月曜日がつらいので、土曜日ほど
ごろごろはしていない。 ・・・はず。

一度に数段ずつというゆっくりしたペースで、マフラーを編んで
いる。わたしでも夫でも使えるような色合いのマフラー。
わたしが編み物など(裁縫は手芸全般)やっているのを見たこと
がない夫は、ちょっとずつ長くなって行くマフラーを見て、なか
なかきれいにできているじゃないかと褒めてくれる。
滅多にしないことをするのもいいものだ。(笑)

昨夜、夫が借りてきたビデオを観たが、予想以上に面白かった。
「ダーク・シティ」という映画で、SF。
夫は、本を読んだことが有るとかで、それを借りてきたのだった。
わたしは、あんまり期待せずに見始めたのだが、良かった。
途中から、引き込まれるようになっていく。
街全体が造り変えられていく様は、かなり面白い。

今日は、夫が起きたら投票に行く。
今日の曇り空のように、すっきりしない気分。
お腹が空いたら、気持ち悪くなくなるのだろうか。

「足」で作った歌。
 ふらつかぬ足をくださいしっかりと君を支えていられる足を(市屋千鶴)



2003年11月07日(金) 産科と内科の日

受付が、ぎりぎりになってしまった。(汗)
いつものように、内科の診察前検査を終えると、今日は超音波の
検査が有った。
もぐちゃんは、バスに乗っている間はもこもこと動いていたのに、
超音波検査の時はおとなしかった。
じっとサイズを測られるのを待っている感じ。
ちょうど休憩タイムだったようだね。
男の子というのは変わりなく、頭の位置も下でもうひっくり返ら
ないでしょうと、超音波の技師さんに言われた。
推定体重は、2090グラムとのこと。ちょっと大きめ。
産科の医師は、もうここまでくればあとは産むだけだねと言った。
う〜む、そうなのか。
前回の血液検査で貧血だったからと、貧血の薬を出された。

内科では、体重が増えなかった(300グラム減っていた。)と
いうことで、褒められた。
この調子で増やさないようにしましょうって。
でも、中性脂肪が着実に増えているのは、すっかりおデブになっ
てしまったということだ。
産んだからといって、わたしのカロリー制限がなくなるわけでは
ないので、産後の体重の戻しが大変そう。

帰りにヨーカドーに寄って、自分のマフラー用にかぎ針と毛糸を
購入し、食料を買ってきた。
よ〜し、編むぞう、とワクワクしていたところだったが。

帰宅すると、従姉の旦那さんのお父さんが今朝亡くなったのだと
いう連絡(第一報)が姉から入った。
今度の日曜日は告別式になる模様。前橋まで行かなくては。
夫が帰宅するまでには、詳しい情報が回ってくるはずだ。



2003年11月06日(木) 質問と本心

本を読んで涙を流すこと、特に「グイン・サーガ」を読んでいて
涙を流したのは、何年ぶりだろうか。
わたしは、ケイロニア人の気質が手放しで大好きなのである。
そして、グインがケイロニアに惹かれ、そこに住み続けようと決
意した気持ちがよくわかるのだった。
わたしが涙した場面と言うのは、そのケイロニアの人達とグイン
との間にある信頼関係がみごとに表現されている場面ばかりで、
ケイロニアの人達が、未条件でグインを受け入れ、尊敬し、信頼
している様子がとても心地よいのだ。
上司(アキレウス大帝)や友や部下たちとの信頼関係は、涙もの。
というわけで、10月に出たのに、昨日の帰りにやっとこさ購入
した「グイン・サーガ92巻」を読んでいて、ふいに涙が溢れた
のだった。

空を見ていると、南側は雲だらけで、北側は青空が見える。
太陽はその境目にあり、曇ったり晴れたりを繰り返している。
なんとも半端くさいお天気で、晴れたと思って外に出した洗濯物
も、所在無さげである。

昨日の帰りに、ヨーカドーの中のパン屋さんの前を通る時、夫の
視線と足がパン屋さんの方に向いたのを見て、わたしは夫に声を
かけた。
「夕飯、パンにするかね?」
すると夫は、わたしがパンを食べたいのでそう言ったのだと思っ
たようだった。
わたしとしては、夫の行動を見た上で言った言葉だったのだが、
夫から見ると、夫への質問という形式でわたしの希望を主張して
いるのだと思えるらしい。

普段から、何か食べるかとか飲むかとか聞く時は自分が欲してい
る時だという行動パターンだから、夫にそう思われてしまうのだ
が、昨日はそうじゃないのになぁと少しだけ思いながら、それで
も喜々としてパンを選んでいた。(笑)

疲労に関しても同様のことが言えて、わたしが夫に疲れていない
かと聞く時は、自分が疲れている時だったりする。
わたしが痩せて体力が落ちて高熱を出してしまった時期以前は、
太って元気そうなわたしが疲れているということになかなか気付
いてもらえなかった。
しかし、夫よりも10歳以上も年上なのだから、体力的に夫より
も劣っていることはわかりきったことで、夫には、自分が疲れて
いるなと思ったら、妻はもっと疲れていると思って欲しいと言っ
たことがあった。

わたしの質問はわたしの欲求の裏返し。
それは、夫に気を使っているようでいて、やんわりと自分を主張
することに他ならない。
それもまた、そのことに気付いて、わたしに合わせてくれる夫だ
からなのだろうけれど。

 元気だと思いこんでた君の手はすっかり細くなってしまった(市屋千鶴)

いや、わたしはそんなに細くなりませんけどね。(笑)



2003年11月05日(水) 病院の母親学級、四回目

今日は、病院の母親学級、最終回。
分娩の説明と、入院についての説明。
夫と一緒に出かけたのだが、ご主人と一緒なのは、うち以外には
一組だけだった。
それは、1回目からご一緒している妊婦さん。
他には、お母さんと一緒の方もいた。
なんだか、出産がすぐ目の前のような気がしてきた。
今日で32週、9か月目に入ったのだから。
32週と言えば、初診の時にそこまで持たせてくれればなんとか
しますからと言われた週数である。
もうここまで来たのかという安堵感と、37週まであと少しだけ
がんばらねばという気持ちが半々だ。

予定より少し早く、15時で終了。
さくさく帰ってくるつもりが、ヨーカドーの系と売り場で引っか
かり、夫に急かされる始末。
夫は、会社からの呼び出しに備えて、ノートPCを背負っていた
ので、じっと待っているのもつらかったようだ。ごめんね。

その売り場には、ごく普通の毛糸が並んでいるだけで、ベビー用
の毛糸は並んでいなかった。
大和駅前のホビーショップに毎回でかけるのも、やや遠いので、
相模大野でホビーショップを探してみようと思った。

がしかし、その前に、自分用のマフラーで練習してからね。(笑)

横で、同じようにパソコンを立ち上げている夫に、ラインを譲ら
なくてはならないので、今日はこの辺で。(笑)



2003年11月04日(火) 不器用な

昨日、日記を書いた後で、大和駅前のホビーショップに出かけた。
先日の日記に書いたように、編み物を始めて見ようと思い立った
からなのだが、実際に売り場に行ってみて、今のわたしにはやっ
ぱり無理だと痛感した。編み物の基礎からやらないと駄目そう。
なにしろ、中学の家庭科でマフラーを編んだっきりなのだから。
売り場で呆然としていると、夫にもっと簡単かところから始めた
らどうかと言われ、中学の家庭科に戻って、自分用のマフラー辺
りから始めないといけないのかもしれない。

エスカレーターでおりる時に、裁縫のコーナーに立ち寄り、手縫
いのベビー服という本を眺めてみたが、そっちの方が、まだなん
とかなりそうだった。手縫いもあんまり得意ではないけれど。
すっかりくたびれ果てて帰宅したのだった。

ああ、わたしのミシンが壊れていなかったらなぁ。

ひたすら手先が不器用なわたし。
父の姉妹兄弟は、みな手先が器用で、歌もうまい。
母の姉妹兄弟は、まあまあ普通の人達。

姉は父方に似たのだろうか。
昔、子供達のセーターと一緒にわたしのセーターも編んでくれた。
が、ミシンはあまり使わなかったように思う。
かれこれ、20年近く前の話だが、わたしは自分の通勤用のスカ
ートを作ったことも有った。
自分のものだから、適当に作ればそれなりに来て歩くことができ
るという代物だったが、それでも数枚作ったのだった。

そんなことを、夫と話していた夜中のこと。
ふいに、自分には何のとりえも無いことに気付いてしまった。
昨日の日記に書いたように、わたしの激しい気性は、自分自身で
も持て余してしまうほどだし、おまけに手先は不器用だし、家事
全般も得意ではないし。
夫が一緒にいてくれるのは、いったいわたしのどこがいいのだろ
うなどと考えてしまうのだった。
夫の自分への気持ちに全く疑いは抱かないのだが、嫌われるので
はないかという不安よりも、情けなさや申し訳なさが先に立ち、
わたしにできることは、夫をきちんと起こすことくらいなのだと
思ってしまうのだった。
また、落ち込み始めたなと思いながらも、考えはもう止まらなく
なってしまていて、案の定、夫に慰められるはめになった。

何かしてあげたいと思うことばかりが先に立ち、その後で自分の
不器用さに考えが及んだ時、前途多難なことに力が抜けそうにな
ってしまうのだった。

とりあえず、今日は浮き上がることにしよう。
一緒にいるだけでいいってことにしておいてさ。

 君にしてあげたいことは山ほどでその大きさに負けそうな夜(市屋千鶴)



2003年11月03日(月) 雨の祝日

昨日のうちに洗濯しておいて良かった。
もぐちゃんの退院時の衣類やおむつなどを水洗いして干したのだ。
従姉からの荷物を含めて、しまうための引き出しを一つ確保した。

土曜日の夜、夫はやはり終電で帰ってきた。
そろそろ寝ようかとふとんに入ってから、なんだかんだと1時間
あまり、とりとめもない話をしながら過ごした。
横になったら(頭が1m未満の高さになると)寝てしまうという
わたしにしては、とても珍しいことだった。
なんだか、幸せな夜だった。

それより数時間前、きわみちゃんと電話で話をしていた。
男女の年齢差というものは、基本的には大変気にする問題だとい
うこと、などなど。
一般的には、女性の方が10歳以上年上だったら、自分が50歳
の時には相手は40歳に満たない男盛りであること、などを心配
するものなのだなぁと。

わたし自身にしたところで、夫と付き合い始めた当初は、結婚ま
で発展する可能性はほとんどないものと思っていた。
自分でも結婚はしないままで生きて行くのだろうとも思っていた
からだが、それが変化したのは一緒に暮らしてみてのことだった。
恋人は日常からほんの少しだけ飛び出した存在だが、夫婦となる
とそれは99%が日常であり、その日常を共にするということは、
相手に求める内容が自ずと恋人関係とは異なってくるのだ。
わたしが相手に求めた一番のポイントは、安心してすべてをさら
け出すことができるということだった。
どんな姿を見せても、自分に対するこの人の反応の基本的な部分
は変わらないのだということを実感すること、だった。

わたしのような気性の激しい人間は、相手次第で鬼にだってなる
ことができる。
そのわたしが穏やかな気持ちで過ごせるということも、また大事
なポイントだった。

これらの条件を満たしてくれる男性に(いや男性に限らずだが)
出くわすことなんて、滅多に有るものじゃあない。
だから、年齢差は気にならなくなった。
幸いにも、わたしが求めたポイントは、それがそのまま年齢差を
気にしないという相手でもあったということなのだろう。

というわけで、昨夜も一緒にお風呂に入った後で、尻たぶにでき
たにきび(吹き出物だが我が家ではケツにきびと呼んでいる。)
に絆創膏を貼ってもらったりしていたのだった。
いやぁあ、ほんとに夫に対して、少しは隠せよ、というくらいの
無防備さである。
妊婦のマイナートラブルについても、夫にはなんでも話すし、そ
の対処方法なども実に詳しく話したりするのだった。

いつか嫌われてしまうのではないかと心配するのは、自分の気性
の激しさに自分自身で手を焼いている時くらいなもので、しかし
ながらそんなことまでひっくるめて、夫はぼわーっと包み込んで
いるようなのだった。
夫自身は、わたしがこういう風に感じているということには全く
興味が無いというか、特別なことではないと思っているらしく、
はいはい、またごちゃごちゃ考えたんだね、と言われるだけだが。

よくよく考えてみれば、わたしは子供扱いして欲しいだけなのか
もしれなかった。

 母親になったらそれで子供には戻れませんか君の庇護下の(市屋千鶴)



2003年11月01日(土) こだわり

若い頃から、道を譲るのは複数で歩いている方であるべきだと思
っているわたしは、すれ違う時に自分が一人であれば、あえて道
を譲ったりはしない。
2人とか3人で歩いているのなら、すれ違う時はそっちのほうが
一列になるべきなのだと思っているから。
転んだりぶつかったりしないように歩けと夫にいわれるが、つい
自分の歩き方を主張してしまう。大人げないのか。

子供を乗せた自転車が道を並んで走っていることや、ベビーカー
を押しながら道で横並びで歩いているママさん達も同様である。
いろんなことを許されているのが、小さい子供を連れたママさん
であるといえるのかもしれないが、女子高生みたいに横並びで道
を歩くのはいただけない。

道の歩き方に関しては、別にママさんでなくても、おばちゃん達
も若者の、同じような人はたくさんいるのだが。

そういえば、ハロー・マザークラスの4回目に一緒に参加した帰
り道でのこと。
60代のご婦人方の数人に固まりが歩いていて、そのなかの一人
が建物の中をのぞくために立ち止まった。
わたしは、そのご婦人の横をすり抜けようとしたのだが、夫に止
められた。
次にどういう方向に動き出すか分からない人に出くわしたら、そ
のまま進まずに立ち止まって観察しなくちゃ、と言われた。

わたしの、猪突猛進なところ、こっちに行こうと思ったらすり抜
けてでも行ってしまうところを、夫はよ〜く分かっているのだ。
今は自分の体を守らねばならない時なのだからと、夫に説教され
たことを思い出すのだった。
まあ、なかなかこの気性は直らないのだけどね。(汗)

今日は、夫は昼から出勤だと出かけていった。
電話番というか、連絡待ち係というか、そんな感じと言って。
今日の連絡次第で明日も出勤かもしれないのだとか。
さすがに三日連続で出勤するのはきついので、月曜日は誰かに代
ってもらうと言っていた。水曜日にはお休みをもらうのだけど。

そんなこんなで、曇り空のもと、スターチャンネルで吹替え版の
「スパイダーマン」を見ながら、日記を書いているわたし。
ヨーカドーの抽選結果を見に行かなくちゃ、だわ。

 「ダイエットのご案内」というハガキ来て半年後にねとゴミ箱に捨てる
                           (市屋千鶴)


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