事務局 日誌
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2005年09月30日(金) 上村県議が難病センター設置を県会で質疑

 PCCはお休み。織田さんが留守番隊。若林は前日家族の集いで神戸に一泊して帰宅ご事務所へ行ってみるとFAXあり。自民党県連から上村県議が29日の県議会で「それほど難しくない難病相談員・難病センターの設置が為されていないのは非常に疑問」と代表質問されたとのこと。県の答えは「難病患者のニーズや他県の実施方法を参考に検討して参ります」とのこと。ッタクゥ。
 10日秋の集いの参加関係を確認。新潟からの家族相談に手塚さんを再説得。ようやくご了解頂いた。日頃PCCの食事体調として並々ならぬ協力を頂いている上に申し訳ないが、県支部となると休日遠方参加もお願いせざるを得ないこともある。川崎さんが佐渡からの野崎さんを乗せてきてくださるとのこと。皆さんの協力で実りある秋の集いになるといい。
 手持ちの事務所の鍵が不調で夜有馬さんに開けて頂いた。


2005年09月28日(水) 佐藤敏明さん初外出・事務所へ

 西新潟病院の佐藤さんが初めて院外外出。勤めを休んで奥様が三条から。あれこれ苦労して有馬さん・片山さんの協力を得て出院。海を周り12時に事務所へ。片山さん、礒野さんも参加して賑やかに昼食。アフリカの写真など見て頂き、2時半に帰院。
 佐渡を見たとき、コーヒーを飲んだとき、なんて嬉しそうなお顔を!4年ぶりかな。ひまわりの種の会の皆さんとの幸運の出会いが今日に繋がった。年内には一度家が見たいと・・。是非叶えて差し上げたいモノ。


2005年09月27日(火) 脳スイッチ年内発売

小杉さんからメールあり脳血流スイッチの記者会見記事を紹介して下さった。それだけでコメント無しだが有り難い陰のメンバー。
8月26〜9月2の留守中、織田さんが残して下さった日誌を記載しました。
皆様のサポートで事務局運営が曲がりなりにも続いていること、改めて感謝致します。


2005年09月26日(月) 事務の日・秋の集いについて・患者団体

事務の日、鍵も入手いよいよ703の主なり。
秋の集い。西脇・高橋さんの他に三条の渡辺広治さんが参加下さるとのこと。毎日日誌をつけているのに光センサーが巧くいかなくなったとピエゾを導入されたが、意欲的で嬉しい。小野塚事務局長へFAX。
新潟県患者家族団体(不正確)から10月1日に難病センターと障害者自立支援法について相談会をするとの案内あり。パーキンソンの斉藤さんに相談電話する。一応参加の予定。


2005年09月24日(土) 幹事会(横山宅):県への要望他

横山さんのお宅で幹事会。佐々木夫妻、永井先生、清水さんがなんと車で参加。運転ボランティアもすると申し出て下さったが皆さんから止められていました。織田・若林で計8名の幹事会。4年前同じ横山宅で開いたとき大広間に一杯の人だったことを思い出しました。患者会の動きが普通になってきたこと、と考えればいいのか・・。
今月から「松潟の園」住人となった佐々木さんの所へ保健所等から患者相談があるとのこと。患者会でないところへ相談したい方々も多いと思われる。難病センターを早く!
正規幹事会報告は織田さんからMLへ出ると思いますが、概略を。
・脳スイッチ募金約75万。特に宮川様に感謝。
・幹事会は月例会のママでいいか緊張感を持たすために少なくしっかりやるか。
・看護協会とか外の動きに期待するよりまず自分たちで出来ることからするしかない、という先生の発言は心強いヒントでした。
・県への要望:難病センター相談員の設置を早急に。日常ヘルパーが短気入院時病院へも行けるように。吸引ヘルパーがもっと欲しい。
他にもありましたらどうぞ事務局へ!


2005年09月23日(金) 伊藤隆さん

8月27日に亡くなられた伊藤さん宅にようやくお参り。去年の8月に告知され丁度一年。発病以来2年と先生に言われたとおりとのこと。が、それにしても早すぎる感あり。胃瘻とかでもう少し体力が保てたら、とか過ぎたことを他が悔やんでも仕方あるまい。思い通りに生きられた方か。
テレビなどで知っていて酷い病気と思っていたので、告知されたとき最重度のイメージしか抱けず真っ暗だったが、皆さんに会って、段々と進んで行くものと少し落ち着けた。パソコン教室の皆様に感謝していますとのこと。


2005年09月21日(水) メールの日・死にたい発信の若いMさん・文字盤ボランティア

24幹事会,28事務所来客,他様々な研修会等の準備のためかメール発信の多い日、17通。これだけでPCに貼り付け。他に個人的なモノだが、ML「maee」に35歳の呼吸器療養のMさんが「病院ではナースコールもない、ホームページを作ろうとしたら(ご家族からか)「そんなことして何になる」と馬鹿にされた。希望もないし死にたい。どうしたら死ねるか」と投稿があり、様々なご意見がある。「ホームページに再挑戦してみたら」とメールした。尊厳死法に反対している患者さん方がいて理解に苦しんだが、実際死にたいときに死ねる、となると、このように療養環境を悪いままにしておけば呼吸器をつけても短期間で外したい人が続出するかもしれない。療養環境の向上義務と抱き合わせにするなど様々な要素を考えないと難しい問題。
夜O宅で広域の大野さんや高井さんに電話相談しながら勉強会を少し。文字盤会話ボランティアの養成を求められる。


2005年09月20日(火) 事務の日:山口理事への弔電

織田さんのNIPPBビデオと録音を横目に、非会員の患者さんへ秋の集いのご案内。山口衛さんへの弔電。小千谷のYさんへ秋の集いのご案内。幹事会予定。JALSA号貸出報告書類確認。織田さんにビデオのダビングを依頼。


2005年09月17日(土) バイパップ講習会・看護従事者研修

織田さんに東京サンケイホールで開かれたバイパップの講習会に出て頂く。
午後若林看護協会のALS支援事業の一環として看護従事者研修。コミュニケーションを主として、文字盤の読み方、で瞬きをしない方のモノも読みとる、練習を入れたが、やり方がイマイチだった。もっと工夫を。この秋は10月18日と11月5日に魚沼保健所主催のALSセミナーがさくら病院である。そこでも文字盤講習となる.(11月はさくら病院が指導)


2005年09月16日(金) PCC

金曜の集い。新発田トリオ・相馬・手塚・織田・平岩と若林の8人が入れ替わり。織田さんはトーキングエイドを修理して午前中にお仕事へ復帰。平岩さんは美味しい鯖のニンニクにに誘われて一寸だけあがってしまいました。
ノリさんはお弁当持ちで山岸さんのお見舞いと近藤さんの奥様のお話相手に。
皆様に手伝って頂き10月10日のご案内を無事発送出来ました。


2005年09月15日(木) 織田さんビデオの学習・バイパップ論議

織田さん出動。秋の集いの案内を出すつもりだったが関係保健所への電話案内などで終わる。笹○さんと長電話。バイパップ使用の特徴等について話す。織田さんに17日の講習会行って頂くのでテープ・ビデオ等の習得を願う。織田さん宛先ラベルを打ってきて下さっていた。


2005年09月14日(水) アフリカ

夜Oさん宅でアフリカ写真集。昼川崎さんが朗読ボランティアに来てその話をしていったとか。水曜日西新潟病院でもボランティア活動日。
本部コミュニケーション支援委員会について島崎幹事にメール。


2005年09月13日(火) メール業務

メール:小田嶋さん他吉田さん関係。本部コミュニケーション委員会について。他。北ロータリー源川さんへお返事。佐藤敏明夫人へTEL。28日事務局外出希望。横山さんに10月10日確認。自宅雑事で終日在宅。


2005年09月12日(月) 事務の日:さくら病院・礼状他

三条渡辺さんにコードの端子を送付。
織田さんと二人だけになった最初の事務の日。有馬さんが慰問に来て下さり、恵美子さんも北海道の元気を梨と共に持って現れる。よかった。
「秋の集い」についてお返事のないさくら病院へTEL。小野塚事務局長がメールは見なかったので今日分かった。10日に、とのこと。はい。
北ロータリーから10月3日に卓話、若林と指定あり。私以外の方の方が良いと思うが・・。
織田さん、ご寄付の方々へお礼状。水害の宮崎へ見舞金送付(済みですね?)。
幹事会24日に等今月の予定決定。10月1日には清陵大学戴帽式。


2005年09月11日(日) 衆院選挙・西村・吉田当選

郵政選挙と言われるもの70%近い投票率。新潟1区は西村ちなみさん。吉田さんは比例区で議員に復活。

岡田さんに三幸カレッジで体験談をお願いする。久しぶりにお話しできて良かった。


2005年09月10日(土) 第2回本部理事会

理事会。午後1〜5時、続いてロビーで。広島県支部承認。長崎県支部は駆け込みで書類不備につき次回持ち越しへ。本部新事務員磯部さん紹介。国際会議担当吉岡・林氏による準備進捗状況報告、700名参加を目指すとか。今年のダブリンへは金沢・川上・梅田・川口等出席。患者はまだ無し。理事担当役職委員会メンバーの確認・機関誌JALSAへのもう少し見やすくという批判紹介・長崎における湯浅班研究会での井形尊厳死協会会長への海野氏による手紙についての検討をロビーで続ける。等々。JALSAいのちの倫理研究会や啓発広報委員会も一部のやりとりがあったが半ば私的な話になっていて些か妙な感じであった。代表者会議としての理事会や委員会はもう少し記録性のある内容であるべき筈なのに。革新第2期に入ったら変わってきたかも。他山の石なり。


2005年09月09日(金) PCC:スライド・お見舞い

久しぶりの面々が懐かしかった。ノリ先生はじめ佐々木・相馬・坂爪・手塚・織田各氏。鮭の甘煮や北海道のカボチャサラダ他、山岸夫人にお見舞いにもなった。食後ケニヤの動物スライドを紹介。手塚さんは山古志村の温泉に行った話でやはり(病気も天災も)災難にあった同志が助け合うことが大事だよね、という話。同感。ノリ先生に三幸福祉カレッジのコミュニケーション器機説明30分をやっと引き受けて貰い安堵。まだ他に1時間を埋めなければならない。
ノリさんと信楽園訪問。近藤さんはすやすやとお休みでいらした。○○氏へのアイマスク送付織田さんに確認。私のミスでメール再送付。


2005年09月08日(木) 長電話

前日高橋さんから本日永井先生からも推薦状についてご意見頂く。率直に言って頂いて有り難い。
午前川上さんと長電話。現行本部が呼吸器利用者支援団体と見られがちなことへの懸念を共有している。尊厳死問題についても、命はその人のものという大事な視点を見失わないようにと思う。コミュニケーション支援委員会について辞すべきか悩む。夜、実家のヘルパーさんトラブル調整。コレも大事な勉強。同時にもっと家族の介入をと要請される。


2005年09月07日(水) 推薦状撤回

昼メールを開くと大西先生から幹事団MLへ「特定個人への推薦をする所へは身をおけない、幹事を辞任し、協会とは距離を置く」とメールあり。
一撃を喰わされ目が覚めた感じで楊先生の所へ飛んで行きご相談。「そりゃ当然です。守らなければならない原則がある。色々あるでしょうけど、それはそれ、コレはコレ。でも患者さん達がみんなで絶対応援したいというなら別ですよ」と優しく的を得たお話。横山さんにTELで事情を話しご意見を求める。孫の日であれこれしながらも返事を待ち。横山さんが「そのようにして下さい」とのご意見と聞き急遽選対本部へ。大橋秘書に事情をお話しする。「越権行為だとでもいわれましたか。ケニア呆けですか。でも皆さん応援はして下さるんですよね。どうぞ投票所へ足を運んで下さい」と物わかり良く推薦状をお返し下さる。
本当に皆さんにご迷惑をおかけしました。帰国後の諸雑用でタイミングが掴めなく慌ててしまったのか判断が甘かったのか見切り発車で脱線してしまった。18年の中でここまでの逸脱は始めてのこと。自戒と防止策を考えなければ。


2005年09月06日(火) 推薦状

実家でのトラブル、旅行の片づけなどばたばたしている内に夜になった。MLに投稿して返事を貰ってからでは遅くなると思い横山さんの承認を採って大あわてで吉田さんの選対へ行き大橋秘書に「推薦状」を手渡す。団体としてお礼の気持ちだった。
Oさん宅で高井さんから教えて頂いた広域協会に登録ヘルパーになる件について検討する話し合いをする。帰宅後、推薦状のことで幹事会承認を得ないことで気が咎めているので夜MLへ報告を書く。


2005年09月05日(月) 事務の日:ただいま

昼過ぎに帰宅。メールをひとまず読んで2時半頃事務所へ行くと織田さんが事務所で一人。淋しいことになった。
お礼状・さくら病院への秋の集い打診相談など。織田さんの引っ越しはなかばすぎになるとのこと。会計任務を佐藤さんに代わり担当して頂きたい。正規には幹事会承認を得てからだが月例のもの頂く。
佐々木さんが松潟の園へ入所される日。平岩さんが手伝っておられるはず。心境や如何にです。元気でおられたい。
帰り際「吉田さんへの推薦状出しますか」と織田さん。そういえばそんな封書が来ていたのかと改めて拝見。要検討。夕刻実家へ顔を出す。懐かしい。


2005年09月02日(金) PCC・(織田・川崎記)

 PC教室:川崎・坂爪・相馬・手塚・堀川光子・織田の6名
10時過ぎに 渡辺甲子男さんの奥様と上の娘さんが来局。奥様はいまだにショックか元気なく鬱状態とか。気晴らしに事務所にお連れしたとのこと。30分位で帰られた。
 堀川光子さん、JALSA65号の朗読テープを持って来局。昼食を食べて歓談してから帰られた。6日に逓信病院に入院して、子宮のうしゅの手術をするとのこと。10日間入院・10日間静養で9月はボラをお休み。
 近藤さん・山岸さんをノリさんが訪問してくれて状況を報告してくれました。(織田記)

近藤氏は19日に行ったときより容態が安定していたようでした。
血圧・心拍数などの数値も落ち着いているようです。
朝晩入れている安定剤のせいかご本人は気持ちよさそうに寝ていました。
栄子夫人の顔が穏やかで安心しました。(心が決まったのでしょうね)
息子さん、娘さんとのこと、お孫さんとのことなど・・・いろいろ話されます。途中で平岩さんもやって来ました。今日は看護大学の学生さんの卒論のお手伝いとのこと。一時頃までALS患者の家族の気持ちを話してきたとのことでした。
山岸さんの入院は近藤夫人と山岸夫人が病院でバッタリ会った事でわかったとのことでした。寝ていて何もわからないようだと言うことでしたが、今日は調子がよいのか話しかけるとうなずいてくれる近藤氏でした。
山岸氏・・・中央病棟の個室に入っていました。処置中ということで、廊下で平岩さんと奥さまとお話しを。ずいぶん進んでいるようです。
事務所へ見えたときから、ご本人はもうここまで生きてきたから何もしないと口にされていました。でも、眼球の動きも鈍くなってきて、意志の確認ができなくなってきつつあるようです。
近藤さんと違って、奥さま一人ですので、こちらの方も心配になります。
何か差し入れなど考えてあげたいなぁと思った事でした。帰るときに山岸さんのお顔を見てきました。声をかけると右目が動いて、涙がひとつ・・・
こんな時、定期的に訪問することができると良いのにと思ってしまいます。
ノリ(川崎記)


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