くじら浜
 夢使い







火を噴く怪獣   2002年10月28日(月)

朝の光を真正面に受けたから、
僕の瞳孔はその光の核にまっすぐに開いた。

第三京浜の延長線上に聳える
巨大なふたつのビルの間から、
眩いばかりに放たれるその光は
あたかも怪獣が火を噴いてるようで、

一瞬目を閉じた僕の意識は
11月の空高く飛んで行った。

10月と11月の境目は
何でもない日常の中にある。

そして、
怪獣が45度に上昇した頃
また僕の日常が始まった。






北朝鮮拉致問題について   2002年10月24日(木)

この問題に関しては、言葉にしたらあまりにも安易になりそうで、
あまりにも偽善的になりそうで書かないでいた。
でも今のマスコミの報道の仕方や日本政府のやり方、
また世論の数々は見ていてどうにも腑に落ちなくて納得できないでいる。


まずマスコミが最近よく使う『永住帰国』とか『早期帰国』とかいう言葉。
被害者たちは紛れもない日本人です。
北朝鮮が勝手に彼等・彼女等を自分の国に連れて行き、
その彼等・彼女等が戻ってくるのは至極当たり前のことです。
なのに何故『永住』という言葉を使うのですか?
被害者たちは北朝鮮人になったのですか?
ここは紛れもなく彼等・彼女等の故郷なのですよ?


そしてもうひとつ腑に落ちないことは、
被害者の24年間をあまりにも考えていないのではないか、
ということ。

本当に『失われた24年間』『空白の24年間』なのだろうか。
それは我々側からの見方であって、
被害者の24年間は彼等・彼女等の24年間のはずです。

もし人間がこれ以上ない窮地に負い込まれた場合、
我々はどうするでしょう。
私なら『生きる為』だったら人殺し以外は何だってやります。
(人殺しは普遍的な「悪」だと思います。自分を殺める「自殺」もしかり。
 国家同士の戦争もただの人殺しです)

彼女・彼等は北朝鮮に連れていかれて否応なしに人生の選択を迫られたと思います。
ただ酷い仕打ちに泣いて過ごすのか。
望郷の念を抱いて泣いて過ごすのか。
あるいはいっそ死んでしまおうか。
あるいは「生きる」為にこの国のいいなりになろうか。
日本を捨ててここに順応しようか。
いや、ここで暮らすけどやっぱり故郷は日本だ。

等々、何らかの選択をしたはずです。
その選択が何であったかは我々にはわかるはずもなく、
でもそれは「生きる為」に、その人にとっては紛れもなく「正しい選択」なのです。
紛れもなくその人の人生なのです。
24年間は決して失われてもいないし、空白でもないはずです。


もちろん被害者の家族達の気持ちは我々には計り知れないものがあるでしょう。
しかし彼等・彼女等の人生は彼等・彼女等自身の人生であるはずです。

それなのに、被害者たちの「心」を最優先すべきところを、
政府は対北朝鮮の外交と絡めて話を勝手に進め、
その「心」を無視してどんどん『永住帰国』へと・・
挙句は、マスコミは話題性ばかりを追い取材合戦。


あまりにも被害者にとっては理不尽ではないですか?



日本はほんとにおかしな国です






雨上がりに満月未満   2002年10月21日(月)

痛い雨がようやく止み
潮が満ちたころ
見上げるとそこに十三夜の月が浮く

凛々しくも気高い月は
地上のすべてを包み込み
浜に鳴く鳥さえも強く包み

果てしない闇に遮るものは何ひとつなく

月はなぜこうも光を放つ
潮の流れになぜこうも光を放つ






沖縄ミュージックと奄美シマ唄   2002年10月13日(日)

琉球フェスティバルを見に行った。

沖縄の音楽を聴いても以前ほどに望郷の念を感じなくなった。
沖縄の島唄は世間に認知され洗練され、すっかり垢抜けしてしまったのだろう。
島っちゅじゃなくてもすんなり受け入れられる。
ま、いいことではあるが。

その中で貴島康男と朝崎郁恵は異彩を放ち、いい意味で浮いていた。

沖縄の島唄と奄美のシマ唄は明らかに違うものである。

シマ唄はいつまでも素朴で武骨でロマンチックであってほしい。

と、人間とはほんとに贅沢なものだ。

でもみんな島顔・島ゆむただったけどね(爆)







台風一過の朝焼け   2002年10月02日(水)

AM 5:23







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