2011年11月30日(水) |
「この愛のために撃て」 |
「この愛のために撃て」
なんと、こっぱずかしいタイトルだろう。
ギンレイにて。
看護助手のサミュエルは、臨月が近い妻を誘拐されてしまう。
「お前の病院に入院している、ある男と交換だ」
食器を片そうと立ち上がった妻に、
「安静にしてなくちゃだめだ」
といい。 早く起きたから、と朝食を作っている妻に、
「あとは僕が作るから、きみはソファで座ってて」
とフライパンを取り上げる。 そんなデレデレのサミュエルは、一瞬にしてパニックになる。
しかし、「死なない男」のような腕っぷしもなければ、銃だって撃ったこともない。
「妻を返せっ」
たった一発しか撃たない。
「この愛のために撃て」
いったいどこで、どの場面で撃ったのか。
観たらきっと、まさかと思うだろう。 御約束のサスペンスアクションだが、久しぶりになんのストレスもなく、観てただただ楽しめる作品であった。
今もしも一発だけ弾が込められた銃を手にしていたら、いつ、何のために、何を撃つだろう?
2011年11月21日(月) |
「水曜日のエミリア」 |
「水曜日のエミリア」
をギンレイにて。 ナタリー・ポートマン主演。
弁護士として働いていたエミリアは、既婚者である上司のジャックと略奪婚したものの、彼の息子ウィリアムは心を開いてくれず、さらにジャックとの生まれたばかりの娘を、突然死で失ってしまっていた。
前妻のキャロリンはウィリアムのことで細かく口を出し、うるさいほどにエミリアはプレッシャーを感じさせられていた。
アレルギーがあるから、アイスクリームはだめだ。
しかし、「秘密を共有」することで親密になれる、更に、パウダーをかければ大丈夫、と、夫にも内緒でアイスクリームを一緒に食べさせてしまう。
その後に訪れた親戚のホームパーティーで、ウィリアムはお腹をくだしてもらしてしまう。
やっぱりアイスクリームなんか食べさせるからだ。
前妻キャロリンから責められるのはまだいい。 ウィリアムとの信頼を裏切ってしまったことの方が何百倍も辛かった。
「お前なんか最低だ。近寄るな」
せっかく、近づけたと思った矢先だった。
しかし、お腹をくだしたのはアイスクリームが原因ではなかったとわかる。 パーティーで食べたパイが悪く、他の子たちも帰ってから具合が悪くなっていた。
授業中のウィリアムに、エミリアは教室まで入っていって伝える。
「アイスクリームじゃなかったの。パイがいけなかったの」
雑で男っぽい性格のエミリアにとって、ウィリアムとの絆を取り戻すために必死である。
部屋に処分しきれずにとっておいたベビー用品を、
「不要品」ならイー・ベイ(オークションサイト)で売ろうよ。 高く売れるんだからさ。 ベビーベッドにベビーカーに。
次々とエミリアに提案してゆくウィリアム。
ユダヤの教えだと、生まれても八日間たたないと人間じゃないんだって。 だから、僕は妹をなくしたんじゃないから悲しくないんだ。
そうエミリアにいうウィリアム。
それでも、家族になりたい。
エミリアの心はいっぱいいっぱいになっていた。
ひとの男を奪った女が、幸せになんかなれっこない。
周囲の目にも、負けたくなかった。
夫のジャックも、それなりにエミリアを信じ、フォローもしてきた。
しかし、決定的な亀裂が入ってしまう。
娘は突然死だった。 エミリアが自分のベッドで寝ながら授乳し、そのまま寝てしまい、目が覚めたら息をしていなかった。
「揺りかごに戻してから寝るんだぞ」
ジャックにわかってるからと答えていた。
「わたしがそのまま寝てしまって、窒息死させてしまったのよ」
検死結果は間違いなく突然死。 乳児には不幸にも起こりうること。 そのはずだった。
罪の意識を、ずっと抱えていたエミリア。
もう、すべて失ってしまう。
絶望のエミリアを救ったのは、キャロリンだった。
「娘さんの検死結果をみたわ。 友人の検死のスペシャリストにもみせて、話し合ったの」
キャロリンは名医として評判の産科医でもあった。
悲しいけれど、乳児の突然死はあることなのよ。たまたま、あなたが抱いて寝ているときに起こっただけ。 信じられないならその友人にも会わせましょうか?
「ひとりにさせてあげる」
キャロリンがエミリアの肩にやさしく手を置いて、部屋を出てゆく。 止めようもなく涙があふれだすエミリアだが、エミリアは夫の、ジャックの元へと向かう。
自分のせいではなかった。 許されるだろうか。 家族に戻れるだろうか。
エミリアの話を聞いたジャックだったが、しかし……。
ナタリー・ポートマン主演シリーズでの上映であった。
なんだこのクソガキめ、とウィリアムを見てしまう場面は多々ある。 じゃあ、父親のジャックはエミリアをフォローしてやらないのかというと、そうでもない。 前妻のキャロリンがエミリアを、ただただ夫を奪われた私怨を晴らそうとしつこいのかというと、さほどでもない。
最近の子どももそうだが、アレルギーが珍しくないご時世で、心配するにこしたことがないことを、キャロリンは医師だが母としてまっとうなことをエミリアに注意するようにしているだけである。
エミリアの気持ちもわかる。
軽く見てるわけではない。 ウィリアムも今は自分の子どもである。 ガチガチの融通がきかない、さらには頭でっかちの鼻持ちならない子どもに育てたくはない。
しかも、常に「ひとの旦那を寝盗った淫女は、幸せになんかなれるわけがない」という目で見られている。
そんなものに負けたくはない。 ちゃんと、幸せな家族を築いてやる。
「ブラック・スワン」との上映だったが、ナタリー演じるふたりのギャップが、凄い。
ナタリーといえば、ナタリー・コールだったわたしだが、これからはポートマンになるかもしれない。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
前日泊まりにきた友が、仕事があるから、と名古屋へ帰らねばならず、昼に上野駅で見送る。
見送るまではよいが、見送った後がよくない。
友のおかげで、すっかり参った気持ちを抜けたわたしは、これでもう休みを充分に果たしたつもりになっている。
充分なのだから、あとはもう何もする必要がない。 帰って寝よう。 ウロウロ歩くのすら億劫だ。
歯医者を済ませると、もうその気になっていた。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
誰かと待ち合わせてゆくでもない。 行くも行かぬも、わたし次第。 誰にも迷惑はかけない。 一人でライブに行くよりも、帰って寝てた方がよっぽど今の自分に必要なことだ。
そうだ。 そうに違いない。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
渋谷なぞ若者という魑魅魍魎が跋扈する騒がしく怪しげな街に、映画以外で訪れる理由など、ない。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
「スーパーよさこい」で原宿から渋谷に抜ける以外で訪れる理由など、ない。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
この理由を除いて。
名古屋、大阪、フリーライブで宮城、そうして渋谷に帰ってきた。
姉御。 素晴らしき共犯者でも、雨の中の馬鹿者たちでも、何の得にもならないものに運悪く出会ってしまった不幸者でも、やっぱりあなたの歌が、歌う姿が、堂々と、か細い腕を突き上げたその力強い拳に、ありったけの願いを込めて、親指を立てて返したい。
およそ三時間はいつも通りの予定だったが、今回は三時間半超えのあっという間のひとときであった。
以前に比べれば、痺れるような感動は薄れたかもしれない。
しかし、ジンと染み渡るような、温泉旅行から帰ってきて入る我が家のお風呂のような心地好さが、ある。
宮崎さんと黒田さんのピアノとギターのツートップが姉御を気持ちよく後押しする。
「トイレ休憩」という名のハーフタイムショーには、
「Life is a Traffic Jam」
「ひとに難しい曲を弾いてもらいたがっちゃうんだよね、あたしって」
そういってバックステージから引っ張り出された宮崎さん。
「あれ、タバコ買いに行っちゃったの? 戻ったら、即、集合、って伝えて」
当日になって宮崎さんに連れてこられ、予定外で出演させられることになり、そうして出番をすませ安心した矢先にまた引っ張り出された黒田さん。
「凄い技術や思想や発想を持っているひとは、きっとたくさんいる。 だけど、思っていることを共有できる相手なんて、きっとなかなか出会えない」
それこそ、「素晴らしき人生の共犯者」である。
「たまたま身近で、これをこう、かたちにしてゆこう、と同じ考えを持ってくれたひとに出会うことができたのは、とても幸運でした」
こう言われて、どうよ?
照れ隠しに、振り返る。 言われた宮崎さんは、照れ隠しに鍵盤をひと撫でする。
ああ、こういう相手と出会える。 そして、そういう関係を築ける。 それはなんて素晴らしいことなんだろう。
ただ、いてくれればいい。
それはなんと一方的な傲慢か。 親が子に対して抱くそれならば、至上であるかもしれない。
疎通できる相手こそ至極。
事実の共有だけではなく、記憶の共有。
そしてそれを続けてゆける、その先を共に歩んでゆける。
友であれ、恋人であれ、伴侶であれ、そして仕事の相手であれ仲間であれ上司であれ。
そのすべてで、とは言わないが、どれだけのひとと出会えるだろうか、出会ってきただろうか。
せめて、このひとと何かを形にしたい、何かをしてゆきたい、と思われる自分であらねばならない。
百人にそう思われなくとも、ひとりにそう思われるような、確固たる自分のひとつを。
環境に飲み込まれるままではすまさない強い力を。
ときには折れて凹んだっていい。 芯となるものがあれば。
2011年11月19日(土) |
かの道は四十八へ通ず |
「今夜、部屋に行ってもいい?」
うら若き乙女から聞かされたなら一発で舞い上がり、昇天間違いなしのこの台詞を携帯の向こうから発してきたのは、色気もなにもない名古屋の友からであった。
土曜の昼下がりにアンニュイな気持ちでまどろんでいたところを、さすが我が友、だてに二十年来の付き合いである。
「風」と聞けば「谷」と答え、「ぬるいな」と漏らせば「ああ」と頷く。
大学の同窓会で上京するも、翌日は仕事のためトンボ返りしなければならないらしく、実家に泊まるより我が家の方が断然楽なのはわかっている。
就寝環境を除けば。
また夜に、本当に泊めてもらいにゆくようならば連絡するわ、と電話を切られる。
うむ。 おそらく、いや確実に泊まりにくるだろう。
そうとなれば、友が前回きたときに押入れにねじ込んだままだった蒲団の「類い」を引っ張りだす。
蒲団についた埃は払っておこう。 しかし床の埃までは責任を負えない。
本来、せめて干しておくのが最低限の礼儀だが、あいにくの大雨である。
ホコリ高く、「fool in the rain」とゆくことにしよう。
しかし、友ひとりに関してのみならば、ゲホゲホハックチンズルズルルな有り様になろうとも、
耐性が足らんのだ! 見ろ、このわたしを! わっはっはっ!
と、わたしはいってのけもするが、ホコリ高くなって帰ってきた友をお宅で出迎える奥様に対して、とても申し開きができない。
洗濯して、掃除機くらいかけておかなければ。
十月になってからこのかた、俗世間の垢にまみれにまみれ、己の垢にもまみれ、落とす余裕も払う手間もなく、ひたすら鼻呼吸を忘れぬように駆けてきているのである。
ああ、掃除もいいが、マリコさんとしゃわこさんの仕度をしなくては。
友の補完計画は遅々としてだが、二パーセントの遅れもなく進められている。
しかし、そこで思わぬアクシデントが起こったのである。
気がついたら夜になっていた。
光より早い速度で、わたしを置き去って世間は未来へと進んでしまっていたのであった。
アンニュイな目覚めの昼の時点で出勤を諦め、次はギンレイを逃してしまった。 これで飯まで逃してしまったら、わたしのなかは阿鼻叫喚の渦である。もっぱら胃袋によるものだが。
慌てて、かつ、ぐだぐだと、友がきても寝場所だけはあるように部屋のカタをつける。 そうして、胃袋の怨嗟渦巻く前に食事を買い出しにゆかなければならない。
なんと、今日初の食事である。
一日一膳。 なんとよい響きか。
「膳」の字は誤字ではない。 当て字である。 出勤でない土日は、たいがい、昼前から夕方まではタイムスルーして食費を浮かすことになる。
なんとエコロジー。
さて、つつましくも、ガツンと胃袋を黙らせる食事を済ませたところで、友がやってくる。
「部屋の暗闇に目を凝らすな」 「なんで?」 「見なくてよいものを見てしまう」
目など凝らさなくとも、きゃつらは威風堂々と、我が家を、我が家然として寛いだ姿を晒している。 もはや貫禄すら感じるくらいである。
見なくてよいものよりも、他に見せるべきものがある。 しかし、それをいつのタイミングで切り出すかなかなか図れずにいたのである。
そんなとき。
「竹のせいで、ことあるごとに気になってしまうようになったんだが」
と、友の方から切り出してきたのである。
なぬ? 何が? 何を?
いぢわるにすっとぼけて見せる。
しかし、わたしはサディスティックな人間ではない。 言い淀む友の姿を見て楽しむよりも先に、答えてしまう。
「マリコさまが?」 「と、なんとかさん」 「しゃわこさん、か」
食い気味に念を押し返す。
いや、みんなが映ったりしてるのを見かけたときに、どこにいるのかな、と。
それはもう、既に歩みはじめている証なのだよ、四十八への道を。
「そうか、それほど気になっているなら仕方がない。見せないわけにゆかぬではないか」
なにをぅ、と苦笑う友をおざなりに捨て置き、わたしはリモコンを繰りはじめる。
友の奥様へお断りをしなければならない。
テレビや街頭広告を見かけて足を止めたりするようなことがあったら、どうかあたたかい目で見守ってあげて欲しい。
今回は見せられるネタをわたしがわずかしかとっておいていなかったこともあり、とても残念であった。 しかし物足りなさがあるからこそ、それを自ら埋めようと感情がたかぶってゆくのもまた真理である。
真理がどうかはともかくとして、こうして夜は更けていったのである。
「定時は十時」
これが合い言葉のようになっている。 十時というのは夜の十時で、退社時刻のことである。 それは男女問わず、朝は通常通り八時半出社なのは変わらない。
十月からここにきて、わたしは十時前に帰ったことなど片手で数えるくらいしかないと思う。
その片手のうちの大半を占めている退社理由が、大森である。
さて木曜。 その大森である。
行くに行けず、なんと一ヶ月ぶりである。 もうそろそろ残量が底を尽きかけていて、さすがに貰いに行かなければならなかったのである。
「久しぶりですね」
田丸さんが廊下を先に歩きながら話しかける。
「竹さん、来ないなぁ。もう、いらなくなっちゃったのかなぁって……」
おお、田丸さんがそんな寂しげに思ってくれていたのか。
「って、イ氏が言ってましたよ」
とても残念である。 そうだ、とあらためて。
「優勝おめでとうございました」
ありがとうございます、と破顔する田丸さんは、なかなかキュートである。
「お仕事、まだ忙しいんですか?」
彼女は、そっとわたしの右手を取り、何かを測るようにして視線を逸らす。
「ええ。こうして話をするためにくるのすらやっと、な状態で」
嘘ではない。 大森にくるという理由がなくては、こんな時間に退社などできない。 しかしそれすらも理由にならず、無理やり飛び出してきて今日、ここにやって来ているのである。
この偽りないわたしの心情を吟味するかのように、彼女はわたしと視線を合わす。
「不整脈とかは大丈夫ですね」 「ええ、はい」
田丸さんは冷静に書き込んでゆく。
「実はヤタガラスがなくなっちゃったんです。せっかくいただいたのに、スミマセン」
熊野土産のストラップに付いていたヤタガラスのマスコットのことである。
わたしのヤタガラスもまた、なくなっている。
なんと奇遇だろう。 ヤタガラスが飛び立ったのは、もはや導く必要なし、という暗示であったのか。
「僕のは、ちゃんと付いてるよ。君たちのは、居心地が悪かったんじゃないの?」
イ氏は、得意気である。 イ氏のそれは、本来は名古屋の友のとこにゆくはずだったものである。 田丸さんの気遣いから手違いが起こり、イ氏の手に渡ってしまったものなのである。
ぐぬう。
であるから、なかなか強く言い返せない。 田丸さんはそんな事情を知らぬので、ただただ笑っている。
「忙しくてこられないようなら、連絡してくれれば送ってあげるよ」
それは、ありがたい。 だが、断る。
「ここにくる理由がないと、困ってしまいます」
これがないと立ちゆかなくなるわたしは、これを貰いに来なければならない、という理由がために早く退社するのである。
それに、その物自体は何万もするものである。いくら保険で安くなるとはいえ、それでも二回分でさえ諭吉が飛んでゆく。 それをツケで済ませてまとめて払うのは、なかなかよいものではない。
今の生活がまったくわたしにとってよろしくないことを、イ氏はもはや口にしない。
「来ないから、もういらなくなったのかと思ったよ」
そんな楽天的なハズはないのである。 さては、わたしが来なかったことにヘソを曲げてしまったのか。
還暦を過ぎたおっさん(失礼な表現で申し訳ない)にヘソを曲げられるよりも、うら若き田丸さんにスネられたいものである。
しかしもちろん、田丸さんはそのような気配は微塵も見せていない。 もしもスネられてしまったらしまったで、わたしは完全にトチ狂ってしまうだろう。
さすがにそれは困った事態であるのは明白で、避けなければならない。
田丸さんと会うのも、年内までで二回ほどしか残されていない。
小説読ませてくださいね。
との約束を果たさねばならない。 短編書き下ろしでもしたかったのだが、それも難しい日々である。 ちっとはまともで、読み飽きない長さの過去作品を選ぶしかない。
それはなんだか悔しいのである。
とはいえ、一年二年前のものと今とで、どれだけ進歩したものになっているか疑問ではある。
それがまた、悔しいところでもあるのである。
2011年11月17日(木) |
「ブラック・スワン」 |
「ブラック・スワン」
をギンレイにて。
ナタリー・ポートマンがアカデミー賞主演女優賞を獲った作品である。
ミッキー・ロークを往年のレスラー役に抜擢し、作品自体もまた素晴らしいものであった「レスラー」のダーレン・アロノフスキー監督。
優等生タイプのニナは白鳥の湖の主役オデットに抜擢される。 イメージ通りの白鳥は完璧に踊れているのだが、同時に演じなければならない官能的蠱惑的な黒鳥がまったく表現できずにいた。
ニナはまさしく、元バレリーナの母のカゴの鳥、だったのである。
バレエのために、夜更かし夜遊びは駄目、「わたしのいい子」と可愛がり、女である前にバレリーナたれ、と。
そのプレッシャーからか、ニナには無意識に自傷行為(背中を爪で掻きむしる)をするところがあり、それがまた母親を過保護にする原因にもなっていた。
大役を得たい欲望と、得てしまったプレッシャーと、うまく黒鳥を演じきれない苦悩と、代役に奪われてしまうかもしれない不安。
やがてニナは、抑え込んでいた己の心の闇に囚われ、しかしそのことによって完璧な「黒鳥」を演じることができるようになってゆく。
そして公演初日。
フィナーレのまばゆいライトの下で、ニナはつぶやく。
「perfect」
鳥肌が立っていた。
駄洒落などではない。
背筋から太もも、両肩、延髄に、寒気が走り抜けたのである。
公開当時、上野でも上映していたのだが、テレビや雑誌で絶賛されるほどわたしのなかの作品に対するハードルが高くなってゆき、実際に観たら残念な気持ちにさせられてしまう気がして避けていたのである。
アスリート以上に過酷な世界。
そこでトップに立つものとそのために常に差し迫られるものと戦わねばならない日々。
ここまでストイックに、狂気的に世界を描ききったアロノフスキー監督とそれに応えたナタリー・ポートマンが、素晴らしい。 まさに、
「perfect」
である。
さて。
篠原美也子のライブチケットが、ポストに送られてきていたのである。
おそらく先週より少し前だったと思うが、未開封のまま、もう直前にまでなっていた。
行きたい。
そう思うのが常であったが、もちろん申込みした九月某日の頃は有無を言わさずに「行く」以外の選択はなかったはずだった。 しかし十月からのこの環境の変化に、今は、指先が封を切ろうとピクリとも動かない。
休めるのか。 休めたとして。 休みに出かける、という行為を、脳が選択回避しようとする。
今まで変わることなく繰り返してきたはずの休みの過ごし方が、わたしの体内から無くなってしまっているようである。
しかし、休みたい。
ライブ云々はもう当日までおいといて、なるように任せるしかない。
嗚呼。
やらねばならないこと、やりたいこと、それらがすべて、あはれ楠河の夢と成り果てぬ。
2011年11月07日(月) |
「BIUTIFUL」 |
「BIUTIFUL」
をギンレイにて。
バルセロナで我が子たちを養うために、裏社会の仕事で生計をたてているウスバル。
コピー商品の製造販売。 その労働者としてセネガルや中国からの不法滞在者たちの世話。 仕事の斡旋。
しかしそれは、そこで暮らしてゆくためにそれしかない人々のために必要なことであった。
ウスバルは仕事こそ裏稼業だが、思いやりある人間であった。
しかし、彼は突然、癌によって「余命二ヶ月」を宣告される。
「死ぬ前に、きちんと整理しておきなさい」
我が子と、躁鬱を抱えている元妻と、そしてウスバルが世話している不法滞在者たちのために、何ができるのかあがく。
しかしそんなウスバルに、次々と過酷な事態が襲いくるのである。
冬に工場の地下室に雑魚寝で暮らさせられている中国人たちのために、ウスバルはストーブを買ってやる。
しかしそのストーブのせいで、全員が一酸化炭素中毒で死んでしまう。
粗悪品だと知りながら、俺がそれを買ったんだ。 俺が殺したも同然だ。
麻薬の売買をさせていたセネガル人の男が、ウスバルの忠告を聞かずに警察が警戒している街区で売買を続け、逮捕され強制退去させられてしまう。
そんな仕事をさせるからこんな目に合ってしまった、とその妻に責められる。
ウスバルの思いやりが、ことごとく彼を責める結果になってゆくのである。
そして、ウスバルは震える声で娘を抱き締める。
「お前たちのために、なにをしてやればよいのかわからないんだ」
綺麗なことと美しいことは、違う。
さて本作品の監督は、菊地凛子が体当りの演技を絶賛された「バベル」の監督である。
「バベル」は大したことない、あえて観るべき作品ではない、と思った。
そして今回。
ううむ。 やはり、あえて観てほしいとまではなかなか言い切れない作品であった。
しかし。
財政危機が報じられたスペインのバルセロナにおける、観光ではわからない現実が、描かれている作品ではある。
日本で身の回りのことだけで手一杯なわたしには、遠い世界の話に感じてしまう。
だからこそ逆に。
身近な現実と親く肩を並べあっているように思えたりもするのである。
2011年11月06日(日) |
道開かねばならぬのか |
伊勢市駅前からバスに揺られること十数分。
猿田彦神社
に、わたしはたどり着いた。 猿田彦とは天下りの際、天照を案内した神である。
天照やら、よくよく案内やら助けを得る神であるが、これはもしやすると、絶対専制的君主ではない、と民衆に刷り込ませるためのものかもしれない。
そはともかく。
猿田彦は「道開き」の神として祭られ、そしてやがては「道祖神」と同一視され信仰されるようになったのである。
なにかをはじめる際の守り神として、旅に出る際、道中の安全を願う神として。
ヤタガラスに飛び立たれたわたしとしては、次はこの猿田彦しかいないのである。
天照は案内のお礼として、猿田彦に仕えるように、と天宇受売命(アメノウズメ)にいいつけ、「仕える」ということがやがてひとびとのなかで「妻となった」と解釈され伝えられているようである。
アメノウズメといえば、天照が日本史上初の引きこもり騒動を起こした「天の岩戸」の話を聞いたことがあるだろう。
ドンチャン騒ぎして表に引っ張り出そうとしたとき、まず舞を披露した踊り子がアメノウズメである。
そのアメノウズメは、猿田彦神社内に向かい合うようにして、
佐瑠女神社(さるめじんじゃ)
に芸能の神として祭られているのである。 芸能以外にもご利益がある。
わたしはもっぱらそちらのご利益ばかりを求めてしまうところなのだが、今回は幾分違ったのである。
神妙に、道開きを。
しかしあたりは七五三詣でのおちびやおじょうちゃんや、保護者の方々で埋め尽くされていた。 まずは目の前の道開きを、といった次第である。
思えばここ猿田彦神社で、おみくじをひいておけばよかった。
伊勢神宮には、おみくじがないのである。
「伊勢に詣でた日はだれもが吉日」
といわれていて、さらにおみくじで吉凶を占う必要はないということらしい。
それでもおみくじが楽しみなひとのために、近所の「おかげ横丁」でおみくじをひくことができる。
境内で、鳥居をくぐった神域でひくからこそ、いいのである。 土産物屋の店先でひいても、ただ面白いだけである。
それをうっかり忘れて、猿田彦神社ではご朱印をいただいただけですっかり満足して出てきてしまったのである。
しかし。
鳥居をくぐって外に出た途端、カチリと、何かが腑に落ちた感覚になったのである。
あとはその「おかげ横丁」を抜けて、内宮に詣でるだけである。
うむ。
つつがなく、詣でることができた、と思われる。
というのも、印象が、ないのである。
おおっ、だとか、おや、だとか、そういった感慨なども含めて、いまひとつ、手応えのようなものが感じられなかったのである。
建物はそれは立派な伝統と格式と歴史を思わせるものではあった。 しかし、当たり障りなさ過ぎるのである。 それは外宮も内宮も共に、である。
強いてあげるならば内宮の一の鳥居をくぐった後にさわわと感じたくらいで、いたって謙虚かつ、だんまりなのである。
満たされないものは別のものでまかなおう。
時間は昼の二時を過ぎるあたりであった。 おかげ横丁で、昼飯である。
「豚捨」の牛丼。
「豚捨」の店名の由来は、牛肉が美味すぎて豚肉料理を出すのをやめた、というところからきているらしい。
この辺りは、松阪牛である。
正直な感想をのべよう。
わたしが作ったすき焼きの二日目あたりを飯に乗っけたようなものであった。 醤油みりん砂糖でくたくた煮詰まった、特別な肉も割りしたも隠し味も使わない味。
注文した品がよくなかったのかもしれない。
うむ、「すき焼き」を頼めばきっともっと素直に美味かったに違いない。
伊勢名物土産の「赤福」はいつぞやの汚名もすっかり返上し、大行列である。 それらを冷やかし通りながら、次の社に向かう。
月読神社
月読尊(ツクヨミノミコト)が祭神の社だが、まあ、曇天の夕方前ということもあるのだろうが、とにかく、シンと静かに薄暗くたたずんでいる。
ツクヨミの他にその親であるイザナギとイザナミも祭ってある。 並んだ社でツクヨミのだけがやや大きく、しかしそれ以外はあまり差異のないたたずまいで、それ以外は本当にひっそりと、まさに月夜のような静けさなのである。
静寂を掻き乱さぬようにご朱印をいただき、しずしずと社を後にする。
さてここから先は駅に戻り、帰りのバスの時間まで他に行くところもない。
今は夕方五時前。
宇治山田駅まで戻り、少し早いが飯にしよう。
「まんぷく食堂」
この店だけは、どうしても行きたかった店だったのである。
伊勢のB級グルメ 部活帰りによく食べた クセになるボリューム飯
店名からして、究極的に魅力的である。
看板メニューは「唐揚げ丼」とくれば、わたしが見逃せるわけがない。
しかしながら、伊勢うどんもなかなかの味だとの声も聞く。
プチ唐揚げ丼と伊勢うどんの「新福定食」を注文する。 伊勢うどんが先に出され、ひと口すする。
お。
伊勢うどんには出汁で味を決める店と、醤油などの調味料で味を決める店とあるらしいが、この「まんぷく食堂」は、出汁派の店らしい。
美味いではないか。
続いて名物「唐揚げ丼」だが、「プチ」のはずなのに、う「どん」と普通の丼ぶりサイズなのである。
ナゲットのようなやわらかい唐揚げは、衣の醤油味に出汁がさらに染み込まされ、卵でとじてある。
わたしがもし学生時代にこの町で暮らしていたら、体の大部分がこの「唐揚げ丼」で出来上がってることになったであろう。
KARA-AGE
は、世界に誇る日本の料理である。 いつか、九州は中津を訪れて唐揚げ食べ歩き旅をしたいものである。
食事が終わり、時間は六時半。 バスの時間は八時過ぎ。
わたしはここで、またまた首都圏と地方とのギャップを感じることになる。
時間を潰せるようなカフェや喫茶店やファストフード店がないのである。
居酒屋なら、少しはある。 しかし、わたしには用がない。
それ以前に、店が開いてないのである。
伊勢市駅前は、言葉は悪いが、「さびれてなにもない」といわれていたりもする。
夜の八時九時に店など普通に開いている社会との差は、もはや文化の違いといっても過言ではないかもしれない。
結局、わたしは駅構内の待合室で、缶コーヒー片手に本を読みながら、ひたすらバスの時間まで待つしかなかったのである。
夜暗くなれば家に帰る。
そんな当たり前な生活が、ここにはきちんとあるのかもしれない。
何はともあれ、こうしてわたしの伊勢参りは幕を閉じた。
内宮に関していえば二度目だったのだが、どうにも印象がない。 なにやら岩戸をピッタリと閉ざされ、行き過ぎるのを待たれていたような感じである。
猿田彦神社でのあの感覚がなかったら、今回はまったく甲斐のない、ただ行ってきただけになるところであった。
それもこれも、気を抜くとたちどころに仕事への嫌な予感が頭を埋め尽くしてしまっていたからかもしれない。
忙しさがひく気配が見えない。
ここから「道開き」せよ、とのことなのか。 ヤタガラスが案内先を間違ってしまったのか。
年末までこわれずにすむかどうかはなはだ疑問である。
土曜の朝八時半。
伊勢市駅前に降り立ったわたしは、そこから徒歩五分の伊勢神宮の外宮(げくう)へと向かう。
伊勢神宮の正式名称は、ただの「神宮」というらしい。 そして外宮とは「豊受大神宮」であり、祭神は豊受大御神(トヨウケビメ)である。
トヨウケビメとは、食物や穀物を司る女神である。 面白いことに、天照大御神が、
「すまん。わたしではとても食い物をまかないきれん。こちらにきて助けてくれ」
と、丹波にいたトヨウケビメを引き抜いてきたというのである。 なんとも王様な天照である。
そして「天女の羽衣」という昔話を聞いたことがあるだろう。
水浴びに夢中の天女たちの、脱いで松の枝に掛けていた羽衣を老夫婦が隠してしまい、
いやぁん、まいっちんぐ。
と人間界に引き留められてしまった天女こそが、トヨウケビメだったのである。
そんな破廉恥な妄想は、当然ながら参拝中微塵たりともしなかったことをいっておこう。
さて手順通りに外宮参りを済ませ、まだ時間は九時過ぎである。
別宮の「月夜見宮(ツキヨミノミヤ)」に足を伸ばす。
ここは天照の弟神「月読尊(ツクヨミノミコト)」が祭神である。 熊野のときに述べたが、どうにも存在感のない神様であったが、「つきよみさん」と地元の皆さんに親しまれているらしい。
さて参拝も済ませ、ちょうど店が開きはじめる十時になろうとしていたのである。
朝飯は当然「伊勢うどん」である。
「山口屋」さんの前を行きつ戻りつしながら、暖簾がかかるのを待つ。
はたからみると、まるっきり不審者である。 しかし、戸の前にひとりで待つという度胸はないのである。
朝一というのもあり、観光客の姿もあまりなく、当然、店に並ぶ姿もなかったのである。
暖簾が、かかった。
ここで焦って入ってしまっては、さもしいように思われるだけである。 もう一往復だけして、ガラガラと戸を開ける。
もう、やってますか。
やっているのは、暖簾がかかった時点でわかっている。
しかし、あえて尋ねるのが儀式である。
しばし店内は無音に包まれる。 どうやら一旦奥に下がってしまっているようであった。
ここで敬愛する内田百ケン先生ならば、しばらく無言で、店の者が出てくるまでイライラをこらえながらジッと待つのだろうが、わたしは違う。
「あの、すいません」 「ああ、はいはい」
すぐに若い店主が出てくる。
もう、大丈夫ですか。 はい、大丈夫です。ささ、どうぞ。
席を勧められ、着席する。 ご注文が決まりましたら、と茶を置いて厨房に引き上げる店主だったが、わたしは注文はすでに決まっていたのである。
しかし、着座してろくに品書きに目も通さずに注文してしまっては観光客丸出し然である。
壁の品書き、続いて芸能人の色紙、それらを区別なく見回しておもむろに店主に向かって注文する。
「ごちゃいせうどん」を。
本来はうどんとつゆのみのシンプルな伊勢うどんを頼むべきかもしれないが、朝飯もなにも食べていないのである。
「ごちゃいせうどん」とは、エビの天ぷら、肉、かやくなどのトッピングをのせたものである。
すると大女将らしき方が出てきてわたしに気付く。
あらあら、いらっしゃいませ。
ガラガラと戸が開く音と共に、
「ばあば」
と男の子が駆け入ってくる。 あらどうもすみません、いらっしゃいませ、と女将が三角巾にエプロン姿でやってくる。
どうやらこれで勢揃いのようである。
「すみません。お時間、お待ちいただいてよろしいでしょうか」
ええ構いませんよ、と申し訳なさそうな女将さんに答えて、テレビの画面にぼうっと見入って待つ。 「伊勢うどん」はうどんに求められるコシがなく、茹ですぎてぶにゅぶにゅとしている、とよくいわれる。
そもそも、「伊勢参り」に訪れるたくさんの人々を相手にいちいちひと玉ずつ茹でていたら間に合わない。 まとめて茹でておき、そこから提供するようになったのである。
なかには、伊勢うどんとは一時間茹でるものである、という意見があったりする。
それならば、そろそろ三十分が経とうとする今はまだ早い。 相変わらずわたし以外に客もいない。
朝からうどんを食いにくるよりも、参拝を済ませてから昼御飯にうどんを食いにくるのが普通なのだろう。
百ケン先生ならば酒を頼んで時間を楽しむだろうが、わたしは下戸である。 お茶をちびちびすすりながら、飽きもせずにテレビを観て待つ。
「大変お待たせしました」
女将さんがどうぞと盆に載せたうどんを持ってくる。 待ってました、と勢い箸をつけるのを耐え、これはどうも、とゆっくり端に手を伸ばす。
コシがどうのとのたまうが、わたしはこの「伊勢うどん」は、なかなか好印象であった。
すると、ちらほら他にお客さんがやってきだす。 「いらっしゃいませ」の合間に女将さんがわたしのところにやってきて、
「たいへんお待たせしてしまってすみませんでした」
と、卓の上になにやら差し出したのである。
木彫りの名前札の根付けで、「山口屋」と彫られていた。
どうやら売り物か限定品らしい。 土産物屋で買ったら、おそらく千円くらいはするかもしれない。
少なくとも浅草の新仲見世商店街にある店ではそれくらいゆうに超えたお値段だった。
恐縮いたみいります、とわたしは好意をすんなりと受け取る。 あたたかな「山口屋」さんのご厚意に胸も腹もいっぱいになったわたしは、次の社を目指す。
内宮にはバスで向かうのだが、その途中、どうにも気になる神社があったのである。
そここそが、今回のわたしの旅の象徴となるべき社だったのかもしれない。
この続きは、次回。
2011年11月04日(金) |
めぐりあい宇宙(そら) |
金曜の午後。
「お休みのところすみません」
案の定、というか、会社からの電話が入ったのである。 わたしの半ば無理やりの宣言の休みであったので、こんな心配はしていた。
急な締切の前倒しであった。
わたしがもらっていた仕事だが、火曜日までにその一部分を納めて欲しい、とのことであった。
出来ない話ではない。
最悪、日曜に早朝東京駅に帰ってくるのだから、その足で会社に行ってもいい。
とにかく、今夜、わたしは旅立つのは決まっているのである。
それでは全てを受け入れ、その明日さえをも手放せというのか。 否、そうではない。 旅立ちこそ、我が明日である。
今はゆこう。 重力から解き放たれるべく。 伊勢へ。
今夏熊野へ行ったときとは違うバス会社で、東京駅八重洲口側のとあるビル前から深夜十一時出発である。
往復で一万円也。 鉄道を利用した場合、片道だけで一万三千円前後かかる。 これはなんともお得である。
もちろん、車窓など堪能できるはずもない。
しかし、敬愛する内田百ケン先生の阿房列車においても、景色など二の次であるのでそこは関係ない。
関係ないからと車窓の景色をおろそかにすると、たちまち百ケン先生は雷を落とす。
見る見ないは別だが、あるのとないのとは大違いだ。
同行者のヒマラヤ山系こと平山氏を、けちょんけちょんに叱りつけることだろう。
さて、わたしの今回の深夜特別阿房列車における携帯品は、肩掛けカバンに、昼間大急ぎで打ち出した伊勢神宮他神社関係の案内図に、メモに、朱印帳、携帯電話の充電器だけである。
ちょいと神田神社にいってくらあ、といった程度のいつも通りな軽装である。
今回の旅からあらたに加わった朱印帳だが、すでに熊野三宮のご朱印はいただいてある。 訪れた先でひとつひとついただいてゆくその楽しみは、まるきり夏休みの小学生と同じである。
しかし。
肝心要な神田神社と根津神社のをまだいただいていないのは、紺屋の白袴といったところである。
余談だが、谷中の我が家の前はかつて藍染川が流れており、その名の通り藍染が行われていたらしい。 それを証拠づける染め物屋が、今もなお残っているのである。
さて。 逃げはするが、そこにすぐ戻って来なければならないという、プレッシャー。
なんというプレッシャーだ。
おそらくは帰省だろう荷物を引くひとびとのなか、わたしは帰ってくるために、旅立つ。
わたしには、帰るところが、あるんだ。
チカチカと点滅する光を目指し、わたしは東京の宇宙(そら)を飛び出す。
半ば無理やり、休みを取ったのである。 今月から本社勤務になり、残業が百六十時間。実際につけられるものの限界値は九十時間程度であり、本来は三十時間程度までで業務を行うこととされている。
九十時間を越える場合、その状況によっては医師による問診等を、本人の希望もしくは管理者の判断によって受けさせることと親会社が定めているのである。
さすが大企業の親会社である。 十割出資の子会社である我が社もそれにならうことになる。 しかし、はいそうですかと鵜呑みにやれるわけがない。
さらばわたしの六十時間。
であるから、飛び石を繋いで連休にさせてもらっても文句は出ないだろう、と言うだけ言っておいたのであった。
しかし悲しいかな、本当に休めるつもりなどなかったのである。
水曜夜、予定表に「四日、休み」のささやかなわたしの自己主張に、上司の火田さんがやって来たのである。
いや、書いてみただけなのです。後で消しときます。
とあっさり引き下がるか。
休んだっていいでしょう、休んでないんだから。
とアムロ=レイのように振る舞うか。
「お休みするのね」 「はい、大丈夫でしょうか」 「大丈夫かどうかは竹さん次第だから、わたしからはなんとも」
仕事が大丈夫かどうか。 健康が大丈夫かどうか。
どうせ大丈夫でなくなれば、金曜日に連絡がきて、土日に出てやればよいのでしょう、とアムロを選んだのである。
帰宅した深夜、わたしは自分でも思いもよらない行動に出ていたのである。
「新幹線の始発で、伊勢神宮に行ってきました」
ふむふむ。 日帰りで行けないこともない。 新幹線の始発は、さすがにわたしには無理だ。 どうせならゆっくり回りたい。
甘木ブログを読んで、わたしはちょちょいと宿やら電車やらを調べだしていたのである。
新幹線を使い向こうで一泊するのは、甚だ時間と金が勿体ない。 得意の高速バスで、往復車中泊で現地を朝から夜まで回れて、金額は三分の一になる。
そこまでの妄想でそのときはとどめておいて眠りに落ちてしまったのであった。
あくる木曜、祝日の昼過ぎ。 仕事からの逃亡に予約を入れていた歯医者にゆく。
なぜだろう。 歯医者にゆくと、ケーキが食いたくなる。 脳が疲労すると糖分を欲する、その顕著な現れである。
ひとりでケーキを食いに店にゆくようなことはしない。
わたしはひとりだと、武士は食わねど高楊枝、なのである。
しかし食いたい。 こんなときに英子さんをダシにしてケーキ屋にゆけたらよいのだが、そんな理不尽なわたしの勝手が通じる相手ではない。
そもそも、連絡自体が通じないのである。
なしのつぶてに凹むほどでは、彼女の友人をここまで続けてはいられない。
わたしは歯医者のある御徒町から鶯谷に山手線で戻る。
なぜだか知らないが、都内で指折りの美味しいケーキ屋と評判の、
「イナムラショウゾウ」
が近所にあるのである。 休日は大行列でわたしなどとても並んではいられないのだが、それでもケーキが食いたいのである。
しかし、予想通りの大行列を目の当たりにして諦める。 ここでチョコレート専門の
「ショコラティエ・イナムラショウゾウ」
が谷中霊園の向こうにあり、そちらならそれほど並ばずに買えるのだが、わたしは「チョコレートケーキ」が食いたいのではないのである。
モンブランだとか、ショートケーキだとか、ムースだとかタルトだとかが食いたいのである。
坂を下って部屋に戻ろうとする。
最近出来たシフォン屋の前を通りすぎるが、シフォンでもない。
なぜだ。 なぜわたしの周りにはケーキ屋があるのに、わたしの望むケーキが手に入らぬのだ。
わたしはシャア・アズナブルのように苛立った。
ララァ・スンの白鳥が、湖面から羽ばたいた。
「セレネー」
ちょいとこだわりを持った、これまた美味しいケーキ屋が、赤札堂の向かいにひっそりとあるのである。
焼き立てフィナンシェが有名らしいが、わたしはそれよりもケーキである。
「あれとこれと」
わたしはガラスケースの前で指をさしていた。
認めたくないものだな。 若さゆえの過ちとは。
二種類のつもりが、四種類。 ホールを除いて六種類あったので、ほぼ大人買いである。
帰ってお八つに二個、晩に二個。 なんと素晴らしい。
わたしはもはや、躁状態である。
その勢いで、フォークに残ったマロンクリームを吸いながら昨夜の続きである。
おお、バスもまだ空席ありで、オンラインで全て手配を済ませられるではないか。 せっかくだから、日曜に不意をついて名古屋に寄ってみようか。 いやいやそれは不意をつきすぎて迷惑千万なだけだ。 ううむ。
うなっているわたしの意思を置いてけぼりにして、カチカチカチとクリックされてゆく。
「予約されました」
しまった。 確定してしまった。 えい、もう引き返せないのだから、発車するしかない。
阿房列車特別深夜特急の臨時発車である。
しかし、哀しいかな。
旅程はやはり、日曜早朝には帰ってきて、万が一の出勤に備えてしまっていたのである。 さらには、その万が一の連絡がくるならば金曜しかないので、金曜の日中は都内に待機して連絡がとれるように出発はその金曜の夜。
えい、仕方がない。 もはや本能の次元で危機管理してしまったらしいのだから。
明日の夜にわたしは旅立つ。 ここで我が敬愛する内田百ケン先生なら、だいたい手配をしてくれるヒマラヤ山系こと平山氏に理不尽支離滅裂な不平不満をたらたら聞かせてヒマを潰すのだが、わたしはひとりである。
しかももはや、現実からの逃亡に近い。
息をひそめ、やがて脳に糖分が満たされると、眠くなる。 夜中の十一時に、晩飯に残りのケーキ二個を食ったとき以外、寝てしまっていたのであった。
ララァよ、わたしを導いてくれ。
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