「隙 間」

2011年09月30日(金) ヒーローの背中

「竹さんしかこの話通じひん、わかってくれへん、と思って」

久方ぶりにわが本社に顔を出すと、宮子さんが嬉々としてやって来たのである。

ほら、見て。

パカリと携帯を開いて、わたしの鼻先に突き出す。

「なあ?」と宮子さん。
「おお?」とわたし。

「アプリみつけてん」へへん、と宮子さん。
「すごいじゃなイカ」とわたし。

待受画面では「侵略イカ娘」が、ビシッとわたしを指差していたのである。
少年チャンピオンの読者だったわたしぐらいしか、たしかにこの手の話は通じないだろう。

「アニメがまた始まってん」
「すごいじゃなイカ」
「HDの整理せな、録画できひん。もういっぱいいっぱいやねん」
「ダメじゃなイカ」
「なあ。バリエーション少なない?」
「……すいませんでゲソ」

宮子さんはマニアな方で、少年ジャンプをはじめ、様々な漫画やアニメや特撮ものなど、ゲソの先でも足りないほど多岐に渡る趣向の持ち主なのである。

わたしが突然、年長者の宮子さんに無礼な口調で答えはじめて戸惑いをあらわにしていた周りが、「ゲソ」の語尾でぽかんとなり、どうやらそちらの方の会話だとわかって納得の顔をする。

そんでな、そんでな?

宮子さんが俯きやや加減で、わたしをうかがう。

「マブヤー。知っとる?」
「琉神、ですか?」
「そう、そうやねん! 今度、TOKYOーMXで放映されんねんて!」

ああ、HDがいっぱいで録画できひんし、どうしよう。

周りはすっかり「?」の顔で、わたしを見ている。
説明しよう。

「琉神マブヤー」とは、沖縄県のご当地ヒーローである。
地域活性のひとつとして、地元の名産・文化・情報・方言を巧みに物語に取り込み県外へ発信し、そして新しい世代にも伝えてゆく試みから生まれた。

2000年代に入ってから各地域のご当地ヒーローが注目されだし、全国ネットのテレビ番組で秋田県の「超神ネイガー」がそのローカル制作とは思われないほどの質の高さで紹介されたことがある。

そのときに「琉神マブヤー」も、「まだまだいる、注目のご当地ヒーロー!」としてほかのヒーローたちと併せて、駆け足で紹介されていたのである。

イベントでは、そこらのタレントやアイドルよりもよっぽど人が集まり熱狂するほどの人気ぶりであったらしい。

それが五六年の時を経て東京で第一話から放映されるのである。

わたし自身、宮子さんに言われるまでまったく思い出すこともなく過ごしてきたが、言われればなんだか、いったいどのようなものなのか観てみたくなる。

沖縄のマブヤーだけではなく、秋田のネイガーなどほかのご当地ヒーローらは今現在どうなっているのかも気になってくるのである。

故郷千葉県のヒーローは何がいるのか?
東京は?

東映のヒーローらが目まぐるしく堂々とアクションしているところに、地元に根強く密着できるご当地ヒーローなど難しいかもしれない。

番組編成期の度に、不況によって出演者や番組内容やらが質を問われ続けている。

安くて看板になって視聴者を惹き付ける出演者となると、なかなか個人を特定できない。

コンビやグループなら、五人いようが「ひとグループ」で扱いやすく、グループ側にとっても、代わりがいればメンバーの構成は誰だろうと多少は融通がきく。

さらに再放送の番組ならば実績もわかり、放送枠の隙間を埋めやすいこともある。
年齢による出演時間制限の枠も、さほど気にしなくて済む。

もちろん、できるならば裏との出演者重複は避けねばならないが。

そこに、東京ローカルのMXとはいえ、既出の沖縄ご当地ヒーロー番組である。

業界のフトコロの厳しさを、勝手に解釈しながらあれこれ想像してみるのも、テレビの見方のひとつである。

もはや発言に責任を持てない妄想ではあるが……。



2011年09月28日(水) 「星へ落ちる」

金原ひとみ著「星へ落ちる」

表題作を含む五つの連作短編集。

先日の朝倉かすみ「ほかに誰がいる」に対して嗚呼だ洪だとのたまったが、それはさて置いておこう。

金原ひとみは、あくまでもわたし個人の感想だが、読み終わるとまるで「投げっぱなしジャーマン・スープレックス」を喰らわされ、すのこ天井に吊るされたカンカンに熱く照りつける照明のかたちをただぼんやりと逆さまに見上げさせられ、じっとりと汗ばむ身体とは別に、キンと覚めた脳みそで、茹だるような熱気の歓声、罵声、地鳴り、耳鳴りなどが渦巻いているのをどこか解離した感覚で遠くに聞いているような錯覚にとらわれてしまうのである。

しかし今回は、予想外に「おしとやか」であった。

彼氏と同棲している男と付き合っている女。
その女に出ていかれ、ひたすら電話とメールで「帰ってきてくれ。ずっと待っているから」と訴え続ける男。

これら五つの人物らのそれぞれを、書き取る。

見るからに熱そうな真っ赤な炎が熱いのは当たり前である。
一見そうは見えない青く透けた炎に手を伸ばし、肉を灼いてしまう。

お行儀はよいが、垣間見せるその炎の様は健在である。

どうしても、どこか振り切れた世界を渇望するときがある。

まさに「渇望」。

金原ひとみ作品はなかなか文庫にならず、とんとご無沙汰だったのである。

それはそれは、見事な放置刑罰っぷりであった。

書店でついに本作を見つけたときに、「出た出た」と小躍りしてしまったほどのそれまでのお預け具合だったのである。

各編がそれぞれ違う冊子に掲載したものだったために、おそらくこのような「おしとやか」な感じになったのだろう。

出ていった女を八ヶ月も待ち続け、相手にされなくても電話やメールを送り続ける元カレは、時には自殺を仄めかし、過去を懺悔し、ただひたすら「お前がいないと、俺はどうにかなっちゃう」と、伝え続ける。

どうしようもなく気持ち悪い男のはずだったのだが、先に進むにつれて、なんだか身近にいそうな印象に変わってくる。
ただ純粋に女のことを愛しているが、不器用なだけのまともな男なのではないかと。

金原ひとみ作品の登場人物は、無垢で激しい「こちら(内面)」と、社会的で物静かな「あちら(外面)」という世界のギャップを含んだ者たちばかりが現れる。
そして主役のみが「こちら」に身も心も委ねて「無垢」という鈍器を存分に振り回す。
対してほかの人物たちは、「あちら」側から「怜悧」な刃物で切りつける。

各々が主役となると、各々の「裏の裏」と表現されていたものが、「表」というそのままの表現に直ってしまう。

だから、「表」と「裏」が限りなく同じである「元カレ」という男に、妙な落ち着きと親近感を覚えさせられてしまうのである。

そして。

ひとつだけに突き抜けきれない物足りなさを、感じてしまったのである。

やがてまた、金原ひとみ作品を求めて疼きだすときが、きっとすぐ、訪れてしまうかもしれない。



2011年09月26日(月) 「ほかに誰がいる」

朝倉かすみ著「ほかに誰がいる」

「肝、焼ける」などの朝倉かすみ節を期待して読むと、きっと後悔する。

朝倉かすみが、思わぬ深みにまで踏み込んで描いた世界が、そこにあった。

まるで別人――。

幼い頃、人混みに母を見失わぬよう必死に手を伸ばし掴んで引っ張ったら、振り返った顔が口裂け女だったような感じである。

りえは、ひと目で恋に落ちた。
賀集玲子と出会うまでに十六年もかかってしまったと思った。

りえは玲子と、「わたしたち」という繋がりを得るため、そして、よりそれを固くするために、とことん没頭してゆく。

彼女は私にとって、まるで「天鵞絨(びろうど)」のようだった。
その肌も、その声さえも。

りえは、あくまでも親友であるという玲子への態度をとりつつ、やがて距離を置いてゆく。
しかしそれとは裏腹に、「天鵞絨(玲子)」との誰にも断つことの出来ない繋がりを求める気持ちがが、深く密やかに、その身をこころを駆り立ててゆく。

天鵞絨がこの世に生まれるために必要だった道具にしか過ぎないこの男を介して、私は天鵞絨と繋がっている。
もしもこの男との子どもができたなら、それは紛れもなく、天鵞絨と同じ遺伝子が私のとひとつになって、私がその母親になるという素晴らしいこと。

剥き出しの無垢な願望が、えりをいっそう、その先の深奥へと突き落としてゆく。

わたしはおよそ序のあたりで既に、部屋で平積みになっている一番上の一冊が気になりはじめて仕方がなくなっていた。

金原ひとみが、恋しくなった。

朝倉作品にわたしが感じている熱量は、蒸気機関の内で常に圧力を高めているようなものであった。
だから車輪は激しく熱く、先へ先へと走らしてゆく。

本作は、熱量が外に働きかけ、それによって走ってゆくようなものではない。

内に内に凝縮して、やがて一点をその凝縮された熱によって溶かし、その身を焦がし尽くすようなものである。

その先。

焦がし尽くすのではなく、地中深く蠢くマグマのように、表層からでは窺えない膨大な熱の塊が、自らを溶かし、溶かし続け、終わりなくそれを形なきまま繰り返し続けるような圧倒的な熱を孕んだものとして、金原ひとみ作品の方を求めてしまう。

しかし。

朝倉かすみは朝倉かすみである。
あの蒸気機関車のような熱をこちらの方に向けてきたかと、意表を突かれてしまった。

方向や目的はともかく、本作のえりほどの、ひたすらまっすぐに身を委ねられる感情の声を聞いたことがあるだろうか。

大したことではないが、とびきり大したことである「ひと目惚れ」という厄介なもののことである。

意図的に自制心のタガを緩めて、自分に「行け!」と命じるようなことは、いつでもある。

それこそ脊髄反射のように、理由など後からこじつけてゆくような感情のしでかしは、若さゆえの特権だったのかもしれない。

わたしは、中身は「中二の男子」のつもりである。

人生の半ばを生きようとしている身でそんな恥ずかしいことを言いきってしまうのもどうかと思う。

自重しよう。

ほかに誰がいる。

「ほか」の対する元々の対象がいないのが、悩みである。



2011年09月25日(日) 「ダンシング・チャップリン」

「ダンシング・チャップリン」

をギンレイにて。

周防監督が、妻・草刈民代の「美しいバレエ姿」を収めたいとして撮影した作品。

……で、あったと思う。

ローラン・プティによるバレエ舞台の二幕を一幕にまとめたものと、そのドキュメンタリーの二本構成となっている。

バレエなどと言われてもわたしは曽田正人の「昴」を読みかじったくらいで、知識も何もない。

それでも「プティ」くらいは聞いたことがあった。

バレエと映画と、この二つの演出家の違いが、やはりとても深かった。

であるから、作品の感想については、第一部のドキュメンタリーのところは、なかなか面白かった、とだけ言おう。

チャプリン役を演じ続けているルイジ・ボニーノは、少しダスティン・ホフマンに雰囲気が似ているなかなか愛嬌のある超ベテランである。

しかし「プロ」たちの世界。

一を言えば、その十を汲み取り、対話してゆく。

「不安なところがある」と民代が言っただけで、
「どこそこのあの場面のステップだろう?」と、トントンと話が進んでゆく。

会話のレベルをはるかに超えた対話である。

まさにこれには、恐れ入った。

そしてもうひとつ。

この世には「美人」はあまたいる。

しかし、「美しい人」は、それほどいない。

草刈民代は間違いなく「美しい人」である。

「美しい人」は、膨大なエネルギーの塊である。
それは、共に何かをやってのけよう、という何かがないと、おそらく長く傍にいようとするのは難しいのではなかろうか。

そんな思いが、ふと湧き上がってくるのである。

何はともあれ、これでチャプリン週間はとりあえず終わった。

夜中に、インターネットでポチリとDVD-BOX購入ボタンを押さない限りは。

誕生月間とのたもうて、財布と欲のヒモをゆるくしていたがそろそろ絞め直さねばならない。

いや、あと一週間を、最後の攻勢に出るべきか。

所詮、映画と本と取り寄せグルメくらいしか使い途はないのだからたかが知れている。

悩みどころである。



2011年09月24日(土) 大森一夜と「街の灯」

台風一過――。

日中はまさに真夏日だった。
しかしそれが、すっかりグズグズな空模様になっていた大森の夜。

「昨日は、ちゃんと帰れましたか?」

秋子さんが歩きながら振り返る。
その愛らしい笑顔は、わたしをとことんだらしなくさせる武器である。

「皆さんこそ、無事に帰られたんですか?」

質問返しでささやかな抵抗を試みる。
どうやら、ヘタに早く帰そうとするよりも過ぎるまでここにいた方がよいだろう、と判断したイ氏が、

「ラーメンでも食べにいって、時間を潰そうか」

と皆を誘ったらしい。

懸命な判断である。

しかし、そこにイ氏には想定外の誤算が、あった。

「みんな、「えぇ〜っ」て、反応で……」

秋子さんにもし、わたしがそんな反応をされたら、半月は立ち直れないだろう。
だから、わたしは誘うなどという命知らずなことはけっしてしないのである。

「うわっ……」

思わずわたしは、そんな声を出してしまっていた。

「だけどだけど。
婦長さんが「餃子だけでもいいから」ってすぐフォローしてくれて、行ったんです」

ツッコミどころが満載である。

「餃子」と「ラーメン」のどちらがメインかで、変わるものなのだろうか?
「餃子だけ」も、「ラーメン」も、食べる時間はいったいどれだけ変わるものなのか?
そもそも、イ氏と一緒に「食べに行く」こと自体が、彼女らは避けたいと思われ……。

いや、イ氏の名誉のために、その先は言うまい。
しかし、これだけは言っておきたい。

嫌がられるのもまた、上に立つ者の宿命なのである。
イ氏は、立派なイ氏である。

もちろん、秋子さんと話した「えぇ〜っ」のくだりはイ氏がいないところでの話である。

いつもより早く訪れてしまい、後がつっかえてしまうので長話ができなかったのが残念である。

しかし、つかの間とはいえ癒していただけたのはたしかである。

さて、日は変わり。

「街の灯」

をギンレイにて。

「チャプリン、ぶっ潰す」などととんちきなことを口にしていたが、重ね重ねそんな大それた妄言を吐いたことを、ここに陳謝したい。

偉大なる先人――。

目の見えぬ花売りの娘に一目惚れしたチャーリーは、仕事もない宿もない一文無しの浮浪者。

ある晩、酒に酔って河に飛び込み自殺をしようとしたところを救い、以来、酔った時だけチャーリーを友人と呼んでもてなしてくれる金持ちの男と知り合う。

しかし酔いが覚めるとたちまちチャーリーのことなど覚えていない。
また酒が入ると、チャーリーを恩人だ友だと酒をおごり朝まで飲み明かす。
そんな日が続きながらも、チャーリーは娘のために働き、稼いだ日銭で何かと世話をしてゆく。

しかし実は、「あの素敵な方」と、娘はチャーリーのことを金持ちの紳士だと思い込んでいた。

そんな折、新聞に盲目の手術が成功したというニュースが載り、金持ち男からもらった金で彼女の目の手術代を工面するのである。

しかし酔いから覚めた男は「覚えがない」と、チャーリーは警察に捕まってしまう。

そして月日は経ち、釈放されたチャーリーは街で自らの花屋を開いていた娘と再会する。

娘は無事に目が見えるようになっていた。

みすぼらしい浮浪者のチャーリーが、よもや「素敵な方」だとは気付かない。
もじもじと自分を見つめるチャーリーに、慈善のつもりで切り花を手渡す。

手が触れた瞬間、娘はようやくチャーリーが「素敵な方」だったのだと気が付くのだった。



チャプリンと聞いて思い浮かべるのは、コミカルで小気味良いやり取り、例えば屋台のパン屋の主人とのただ食い等のやり取りである。

これは日本のドリフターズの滑稽であからさまで、「後ろ、後ろ!」と観客がツッコミたくなるそれと同じである。

「モダン・タイムズ」や「黄金狂時代」などの方がタイトルに聞き覚えがあるかもしれない。

チャプリンの捨てられた仔犬のような、だけど純粋な笑顔。

チャプリンの作品を「大人買い」しようか、真剣に悩んでしまうところである。



2011年09月21日(水) 灰色のちぎれ雲、ひとつ

天気図をみた。
等圧線をわがもの顔で突き進み、前線のしっぽにまで噛みついていた。

あとはしっぽを丸飲みしながら、そのまま進むだけ。

「品川駅が改札を閉めてるらしい」

インターネットの運行情報のホームページは、「運行見合せ」の赤い文字が、次々と挙手しているところだった。

地下鉄は風が強いところだけが止まっていて、地下の風が吹いてないところはまだまだ安全のように見えていた。

半蔵門線と有楽町線が、紫色と金色から、赤色に変わった。

英子さんの電車じゃなかったかな、と思いだして、わたしの電車の色を探してみる。

京浜東北線の水色が赤くなっていた以外は、なんとか、どの色かを使えば大丈夫そうに思えた。

常磐線のエメラルドグリーンはとうに赤くなっていたけれど、千代田線の緑色はまだあくまでも緑色のままだった。

山手線のうぐいす(黄緑)色にいたっては、どこ吹く風で「ホーホケキョ」と知らんぷりだった。

「ホーホケキョ」と、高を括ったメールを英子さんに出してみた。
エメラルドグリーンが赤い限り英子さんは帰れない。
だけどわたしは色を選べばなんとかなる。

そのはずだった。

風は強いが、雨はやんでいた。
品川駅は電車が全部止まっていて、構内も駅前も復旧を待つ人ごみで真っ黒に溢れかえっていた。

桃色の都営浅草線も、改札に入れずに真っ赤な顔で押しくらまんじゅうをしている人たちでいっぱいだった。

わたしはお隣の田町駅まで歩くことにした。

二十分強の距離だから大したことないのに、なぜか田町駅までに限っては延々と遠い道のりに思ってしまうのだった。

だけど田町駅まで行けば、都営三田線が凛々しく揺るぎない青色でわたしを待っていてくれるに違いない。

根拠もなく、そう信じていた。

海風の強風につかの間煽られながら歩きはじめると、英子さんからメールの返信が届けられた。

どうやら、ウカイして大手町までたどり着いたけれど、そこで立ち止まってしまったらしい。

そこから先がなんであれ、わたしよりも先を越されてしまっていたことを知って顔が青くなった。

余裕シャクシャク、のつもりだったのに。

わたしは路線図を頭に描き直した。
都営三田線は、大手町駅で交差している数々の色のなかでも、きわめて謙虚に、物静かな剣士のように、まっすぐに駅を貫いていた。

立ち往生していた英子さんから、丸ノ内線でお茶の水まで出てカフェに退避することにしたという連絡が届いた。

丸ノ内線はもとから真っ赤なので、他の色が赤くなると止まってしまうよりも、多少、耐性があるのかもしれない。

英子さんのエメラルドがルビーのように赤く光っているうちは、まだしばらくそこにいる、とのことだった。
それなら、そこが通り道のわたしとタイミングが合えば、合流しようかと話がまとまっていた。

ところが、ようやくたどり着いた三田線は、改札口に赤い文字で「運転見合せ」を浮かび上がらせていた。

背中に「警視庁」の文字が書かれた濃紺のジャンパーを着た人たちが大勢、誘導や案内に奔走していた。

その中のひとりが黒い無線でなにやら確認していたのを、わたしは聞いていた。

「山手線が、これから、復旧する見込み」

その人は、それをあらためて皆に向かって大声で案内し直した。

山手線に向かい始める黒々とした人の川から外れて、わたしはまっすぐに、地上を歩きはじめた。

「これから」と「見込み」が、どれだけの時間をさしているのかわからなかったし、信用できても、駅内の溢れかえる人で、入場規制がかかったりするかもしれない。

三田線の青色の川を遡るように沿って、目指すは真っ正面に橙色に輝いている東京タワー。

まさかと思っていたが、震災の夜の再来のようだった。
あの日の夜も、東京タワーを目指して歩いた。

違うのは、逆らうような人の流れがないことだった。

自分のペースで、どんどん歩ける。
地面の下には、三田線の青い川筋が流れている。出口から出てくる人と出くわす度に、まだ動いていないか尋ねたりする。

芝公園、御成門。

増上寺の前を抜けると、東京タワーはわたしの背後へと立ち位置が入れ替わる。

「伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さまへは月参(いせへななたびくまのへさんど、あたごさまへはつきまいり)」

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に出てくる一説を口に呟く。

その愛宕さま(神社)までやって来た。
もしもこの風のなか「出世の階段」を駆け上がったら、果たして頂上まで無事にたどり着けるだろうか、などと無茶なことを考えてみた。

夜闇にぱっくりと真っ黒な口を開けた鳥居の向こうで、巌然とわたしを拒むように切り立った石段が見下ろしていた。

そろそろ新橋のあたりだと思い出して、横路の先に見える山手線の高架をうかがうと、ちょうど「SL広場」に続く通りだった。

銀色にうぐいす色の線の車体が、引っ張られてゆく。

「あっ」

ホームに人が溢れている様子はない。
溢れていたってかまうもんか。
あと二十分と少し歩けば神田に着いて、今から動き出したばかりの山手線にスムーズに乗れたとして、お茶の水までゆくのに十五分くらい。

微妙だ。

スムーズにゆく可能性は、低いと思った。
だけど、そんな頭の中身とは別に、身体が赤い警告灯をピカピカ回転させていた。

SL広場のSLは、街灯りをてらてらと反射して黒光りしていた。

まるで、この街では来るあてのないジョバンニとカムパネルラが乗車するのを、いつまでも律儀に待っているかのように見えた。

わたしが停車場、いやホームにあがると、折しも電車が滑り込んできたところだった。
ホームに人が溢れていることも、電車がとても乗り切れないほどぎゅうぎゅうになっていることもなかった。

むしろ朝の通勤電車の方が息苦しいくらいだった山手線に、わたしは揺られていた。
秋葉原で降りると、ようやく気持ちが楽になった。そしてあと少しで、身体が赤色灯を回転させる余力すらなくなりそうなのを感じていた。

万世橋のたもとで赤レンガの旧鉄道博物館を眺めながら、まだ止まったままの黄色い総武線の線路沿いを歩きはじめる。

ゆるゆると交差するように登る坂道が、最後の試練だった。

この坂をのぼれば。

聖なる橋と銘打たれた「聖橋」にたどり着き、左手には緑青のドーム屋根をかぶった聖ニコライ堂がわたしを見下ろしていた。

ようやく、たどり着いた青い看板の店内にはいると、英子さんが待っていた。

半ば放心状態で向かいの席に座り込み、ぐったりしていたわたしをみた彼女は本気で心配そうな顔をした。

「もうトシなんだから、無理しない方がいいよ?」

同い年に言われると、痛切に身にに染みてくる。
反論する気力ももう底をついていたわたしは、「おかしいなぁ、こんなはずはないんだこどなぁ」と、千代田線が復旧してグリーンになるまでずっと首をかしげていた。

「ここ(お茶の水)からなら、もう普段から歩いて帰る距離だから」

本当にいつもの感覚で言っていることが、この日に限っては、本当にたんなる虚勢にしか過ぎないものになっていた。

それほどにまで疲労困憊だった台風の夜に、もしもただそれだけだったら最低な真っ暗闇な夜だったかもしれないけれど、英子さんと会えたことが唯一の救いかもしれない。

千代田線が無事グリーンになり、一緒に帰ったけれど、わたしだけ先に根津で降りて、そのまま走り去る電車の英子さんを見送った。

地上は、台風などどこ吹く風で、灰色のちぎれ雲が流れているくらいで、その灰色加減がなんだかいとおしく見えたりした。

そんな台風一過。



2011年09月19日(月) 「犬の生活」「キッド」

「犬の生活」
「キッド」

をギンレイにて。

チャプリンの無声映画の二作品である。

中学か高校の頃、チャプリン作品を全部観ようと決意しかけて、しかけただけで、そのままになったことがあった。

チャプリンは、恐ろしい。

悲劇と喜劇を、同時に伝えてくる。

言葉も無しに、である。

交互に織り混ぜるくらいなら、腐るほど今の監督・役者らのなかに出来るものがいるだろう。

では、同時に、いったい誰が出来る?

これらの感傷は、わたしの個人的なものに発生したものであるから、根拠は何もない。

十代に観て感じたものは、ただひたすら絶妙な間と切り返しのコミカルさであった。

香港のジャッキー・チェン作品に惹かれたのも、同じである。

真剣に滑稽に、そこにあるもので目まぐるしく、小気味良く、観ているものを引き込んでゆく。

チャプリンはそこに、哀しさを笑いで塗り潰して見せているように、わたしは感じてしまうのである。



言葉も無しに、反則だ。



言葉がないからこそ、やってのけられた。



考えれば考えるほど、奥歯が軋む。



身の程知らずの物言いだが、

チャプリン、ぶっ潰す!

いや。
潰すとかの問題ではない。

訂正しよう。

チャプリン、上等!

もはや意味がわからない。
すっかり迷走の様相を呈している。

つまりは、そんな心意気である、ということである。



人並みにやることよりも、こんなことを言っているから駄目なのだろう。

つまらないことだが、友に告白しよう。

とんかつ屋で、ひと切れ交換しよう、と言われて交換したひと切れを食べたとき、歯応えの無さに

「ああ、メンチだったんだっけ」

と思い違いに笑ったが、実は、

(なにっ、まさか衣だけのところを敢えてよこしやがったのかっ!?
なんたる手練れ!?)

と、あり得ぬことを一瞬、思ってしまったのである。

リアクションに若干の間があったのは、それが本当の理由である。

これで、少しすっきりした。

あとは「d」の由来だけだったが、まあ、もうそれは前回そのままでアップしてしまったので急ぎはしない。
肝心な今さらなところをすっかり忘れてしまったわたしに対して、もしも遺憾に思ってしまったのであったなら、深く陳謝したいと思っているところである。



肉食後は、どうも血の気が荒くなってしまうようである。

唐揚げとチキンカツを食べて、チキンハートに倣おうと思う次第である。



2011年09月18日(日) 「CARRY THE FIRE」CARRY THE VIRUS

篠原美也子ワンマンライブ
「CARRY THE FIRE」
Shibuya O-WEST

長い夢から覚めた後で――。

ぼんやり見ていた手のひらに残っていたものを、ぎゅっと握り締めてきました。

「愛してる」

まさかこの曲で最後を締めくくるなんて。

わたしは、握り締めた手の親指だけを立てて、トントンと胸を叩きました。



ここに、しっかりと。

――ありがとう。



昼前に、妻子を泣く泣く名古屋に残して単身参戦しにきた我が友AKB……AK「D」と合流し、そして数年振りに参戦することになった英子さんとの待ち合わせに向かいました。

ふたりはおよそ四、五年振りの再会です。
いや、少なく見積もって、ですけれど。

わたしが最初に「おいーっす」とゆくのは、演出がなってない。
待ち合わせは有楽町です。
人混みの向こうで、互いが気付いて、「わあ、久し振り!」

うん。
これで行こう。

と、思いました。
Dは背丈があるので、わたしのように人混みに埋もれてしまうことはあまりありません。

はい。
はっきりとわかる、
「凸凹」コンビです。
普段はまったく気になりませんが。

こちらに気が付きそうになる少し手前で、わたしは英子さんから見てDの背後に隠れる位置を保ちながら、そろそろと近付いてゆきました。

あ、こちらに気が付いた。
英子さんまでは三メートルくらいあったでしょうか、完全にDの背中に「すっぽり」と自分の姿が隠れきってしまうのがわかりました。

……でけぇ。

思惑以上のハマり具合に、Dとの身長差をあらためて気付かされてしまいました。

「ぜったい、蹴ってやる」

某人気刑事ドラマの深津絵里さんの台詞がとてもよく似合う気持ちでした。

蹴る役は、わたしではなくDの奥さまにお任せしようと思います。

それはさておき、すっかり中学時代の思い出話で盛り上がってしまいました。

思い返すと、皆十年来の付き合いの仲間たちのなかで、こうして思い出話ばかりで盛り上がれる機会は、なかなかなくなっていたような気がします。

すでにそこは何度も通り過ぎてきてしまい、またその頃を思い出して話すよい機会がいったいいつなのか、わたしはとっくに見失ってしまっていたのかもしれません。

最近の話も、今の話も、これからの話も、そればかりしようと話題を探したりしてました。

あの頃と今は、お互い立場も状況も、先にあるものも今身近にあるものも、皆、違います。
違うのだから、察しあうことはできても、深く分かち合い共有できるものとはやはり違うのです。

皆が共有しているものとは、皆が一緒に過ごしていた時間での出来事なのです。

思い出話ばかりを重宝しているのではなく、久し振りにそんな単純なことを忘れていたことに気付かせてくれたこの機会に、Dと英子さんの再会の場に居合わせることが出来たことに、感謝します。

そして衝撃の告白をされてショックを受けただろうDに、慰めの言葉を――。

「立派な生徒会長だったのを、他のみんなはちゃんと知っててくれてるからな!」

彼女らしいところです。
愛嬌のひとつです。
数年後、きっとまた、同じ衝撃の告白を繰り返してくれるだろうと思います。

「え? そうだったっけ……」
「この話、何度目だよぉ……」
「ごめんごめん。よし、もう大丈夫( ̄▽ ̄;)V」

そしてその数年後にも、また同じ告白を……お願いします。

ご本人さまからのクレームがございましたら、わたくし、真摯に受け付ける所存でございます。
m(_ _;)m

さて、いよいよ。

篠原美也子さんのライヴです。

room493用語でいう「戦前派」である彼女には気になることがありました。

「戦前派」というのは、篠原美也子がメジャーレコード会社に所属していた頃からのファンを意味します。
対してインディーズになってからのファンを「戦後派」といいます。

英子さんが聴き込んでいた頃までの楽曲を、今回どれだけ聴かせてもらえるんだろう、という不安です。

初めて聴く曲を敬遠しているわけではなく、安心感に対して、です。



長い夢のその後では――。



三人とも、いや、会場内のすべての人が、

夢が覚めてしまった寂しさよりも、
観たその素晴らしき夢の感動を――。

きっと抱き締めていたに違いありません。

三人珈琲を飲みながら余韻に浸り、また思い出の浜から舟を漕ぎ出し、波乗りかき氷、not yet――。

帰りの山手線でぐるりと半周するまでが、三人に残された最後のひとときでした。

Dと英子さんはパドリング、テイクオフ、ジャックナイフ、パイプライン、シザーズ、ドロップ、と波乗り真っ最中です。

しかしわたしは、徐々に押し寄せてくる違う波に、気を奪われてしまっていたのです。

CARRY THE FIRE――。

火をもて、肉を寄越せ。

英子さんを乗せて発車する電車を見送った後、Dと肉の宴です。

英子さんも一緒にできればよかったのですが残念でした。

願わくば――。
この思い届くように。

遠ざかってゆく車窓の英子さんを想像しながら、のつもりが、たちどころに、目の前のお肉の宝石のような輝きに心奪われてしまいました。

ああ。
持つべき友は、旧き友――。

網の上で奪うべくフライングゲットする必要もなく、ちょいちょいとキラキラしたジュエルミートをわたしの皿に分けてくれるD。

僕がキミ(肉)に恋を、恋をしてるのは鉄板――。

幸せです。

我が家に帰り、「篠」繋がりにこじつけて録画してとっておいた番組の上映会です。
かなり深い時間になってしまいましたが、栄のあの素敵な方を紹介でき、気に入ってもらえたようなのでほっとひと安心です。

感染は着実に進めてゆくつもりです。

英子さんが心配して、別れた後にメールをくれました。

「その話ばかりして、Dくんは眠くなっちゃうんじゃない?」

眠くなれば、催眠がかかりやすくなります。
無防備な脳に、刷り込みます。

それは、もってこいな状態なのです。

もとよりハマれば凝り性のDです。

ふっふっふっ――。

さあDよ!
目覚めるのだっ!

そして次は英子さんを……。
(*`◇)<毒毒毒毒*_*;)

☆(゜o´(○=(-_-○

バッサリ返されそうなので、慎重にゆきたいと思います。



2011年09月11日(日) 「キッズ・オールライト」「別冊 図書館戦争�供�

「キッズ・オールライト」

をギンレイにて。

ジュールスとニックはレズビアンカップル。そしてそれぞれが精子バンクを利用して長女ジョニと弟レイザーをもうけ四人家族で仲良く暮らしていた。

しかしジョニが18歳の誕生日を機に、レイザーが精子提供者と会ってみたい、と言い出して会うことになる。

初めて会った父親のポールは、有機野菜レストランのオーナーだった。
何の問題もなく対面を済ませ、やがて親交を深めてゆくようになるにつれ……。

ジュールスと関係をもってしまう。

そしてそれがニックに、そして子供たちにもばれてしまい、家族に亀裂が入ってしまう。

世間とは違った家族だが、家族であることに何ら違いはない。
家族の風景を描いた物語。



ジュールスに本気になってしまったポールが家に訪ねてきてニックに言われる台詞がある。

「家族が欲しいなら、自分で作ってちょうだい」

突然現れた娘と息子。
ふたりともなかなかうまくやっていけてる気になり、母親のジュールスとも、もちろん関係をもつような関係にもなった。

これはひょっとして。

にわかに家族が手に入って幸せな日々が送れるんじゃ……。

その少し前。
ジュールスはジャニがいいつけを破ったことを強く叱り、ポールが「ルールを少し緩くしてあげたら」と口を出した時にピシャリと言い放った。

「18年間、子どもを育ててないあなたが言ったって、わたしには何の意味も感じないわ」
この台詞が、ここにきて、それまでの印象からガラリと変えさせられてしまう。

わざわざゲイ・カップルの子どももいる家族を描いた理由がわからなかったが、まあ、難しいことは考えずに気楽に観られる作品である。

さて。

有川浩著「別冊 図書館戦争�供�

「図書館戦争」シリーズの登場人物らで、クセのないヤツラは一人もいない。

その中でも、おそらくこれ以上の難物はいないだろう二人が結ばれる契機になったエピソードを描いた物語である。

才色兼備、あらゆる情報をどこからか集め、その情報をこれ以上ないほどに分析し活用できる柴崎。

図書隊特殊部隊の精鋭にして容姿端麗、頭脳明晰、しかしカタブツで不器用モノの手塚。

だぁかぁらぁ。
はやく、
くっついちゃいなさいなっ!

といった焦れったさ加減は、先に結ばれた堂上夫婦にひけをとらなかったのである。

きっかけとなったのは、ストーカー事件である。

しかも最初は一般の図書館の来館者からはじまり、その解決がやがて同じ組織内の者によるさらに陰湿で過激で暴力的なものを呼び起こさせてしまう。

そんなこんなの事件を乗り越え、二人はようやく、相手が好きであるという自分の気持ちを、お互い自身が認め合うのである。

自分自身のことにはとんと疎い、というのも、なかなか困り者である。

こうしてカップルが結ばれてゆくと、この際だから、と、他の隊員隊長らの事情も放ってはおけない。

何よりも現場の一線で戦う玄田隊長と、出版社で表現の自由のために戦っている折口さんの二人はどうなるのか、かなり気になる。

「還暦迎えて、お互いにまだいい相手がいなかったら、その時一緒になろう」

本当にその時までかかるのだろうか?

「図書の自由のために人生を捧げ、また、愛妻を失ってしまった」生ける伝説の稲嶺元司令との碁をうちながらの会話が、いい。

稲嶺がまだ妻が健在の頃に、囲碁の段位認定にかかる費用が予定より高くなり、用意していた手持ちでは足りなくなってしまった。
妻に相談もせず銀行からおろして間に合わせたが、当然、妻から後で怒られてしまった。

たとえどんなことでも、まずは話してもらえなかったことが。

「わたしが「ダメ」と言うかもしれない、だから言わなかった」ことが悲しい。

端的に言えば、関係者らのそんなのろけ話が披露され、玄田はもはや投了である。

帰りの道すがら、携帯を取り出しながら折口へのプロポーズの言葉を考える。

「指輪のサイズは、昔のままか?」

特殊部隊の猛者どもを束ねる豪快な彼らしい。

そんなわけないでしょ?

受話器の向こうで、折口は目尻を指で拭いながら笑って答えるだろう。

きっと。

お互いが「共に戦っている」という意識が、二人を強い絆で結び付ける。

それは「働いてる、働いてない」だとか「育児してる、してない」だとかではなく。

「同じ場所に、二人は立っているか」

ということでよいのだと思う。

「図書館戦争シリーズ」は、単純明快で、しかし決して役に立たないような単なるエンタメ作品には終わらない秀作である。

著者の有川浩は女性であるから、もちろん一般女性が読んでも存分に楽しめる。

最近だと映画「阪急電車」の原作者、といえば取っ付きやすいかもしれない。

ぜひ手にとってみてもらいたいシリーズ作品である。



2011年09月10日(土) 「別冊図書館戦争�機�

有川浩著「別冊 図書館戦争�機�

本編完結後、とりわけ読者が食い付きたいエピソードを取り上げた「激しく甘く」そして「悶々苛々」させられる物語である。

図書の自由・権利を、不当な規制・検閲から守るべく組織された「図書隊」の、さらに最前線で戦う特殊部隊。
堂上班長と特殊部隊初の女性隊員である笠原郁は、常に隊内でも評判のお騒がせ師弟コンビであった。

街の本屋で不意討ちの「検閲」に巻き込まれ、楽しみにしていた本を取り上げられそうになった高校生の郁。
そこに颯爽と現れて、郁と本を救ってくれた図書隊の「王子様」が堂上だったのである。

王子様に憧れ、追いかけて図書隊に入隊した郁だったが、堂上本人が「王子様」とはまったく気が付かずにいたのである。

しかし周囲の隊員は皆、そのことはわかっていて、ふたりの関係を厳しくもやさしくあたたかく見守っていたのであった。

そうしてとある作家の護衛任務中の激戦中に堂上が深傷を負い、郁に自分をおいて行けと命ずる。

「無事に帰ってきたら、ちゃんと「好き」って告白しますからっ!」

郁は約束し、やがて任務を完遂したが、その後堂上は病院に入院したまま予断をゆるさない状態が続いていた。

ようやく面会が許される状態にまで回復し、同僚の隊員らも見舞いにゆくことができてホッとひと安心。

そのあたりからのお話である。

こういったカタカナ表現は好きではないが、純粋培養無垢娘(体育会系)のラブラブが「デフォルト」である。

「デフォルト」などという言葉使いに逆毛がたってしまうわたしは、器が小さい偏屈者かもしれない。

そはさておき。

自衛隊的厳しい職場内恋愛である。
しかも上官と部下。
まさに「甘酸っぱい」ことこの上ない。

職務中の危機迫った時に、「笠原」ではなく「郁」と名前で叫んでしまう。

立場上部下を叱らねばならないが、「そんなお前を好きになったんだから仕方がない」と言われたり。

「躊躇う」のは拒んではいないことだとわかっていても、「怯えられる」のは正直傷付く、だの。

ごちそうさま。

の世界である。
しかし、きちんと社会の問題を提議することも忘れてはいない。

「検閲」を正々堂々と、「差別的表現」を使わずに表現する戦い方をしている作家の物語や。

我が子にどうしてもDVをしてしまう母子の物語や。

聴覚に障害がある方たちに対して社会が与えている緊急時での問題。
震災の火災など、放送とピカピカ光るだけの非常灯では、何も伝えられないこと等である。

障害者に常に介護者や付き添いが付いてはいられないことは、実社会における現実的な問題である。
お金も、人も、限られている。

だから、自立して過ごさなければならない時間ができる。

友人や家族で補えればよいが、そうはいかないのが現実なのである。

そういったことを、有川浩は忘れずに読者に伝えようとしているのである。

本シリーズのきっかけにもなった、実際の図書館に掲げられている

「図書館の自由に関する宣言」

というのがある。

図書館に行かれる機会があったら、ぜひ館内を探して見てみてもらいたい。

そして、シリーズをたっぷりと楽しんでいただきたいところである。



2011年09月08日(木) 災いを呼ぶ男

「無事に帰ってきたんですね!」
(よかったぁ)

()内は、わたしの勝手な註釈である。

二週に一度だと、すでに三週前の旅ということになる。イ氏には前回で大体の話はしてあるが、写真はなかったのである。

「写真とか、ないんですか?」
「ふっふっふ、今回はちゃんと(あなたのために)あるんですよ」

()内は、わたしの勝手な註釈である。

「じゃあ後で一緒に……」

「やっぱりちょっとだけ、今見てもいいですか?」
(ふたりでゆっくり見たいから、先にちょっとだけ)

今はすでに懐かしく笑って語れる過酷な熊野路の写真をぱらぱらとめくってゆく。

えっ、これ川じゃないんですか?
雨水が流れてるだけで、道なんです。
こんなのただの石が置いてあるだけじゃないですか!?
これが古道の「石畳」の道なんです。

「本当に険しいんですね、でも……」

「目の前で(一緒に)見たいなぁ」

()内は、わたしの勝手な妄想、いや註釈である。

「きみは、「嵐を呼ぶ男」だねぇ」

イ氏の開口一番である。
わたしの妄想劇場も呆気なく幕を閉じた。

そう。
わたしは「災いを呼ぶ男」

先日の台風上陸でニュースで見たひとも多いだろう。

熊野那智大社が土砂崩れで埋もれ、さらに那智勝浦町や新宮市では70名近くの死者・不明者など甚大な被害を受け、そして今もなお災害の危険にさらされている。

まさにわたしが訪れた街での、胸が苦しくなる知らせであった。

「五、六年前に「遠野」に行ったときも、そうだったんです」

帰ってきてしばらくしたら「宮城県沖地震(2005年)」が起きてしまったのである。

旅した先全てが、というわけではない。

わたしが何も災いに遭わなかったところが、どうやら当てはまってしまっているような気がする。

デジカメが壊れた。
違反キップを切られた。
携帯が壊れた。

たかがその程度のことと災害を一緒にしてはいけない。

気のせいである。

「これ読めた?」

イ氏が田丸さんに振り返る。

「ヤタガラス、ですよね」
(ふふ、さっきふたりで話したばかりだものね?)

くどいようだが。

()内は、わたしの勝手な妄想である。

もしもこれが読めなかったとしたら、わたしはとてつもなく、悲しい気分にうちひしがれてしまったであろう。

「神武天皇の東征を成功させた三本足のカラスってなってるけどさ、実は……」

ああ。
それを話し出してしまったら、いけない。

熊野の氏族の内通者を暗に示している、と言われているのである。

カラスは黒い。
隠密、密告者など、暗部を例えるのにもってこいである。

なかなか見つからない征伐の相手であった元からの熊野の氏族の住処を見つけ、一網打尽に滅ぼし、平定する。

功績をたたえて名を残してやろうとも、それでは未来永劫、その一族が明確な怨みの対象となってしまうことになる。

そこで、例えて伏せた、というのである。

三本足のカラスが誰かさんを道案内した、という程度しか知らないのが普通であり、またそれが殺戮の話だったりなどとはつゆとも思わせない挿話である。

田丸さんはきょとんとした顔で「そうなんですか?」と相づちをうつだけである。

大国主命の「国譲り」神話も、要は元から住んでいた氏族を新しい氏族が十重二十重に取囲んだ。
最期の籠城と臨み抵抗したが、「塵ひとつ残らぬまで滅してやろうか」と迫られ、「無下に命を散らすのは愚である。降伏しよう」となった史実が元になっているという。

わたしも正しく詳しくは知らないが、このような解釈や説を全く聞いたことがないと、「はあ」のひと言が精一杯である。

「でも何で、当時の人たちはこんなのにこんなにまでして、何を祈ったんだろうかね?」

イ氏がわたしにどの解を求めているのか。

「過去、現在、未来の救済らしいですけどねぇ」

チラリと田丸さんを横目で見ると、へえぇと聞いていた。

元々は違うだろう。

はじまりは、自然信仰である。
付き出す男性器の象徴である巨石(神倉神社のゴトビキ岩)に、潤い滴る女性器の象徴である滝(那智の滝)を信仰するのはつまり、子孫繁栄と生命力を願うものである。

現在とは比べ物にならない平均寿命、出生率、生存率などを、祈ることでしか頼る術がなかった時代からはじまっているのである。

これくらいの表現ならば、田丸さんが聞いていても不快には思わなかったかもしれない。

しかし、小心者が避けてしまったのである。

イ氏はおそらく、こちらの方を求めていたに違いない。
この年齢で何を躊躇しているのか、と苦笑いしてしまう。

「まだ台風被害がすごいらしいねぇ。あなたが行くとこは、これから気を付けなくちゃね」

イ氏が話を蒸し返す。

しかし、逆である。
何か起こる前に、わたしは本能で行く先を選んでいるに違いない。

行くべきとこへ、行くべきときに、行っているということでもあるのかもしれない。

「出かける前に、ちゃんと行く先をお知らせすることにします」

よろしくね、とイ氏は笑う。



「俺は、「災いを呼ぶ男」「凶運の持ち主」なんて人には呼ばれちゃいるが、つまりは、ただ者じゃあないってことさ!」

「なにせ、生まれたばかりの俺の手には玉石が……」

握られていたわけがない、わたしである。

わたしは追っ手をまくように、(ルードの)大森へと急ぎ足で向かったのである。



2011年09月03日(土) ジンジンと

恥の多い生涯を
送って来ました。
自分には、
人間の生活というものが、
見当つかないのです。

(太宰治「人間失格」より)



舌の根が、チクチクとしたのです。

閻魔大王が青鬼を従えて、わたしの舌を品定めしているような錯覚に陥ります。

いいや、違います。

原因は、ポテトチップスでした。

わたしは、スナック菓子は映画館でしか食べません。
それなのに、誕生日を前にして、なぜか買って帰ってしまったのです。

ポテトチップスの「プレミアム」です。

給料日でもないのに、「プレミアム」です。

しかしわたしには、それを見とがめて注意する教頭先生もいません。

だから、そのバチが当たったのでしょう。

しみたり、痛みはなかったのです。
だから早めに歯医者に行きました。誕生日当日の夕方にしか、予約がとれませんでした。

痛みがないので、悪化しないように飲食をすればよいだけです。

当日。

再来週に迫った一大イベント

篠原美也子ワンマンライヴ
「花の名前」

に、数年ぶりに行く気になったすず子さんと昼食をとることになってました。

ブランク期間の篠原さんのアルバムを、いくつか聴いておいてもらった方がよいに違いないからです。

ついでなので、熊野のお土産も渡しました。

「「クミコ」さんって、誰?」
「知らん」

和歌山県でよく見かける「クミコの幸せ」という、梅果汁をたっぷり使ったグミです。

「私が梅を、南紅梅が特に好きって知ってるなんて、さすが」
「……も、モチロンさ」

知りませんでした。
ただ土産物屋で目が合って、なぜか離せなくて、買って帰っとくか、と買った物でした。

本能がわたしを救ってくれたのかもしれません。

しかし、

モチロンジャナイカ、何年ノツキアイニナルト、思ッテルノサ。
アハ、アハ、アハハ……。

あからさまなアヤシイわたしの口調に、すぐにバレてしまいました。

だから何、ということも勿論ありません。
そういえば、各人の好きな食べ物とかを、わたしはあまり知らないことに今さらながら気が付きました。

今度そういう「今さら」な話も、集まったときにしましょう。

それにしても、何故かわたしは「よさこい」への熱い想いばかりをすず子さんに話して、それ以外の話をしてませんでした。

不覚です。

しかしわたしの熱い想いは、なかなかうまく伝えることが出来なかった気がしていました。

高知の「よさこい祭り」と原宿表参道の「スーパーよさこい」のオフィシャルDVDを買うか迷っている、という話をしたとき、

「買っちゃえば、私だって貸して貰えるじゃん」

おおっ。

嬉しさと共に、ひとつの後悔が。

篠原さんのアルバムの他に、秋葉原のDVDを紛れ込ませとこうか迷い、やめてしまっていたのです。

ひょっとしたら名友のように、頭のなかを「メイビー、メイビー」と感染させることができたのかもしれません。

ああ、ここで恥を明かしてしまいました。
そうなれば、ついで、です。

わたしは今日の日を迎えるにあたり、遠大な計画を練っていたのです。

ひとり豪勢に家焼肉という、自虐と背徳と甘美な悦楽の夜を送ろうと、色々取り寄せていました。
そのことをこっそり、すず子さんに打ち明けました。

大したことじゃない。

その後休日出勤だというすず子さんはすぐに地下鉄へ向かいました。

触れず当たらず慰めず。

素敵な友です。

さて、わたしは甘くみていました。

夕方の歯の治療をです。

歯の詰め物は一度の治療で終わるとは思ってませんでしたが、さほど響くことはないだろうと。

治療が終わり、「固いものはあまりこちら側で噛まないようにね」との注意に、「ふわぁい」とまだ麻酔が効いた口で返事を。

麻酔が効いていたせいなのかもしれません。
わたしの理性のタガも麻痺してしまっていました。

また、恥を明かします。

歯医者の帰りに、わたしは、日暮里駅に向かっていました。

「ショコラティエ
イナムラショウゾウ」

です。

本当に、美味しいのです。
チョコレート専門の、カフェも併設されたお店なのですが。

ひと口、

「うんまぁい」

と笑みと幸せがこぼれ落ちるほど、美味しいのです。

しっかりチョコ。
このチョコの海に溺れたい。

しかしくどいわけでなく、次から次へと口へ運びたくなる衝動をこらえながら、ひと口ひと口を口中に染み渡らせながら、名残惜しげに食すのが大変なくらい美味しいのです。

そんなチョコケーキを、買って帰ったのです。

さも「誰かと食べる」かのように二切れ。

恥を恥で上塗りするような行為かもしれません。
しかし、それなりの見栄を張らなければ、わたしに何があるのでしょうか。

昼食以降、もちろん何も食べていませんでした。
空腹の極みになった状態で、ケモノの内臓を喰らい、満たしてゆくことこそが、歪んだ至福をも満たす手段のつもりだったのです。

しかし。

夢はやがていつか覚めるときがくるように、麻酔もさらに確実に、しかも必ず早い時期に覚めてゆくものです。

冷凍されていた内臓肉を流水で解凍して待っていると、肉汁が柔らかくなりすっかり溶けた頃、わたしの奥歯もすっかり解けてしまっていたのです。

ジンジンと疼きだしたのです。

何かを食べるどころではありませんでした。
それでも、やがてはおさまるはず。

翌日は日曜日だから、朝はどうにでもなります。そう思って深夜まで待っていました。

グルルと腹が鳴く度に、わたしは切なくなりました。

わたしの遠大な計画とやらいう愚かな企みは成し遂げられることがなくなったのです。

翌日は無事、一日遅れにはなりましたが、どちらも食べることが出来ました。
しかし、まさにこれは、恥の上に恥を塗り重ねたようなものです。

それでも。

至福は至福として感じることが出来たのです。

人間、まだまだ捨てたものではないのかもしれません。

四周目の始まりです。

こんなわたしに祝いの言葉をくれた素晴らしき皆さんには、まだまだ長くお付き合いいただきたく思います。

深く、感謝。


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