2009年05月31日(日) |
「モンテーニュ通りのカフェ」 |
「モンテーニュ通りのカフェ」
をギンレイにて。 フランスの映画は、どうしてなかなか、好いものです。
やっぱり、洒落ているのです。
洒落ているといってもそれは、格好良い、という意味ではなく、軽妙、というか、センスが好い、のです。
読んではいませんが、某著に「お金がなくても平気なフランス人。お金があっても心配な日本人」というのがありますが、おそらくそこのところにセンス(感覚)の違いがあり、惹かれるのかもしれません。
金なら、ない。
部屋の賃貸情報を、ここしばらく漁ってみてました。
そして、よほどのメリット、というものが見当たらないことに気づきました。
仮住まい、のつもりで四年も暮らしてりゃあ、六年八年もいっしょのように思ってきたのです。
よし、きちんと「住む」部屋にしよう、「寝る」ためだけの部屋ではなく(汗)
せめて、せっかくの肉の宴のあと、布団がないから、と時間を気にさせてしまうことがない程度に(爆)
布団くらい、ちょいと買ってしまえばよいのだけれど、いくら真友とはいえ、許せ、なんか悔しいのだ、と(爆)
まあ、いいんですけどねぇ。 野郎ふたりっきりで、一晩過ごすのも、て、別にやおいネタではなく(爆爆)、家族のいる宅でのんびり疲れをとってもらって、翌日は全快復の状態で挑んでもらいたいし(汗)
ぷち栗本さんな文調になったようですが、まあ気になさらずに、そんなときもあるということで、また(爆)
名も無き小さな画伯の作品をみつけたのである。
雨上がりのひんやりとした路地の空気に誘われ、一本裏の軒下を選んでみたのであるが、なんとも素晴らしい出会いである。
激しく夜の屋根を叩いていた雨に閉じ込められ、うずうずとうずいていたに違いない。
キャンバスが車の通れるような広いものでは、なかなか、このような活動的な構図で描けない。
玄関を開けたら思わず踏みつけてしまうような、この加減がよいのである。
名も無き、さすらいの評論家を見かけたので、感想をたずねてみたところ、
「吾輩は猫である。崇高なる思索のさなかを不用意に邪魔だてするのは感心できん」
目を縦に細くしてにらまれてしまったのである。
ふむ。 昼のその時刻を指すとは、なかなか正確な時計を兼ねているとみえる。
「にゃんだとう」
いやいや、先生。 午睡のお時間ですか、欠伸をされるとは。
かまってなぞいられぬ、と伏せて目を閉じてしまった。
ネコが、寝込む。
舌好調のようである。
じつは先日、CDをまとめ買いしました。
YUI
です。
映画「タイヨウのうた」で初めて見聞きし、それ以来です。
とりあえず篠原さんも石野田なっちゃんも、今は休憩です。
オンリー・ユイ
ですが、聴いてるにつれて、なぜ彼女の歌声は「儚げ」に響いてくるのでしょうか。
困った眉、に魅せられやすい自分に、歯がユイわたしです。
当分、
YUIが、独song
です。
さて。
栗本薫さんが、亡くなられました。
長い闘病生活のなかで、人外人の執筆活動のみならず、様々な活動をされてました。
とりわけわたしにとって、「グイン・サーガ」の作者として、隔月刊ペースで十分に楽しみを与えていただいてました。
連載期間でおよそ三十年にかかるでしょうか。 本編外伝を合わせて百五十巻を越え、いまだに物語は続いておりました。
栗本さんは、百巻完結が無理だとわかったときから、
じゃあ二百巻完結を目指しといて、それでもまた無理かもしれないけれど、この際、死ぬまで書き続けて、それまでには完結させたいと思います。
といったような、ライフワーク宣言をされてました。
そうです。
まだ物語は完結しておりません。 どうなるのでしょう。
しかし、グイン・サーガの世界の歴史は、そう、歴史なのです。
歴史はすでに、あるのです。
それを栗本さんが、吟遊詩人が広く物語り伝え広めるように、語っているのです。
あらかたの歴史の結果は、外伝や扉の伝承文などで触れられているのです。
そこへ辿る道筋。
彩ってゆく登場人物や英雄豪傑たちが、魅力のすべてなのです。
彼らのサーガを、まだまだずっと、聞かせて欲しかった。
しかし。
癌との度重なる闘いのなか、よくぞ、という現実のなかを生き抜き、書き抜いていた日々。
真似は到底できないけれど、背中を見て思い描くことはできます。
天上天下 唯我独尊
三界皆苦 吾当安之
安らぎを与えられる力を培い、いつか真にそうなれるように。
2009年05月25日(月) |
「エンド・ゲーム」ってとこの |
恩田陸著「エンド・ゲーム 常野物語」
さすが恩田陸、一気に読ませる。
常野物語シリーズ第三弾。 「遠目」や「つむじ足」など不思議な能力をもつ一族である「常野一族」。 一族でも最強の力の持ち主である父と母。ふたりは、同族同士で結んではならない、という掟を破り、娘を得た。 家族は敵対する別の種族からの危険から逃げ、戦う日々が続いていた。
ただ普通の当たり前な日々を過ごしたいだけ。 襲ってくるのはいつも向こう。
その戦いの日々に、ついに終止符を打たんと、ひとの心をまるごときれいに洗い直せる「洗濯屋」のひとりと、立ち向かうことに。
……。
なんだか、とてもくだらない気持ちになってきました。
一作目は、心情的に訴える物語で、とてもよかった。
二作目は、まあ時代背景やら、まだ、よかった。
と思える、と思う。
今回は、ああ、単なる娯楽作品、になっちゃったよ。
特殊能力がどうの、なんてだけの話なら、少年ジャンプでも読んでたほうが、よっぽど創作的で面白くて爽快な気持ちになれます。
そんなものをわたしは求めて本なんか手にしたりしません。
作家として、恩田陸さんは嫌いじゃあありません。
ぐいん以外で、いわゆるSFやらミステリという匂いがするものはほとんど視野にいれる気がないわたしが、読んでみたりしているのですから。
まだ常野物語シリーズは続くようですが、微妙な、いや、ここまでかしらん……。
2009年05月24日(日) |
湯島天神大祭と「その土曜日、七時五十八分」メイビー |
湯島天神大祭である。
梅雨
とはよくいったもので、まさに湯島の梅園をしとどに濡らしていた雨はすっかりあがり、ただ葉に鮮やかさを与えたに過ぎなかったのである。
雨上がりのむせかえるような蒸し暑さはなく、むしろ涼やかにさえしてくれいたのである。
まずは男坂から境内にあがってゆくと、神輿がまさに入内してきたところであった。 両側は露店が並び、ことさらに幅が狭くなっている。
逃げ場はない。
ぴたりと店に張り付き、神輿をやり過ごす。
っせい、っせい。
後にはまだまだ次のとその次の神輿が続いている。 どうにか参道に逃げ出し、露店をぐるりと物色をすます。
物色した裏参道のひとつの店でお好み焼きを購入し、パキンと割り箸をくわえる。 もちろん路上で立ち食いである。
……っせい、っせい。
かけ声が近づいてきたのである。 まさか、と思ったのもつかの間、すぐそこに払いをすませた神輿が、こちらに向かってきたのである。
境内よりかは広いが、やはり露店が両側を占領し、逃げ場がない。
しかも、お好み焼きをかじりかけているのである。
おろおろと右か左か、露店同士の隙間にでも逃げ込もうとまごついているうちに、
っせい、っせい。 っせい、っせい。
うぎゃあぁぁぁ。
危うく、スーパーボールすくいの流水に、わたしのかじりかけのお好み焼きを流してしまうところであった。
次に巻き込まれ、今度は神輿といっしょに、っせい、と担がれないよう、大急ぎで平らげる。
表参道に戻り、ニシン蕎麦の名店、そして鳥料理の鳥つねを抜けると、そこが神輿の溜まり場になっていたのである。
皆、おのおのの神輿を置き、休んでいた。
祭りの風景、空気、がそこにある。
やはり、祭りのある風景は、よい。
「その土曜日、七時五十八分」
をギンレイにて。
これはもう、ヒドいどろどろでもなんでもない作品である。
特に取り立てて述べるまでもないので、これまでにしておこう。
さて、ギンレイの上映後、飯田橋ラムラで小用をすませ、ふう、とひと息ついていたのである。
「Hey! Hey! Hey!」
でかいザックを背負った青年が、何やらわたしのほうへやってきたのである。仮にマイケルとしよう。
「music champ?」
マイケルにはわからぬだろう下の合い言葉を、もちろん頭の中で答えてみた。
「Hah,hah!」
頭の中のマイケルは、両手を広げて涙目で笑っていたのだが、目の前のマイケルは、当然ながらそのようではなく、なつっこい顔をしてわたしに紙を見せびらかした。
「Can you speak English?」
いんぐりっしゅ、断じて、ノー、である。 しかし、ノー、と答えられるなら、少々のイエスではなかろうか。 いや。 イエスとは答えられるはずがない。
マイケルは、「オーケー、オーケー」と、とにかく話を聞いてくれ、と紙切れを指差す。
さてここで、英字からかな表記にさせていただく。わたしの力不足のせいではない。英字の力不足たるがゆえんである。
「ここに行きたいんだけど、どこかしらん」
地図であった。 そして指差していたのは、まさに日本語の地図。 しかし、今いるここ、に違いなさそうなのである。
「ここ、だと思う」
万が一誤りであっても、マイケルひとりなら、異国の街をしばしさすらうもまたよいことであろう。
「え、本当に」
聞き返されると、ちと疑心暗鬼にかられる。
「た、たぶん、ここの上」 「ここの上、ここの上なんだね。さんきゅう」
マイケルはくるりと翻して、わたしからは見えないすぐそこの角の向こうに去っていった。
「この上だってさ。この上」 「この上だって」 「本当に」
なんと、向こうに仲間のダグラスやジェシーやテッドやダンカンやベッキーらが待っていたようである。 わたしは慌て叫んだ。
「たぶん、たぶんだから。たぶん、だから」
マイケルが続いて、付け足した。
「たぶん、だってさ」 「オーケー、わかったよ。じゃあ、上に上がってみようか」
やれやれひと安心である。
2009年05月23日(土) |
「バンク・ジョブ」「御馳走帖」 |
「バンク・ジョブ」
をギンレイにて。
ロンドン市内の甘木、いや某銀行の貸金庫強奪計画を持ちかけられ、そして手に入れてしまった「英国王室のスキャンダル写真」と、おまけに、ロンドン市警内部の賄賂台帳。 それらをめぐって、三者くんずほぐれつの駆け引きを繰り広げる。
某ハリウッド作品のど派手な駆け引きの演出なんて、暑苦しいだけです。
この作品は、実際の事件を元に作られた物語、という風合いもあるせいか、いや、まあ、とにかく、
クール
なんです。 土臭いのだけれど、洒落てるんです。 よっぽど、よい作品なんです。
さて、
内田百ケン著「御馳走帖」
百ケン先生の、食にまつわる様々な随筆集。 まつわる、だから、何を食べた、だとか、思い出、だとか、憤懣、だとか、どうでもいいことだとかが、びっしりです。 郷里岡山の子供の頃の記憶と東京でのギャップだったり、こだわりだったり、もう好き放題です。
百ケン先生に、わたしはどうしてなかなか、共感してしまいます。
お金がなくて、出先で通りかかったライスカレー(だったか?)の安い店の前をうろうろと、
帰りの車代をまわしてこれを食すか。 歩いて疲れる我慢は後ほど我慢すればよい。しかし今の、ライスカレーを食したい気持ちを我慢するのは耐え難い。
そう悩んで、食した後に、
我慢と引き換えになるほどの美味さではなかった。 しかしだからといって、お代を払わないわけにはゆかない。
と悔しがったりするのです。
わたしもかつての話ですが、似たような話があります。
食事後、帰りの時間までひととき、というところで「プリンが食いたい」衝動が湧き上がり、当時の連れをまさに連れまわし歩いたのですが、時間も遅く店は見つかりませんでした。 「コージーコーナー」をようやく見つけて連れが「よかったあ」と胸をなでおろし、棒になった足をもみほぐしたところを、
「いや、プッチンプリン、が食いたい」
断固拒否のわたしに、とうとう頭頂から湯気をたて、口をへの字にぴたりと閉ざし、みごとなおかんむりに、連れは変貌をとげたのです。
コンビニもスーパーもあたりにはなく、わたしも半ば意地になっていたところもあります。
おかんむりのお大尽を送り、ようやく手にした「待望」のプッチンプリンを口にしたとき、まさに、百ケン先生の心境に近かったに違いありません。
カラメルがほんのり、苦かった思い出です。
夏目漱石著「吾輩は猫である」
今さらながら、そして、恥ずかしながら、漱石先生著作のわたしの初めての作品である。感想はまだ無い。
無いというのもまた申し訳ないので、思うところを述べてゆこう。 それが感想ではないか、と思われるかもしれないが、感想とは作品に対して思うところを述べることであって、これはそういった類いの思うところではない。
どうやら、先生、この先生とは内田百ケン先生のことであり、先生の先生である夏目漱石先生を「大先生」とすることにするが、先生の先生である大先生にして先生もまたあり、という影響を受けただろうところが、感じられた。
しかし、先生は先生である。
内田百ケン先生に似たる人物はふたりといない。
当たり前のことをこれ以上、偉そうに吹聴しても愚なだけであるのでこれでやめにしておこう。 やめねばそのまま骨の頂きまで達してしまう。
さてこれは不思議なことであるのだが、大先生の「吾輩は猫である」を拝読しだしたのは、ついぞ最近のことで、先にも述べた通り、初めて、中身を目にしたのである。
しかし、目にするより以前から、本文のようなかきくどい文章を書き連ねてきたのだが、まったくもって、本作の文体と似通ったものであったことに思い知らされたのである。
吾輩、いやわたしは、元来影響を受けたと思わないほど影響を受けやすい、まるで芯の無さそうな輩でもある。
受けるというのは、与えられて初めて受けることができるのだが、与えられた覚えが、まったく、ない。
つまりは、百ケン先生のなら覚えがありすぎるほどあるので、それにわたし元来の回りくどさが付加され、拍車をかけ、横車をひいたわだちが、たまたまぴたりと合わさってしまったかのようである。
ならばわたしも「大先生」のように、「先生」のようになれるのかというと、それはまた、まったく別問題づあり次元からして違うのである。
それはとんとわきまえているつもりである。
似ているかといえば、偏屈で頑固であること、金に困らない生活をしているわけではけっしてないこと、くらいである。
これではいかんともしがたい。
しかし。
吾輩は、吾輩である。
隣の席のササニシキ氏と、ひょんなことからプライベートの話題を交わした。
わたしは氏素性のわからないあやしげな輩ということで振る舞っているのであるが、とうとう堪忍の緒が切れたのか、ニシキ氏の追求の手がそろりそろりと、伸びはじめてきたのである。
谷中に、住んでおります。 ええっ、「谷根千」の谷中っ? いいとこ住んでんじゃんっ。 いえいえ、街はいいとこですが、住まいは茅舎といってよい有り様にしてしまってますので。 私も好きなんだ、あの街。 いいとこ、ですよ。 月一回くらい、じつは行ってるんだよ、私。 ……ぎゃふん。
ニシキ氏が、ありがたくも愛してくれている谷中の、いったいどの辺に出没されているのかを遠まわしに尋ねてゆくと、
「だんだん」から見る夕陽もまた王道だけど、好き。 ほほう。 谷中銀座を抜けて、よみせ通りを左に折れた先の、古びた中華屋さんが、またいい。 その手前の「キッチン・マロ」もなかなかあじですよ。マスターが青森の大間出身で、なのに洋食かいっ、て。 なによりいいのは、ギャラリーがあるんですよ。 いろいろ、ありますよね。して、どこでしょう。 猫のギャラリー、知ってる? (どきっ) 「乱歩゜」て、知ってる? (どきどきっ)し、知ってます。あすこも、なかなかあじのある名物喫茶店ですよね。 そうそう。その先の、裏のとこにある、「猫町ギャラリー」ていうんだけど。 はうっ。 どうしたの? ……うちの、すぐちきゃく、です。 あそこ、いいんだよっ。本当に「猫好き」による「猫好き」のための「猫好き」がやってるギャラリーでさあ。 毎朝前を通るだけで、なかには入ったことないんです。だって、ただのひとんちの玄関に入ってくみたいじゃあないですか。 そうそう。でも、本っ当に、いいんだよ……。
話題をそらさねば、と。
猫なら、谷中霊園いきゃあしょっちゅうひなたぼっこしてますよね。谷中銀座の「夕焼けだんだん」の猫も定番ですけど。 谷中霊園もいいよね。徳川慶喜のお墓を見に、朝八時に行っちゃったよ。イナムラショウゾウのケーキ土産に買って帰っちゃった。
こ、濃ゆい。
ニシキ氏は、見た目カマキリのように細く、白い。その容貌からはとても想像がつかない。
パティスリー・イナムラショウゾウの店は、寛永寺の裏手のちょっと行った先のところにある。 いつかひとりデザートの手土産を買って帰ろうと思っている。
いつもひとがいっぱいで、なかなか機会がないのが残念である。
ニシキ氏と鉢合わせしないよう細心の注意を払いつつ、休日は路地の軒先をくぐり抜け、這い出さねばならない。
猫の街は、気ままに歩くのが、良い。
朝倉かすみ著「肝、焼ける」
なんて素晴らしいっ。 これほど、爽快、痛快、それとも違う、大声で叫びたくなる衝動に駆られた作品は、久しぶりです。
頬が、ゆるゆる、うずうず、してしまっています。
不忍池の弁天様に、見せびらかして、ひけらかして、自慢して、ヤキモチを妬かせたくなります。
登場人物が、とにかく魅力的で、いや、圧倒的に魅力的なわけではなく、だからこそ魅力的で、愛しくて、おかしくて、危うげで、どうしようもなく、読まされてしまうのです。
ヤラレタ感がまんさいです。
満載、で、満才、で。
嫉妬してしまいました。 いや、しています。
わかってはいるけれど、結局、ただ柳の下をうろついているだけ、うろつきもせず三角座りしてぼうっと眺めているだけ、にしか過ぎてないのかもしれない、と深くうなだれさせられてしまいます。
押さえつけてるその手は、まごうことなき、己の手です。
しのごのいって、やらずにやれないやられたとぬかすより、やってやれてないまだまだやれるとほざくのが、なんぼかましです。
無謀と勇気は違います。 勇気なんてものは、とんと持ち合わせた覚えはありません。 しかし、勇気を出せるほど、余裕なんか、ありませんでした。
ならば、無謀を通して、道理を引っ込めてやりましょう。
道理の世界で無理がたたるのだから、しかたあんめえ、てなところです。
かたなしです。 そしてわたしは、なで肩です。
おりからのインフルエンザ拡大への対抗処置からかポンプ式の消毒液が、入口脇に置かれるようになった。
大して珍しいものではない。 よく見かけるものである。
そして、入口脇というのは、わたしの座席のすぐ近くであり、これまたよく見かけるのである。
所用を済ませに立つと、「プシュッ」 飲料を買いに立つと、「プシュッ」
アルコール消毒液だから、すりすりすり合わせているうちに気化し、保健室の匂いに包まれた自分の手を、くんくんとかいでみたりする。
「プシュッ」 すりすり。
「プシュッ」 すりすり。
「プシュッ」 すりすり。
いったいどれだけ念入りに消毒しているのだろう。 よおく見てみると、手のシワが心なしかきれいになっているように思える。
「プシュッ」 すりすり。
「プシュッ」 すりすり。
「プシュッ」 すりすり。
しばらくの間繰り返されるその姿が、数多くの目撃者によって確認されたようである。
2009年05月17日(日) |
三社祭とサルガッソー |
浅草三社祭。
何樫と甘木が観音様を拾い奉ったところからはじまった浅草の伝統行事である。
浅草を歩けば、神輿に当たる。
まさにその通りな日である。 なにせ、およそ四十もの神輿が、あちらこちらからそちらどちらまで、雷門前の雷門通りを根城に行き交うのである。
そのために交通封鎖である。
観光客でふだんは埋まっている仲見世通りも、神輿がくれば、どやどやと道をゆずらねばならない。 さらには、神輿のために雷門の大提灯でさえも、身を縮めて道を開け放つ始末である。
しかし、そのような路上封鎖もなんのその、と一切を気にかけない輩があったのである。
魔の浅草神社前広場。
それはそれは、もう、何人もとどめることはできそうにありませんづした。 ふよふよと漂っているだけかと油断していると、引き潮より早く、もう姿は別のところにあるんですもの。 しかも、じっと、露天の前でにらんでいたかと思うと、ついぞ手も出さずにまた姿が消えたかと思えば、手には獲物を持ち、むしゃむしゃと頬張っていたり、やっぱり何もなかったり。
上州名物「焼きまんじゅう」の串を食いちぎってる有り様は、あれはすごかったね。 口の周りを味噌ダレが汚しているのにも構わず、食いちぎっては頬張り食いちぎっては頬張りを一心不乱に繰り返してるんだからね。 だってひとつが握り飯くらいのヤツが四つも串に刺さってたんだぜ。よくよくあの量を食えたもんだよ。
私はまず、彼が食らいついているハンバーガーの大きさに目を奪われ、それからそれを苦もなく満足げにもしゃもしゃと頬張っている彼に、気がついたんです。 「佐世保バーガー」の前に、皿ほどの大きさと国語辞書ほどの分厚さのそれを、本当に買って食べている者がいるんだ、と。 あの大きさに目を奪われて、気がつくと彼の姿はありませんでした。
ワタシが見たのは、「元祖ジャンボメロンパンの店」と看板のあるところでした。 そこにはメロンパンだけじゃなく、ソフトクリームも売っているんです。 メロンパンは焼き上がりまで一時間待ち、とのことでしたから、ワタシは諦めようか迷っていたんです。 すると隣で、ソフトクリームの品書きを、じいっと、それこそお店のお姉さんが声を掛けるのもはばかるくらいに、にらんでいたんです。 品書きが三十種類くらいあって、たしかに迷いそうでしたが、それは、こういったら失礼だけど、たかがソフトクリームでしょう。 ぶつぶつとつぶやいてたんです。 「黒胡麻、杏仁、え、枝豆っ、さくら、やっぱり抹茶、抹茶みるく、マンゴー、パイン……」 ええ、最初はどこかお経とかお題目の一部をつぶやく怪しいひとなんじゃないかと、ワタシは一歩後ずさってしまったんです。 でも、どうやらどれを注文しようか迷っているんだな、と怖さはなくなったんですが、やっぱり不気味で、すぐにワタシは自分の完熟マンゴーソフトクリームを受け取ってそばを離れたんです。 ワタシのソフトクリームを見て、何やら納得したように頷いたようだったんですが、もう、それきりで。 だけど、その後すぐ注文していたようには見えませんでした。やっぱり腕組みしたまま、じっと品書きをにらんでいたような。
おそらく、上記のような目撃談を拾い集めることは至極容易であろう。 縁日の露店街は、サルガッソーのごとく、わたしを深く絡めとる。
かつて、銀河鉄道999でサルガッソーの回があった。
宇宙の底は、底がない。
ということで、飲み込まれた列車ごと、しまいに反対側から突き出て解決する、という顛末だったのだが、それに似た通りである。
ふらふらと品定めし、吟味し、比較し、ときには衝動的に、端から端へと辿ってゆけば、端の先は、外である。
ぽんぽんと腹を叩きながら、満足げに、苦しげに、雷門をくぐって出た。
わたしのために、やはり大提灯は身を縮めて道を空けてくれていたのであった。
いつものごとく不忍池の弁天様の御脇を抜けて帰ろうと歩いていたのである。
上野の山のすそのにある三つ叉を左手に選ぶとその道になり、右手を選ぶと北への玄関であるJR上野駅へと続く。山の下は京成の上野駅が埋伏している。
もちろんわたしは左手を迷うことなく選び、夜道をつらつらと歩いていたのである。
夜のこの時分に人気はなく、鳥獣の鳴き声か弁天様の三味線の鳴る気配が漂いきそうなくらいの暗夜行路。
夜道にしっとりと馴染んだ背広姿の男が、二三歩先で立ち止まり、くるりと振り向いたのである。
あのう、すみません。 はあ、なんでしょう。 上野駅は、どちらでしょう。
男は、困り顔にひとなつっこい苦笑いを浮かばせた。まるで夏休みを朝から晩まで砂浜で過ごした小学生のように真っ黒に日焼けした顔で、こんがり焼き上げたライ麦パンのようでもあった。 パンは朝に食すものと決めかかっているわたしにすれば、それはおよびでないのだが、向こうからやってきたのだから、むざむざ断る理由はない。
それなら、この山を越えた向こう側、ですよ。 ええっ、向こう側っ。
鬱蒼と繁った山の木々を仰いで、男は悲鳴にも似た声をあげた。
この先の山を越える道をゆくか、あすこまで戻ってトンネルをくぐって京成の前を通り抜けるか、どちらかです。 あらぁ、反対側かっ。じゃ、戻ります。 戻りますか。 ええ、そんなら、おおきにっ。
ひどく体躯のいい男が、にかっと真っ白な歯を見せて頭を下げた。 夜道に場違いなほど白く、しかし、それに似合った闊達な大きな声の大阪弁に、わたしは目をぱちくりとして、戸惑ってしまっていた。
ほんま、おおきにっ。 いえいえ、そんなそんな。
明るい道に向かって消えてゆく。
上野といえば、もはやいまさらと思われるかもしれないが、重ね重ね北の玄関口である。 そこに、あの風貌で、あの声で、関西弁である。
ここは、
江戸上野か伊賀上野か、 東叡山か比叡山か、 不忍池か琵琶湖か。
似せてつくったのだから、判別があやしくなる。
頭のなかに、いつまでも「ほんま、おおきにっ」が鳴り響いていたのである。
今宵は、大森の街に参りました。
先日から二十日とあけてしまいましたので、いくばくかの不安のようなものと、焦燥感のようなものが、魚の小骨のように、チクリと引っかかっておりました。 お膳があれば、とりあえずゴクリとひと口、飲み込んでいたかもしれません。
ないものは仕方がないので、かわりに生唾をゴクンとしてみるよりほかなかったのです。
さてそんな些末な私事よりも、話を進めてよござんしょうか。
進めたところで、皆々様におきまして特筆となるべきことは何ひとつございませんでしょうが、ここはひとつお付き合いくださいませ。
前触れなく訪ねるのは無礼というくらいの甲斐性はございます。 しかし、毎度のことながら訪ねる直前にならないと便りをいれないのは、もはや私の宿命、三つ子の魂百まで、といったところでしょうか。
今からお伺いしますが、よろしいでしょうか。
よろしくない、との返答はよもやくるはずもない、とすっかり高を括ったもののようですが、括ったものは急に解くことが難しいものでございます。
今から一寸で着きますので、どうぞよろしう、と取り付けたのでございます。
火ノ鳥さんにあたたかく出迎えていただき、「センセがすっかりお待ちですよ」と、まるで、風邪で休んだ我が子を級友が給食のパンを持って訪ねてきてくれたときの母親のようです。
あいにく私は、揚げパンも、きな粉パンも持ってきてはおりませんでした。ましてや、デザートのプリンやみかんもございません。 室をくぐると、はたして待ち構えていたかのように、「こんなの読むかしら」と、イ氏が本を手に迎えてくれたのです。
読むも読まないも、まだ先日のが読み終えておりません。
イ氏がわくわくと手にしていたのは、永井荷風先生に関する評論本でした。
荷風先生は、恥ずかしながら、墨東奇憚しかまだ拝読いたしておりません。しかもつい先日のことでございます。
作品よりも、荷風先生が馴染みにしていた蕎麦屋の方が、まだ親しみが多うほどでございます。
さてそこから、いつもの如しと、今宵は荷風先生と谷崎潤一郎先生のそれぞれが描く「男と女」像に矛先が向きました。
谷崎は「女」を描いていても、結局は男の「男」を描いているんだよ。
なるほど。 たしかに、どんな美女や少女や淑女を描いていても、どれもこれもそれを見たり妄想したりしている「男」の情念や妄執や偏執ばかりが目立つのでございます。
荷風は「お坊ちゃん」で書いてなくても暮らせたし、戦争を境に、すっかり何かを計る物差しが燃えちゃって駄目になっちゃったけど、芸術家肌だよ。
批評批判すべきものがさきの戦争で灰に帰し、復興の時期はまさに「何でもあり」だったため、何を基準に、どこに立って、物言えばよいかわからなくなったのでしょう。
しかし、墨東奇憚におきましては、男が語る「女」なのは谷崎先生と同じにしても、男の情念や妄執や偏執の類いの色窓を感じさせないのです。
そんな四方山話で半刻は経っていたでしょうか、それじゃあ、とようやく席を立ったのでございます。
「京都からのお客さんは、結局浅草にしたの」
イ氏は、ちゃあんと覚えて心配していてくれたのでございます。
どうやら十分に満足してもらえたようです、と答えると、「それはよかった」と恵比寿顔になってございます。
清算を済ましていると、火ノ鳥さんがニコニコとやってきて、「いつも楽しそう」と肘をつついてきました。 領収書を切った受付のお嬢さんがたに、「長居してあいすみません」と頭を下げてみると、「いえいえ、ゆっくりお話ができて機嫌がよいんですよ」と。
芝大門のときには待合室にひとがあって、とてもこのように、まさに「腰を落ち着けて」話することはできなかったのでございます。
「こっちを開院してよかった」
とは、火ノ鳥さん曰わくところのイ氏から聞こえた独り言だそうでございます。
ならば、と、
「女の子を早く帰らせてあげないといけないから、と、いつも気にかけられてるのに、申し訳ありません」
イ氏の、皆へのささやかな思いやりを代弁させていただいたのでございます。
まったく私は、何をしに通っているのでしょう。
長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございます。 あとがおつかえになられているでしょうからこの辺でお暇させていただきとうございます。
2009年05月12日(火) |
「ブラフマンの埋葬」 |
小川洋子著「ブラフマンの埋葬」
僕が夏のはじまりのある日に出会った不思議な生き物――ブラフマンと名付けた――とのひと夏の物語。
ブラフマンは、ボタンのような鼻とひげをもち、肉球とそこに折り畳んで隠された水かきももっている。 体長の一.二倍の長さの尻尾があり、全身と同じ短い体毛が生えている。 鳴かない。鼻息で鼻が鳴るだけで、意思疎通のために、思慮深くじっと僕の目をみつめ、僕の話に耳を澄ませる。
暗闇と孤独を恐れ、駆け回っていても必ず、僕の位置を確かめる。 夜寝るときは、僕が電気を消す前に必ず僕のベッドに潜り込み、その前に暗くしてしまうとパニックをおこすか、ひどいことをするじゃないですか、と訴えるような目で僕の目をのぞき込む。 僕が寝返りをうってブラフマンから離れてしまったりしないよう、彼は自分の尻尾を僕の足にからめ、僕の方を向いて横になる。
扉も引き出しも、鍵さえも開けて、中身を引っ張り出し、おもちゃ代わりにかじったり丸めたり、撒き散らしたりする。 悪いことをしたとその場は物陰に小さくなるが、顔は、わたしはなぜこのような有り様になってしまっているのか皆目見当がつきません、と不思議そうに僕の目をみつめる。
とにかく、ブラフマンが愛くるしい。
癒されること間違いなし。
しかし、忘れてはならない。これは小川洋子作品なのである。
最期に僕は、ブラフマンの鳴き声を聞くことができる。
「ブラフマン」の埋葬とは、なかなか意味の深いタイトルでもあり、読後にあらためて、タイトルの意味を様々に、思いしらされる。
癒されることだけでも、是が非でも、本作品を読んでみることを勧めたい。
2009年05月10日(日) |
神田祭で、なんだかんだと「強運の持ち主」 |
神田祭
今日は神輿宮入です。 町会地区の神輿が、次々と入れ替わりで境内に担ぎこまれます。
ひとつずつ神主さんにお祓いを受け、それぞれの地区会長さんが一本締めをするのですが……。
「暑い中、長時間ご苦労様でした。え〜……」
「それ以上の熱さで盛り上がって担いでもらって、とてもよいのだけど、もう少し……」
「……落ち着いて担ぎましょう」
どっ。
境内中から笑いが。 担ぎ手さんたちは苦笑いで頭を掻いたり、ちげえねえ、と真っ赤な顔で大笑い。
着物姿の楚々とした姿も癒されますが、 半纏姿の凛々しい姿も、ぐっときます。
祭りは素敵です。
さて。
瀬尾まいこ著「強運の持ち主」
瀬尾まいこ作品といえば、わたしは「幸福な食卓」であり、映画化された同作品で主演した北乃きい嬢に、あやうくコロリとゆきそうにもなったことがあった。
本作品は、直感優先の女性占い師ルイーズ吉田のもとを訪れる、悩み多き人々の、こころあたたまる物語である。
「強運の持ち主」である現恋人の通彦を、当時は付き合っていた彼女がいたにもかかわらず、あの手この手で自分に振り向かせたルイーズ吉田こと吉田幸子。 通彦は市役所勤めの「ぼおっとした」冴えない男。
とても「強運の持ち主」とは思えず、その片鱗などこれっぽっちも見せない見当たらない。
しかし、ふたりは絶妙に、いい組合せであった。
ジャスコでバスマットを買い物したときのルイーズを見て、好きになった。
デートらしいデートをしたって好きにはならず、ただ「デートが終わった」とホッとするだけだった。 でも、ジャスコで買い物したときは「また一緒に買い物をしたい」と楽しく思えた。
ジャスコでなくても、ちょっと遠くのダイエーに、ふたりで必要な物を買いにゆくことのほうが、楽しい。
通彦は、いう。
わたしは決してジャスコの回し者ではない。 ダイエーの回し者でも、ない。
しかし、アルバイトや仕事で、度々お世話になったことはある。
ルイーズを訪ねるお客の物語は、なかなかこころあたたまるものばかりである。
気をひきたい男性がいるけれど、どうすればいいか。
と訪れる女子高生。 アドバイスの効果がないと繰り返し訪れ、男性とは母が再婚した新しい父のことだとわかる。
髪型やファッションを変えてもダメ。家族でジャスコかダイエーに買い物に行ってご覧なさい。 ギクシャクも、ちょっとずつ、打ち解けてゆくはずだから。
お父さんとお母さん、どっちがいいかわからない。
ひとりで訪れた小学生の男の子。
離婚間近かと思いきや、男の子がまだ赤ん坊だった頃に母親が亡くなりシングルファーザーになった父親が、泣き止まない赤ん坊が女装して母親の格好をしたら泣き止んだのをきっかけに、以後ずっと、男の子の前では女装を続けていた。 小学生にもなれば、女装だとわかる。 バレているのに、まだ続けている父親に、どうしたらいいのかがわからない。
ニベアクリームの匂いに母親の匂いを感じている男の子。 父親のもとをルイーズは訪れ、ニベアを手渡す。
「お父さんとかお母さんとかどちらがいいじゃないでしょ。一生懸命、そばにいてくれるひとだから、好きなんでしょう」
瀬尾まいこさんは、日常のささいなものやことを用いて、ホッと思わせることが上手い。
そんなこと、さして特別にあげつらうことでもないだろう、作家なのだから。
と思われるかもしれないが、そう、
冬の寒さでかじかんでいるときに飲むココア
のようなのである。 森永だろうがヴァンホーテンだろうが、お湯を注げば誰にでも作れるかもしれない。 しかし、あたためられたマグカップ、ほどよい甘さ、鼻先をやわらかく包んでくれるあまくあたたかい湯気、そしてその向こうに見える、頬杖をつきながらやわらかく微笑んで見つめている、いるのが当たり前に思ってしまっている、実は奇跡の確率で出会ったひとの姿。
それらが、その日常のなかに当たり前に存在していることを当たり前に描いているのに、なかなか当たり前のことではないことを気づくことがないのが、当たり前だったりするのである。
なかなか、あたたかい作品である。
あたたかい作品。 いつかは書かねば……。
2009年05月09日(土) |
「ひとがた流し」と三大祭りと「大阪ハムレット」 |
北村薫著「ひとがた流し」
朝日新聞に連載されていた作品。 我が家……実家は、ずうっと朝日新聞でした。
新聞に連載されていても、新聞を読まないわたしは知る機会がありません。 本作品は、二〇〇六年に刊行されているので、そのさらに前、に掲載されていた作品です。
新聞連載だからなのか、ささやかな違和感は、ありました。
が。
たとえば、で感じさせられるところがありました。
子どもが人混みではぐれまい、と親の上着の裾を必死に掴んでいるのに気づき、それに
「自分が今ここにいる意味が、ひしひしと伝わってくる」
と気づく、だなんて、なかなか気づきません。
いや。 一応物書きを志しているものとしては、想像はいかようにもできるけれど、それを真にわかることはできないのです。
わかるために、との本末転倒になりそうな己の怖さを密かに抱えつつ。
さて。
今日から、
「神田祭」です。
「江戸三大祭り」のひとつです。
っせいや。 っせいや。
本御輿ではありませんが、だからこその「町の御輿」の「活き」のようなものが感じられます。
いっちょまえの格好をしたチビが、わけもわからない様子で父や母に抱きかかえられ、その首ねっこにしがみついてます。
再来年あたりには、子ども御輿の立派な担ぎ手になっているのでしょう。 山車引きなら来年でも参加していそうです。
来週は浅草の
「三社祭り」
です。 ええ、
「江戸三大祭り」の、 「日本三大祭り」の、
ひとつです。 今月は忙しいです。
さてさて。
「大阪ハムレット」
をギンレイにて。
同時上映にギンレイでかけられている、世界で認められた
「おくりびと」
よりも、わたしにとっては、とても、素晴らしい作品でした。
「大阪ハムレット」
です。 松坂慶子さん岸辺一徳さん、ちょっとだけ間寛平さん出演の、コミカルだけど、とても胸が熱くなる家族物語です。
父(間寛平)が亡くなり、なぜかその弟(岸辺一徳)が転がり込み、居ついて、中学生の真面目な長男、ヤンキーの次男、小学生の三男は、母(松坂慶子)はなにも気にせずにいるので深く追求することもできず、ただ「おっちゃん」として不思議で奇妙な家族関係がはじまります。
ヤンキーの次男は、国語教師に「ハムレットみたいやなぁ」といわれたのをきっかけに、実際にハムレットを読みはじめます。 漢字や単語を辞書でひきながら。
「だぁれがハムレットじゃ、くぉらぁっ」
なかなかミスマッチなところが、素晴らしいです。
「なんでハムレットは、こんなしょうもないことで悩んどんのじゃ?」
その都度、教師の胸ぐらつかむ勢いで質問を繰り返します。
またまた面白い。
長男は教育実習生できた加藤夏樹さんに、大学生だと嘘をついて付き合いはじめ、学校で担当のクラスになって嘘がばれて傷心に。 三男は、将来の夢という発表会で、
「ぼく、女の子になりたいねん」
と、衝撃のカミングアウト。
「俺の悩みを増やさんといてくれやあ」
ヤンキーの次男は、すっかりもう、ハムレット。
母が妊娠。 誰の子や?
実習が終わり彼女は東京に帰ってしまう。 愛するもののために、いかなならんねん。
学芸会の舞台でシンデレラを演じることに。 うっわ、おんなおとこやっ。 きしょっ。
「生きているから、悩み続ける。悩むことは、生きてる証拠や」
待合室で生まれるのを待っているとき、おっちゃんが次男に、
「家族お揃いのTシャツ、買い足さな。男の子の色って、他に何色かな?」
たぶんアメ村で、以前三兄弟に買ってきたのは、長男は赤、次男は青、三男にはピンク、だった。
「み、緑色?」 「そうか、それはいいっ!」
最後、赤ん坊を抱っこした次男が、大阪の空に叫びます。
「誰の子でもいい。お前は、みんなの子やっ」
ギンレイのスタッフの、この二作品の組合せを選んだセンスは、とても素敵です。
「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」
実は違う訳し方が、現在は囁かれているそうです。
見事な虹だった。
まずは周囲の人気がなくなり、ちらほらとその人気が回復しだしたとき、
「もの凄かったねえ」
と口にする姿が目立ちだす。
何が「もの凄かった」のか、一時雨のあまりの激しさだったのか。
「すごい綺麗でしたよ。見といたほうが、絶対、いいですって」
衝立の右向こうの可憐な女子が、そう、向かいの、つまりはわたしの右隣の、笹氏に促す。
すわ、と笹氏は立ち上がり、姿をくらましてしまった。
女子は、甘露をまとった瞳で、わたしを向き、
「本当に、綺麗だったから」
と、さらに促す。
ああ、どんな美しさでも、貴女のその、ヴィーナスが生まれたはじめての朝を祝福するような朝露を湛えた瞳の前では、すべてはかすんでしまう。
詩人であるならばそうひざまづいて、手の甲に唇を添えんとするかもしれない。
しかし彼女がまことに残念だったのは、わたしが詩人ではなかったことである。 さらに残念だったのは、彼女は至って普通の立ち居振る舞いであり、それをわたしが妄想として過大に脚色して興じているという、ほどをはるかに超えてしまっている、おめでたいヤツ、であったことである。
しかし、わたしは甘露が地に滴り落ちてしまわぬよう、手を差し伸べないわけではない。
落ちてきたぼた餅は、茶を入れてきちんと美味しくいただくわたしでもある。
「虹ですよ、くっきり、信じられないくらいに綺麗な」
甘露にかかる虹の橋。
ならば、と腰を上げ、決して積極的には見えぬよう、しかしかき消えてしまわぬかはらはらの内心を押し隠して、どれどれ、と見に行ったのである。
まことに、見事な姿だった。
レインボーブリッジのたもとから宙天をめざし、くるり、と大井埠頭の口に消えてゆく。
まるで合成写真のようであった。
虹とは、字のごとく「虫」の一種である。
虫といってもそこらの蟻や蚊のならびではなく、竜や麒麟らとならぶ生き物である。
尺取り虫かと手を伸ばせば、たちどころに空を七色の光の尾をひきはるか彼方に消えてしまう。
消えてしまう前に、とらえることができた。
玄妙なるかな。
五月雨をあつめてはやし最上川
さほどでもなかろうと、肩を見れば、びろうどのような有り様に驚いたりするものである。
川つながりで、もう一句。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 唐紅に水くくるとは
有名な句、であるらしいが、わたしは正道で聞き覚えたのではない。
本来は、竜田川に流れる、一面を埋め尽くしていた紅葉の美しさを歌ったもの、らしい。 何樫の甘木ハムの詠まれたものである。
しかしわたしがこの句を聞き覚えたのは、鼻もひん曲がる男子高校生時代。
日本妖怪学会に所属する生物の教師の授業中のことであった。
「いいか、ロクでもない男にならないために、とくとためになるありがたい一句、だぞ」
竜田川という元相撲取りがだなあ、花魁の……。 置屋が……。茶店が……。 一見が……。
「つまりだなあ」
素敵なおねいちゃんとお知り合いになるには、足繁く通い、焦らず、胆を決めて挑まなあ、ならんのだよ。
「キミらみたいに、年頃の、なんてお馬鹿なことに女の子がひとりもいない男子校に、なあにを血迷ったか入学してきた不憫な輩が」
ワタシは心配でならないっ。
「おねいちゃんにまんまと騙されて、怖いおにいちゃんにやさしくボコられるようなことがないように」
祈るっ。
こころやさしき恩師は、ひたすら「祈って」くれるだけらしい。
「質実剛健」「独立自治」
の気風は、まさにここに極まれり。 ロクでもない知識を、こうして頻繁に、得られたのである。
もしわたしが「茶店」に誘うことがあっても、だから大門をくぐらせる、という意ではなく、安心していただきたい。
2009年05月06日(水) |
「夕子ちゃんの近道」と男子たるものどーなつてるのか |
男子たるもの、とはいえ、甘味を所望したくなるときだってあるのである。
所望、と堅苦しい文字を使いはしているが、なんのことはない。 甘いものの話であるから、多少の堅さなり気骨なりを入れようとしてみただけである。
我が共感を覚えたる文人内田百ケン先生は、大の酒飲みであり、食にこだわりある御方であったが、それはグルメなどといった安っぽさ漂うものでは納まるものではない。 美味を喜ぶのはその範疇を超えるものではないが、あくまでも「食う」ことに対する、純粋で、偏屈ともいえるこだわりをもっていたに過ぎない。
昼は決まって蕎麦ひと盛りのみ、それも近所の決まった時間にきちんと届けてくれる店の、というだけであり、夜の一食だけしか食わなかったそうである。
朝は食わない。 教職や郵政局詰めのときでさえ、時間通りにきちんと蕎麦が届かないことに対する不満や心配から、身も胃袋も、ずうっとそわそわと落ち着かなかったそうである。
とはいえ、その隙間につまんでいるものがあったのである。
たとえば朝が、牛乳と英字ビスケット、である。 あの、アルファベットの形に焼かれた、ビスケットである。
ドイツ語教師であった百ケン先生にしてみれば、なんとも歯痒い姿を想像してしまうが、当人はそうでもない。
ただときおり頭の中で、「O(オー)」を見て「0(ゼロ)」と比べたり「Z」と「2」を比べたり、「Y」と「T」の心もとない違いに眉をひそめたりしたくらいのものらしい。
わたしの話に戻ろう。
甘味といっても、ハイカラな店構えのところに陳列されている洋菓子や、ぜんざいやもなかなどの和菓子ではない。
日本国内でも東京のみ、東京でも三店舗しかない、という店のひとつが、じつはわたしが常日頃くだを巻いている街に、あるのである。
男子が単身で足を踏み入れること困難な五本の指に入るであろう、ドーナッツ屋である。
一昨年あたりから話題になった「crispy cream doughnuts」なる店は、昨年、当時同期だった連中と新宿の店に踏み入ることをすましてある。 あれはなかなか、美味であり、不思議な食感に感動を覚えた。
今回は、そこよりもハアドルはかなり低いはずではあったのだが、いかんせんドーナッツ屋はドーナッツ屋である。
男子が単身、もさもさと輪っかを食いちぎり頬張る姿を想像してみてもらいたい。
なかなかもの悲しさが漂いはじめることであろう。
とはいえ、今回ハアドルが低いだろうといったのは、元々は大手系列店のものであったからである。
店の名は、
「and on and」 (アンドナンド)
諸兄にも馴染みあるだろう「ミスタードーナツ」の、ハイグレード店である。
「ミスタードーナツ」であれば、千駄木店で珈琲を何杯もいただきつつ読書執筆に勤しんでいたという、深い(店にしてみれば不快な)ご縁がある。
臆することなく、傘の露を払い、一歩踏み入る。
中華の類いはないが、サンドウィッチやホットドッグなどの品目が揃えられている。
ドーナッツ屋に、なぜ中華があったのかは、今は触れずに進めよう。
神保町という街柄か、男子のみの姿がちらほら見受けられる。 これがもし、渋谷や汐留であったなら、たちまちわたしは女子ばかりの光景に辟易し、露払いもそこそこに五月雨の下に退散していたかもしれぬ。
女子は、何をそんなお馬鹿なことを、と思われるかもしれないが、なかなか真剣な問題なのである。少なくとも、わたしにとっては。
「大人のドーナッツ」との店に相応しいように、わたしも「大人な」ものらしく「黒豆黒糖云々」ともうひとつを珈琲と共に購入した。
しかし、隣の卓の女子が、皿に載った生クリームがとろおりとふんだんにかけられたドーナッツを前に、ナイフとフォークを構えていたのに気づき、目を、意識を、唾液を、奪われてしまった。
ああっ。 あのたっぷりとした、とろおりとしたクリーム。 ややっ、なんとそれだけではないではないかっ。 シロップが、あれはメイプルだろうか、までが、とろろろろ、と注がれているっ。
唾液を珈琲で流し込み、文庫をめくってその光景を掻き消そうと努める。
男子ひとりが同じことをしている寒々しい光景をあえて想像して。
かき乱されつつも、なるべく一心不乱にかじりついたわたしのドーナッツも、さすが「大人の」とうたうだけあって、なかなか美味であった。
甘さもおさえられ、まさに、「大人の」ドーナッツである。 先述の「不思議な溶けるような食感」のものとは違う、落ち着いた食感と甘味は、なかなかお勧めである。
さてさて。
長嶋有著「夕子ちゃんの近道」
大江健三郎賞受賞作です。 なるほど、なかなか「らしい」作品でした。 といっても、大江健三郎作品は一作品しか読んでいないのですが。
読みやすく、そして、ほのぼのとしたなかで物語は進んでゆきます。
骨董屋「フラココ屋」に、その二階の倉庫を兼ねた部屋に住む「僕」。 フラココ屋の主人と大家とその孫娘の朝子さんと夕子ちゃんと常連の瑞枝さんらの、世代を超えた「ひととの繋がり」を描いてます。
なかなか、よい作品です。
かくことを ヤめてしまえば ただのカス。
養生訓です。
うむ、だいぶ深い。
さて、昼の新番組として注目を浴びていた「ひるおびっ」を観ていたら、
「二百五十円弁当」
なるものが紹介されていた。 高橋克典さんが「美味い」とコメントしようとするのを、司会の恵俊彰さんが気づかずにタイミングを外させてしまい、
「なかなか美味いっすよ」
と、なんとも力の抜けた感想になってしまっていたのである。
わたしはそれを、かたずをのんで、笑いをこらえて、観ていたのである。
その店は浅草、鶯谷、千束など台東区に店を開けているらしい。 鶯谷なら、ご近所である。 話の種と財布のために、ちとのぞいてみようと足を向けてみたのである。
ご存知の方がいるかと思うが、鶯谷、というと、なかなか面白い街である。
おそれ入谷の鬼子母神
や、
朝顔市
で有名な入谷の入口であり、またとくに色濃い下町でもある。
色濃い(色恋)
駅前は、寛永寺の静かな杜の側と、鮮やかなネオン輝く恋の街、のふたつの顔がある。
大きな寺や神社があれば、自然、色町が広がるのは常である。 湯島も根津も、かつてはそうであったのである。
若い男女が入口で手を繋ぎながら、入るか入るまいか、じれったくたたずんでいる。
西の歌舞伎町、東の鶯谷。
その先に抜け、正岡子規に縁ある「豆富料理・笹之雪」の前を過ぎる。
そこに、あった。
「デリカぱくぱく」
下町の惣菜屋そのものの店構えである。 二十四時間営業。 この街なら、とてもありがたい存在である。
酢豚、チキンカツ、ハンバーグ、肉じゃが、焼き肉、それらの弁当が、すべて
「二百五十円」(税抜き)
なのである。 そして、信じられないほどのボリュームである。
わたしの学生時代の弁当を思い出してしまった。 ご飯は、箸で摘んで食べるのではない。 賽の目に割って、刺して食べるものであった。 二段のうち、一段丸々に、押し詰めて、である。
それそのままの、白飯の詰まり方なのである。
感動した。
弁当とは、かくあるべきである。
2009年05月04日(月) |
竹林のトラトラトラと「夜の公園」 |
本日は「みどりの日」です。 上野動物園の入園料が「無料」です。
抜け道代わりに年間パスを持っていた二年前、そのとき以来、久しぶりの入園です。 もんのスゴい人混みです。
ひとりで訪れている姿なぞ、ひとっこひとり見当たらないのは、当たり前です。
池之端門から西園に入り、さくさくと東園に向かいます。 連絡橋である「いそっぷばし」
いそっぷぅぅぅっ。 おおきくぅぅんっ。 きずだぁらけのひぃろぉ♪
スクール・ウォーズのではなく、「イソップ童話」の「いそっぷ」です。
モノレールが通り過ぎるのを横目に渡り、東園へ。 猿山にもホッキョクグマにもアシカやペンギンにも目もくれず、ずんずん目指します。
トラの森。
ライオン、ゴリラのエリアにあります。 とにかく、ここもまたスゴい人混みです。 人混みと竹林のすき間から、ようやく虎縞がチラッと、とそのとき。
ギュッ。
わたしの小虎を男の子の手が。 かき分けようとしたその手、だったらしいのだけれど、予想だにしない奇襲に思わず「はうっ」と後ずさってしまいました。
後ずさってできた隙間に、男の子はちゃんとおさまり、虎の居所を追いかけてました。
「グルルル……」
背後から喉を鳴らしている音がして、男の子は「はっ」と振り返り、キョロキョロ見回した後、わたしを見上げました。
わたしの腹に住む中虎の鳴き声です。
なかなかしぶとく、鳴き止みません。 昼飯をまだ食べてないんだもの、鳴いたって仕方ないじゃない。 べつにキミをとって食うなんてことをするわけじゃないから、そんなに見ないで。
すごすごと後ずさりながら、竹林の奥へと退散しました。
上野動物園には現在、パンダはいません。
リンリンが慢性心不全で亡くなってしまっているのです。 代わりにレッサーパンダくんたちが、元気よく遊び回ってます。
明日「こどもの日」は、こどもは入園料が無料です。 閉園時間も夕方六時まで延長されてます。
上野公園内では「こどもフェスタ」が開かれており、絵本の販売や、読み聞かせや、紙芝居などが催されてます。
世界遺産に指定されるかもしれない「西洋美術館」内のカフェ「すいれん」は、外部から利用できる、パーラーのような雰囲気です。
なかなか、楽しめるかもしれません。
そして。
川上弘美著「夜の公園」
川上弘美が唯川恵の世界を書いてみたら、といった印象。
夫婦とそれぞれの浮気相手と親友と、それらが重なり合い、重なり合ってはいるのだけれど、それは肌がピタリと重なっているのではなく、紙を宙で触れぬようにかざし、上空から見ると重なって見えているような感覚。
男と女は、こころがぴったりと重なり合うことができないから、肌を重ね合ってそれを埋めようとしているところがある。
触れなければ、不安だから。
しかしそこでも、やはり男と女では重なり合わないところがある。
男は、不安を解消したくて重ねる。 女は、不安を確かめるために重ねる。
そのすれ違いを、普段は男も女も気づかないように注意深くしながら、過ごしている。
理性と現実がそうさせて、いちいちそんなことに目を向ける暇を与えない。
現実でたゆたい続ける本能や感性に任せていたら、なかなかうまくゆかない。 ゆくはずが、ない。
リリと幸夫、リリの親友であり幸夫と関係をもつ春名、リリと春名のそれぞれと関係をもつ兄弟の暁と悟。
なにひとつ、不満のないたしかな夫婦。
いつから僕を好きじゃなくなったの。
幸夫が最後までリリに聞けなかった言葉。 リリ自身にも、「わからない」としか答えられないだろう、とうとう聞かれなかったその問いかけ。
まだ文庫になっていない「風花」を、早く読んでみたいと思いました。
2009年05月03日(日) |
浅草三定アンヂェラスと「おくりびと」 |
さて今日は、真友が奥さんと幼き息子を連れて浅草にくるとのことで……。
昼前に「よければ是非一緒に」とのお誘いのメールももらって……。 もらって……返事したのが昼をとうに過ぎていて(汗)
着信履歴があって(焦)
二度寝してました。
寝起きのテレビに、「山手線全駅で丼を食べる」との番組がやっていて、もやもやと、
「天丼食いたい」
欲望が湧いてきて。 友に連絡もせず浅草に向かいました。 台東区コミュニティバス「めぐりん」に初乗車です。
バス停で、バスの現在位置がわかるQRコードがあったので携帯で読み取ったそのとき。
「£%#&*@§☆」
耳元で不意に声がっ。
はうっ、驚き振り向くと、外国人の男性がその様子をのぞき込んでいたのです。
「びっくりしたぁ」
日本語で、つっこんでしまいました。ところが返ってきたのは
「£%#&*@§☆」
という言葉と、ニヤリと茶目っ気のある微笑み。 さらに、後ろにいた息子を手招きし、一緒にのぞかせようと。
英語ぢゃ、ない。 フランス語だ。
彼のフレンチの奥さんは後ろの縁台に腰掛けて、娘と話しながらわたしに向かって、サングラス越しに、にこやかな笑顔を向けています。
フランス語は「ジュテーム」「メルシー」「トレビアン」くらいしか知りません。
高校の教師が、フランス人女性に必要な枕言葉はこれだ、と教えられたものです。
ろくな知識じゃありません(笑)
いいか、たったこれだけの言葉でも、感情と愛を込めて繰り返していれば、「つたない言葉でなんて真剣に愛を語ろうとしてくれるのだろう」と思ってくれる。 だから、あとは頑張るだけだ。
男子校の野郎どもに、なんてロクでもない、アツいことを教えてるのでしょう(笑)
そんなこんなで「東西めぐりん」で浅草にたどり着き、老舗天麩羅屋のひとつ「三定」へ。
天丼を頼み、そこでようやく友に連絡を。
ざざっと丼を平らげ、雷門前で合流です。
江戸っ子は、食うのが早いものです。 三代暮らしてはいませんが、わたしの本籍は台東区三ノ輪です。 現住所は台東区谷中です。
幼き息子を肩車した友が、雷門の脇からやってきました。 奥さんもいっしょです。
友は完全に疲れ果てた顔です。
そりゃあ、この人混みのなかをずっと肩車して歩き回れば、そうなります。
川端康成、池波正太郎、手塚治虫らが愛した喫茶「アンヂェラス」でひと時をすごしました。
息子さん用に頼んだバニラアイスが運ばれてきて驚きました。
もうもうとドライアイスのスモークがこぼれだしていたのです。
「ケーキ入刀」
と聞こえてきそうなほど……汗
しかし、子どもの成長は早いものです。 二階席だったのだけれど、ちょうど見下ろしたところがケーキケースや会計のカウンターで、
「おーい、おーい」
と、店の人に手を振り振り声をかけるのです。
……そこが女性店員ばかりだったからかしらん? と思ったのは、わたしの気のせいでしょう(笑)
とかく次に会ったとき、その友の幼き息子が、わたしの名前を呼んでくれるか楽しみです。
さて、友と別れた後。
「おくりびと」
をギンレイにて。 そうです、「おくりびと」です。 ギンレイのメンバーになっていて、「これは後々ギンレイでかかるだろう」という見当をつけるのが、なかなかシビレるところでもあるのです。
日本のアカデミー賞は総ざらい作品でしたし、海外でもその評価は……もう述べる必要はありません。
わたしはやはり、「あまのじゃく」なのでしょう。
騒ぐほど、感動作品じゃあ、ありません。
題材がすべて、です。
そして、役者さんたちの、演技力。
作中には、なにひとつ、ドラマはありません。 題材自体がドラマのすべて、なのだから、淡々と日常のように物語は進んでゆきます。
それが、
名作たる所以
なのでしょう。
つまり、すべてが、余白だらけなのです。 その余白にこそ、観る側の感情や想像や記憶が、つのってゆくのです。
日本独特の死生観
が、あります。 それは日常にとけ込んでいるからこそ、気づきません。 気づかないからこそ、余計なドラマは必要ないのです。
余計なドラマがないから、各々のドラマがそこに描かれるのです。
素晴らしい作品です。
本木雅弘さんがこの物語を映画化させようとしたところが、素晴らしいです。
滝田洋次郎監督も、流石です。
「穢らわしいっ」
と、妻の広末涼子さんが夫の本木雅弘さんの手を振り払う場面があります。
民俗学的に、「死」イコール「穢れ」であり、また同時に「聖」でもあるようです。
相反するものを同一のものに内包させ、使い分けるのです。
たとえば、
月経中の女性は「穢れ」として神聖な儀式や場では避けられるのだけれど、出産となると「神々しい」ものと受け取られます。 これはもちろん、古来の視覚的解釈からきている偏った思想なのかもしれません。
「血」イコール「穢れ」 というところからなのでしょう。
しかし、
その「穢れ」のなかから「生命」生まれだされるのだから、「穢れ」イコール「聖性」となり、さらに飛躍させると、
「穢れ」がなくては「聖性」など有り得ない
という思想や風習へと繋がってゆくこともあるのです。
男尊女卑のそもそもの根源だ、とされるかもしれません。
「穢れ」に対して、「怖れ」や「畏れ」を同時に抱いているのです。 つまり「聖」に対する「畏れ」からはじまっているのです。
きれいにされた遺体でも「穢らわしい」と思うのは、生きているものが踏み込むことのできない「神聖な世界」に属しているものに対する「畏れ」からなのでしょう。
それは決して、
「気持ち悪い」
といった類いのものではないはずなのです。
そうありたいはずなのに、道端で見かけた動物らの死骸を、せめて脇に、と手を伸ばすことをためらってしまったりします。
勝手なものです。
豚インフルエンザ感染報道を観ていて、悲しくなった。
はじめ成田空港で移送された女性の報道が、わたしを呆れさせた。
事件の容疑者でもない、 自ら感染しにいったわけでもない、
なにより、本人が激しい不安と動揺に苛まれているだろうはずなのに、
激しいフラッシュ。
本人をはっきりと捉えた映像。
公の前に、個は完全に無視されることを確認した。
よしんば、報道陣が集まり、取り上げ、突き止めようとするのはよしとしよう。
黒布をすっぽりと被り、個人を特定「しづらく」していたとしても、たとえばタラップを降りているときに映っていたブーツを観て、個人にたどり着くものがいるかもしれない。
そんな映像が全国に流されたことが、本人の衰弱や、身内に衝撃と消耗を与えるかもしれない。
すぐ後に、彼女は別のインフルエンザでした、とサラリと流し、横浜で今度は本当の感染者がみつかった、と、これまた「犯人」を吊し上げるかのように、全国にたれ流す。
危機管理意識、おおいに結構。
しかしそれは、
「意識の主張」
にしかみえない。
公の「アピール」のために、個の「保護」を踏みつけている。
じゃあ、隠してこっそりバレないようにやれば、と言っているわけではない。 全国的な一大事だと知らないわけでもない。
やり方っつうもんが、あんだろうがよっ。
社会のすべてが、
「劇場化」
しているのが、腹が立つ。
学生時代に、街のあちこちを劇場化する、などという設計コンセプトを声高にしていたりもした己を、苦く思い出したりもする。
そして今も、似たようなことをやり続けようとしている己がいることも、また然り。
徐々に月が、満ちてゆく。
2009年05月01日(金) |
「スラムドッグ$ミリオネア」「鴨川ホルモー」「フロストXニクソン」 |
昨日の夕方、ツ氏に言われました。
聞いてなかったけど、休みの予定を入れてもいいよ? たとえば明日とか。
映画感謝デー。
躊躇したふりを見せてから、ではお言葉に甘えて、と。
しかしなかなか、これは、と思い浮かぶ作品がありませんでした。 まあ、妥当な作品を選んで、いざ銀座へ。
まずは、
「スラムドッグ$ミリオネア」
原作は、最後のほうだけ立ち読みしました。
映画で、十分に楽しめる作品です。 原作だと、疲れてしまうかもしれません。
開始早々で、これはいい作品だ、と思わされる作品でした。
カット割りというか、撮り方というか、とにかく物語性だけじゃあありません。
見かけたら、とにかく観てください。
エンドロールのみんなでダンス。
これがないとインド映画じゃありません。 観ていると、踊りたくなります。
しかし、それを観なければインド映画だったと気づきません。
サクセスストーリーではありません。 青春恋愛物語です。
深く掘り下げれば、インドの様々な社会問題が浮かび上がってくるのだけれど、そんな重たい気持ちで観なくても大丈夫です。
さて、次の作品は、
「鴨川ホルモー」
原作を、森見登美彦氏に比べてどうの、といっていたのだけれど、これは映画と合わせて面白さが倍増する、読んで観て愉快な作品。
オニと呼ぶ式神の、肉まん二等身がわらわらと駆け回り飛び回り、入り乱れて戦う光景は、なかなか愉快で愛らしい。
忘れてはいけないのは、青春恋愛物語である、ということ。
京都の神社仏閣路地裏を、存分に駆け回る。
原作を読んで、その想像を映像で楽しむことをお勧めします。
栗山千明さん演じる、凡ちゃんこと楠木の「女孔明」ぶりが観られなかったのだけが残念です。
「フロストXニクソン」
ウォーターゲート事件で、アメリカ大統領史上で初めて、そしてただひとり辞任したニクソンを、テレビのトークショーの司会者フロストがインタビュー番組で闘うという、事実に即して作られた作品です。
非を認めてこなかったニクソンに、初めて非を認めさせようとするフロストたち。
インタビュー番組で再起のきっかけにしようと目論でいるニクソンたち。
実際の関係者がインタビューで当時のことを振り返ったり、なかなか本格的な作品でした。
ウォーターゲート事件。
よく知りません。 映画「ペリカン文書」でたしか題材になっていたような記憶があるくらいです。
話術が唯一の武器であり、最大の武器であるインタビュー。 もちろん、下調べが万全であってこそ。 しかし、それらを活かすも殺すも、その場での己の采配次第。
事実にこだわっただけに、なにか物足りなさを感じてしまいました。
しかし。
そう思ってしまったことが、呵責にもなります。 わかりやすくするために、演出を求める。
伝えることを優先するか、 印象に残し、伝わりやすくするか。
史実は曲げられても、 真実は曲げられない。
事実は消せても、 真実は消せない。
まずは、伝えられる場を手に入れることが先ですが……。
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