自転車通勤二日目。 実は重大な事に気が付いた。
「本を読む時間」がない……。
電車に乗っている時間が、いかにウェイトを占めていたのか。 実質、往復で一時間程度だけだったけれど、一週間で平日五時間、土日休日でプラスしたとして、一週間で八〜十時間くらい、この一、二ヶ月は読んでいた。
平日の夜、帰宅してからすぐに読もうとしても深夜一時か二時となるので、「そんな事する位なら、とっとと寝ろ」ということになる。 勿論、自分にとって「寝る」行為がどれだけ他の人にとってよりも大切なことかわかっているし、そんな気力は無い。 せいぜい、帰りに買った晩御飯(一日二食のうちの貴重な食事)を食べながら、ぼへーっと深夜番組を眺め、シャワーを浴びておやすみなさい、の相変わらずな生活。 うたた寝(?)で、はっと途中で目が覚めてしまった、今みたいな時、感覚が異常に醒めている事がたまにある。 まあ、しばらく布団に潜って目を閉じてれば寝れるんだろうけど、頭が異常にすっきりしているので、なんだかもったいない気がする。 深く充分な睡眠を取った後、ジョギングして熱いシャワーを浴びて、心も体もこれ以上無いほどすっきりしているような感覚。 ビンビン脳がひらめいて、どんな問題でも解けそうな感覚。 たまーに、ある。 普段は三日徹夜したような心と体の重さを引きずってる毎日だと言うのに、ね。
さて、と。 もうひと眠り……
新しい朝。 新しい通勤経路。 新しい風景。
ぎこちない朝。 どこか非現実的な世界。 目が覚める。吐く息が白くない。上着無しでも布団から出られる。 ささやかな幸せ。 今日から通勤電車は使わない。 自転車にまたがり、久し振りのペダルに力が入る。 何年振りかの上、折り畳み自転車ということもあって、サドルのお尻が痛い。 ペットボトルのお茶で喉を潤しながら、会社に向かう。
およそ十五分のサイクリング。 大通りを二本横切る以外は、路地をすり抜けて行く。
深夜になった帰り道。それでも会社を0時に出た。 やっぱり、飲みかけのペットボトルのお茶をぶらぶらさせてサイクリング。 サドルにまたがる気力すらないくらいに仕事のピークが来ない限り、心地良い時間と空間を過ごそう。
たまに歩いてみれば、小説の一本くらい描けるかもしれないし……。
先週はバタバタっと大変だった……。 体調はズルズルと良くないままだったせいもある。 で、そのまんま、とうとう引越し! 週末や祝日に片付けと整理を済ませるつもりだったのが、ほとんど出来なかった。 そのしわ寄せがドンときたわけ……。
ちょいと反則気味の他力を借りて、寝ずになんとか間に合わせた。 お掃除なんて掃除機をかけるのが関の山。拭き掃除なんて出来なかったので、荷物が全部運び出された後の部屋を見ると、うっすら誇りの白い個所がチラホラと。 まあ、仕方が無い……。
原秀則さんの「部屋においでよ」と言う漫画(ドラマでもやってた)のラストを想像していたんだけど、実際はそんな事は無かった。それまでの思い出を回想して、思い出にピリオドを打つ、というのだけれど。
新居にとりあえず移って、やっぱり前の部屋の広さを痛感した。 というのは、勿論今度は一人暮らし用のワンルームで適度な狭さではあるけれど、収納力の差が……。 広さに甘えて、衣類は一間のクローゼットに全てぶら下げて、足元にダンボールを詰め込んでいたのが、今回はそれが出来ない。半間の戸袋付収納の効率的利用方法を考えなければ。 更に、ダンボール七箱分の文庫その他の本をどうするか。前は、ダンボールは口を開いてそのまま部屋に広げて置いていたが、今回はそれだけで床が埋まってしまう。 恐るべし、この本の量……。 まあ、名古屋の真友に比べれば、まだまだ少ないけれど。彼の場合、結婚して新居に腰を落ち着けたってのもあるけれど、収納力抜群の本棚を購入しなおしたらしいからね、こっちも考えなきゃ。
本来、引越しに伴うADSLの回線工事は月曜なんだけど、何故かノートの無線LANだけが繋がっている。お隣のLANを勝手に拝借しているのかもしれない……(苦笑) デスクトップの自分のルーターをつけると、そっちはまったく反応しないからね。 恐るべし、YAHOOのネット環境。
さあ、人生の仕切り直しの始まりの場。 東京は下町のこの部屋から、まさに歩き出す。 今までと同じ日々ではない、これから先に続く灰色の空の下で、自分との二人三脚の紐を結びなおす。もつれて転ぶ事もあるだろう。嫌になってもその紐は決して断ち切る事は出来ない。
仕事と私生活ともの書きと。 三つ巴の一歩ずつを踏み出す……。
床屋に行った。 今日で最後の床屋。 自慢じゃないけれど、床屋で最後まで起きていた事が無い。 今日くらいは、と気合を入れたけれど、やっぱり無理だった。 でも、顔剃りの直前までは意識はあった。 「イス、起こしまーす」 のひと声で、我に返る。 念入りに頭、肩、背中、とマッサージしてくれる。 担当制じゃないところだったけれど、いつもの人にやってもらえた。 「私があたるの、久し振りですよね?」 そうしょっちゅう行ってるわけでは無かったけれど、最後に当たって良かった。
何故だろう?
これ以上無い、幸せの笑みがこぼれて止まらなかった……。
村上春樹さんの「海辺のカフカ(上)(下)」を読んでいる。 「ノルウェーの森」で、さほど感銘を受けたり感動したりとかはしていなかったので、まさかまた村上作品に手を出すとは自分でも思っていなかった。 が、気が付くとこの作品をレジに運び、そしてまた賞味三日強で上巻を読み終え、下巻を手にレジに向かっていた……。 素直に、まだ途中ではだけど、この作品は「面白い」。 許される限り、いつまでもこの作品を読み耽りたい気持ちになっていた。 そんな時、あわせて鎌首をもたげる気持ち。 「早く読みたい。でも、早く読んでしまうと、終わりがすぐにやってきてしまう」 という、ジレンマ。 懐かしい感情が自分の中に蘇ってきた。 いつの作品以来だろう? 終わりが来るのがこんなにも遠ざけたく思える作品は……。 ……栗本薫さんの「グイン・サーガ」は、別世界の作品として。(苦笑) だってあの作品は、特別でしょう。 栗本さんがこの世にいる限り、きっと終わりが訪れる事はありえないだろう。 なぜなら、この世とは別の世界の歴史ドラマを、栗本さんが並行して書き記しているのだから。
コンテストを検索してみると、短編小説として1200文字を規定しているところが多い。 400字詰め原稿用紙枚数が基本になっているから、その枚数分で決まっている。 小学生の頃、作文で使っていた記憶が最後。文房具屋で改めて見てみると、ひとマスが異様に大きく見える。大学ノートも、最初はA罫線で、なんとなくB罫線を使うようになっていった。慣れてきてふと、A罫線を使ってみると、「なんてノビノビ字が書けるんだろう」と、感動したりする。 ノートや紙の規格も、昔はB版だった気がする。たしかB5サイズ。世界規格だかA版(A4)になっていって、なんだかB5規格の感覚のままA4の用紙を前にすると、落ち着きが悪い気がする。 縦書きもそうだ。 文庫本とか小説で縦書きを目にしているのに、書類関係は全て横書き。教科書や参考書はほとんどそう。ま、さすがに国語は縦書きだろうけど。 小説の縦書きで数字の表現で迷い、行末の禁用語句で悩み、打ち出したレイアウトの違和感に溜め息をつく。 出版界への知識不足に、思い苦しむ日が増えた……。
2005年11月17日(木) |
深夜の弁当屋で職務質問 |
「失礼ですが、お仕事は何をされてるんでしょうか?」 今日があともう少しで昨日に変わろうとしている頃、いつもの弁当屋での今までの僕の時間が過去のものになろうとしていた。 「仕事……ですか?」 恐る恐る聞き返す。別に何かをしでかした記憶は無い。でも、いやに慎重な態度で質問されている。 「設計事務所で設計をやって、ます……」 伏せ目がちでぼそっと答える。 次の瞬間、質問をした弁当屋のパートのおばさんが、厨房にむかって元気良く 「あら、誰も当たらなかったー!」 と、ビンゴ大会の結果発表のようなテンションで声を上げる。 僕以外に店内にいたお客さん二人の「何事?」というリアクションを背中に感じながら、思わず僕は背を丸めて縮こまる。穴があったら入りたい、という心境とはまさにこれ。 「不規則な生活のようでしたらから、何のお仕事されてるのか? と皆で思ってたんですよー。『毎日』本当にありがとうございます」 ほぼ毎日通っている自分の職業が、店員さん達のクイズになっているなんて。
いつも深夜に買いに来ているけど、「不規則」じゃないじゃない。規則的にこの時間に来ているだけなのに……。 どんな職業だと思われていたのか、聞くのを忘れて帰ってきてしまった……。
ちょいと欲が出てきたのか、今までは全く遠慮して覗きもしなかった各出版社の文芸大賞を覗いてみた。 途方も無いページ数を求められているのかと思いきや、実はそうではない事を知る。真剣に書いていれば、自然越えてしまう範囲の枚数だった。 やはり「量より質」としてはこれぐらいの量なのかもしれない。 審査員の顔ぶれがすごい。 各出版社毎に、看板作家が選考に携わっている。 当然、出せば必ずその作家さんに見て貰える訳ではない。下読みと言う段階でふるいにかけられる訳だが、その先に進めれば、その作家さんに読んでもらえる。 それだけでもう、感動ものだろう。 読まれて恥ずかしくない物を描ける様になったら、もっと見据えて観て見よう……
「名前の無い週末」 篠原美也子さんの曲名で、一番好きなタイトル。 色んな考え方が人によってあると思う。 社会人になるほど休日は有効に使うように一生懸命になる。 だから、休日に「やる事」「やりたい事」がテーマのようになる。 今までは休日そのものがテーマだった。とにかく休む。それに尽きる。休日出勤が当たり前、平日終電が当たり前、な自分の不始末の結果ではあったが……。 調子が崩れて、休日出勤は極力避けるようにしている。 じゃあ、休日は有意義に取れてるんだ、よかったね。 なんて言われるかもしれないが、その実、そういう訳にはいかない。 平日は仕事をしなければならない。 だから、きちんと薬を飲む。それでも効きが悪かったり、効き目が切れかけてくると、しんどい。 休日は、極力飲まないで過ごす。 だから、いつも以上にしんどい。 休日出勤、ひょっとすると泊り込んでいるかもしれない同僚達は、月曜に出勤してくる自分を「休んだんだから今週も頑張って」と言う目で見る。 休日なんて週末は、楽しんじゃあいない。だから…… 「名前の無い週末」
初野晴(はつの せい)という作家の「水の時計」を読んだ。 オスカー・ワイルドという作家が書いた「幸福の王子」という童話をモチーフに現代医療世界の脳死、臓器移植、臓器売買等の問題を描いている。
「幸福の王子」 銅像の王子がツバメに自らを装飾している宝石を貧しい人達に配って欲しい、そして人々がどう受け取ったのか、喜んでくれたのか、ここから動けない自分に聞かせて教えて欲しい、と頼む。そして自分を覆っている金箔すら全て剥がして分け与えてしまう頃、手伝ったツバメ自身も力尽きて死んでしまう。 ツバメの死と共に、王子の鉛で出来た心臓も二つに割れてしまい、事切れてしまう。 みすぼらしくなった銅像をみた市長達は、すぐに取り壊させ、自分達の像を建てようとし始める。王子の像は溶鉱炉で溶かされようとする。が、王子の鉛の心臓だけは溶ける事が無かった。溶かす事を諦め、その割れた鉛の心臓をごみ溜めに捨てる事にした。そのごみ溜めには死んだツバメも横たわっていた。二人は離れる事無く最後まで一緒だった。神はこの二人を、この町で最も貴いものと褒め称えたという。
脳死と判定されたが、奇跡的にとある条件下でのみ会話が出来る女性が、己の体を移植を待つ患者に分け与えて欲しい。その運び役をとある暴走族の元幹部の一人に頼む……。病と幸せの関係を物語ったミステリー。 「王子」の女性と「ツバメ」の男との、意外な関係が明かされる。
うーん。登場人物それぞれの背景にもっと感情移入できれば、感動する作品。 でも、個人的に感情移入しきれなかった……。あっさりとひと言で表現してしまっている個所に、実はもうひと言ふた言が欲しいような感じがした。
深刻なテーマを扱っているので、中々考えさせられる作品だった。
リライト(書き直し)でふと思った事。 元来怠け者で面倒臭がり屋な自分は、一度形にしたり手を付けたものには、それを崩したり覆したりする事……元ある物はそのままでいいじゃない、白紙に戻したりやり直したりなんてもったいないし、その形にこだわり過ぎて他なんて視界から浮かばないと決めつけ、苦手だった。 最近になって改心。 仕事でも「『人に見せる、見られる』事を意識しろ、俺達はそれこそ何十年と見知らぬ他人様の前にその仕事をさらし続けるんだから」と言われ続けている。 小説もまた然り。 ただただ書くだけで満足して終わりじゃない。 きょうびの日記ですら、誰かに見られる事が前提になってる(ブログ等)のだから、まして小説なんて言うものは、きちっと推敲、校正を重ねる努力を怠ってはいけない。 書くのではない。読んでもらうのだ。 完璧なものなんか出来るはずがない。 その時点での納得出来るものかどうか。 駄目な物は、取り繕っても駄目。 リライト、大いに結構。いや、当たり前。 勢いだけじゃ駄目だね……
2005年11月05日(土) |
オレンジの友とグレイな自分と、白い月と |
「随分、顔色が良くなったじゃない。調子はどう?」 理由がわかっているから、かれこれ一年近くの付合いだから、センセイは笑顔で話してくれた。 去年の今頃は、そう、ただただ辛さだけで一杯だった。理由はわからないけどその自分のオカシサに、不安で埋め尽くされていた。 原因がやがてわかり、でもその現実に改めて直面した実感が湧かずにいた。 そして、改めて現実に直面した時、足元にちょっと力を入れただけでガラガラと崩れてしまうような道を歩まざるを得ない現実に気付き、茫然、愕然とした。 誰であろうと、きっと本当には理解してはもらえない物を背負って行かねばならない事。それでも自分はまだ楽な方だと言う事。 普通の生活を普通に送る為にやらねばならない事、そしてその弊害を覚悟しなければならない事。 「絶対に本気で口にしない方がいいよ。本当にマズイ時以外は」 オレンジ色の東京タワーを見上げて問い掛ける。 「君の様に、僕はちゃんと二つの足で立ち続けていられるかしら?」 缶コーヒーで軽く乾杯を挙げ、残りを一気に流し込む。 甘い香りが一瞬漂い、その残り香を掻き消す様にして背中を向ける。 立てる所に立つしかないんだ……。 何を言われても。
ここのHPのテキスト化もだいぶ進んできた。 ついでに短編小説も改めて見直すことにした。今までは一度書いたらそのまんま、成長の過程でもわかるように、と思っていたけど、今同じ物を書き直したらどうなるか? と、挑戦。 徐々に、オラオラオラ、とリライトしてゆくつもりです。ジョジョなだけに……苦笑 今の時点の自分が見ただけでも、明らかに恥ずかしい物ばかりな気がする。もう少し見られる物に生まれ変わらせなければ……。 アップし忘れてた物も含め、パタパタっとまとめてアップ。 これらの作品も、振り返った時に赤面するような物に感じる時が来るんだろうね。 それは成長の証? さてさて、その成長の姿をここをご覧の、数少ない貴重な皆様、温かくここの宣伝活動も兼ねながら見守って下さいませ……。 m(__)m 宣伝に耐えられる物を書いてゆくように、自分にプレッシャーをかけつつ。
角田光代さんの「エコノミカル・パレス」を読んだ。 前回読んだ「空中庭園」の作者。ついでに先日「爆笑問題のススメ」(札幌テレビ製作、NTV系放送)でゲスト出演していたのを観て、もう一冊読んでみようと思った。 さらっとした文体。ささいなところの、こまやかな描写。 さらっと読める。 テーマは、フリーター的人種の考え方と、現実と。 「ポリシーのない仕事はしない」と就職を嫌う男と同棲している女性ライター。 ライターだけでは生活できずにアルバイトで生計をたてるのに必死な彼女。 それをはた目にしつつも、現実性の無い夢や理想を「口にするだけ」の男。 うーん、「夢だとか理想とか、届かない物に名前を付けるだけ」な思考は、やはり現実には相容れないわけ。 「もの書き」だけでは生活は出来ない。 「超」売れっ子作家にならない限りは。 それと自分を追い込むために退路を断つ、というのはよくない。 だから「もの書き」だけ、ではなく、普通の仕事をちゃんと続けながら、ものを書いてゆく生活を送るのが「ほどよい」そうだ。 ま、そんな話は、それこそ「夢や理想」の世界のお話だけれど……。
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