ダメダメちゃむ日記
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「語るのはとても痛い。語る時、見えない血が吹き出る。」 ↑メインページ参照(穂積純著「甦える魂」より)
という訳で<何が「という訳」なんだか?(笑) ちょっとばかり語り過ぎて、心が出血多量の貧血状態になってました。 ちなみに、まだ生きてます。 絶対に自ら死ぬことはありません。
ただ、しんどかったんです。
ただそれだけのことが、私にとっては心臓が飛び出すほどの勇気の要る行為だなんて、私を知る人の一体誰が予想できるだろうか? 相手に反論をする。 ただそれだけで自分の存在そのものを失うかもしれない恐怖の中で生きているなんて、きっとダーにもわからないだろう。 軽いジョークでなら、いくらでも言葉は操れる。 でも、本当の自分の言葉で相手(特に目上の人・先生)に言い返したことはほとんどない。 勝手な思い込みで、善意という名で押し付けられた、でも全く意味のわからない責任のなすりつけに、今日初めて、 「私はそんなこと言ってません!」 と言い返した。世界が壊れるかと思った。怖かった。
たった一言のメールで他人の心を殺せると知っていて送っているのだろうか。 そうまでしなければ救われない、その人を覆うものは何なのだろうか。
中学校と言う学校現場に身を置いて、本当に辛いのは保護者から寄せられる抗議じゃない。どうしようもない生徒の現実に突き当たる時だ。 点数で生徒を輪切りにせざるを得ない「テスト」・高校入試を背負った中学校で哀しいのは、わかりきった「嘘」で固めて、嘘の点数で自分をかばおうとしている生徒の姿を見る時だ。 目先の3点、4点を誤魔化して、目先の点数だけを上げて、その子に得られるものは一体何なのだろう? 何が怖いの? 答えを書き直してまで点数だけを上げて一体何が欲しいの? ……きっと、それは親の評価。 叱られたくない。 褒められたい。 怒られたくない。 認められたい。 虚勢を張って、本当の自分が見破られないように、でも本当はバレバレの虚構の中で、点数からしか与えられない愛が欲しいのだろうか? ……多分、そうね。私がそうだったように。条件つきでしか与えられない愛にすがろうとあがいているんだね。
そう言えば、私が本当に幸せだった時なんてあるのだろうか? 中学2年の1学期の中間テスト。唯一の幸せな記憶。 担任の先生の話術に乗って、全力を尽くし切ったテストがダントツの1位だった時……? たった一度の甘美な思い出に乗せられて、私は嘘の人生を送った。偽りの人生はどんな幸福をも許してくれないのに。
それが今の私。
自分の書き散らかした文章を読んで改めてそう思う。 これではどなたも書き込むことはできない筈だ。 徹底的に自分しか存在しない、私の狭い心そのもの。
先ほど、ホットメールが届いた。 「ba-ka」と一言。 やっぱり安全じゃないね。 痛い目見るのは私だけでいい。 どうかあなたはあなたを守って。
やっぱりうつ状態だわ。
↑という言葉がありますが、何言ってやがんだい!? と思って手元の辞書(S学館・1992年発行)を引くと、予想通り、(多分高名な)男性国語学者4名による編集で、 ゛「産みの・生みの―苦しみ」①出産のときの苦痛②物ごとをつくりだすときの苦労″ と書いてあった。日本語としては正しい解説だ。健康な人にとって正しい説明だ。
けれど、私はもう一つの「うみの苦しみ」も知っている。日本で正しく共通に理解されることがない、日本語としては不適切な、しかし、私にとってはこちらの方が遥かに重く深刻だった苦しみ。 ――膿みの苦しみ―― 体の怪我が膿んだことがあるでしょうか? その時はどうでしたか? 心が膿んだことがありますか? それは想像を絶する苦しみです。
子どもを産んだことは2回ありますが、運良く何の事故もなく普通分娩できた身には、産んだ途端に忘れる程度の痛みでした。具体的にと言われれば、「鼻の穴にメロン入れてみてください」と答えますが、過ぎ去った途端に新生児可愛さに忘れてしまうくらいの一過性の痛みでした。<運がよかっただけですが。
心の膿み――これは痛くありません。自分でも気付きません。多分生き延びるために、自ら記憶までも封印し、思い出さないように、気づかないように、見ないようにしないようにしなければ生きていけない、自覚さえもできずに他人による無責任な評価に合わせて自分という人間までをも壊してしまう――とんでもない苦しみです。
膿みは出さなければ、治ることはありません。 体も心も一緒です。 そのために、一人ひとり形も立場も違う私たちには「語る」ことが必要なのです。 この1ヶ月、私はお客様へのご迷惑も省みず、ひたすら自分の心の膿みを言葉にして吐き出し続けました。ただ黙って見守って下さるお客様と温かいお言葉を掛けてくださるお客様がいらっしゃいました。 回るカウンターの中では、私は決して独りではありませんでした。 自分で自分の書き込みを改訂するために削除したことはあっても、お客様の書き込みを削除したことはありません。 私が作った「場所(サイト)」を私が誇りに思えるのは、一重に温かいお客様あってのおかげです。
他人のサイトに書き込みをするのはとても勇気の要ることです。 でも、私は誇りを持って言えます。 「ここはあなたの膿みを吐き出していい場所です。 温かいお客様が、あなたの痛みをきちんと見守ってくださる場所です。 そして、管理人である私が、あなたを守ります。 心の膿みを見つめてみませんか? 吐き出してみませんか? 生きなおしてみませんか? あなたのために作ったサイトです。 あなたが生きるために、私のサイトを使ってください」
2003年02月12日(水) |
復活~っ! (≧ ≦)Ω ヨッシャ! |
今朝、職場に行くと何人かの方に、 「先週より顔色がいいね」 と言われました。 「昨日立ち直りました(克服しました)。自分でしか乗り越えられないから」
笑顔で職員室に入り、朝の挨拶をし、出勤印を押しただけでG教頭からも、賞賛っぽい言葉(覚えてません。記憶するだけ無駄だと思ったので)がありました。よくも言えるもんだと思いました。私の心を、魂を踏みにじったくせに、よくも善良面して偉そうな態度が取れるもんだと心底呆れました。 私は生きていきます。 胸を張って堂々と。 私に与えられた試練を乗り越えたスーサイド・サバイバーの1人として。
確かに人の数だけ苦労はあります。 あの人もこの人も大変です。 だからと言って、私が頭を下げる必要はありません。 例えどんなに他人からは見えなくても、私は私の試練を生き延びてきた。 それはきっと語る必要もないし、喋って回る必要もないけれど、私にとっては必要な生きるための誇りですから。
私の中で蠢き始めたものがある。 私の眠りをも奪い、 食欲をも奪い、 気力と体力を奪い、 私の手を震えさせ、 私の言葉を奪うもの。
私に初めて訪れた「怒り」。 正しい知識も持たない周囲の無理解への怒り。 差別と偏見の目で私を遠巻きにする人への怒り。 目に見えない痛みを苦しみを「わがまま」と迷惑視する人々への怒り。 弱者を排除しようとする管理社会への怒り。 ハンディを持った者にまで等しく努力と結果を要求する学校への怒り。 他者のハンディを受け入れる余地を持たない多忙化への怒り。 ぶつけようのない怒りが、 私自身の中で暴れ、あがき、私を傷つけている。
「障害」者がいるから障害を学ぶんじゃない! 障害を持ったが為に、人に当たり前に与えられるはずの権利すら奪われた痛みを持った人がいるから、その痛みをどうやって社会で分かち合うか、ハンディを持たない者と持つ者が共に支え合う「共生」を学ぶのではなかったのか!?
負けるもんか。 ここで退いたら私の負けだ。 2年前と同じ失敗を繰り返すものか。 無理解な管理者に強者に傷つけられたまま敵前逃亡してなるものか。 「うつ病」への正しい知識も理解もない者に 踏みにじられて逃げ出すものか。 「うつ病」患者への無理解と無関心から 差別と偏見の目で私を見る学校に負けてたまるものか。 誰も守ってはくれない。 自分を守れるのは自分だけだ。 弱者が身を守る為には社会と闘うしかない。 未だに教師が「うつ病」であること保護者にバレると、 どんな誤解と混乱が広まり、学校に抗議が来ると 恐れているのが学校現場だ。 「言うな! 言うな! 絶対に生徒に言うな!」 と何度も何人からも善意で言われてきた。 それはあなたたち自身に差別と偏見があるからですね。 「うつ病」は普通じゃないと、あなたが思っているからですね>先生
うつが激しい。 食べられない。 動けない。 うつらうつらしか眠れない。
それでも月曜は学校に行かなければ。 3年生の授業をしなければ。
2003年02月07日(金) |
不安と混乱と恐怖の中で |
不安と恐怖の中で、生徒を前に何を語ればいいのか。 職員室というガンバリストの中で、私に向けられる視線の中に存在することすら恐ろしく、空き時間はあっちにこっちにうろうろし、ひっきりなしにタバコを吸う。 誰も私に声を掛ける者はいない。何と声を掛ければいいのかわからないのだろう。こんなにも緊迫し、張り詰めた私に掛ける言葉が見つからないのだろう。 午後の総合学習の資料を印刷する。 もう自分が何をやっているのかもわからない。 「不安時」に飲むように昨日処方されたデパス2錠を空き時間と、昼休みに飲んだ。 疲れる。 生徒の前で語るだけで疲れる。 2年生に「おかしい」という形容詞の意味を昨日問い掛けた理由を話した。自分の言葉で(自分を隠して)語るのはとても苦しい。耳も貸そうとしない生徒がいるのが哀しくて仕方がない。それでも自分の言葉を語るのは本当に痛い。
早めに学校を出て(先週延期した職員会議@勤務時間超過の回復措置)帰りに病院に行き、ドクターの診察を受けた。安心して本当の自分の気持ちを語れる場。それは診察室だけなのか。ドクターとダーリンだけなのか。 就寝前の薬の追加をもらった。 がんばりすぎないように、たくさん眠るように言われた。 食べられなくても、ドクターは何も指導しない。 「ダイエットになっていいじゃないですか(笑)」 「これで体重でも減らなきゃ苦しみ損ですよね(笑)」 体重は減っていた。今週だけで2,5kg。数ヶ月前から考えると7kgくらい。 いいダイエットになった。 昨日も今日も、コタツで居眠りした。昨夜は(ダーが当直だったので)娘2人が必死に私を起こした。 「お母さん、起きて。起きてお薬飲んで。お薬飲んで一緒にベッドで寝ようよ!」 今日はダーに起こされた。 「しんどいだろうけど、起きて薬飲みよ。薬を飲んでベッドで寝ないと疲れが取れないよ」 家族。私の家族。私を守ってくれてありがとう。 私は絶対に生きていく。仕事をする権利も守る。そしてあなたたちと生きていく。
副学年長のK先生には昨夜、管理職に言われたこと、精神状態が危ういことを電話で連絡した。K先生自身も校長から不当な罵倒を浴びて、K先生の責任ではない膨大な書類を無理矢理書かされたと聞いた。あんな(人を傷つける)校長やG教頭なんかの言うこと気にすることはない、とアドバイスを受けた。 「腹が立つけど、あんな人たちなんかにに負けたくないの」 「私もです」 少し気が楽になった。
朝、目覚まし時計の音で目が覚めた。 とにかく勤務時間に間に合うよう指導されたのだし、あんな人(管理職)たちの攻撃に負けたくなかったので出勤した。<職業人として当たり前 出勤印を押した直後、机に突っ伏した。動けない、話せない、身体が震える、神経が高ぶる、精神状態は混乱し、心身ともに限界にあった。傍から見ても、張り詰め緊迫した私の様子は異様に感じられたのだろう。 「ちゃむさん、大丈夫なの?」 とK先生が声を掛けて下さる。伏せたまま、私は首を振った。全然大丈夫なんかじゃない! 「無理して来たんじゃないの?」 伏せたまま頷いた。 個人の事情は通じないのだと指導されたのだから。今後の仕事振りを見せてもらうと言われてしまったのだから。授業を確保しないと教師生命に関わるのだと、教師としての信頼を失うのだと言われたら、体調がどうであろうが出勤して授業をするしかない。 登校指導には立てなかった。別室に隠れて机に伏せて身体を休めた。 頃合いを見計らって職員室の外で喫煙(寒い!)していると、校長が出てきた。 「薬はどうな?」 「薬とか……そういう問題じゃ……」 この人にはその程度の認識しかないのだ。 「校長先生、先日お話した時、『失うのは簡単だが、取り返すのは並大抵のことではできない』とおっしゃいましたが、……私は何を失ったんですか? 私、頭が悪いのでわからないんです。教えて下さい」 「わしゃあ、あんた(あなた?)が何か失ったとか言ってないで」<そうだ、「生徒と保護者の信頼を失った」と言ったのはG教頭だ。 「そうなる前に、という意味で話をしただけであって、それに私から話をした訳じゃないし」
そうだ、教頭達との面談の後、昼休みに学年長に呼ばれて校長室に行って話をした。睡眠障害、連れ合いの仕事@当直、母との決別ゆえ保育園に次女を連れて行く為に勤務時間に遅れることがこれからも時々あり得ると説明すると、学年長は 「その事情をちゃんと校長に報告した方がちゃむさんにとってもいいから」 と助言を下さり、その上で私が校長に報告したのだ、私の事情を。 返って来た校長の言葉は 「いや、あんたのこれまでの事情とかはもういいから。私は職員と生徒と保護者と全体を見る立場にあるので、みんながうまく回るようにするのが仕事だ。皆さん事情はいろいろあるのだし、見ていて先生方が大変なのもよくわかるし、個人の事情や家庭の事情を言い出したら、全体がうまく回らない。失うのはとても簡単だが、失ったものを取り返すのは並大抵のことじゃできないよ」 だった。そしてこうも言った。 「あんたのことをそりゃあ心配したんで。よっぽど病院の先生に話を聞きに行こうかと思った」<行け! そんな心配を私に押し付けるくらいなら、管理責任を持って自分が病院に行って私の状態をドクターから聞け! 何が禁句でどう語り掛ければいいのか、管理職であるあなたが勉強しろ!
「誰もあんたのことを責めた訳じゃなくて、ただ励ますつもりで言ったのに、自分で自分をそんなに追い詰めてしまったらどうしようもないで」 「自分に向けられた言葉をそう受けとってしまう病気なんです」 「そんなこと言われたら、もうあんたには何も言えないやないか」 (ノ><)ノ~~~~~~~~┻━┻ (そうだ! あなたはこれ以上私に無神経な言葉を掛けるな! いくら校長であろうとも、心の傷みのわからない人間は私に言葉を掛けないでくれ!)
授業に行くと、生徒の前では授業ができた。ある程度の平常心を維持し必要な学力を保証すべく指導支援できた。 授業間の休み時間に、学年部のS先生が「大丈夫?」と私にそっと声を掛けてくれた。 「授業をしていれば、大丈夫です」 「そうやな、子どもと接している方が楽よな?」 S先生は今の私の何をどこまで知っているのだろう? これまでの日記に登場してきたS先生と本当に同一人物なのだろうか? S先生こそが、不登校の生徒を抱え、クラスで起きた問題とどこまで向き合うべきか、今一番苦悩しているはずなのに。
給食はシチューしかのどを通らなかった。固形物を食べる力さえない。コーヒー牛乳、御茶類しか口に入らない。 周囲の視線をビリビリ感じる。隣席のW先生から、向かいのK先生から、病気を背負った○○先生から、他学年の先生から、校長から、教頭から「ちゃむさんがろくに食べてない」という視線を感じる。そして、その誰もが私に声すら掛けられないでいる。 だからなんだ!? 今、私は食事すらのどを通らない状態なんだ。誰に遠慮することがある? 周囲を気にして食べたくもないものを食べる義務などない。食べられないほど傷ついているのだ、食べないくらいの権利はあっていい筈だ(T_T)
昼休み、ドクターに電話した。午後は病院外に出るので頓服薬を処方しておくと言われた。6時間目まで授業をした。最後の授業は逆切れした。限界すら通り越している。 私は火曜日にG教頭に言われたのだ。「どんな事情があろうが、その時間授業をするのが教師の仕事だ」と。ちくしょう! 体調を整える為の年休の行使権すら私は奪われたのか!? 同席した分会長にとって、その指導は当然のことなのだ。弱い立場にある一人の組合員に対する管理職の不当発言よりも、親組合から下りてきた日の丸・君が代闘争の方が大切なのだ!
授業後に1時間年休を取り、病院・薬局で不安時頓服用のデパスをもらった。保育園に次女を迎えに行った。自宅を目の前にした5時、まぶたがつぶれそうになるほど眠くなった。こんなにも、身も心も疲れ果てているのに、私は授業しなければならないのだ! 教頭からそう言われたのだ!! 自習は授業にならない。保護者の期待と信頼に応えるべく、授業を確保することが、あなたが教師として生き残る道なのだと!!
昨日(4日:火曜日)、G教頭と校長とあったことの顛末については、「心が病気」コンテンツをご覧いただきたい。再び書く勇気は私にはない。 哀しくて哀しくて、切なくて切なくて、情けなくて情けなくて、淋しくて淋しくて、痛くて痛くて、帰宅途中に嗚咽を堪え切れなくなり、車を止めて号泣した。 魂が泣き叫ぶような号泣だった。誰が見ているかなんて眼中になかった。車の影で怒号をあげて泣き叫んだ。 ダーに電話した。私は冷静に話すことすらできなかった。中立の立場にあったA教頭から話を聞いてもらうよう、ダーに頼んだ。自分に何が起こったのかさえ理解できない絶望の底にいた。 私の理解者であったはずの傍観者A教頭は、いきなりのダーの訪問に面食らったらしく、保身的な説明をしたようだ。 K察官であるダーは、教員が知らないであろう「現実」を語り、私を守った。 子どもが寝室に行った途端、私は再びダーに抱きついて号泣した。 何故、うつ病というハンディを背負った為に、ここまで貶められなければならないのか、怒りとくやしさに泣き叫んだ。
今朝、教頭の態度は手の平を返したように「笑顔」に変わっていた。保身に走ったな、とわかった。職員室にいる間中、監視されている視線をビリビリ感じた。 自分の不用意な発言(指導)の為に自殺でもされたら、自分の昇進に関わるからだ。 授業を3時間やった。力強く、元気に。 もう疲れ果てた。怒りで身体の震えが止まらなかった。こんな学校にいるのはイヤだ!と全身が抗議していた。年休を取って早退した。 ドクターにメールを送り、電話した。 叫び声をあげて泣き叫び、立ち上がることすらできなかった私が笑えるようになった。
Bricksファーストアルバム「Boy's Life」の「言葉って大切なんだとこの頃思う」より 『大切なのは 分かりたいと 思う気持ちだから』
そんな気持ちもない人に語った私が間違っていた。 管理職は管理が仕事。自分の評価の為に。 子どもを信用してはいけない、保護者が何を言い出すかわからない。 他人は誰も助けてくれない、組合でさえも。 学校とは、社会の縮図です。 弱い立場にいる者は踏みつけられる痛みに堪えるしかないようです(号泣)
2003年02月03日(月) |
ヤバ……(;-_-) |
久々のうつ状態。 語るのって、ホントに痛い。読むのはホント痛い。 健康管理の為に1日休んで、病院行って、薬の量と配分変えて……。 明日は学校に行けるだろうか? 夕方書店で「うつ病」の本を買った。人と接するだけでビビっている。 明日は職場に行けるだろうか? 薬が効いてくれればいいのだが(--;<焦らない!
(--; 焦るな焦るな。 私は今日やっと道(自分の障害)を発見したばかり。 自分探しの旅は今始まったばかり。
自分をちゃんと見つめようとし始めたら、 いきなり外界が私に攻撃をし掛けてきたこの2週間。 いや、びっくりした。ホント驚いた。 そうか~、こうやって自分しか見ないようにして 自分を守って来たんだな~、私。
自分を見つめると、 他人が見えてきた、 先生が見えてきた、 クラスが見えてきた、 生徒が見えてきた、 ダーが見えてきた、 娘が見えてきた。 その全てがSOSを発していた。
キョロ (((゜◇゜; )(;゜◇゜))) キョロ 何、ここ? これが世界? 普通の人なんてどこにもいないじゃん? みんなが悲鳴をあげている。 幸せな人なんてどこにもいない。 それなのに、みんな生きている。
自分に優しくしようと思ったら、 一番最初に初めて重い口を開いたのは 病気のおかあさん(私だ)の為に がまんしてがまんして 一生懸命いい子でいようとがんばってきた 長女だった。(ノ_<。)うっうっうっ! ごめんね、辛い思いさせて。 こんなにこんなに小さいのに 私の為にがまんさせてごめん。 でも、やっとことばにしてくれたね。 すごくすごく辛い思いをしてるって わかってたのに、知ってたのに、 あなたにがまんさせてしまってごめん。 あなたがことばにする前に、 あなたの身体が悲鳴をあげたもんね、 喘息性気管支炎という形で。 愛して欲しかったんだよね、 守って欲しかったんだよね、私から全力で! うん、わかった!
おかあさん、ちゃんと生きるから。 もう心配しなくていい。 おかあさん、死んだりしないから!
なんとなく、自分を軽く励ましてみたい気持ち。
仕事があって幸せじゃないか。 生きていけて幸せじゃないか。 ほんの少数でも理解してくれる人がいるじゃないか。 自分の信じる道を歩ける力を持っているじゃないか。 家族がいるじゃないか。 友だちがいるじゃないか。 大好きな人がいるじゃないか。 自信持って歩いていきなよ。 間違ってもいいさ、 今思う道を歩いていきなよ。 みんな同じ空の下で生きているんだから。
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