★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEX|past|will
2006年02月15日(水) |
どんぐりどきどきともだちだーい |
がっかりするのはいつも誰かのことではなく、自分の狭い領分に対してです。
自分は変わりたいと願うのに、周りには変わってほしくないと願う身勝手な私がそこにいます。
でも周りはどんどん変化していて、結局変われないでいるのは私なのです。
転校の繰り返しだった私は、新しい環境に順応するのに必死でした。みんなで遊んでいたおもちゃは荷物になるからと捨てられ、私が大好きだった場所や思い出の話題は新しい場所では伝わりませんでした。前の小学校のリコーダーを持っていったら色が違うといじめられました。(だから私は小学校の音楽会では絶対にリコーダーを吹かなくていいように死ぬほど木琴を練習して木琴のポジションを勝ち取ってました。)3年続けてきたヴァイオリンですらそうでした。せっかく2冊目の本まで進んだのに、新しい場所では使っている教材が違うからという理由で、一からやり直すことにりました。
新しい環境で、私には自分を守る武器が何もなかったから、取り繕って取り繕って取り繕って、これまで持っていたものを捨てて受け入れてもらうしかありませんでした。武器を持っていない者は、武器のないことをアピールして友好的に見てもらうしかできないのです。
全てを捨てないとやっていけませんでした。それまでのやり方は通用しませんでした。
全てを捨てても、やっぱり私には慣れ親しんだ故郷というものがあって、たまにどうしようもなくそこに帰りたくなって、ふらっと行ってみると、もう私の通った駄菓子屋さんはなくなっているし、いつだったか雀の雛を拾って育てたけれど結局死んでしまって、その雛を埋めた畑には工場が建っていました。
私は新しい世界に順応するために必死に自分を取り繕って変えようとするけれど、これまでに大切にしていたものが変化してしまうと、どうしようもない悲しみと寂しさが込み上げて来て泣きたくなります。残念なことに、物事が変化するのは当たり前のことで、仕方のないことなのですが、自分の目の届かないところで自分の大切なものが変化してしまう、そうすると自分の糧となっていたものが全て消えてしまう気がするのです。
それは私のわがままで、私の領分が狭いからです。 順応性の悪い私は、いつもこのことに戸惑ってしまいます。
私が小学1年生の時、文部省の課題図書に推薦されていた『どんぐりどきどきともだちだーい』という本があります。幼稚園のときの仲良しさんが、違う小学校に通うことになって、私はその子のいない学校生活に馴染めないけど、その子は違う学校でも楽しくやっていて嫉妬してしまうというお話です。結局「離れ離れになっても私達は友達だからね」という友情パワーで二人は別々の道を歩んでいくことになるのですが、私はどうしてもこの二人の友情が永遠のものであったとは思えないし、いつか疎遠になり、相手の顔も忘れてしまう日が来るのだろうと思います。
それは仕方のないことで、だけどそういう現実を私自身が身をもって知っているからこそ忘れたくないという思いが強くなって、変化を恐れるのかもしれません。
遠い昔の呪縛を解くのに私は未だに苦労しています。 変化に強い自分になりたいです。
2006年02月11日(土) |
バトン回ってきましたとさ5〜吉本新喜劇編〜 |
お友達のヨネからLOVEファッションバトンというものを強奪しました。 私のファッションなんて普通に答えると面白くないので、吉本新喜劇バージョンでお答えしたいと思います。
●あなたが好きな異性のファッションのキーワードを5〜10個あげて下さい。 ・うどん屋花月 ・たこやきのエプロン ・花月旅館のハッピ(以前「なんじゃそら3人組」で着てたやつ) ・サラリーマンスーツ(内場勝則限定) ・内場アホボン黒衣裳(黒バッグ付き) ・ヒロボン白衣装(ヒロ人形ネクタイ付き) ・辻本茂雄ジジィジャージ(杖・カツラ付き) ・山田花子花柄水着
●あなたが好きな色、柄は?? ・辻本茂雄ヤクザスーツ(特に浴衣バージョンが好き)
●今後ほしいファッションアイテムは?? ・末成由美専用UFOかつら
●次に挑戦したいファッション ・もちろん花月うどん。
●自分の自信がある所は?? エクスタシーがフルで歌える。(ファッションに関係ねー)
●失敗したファッションは?? ・緑色コーディネート。コケーコッツコッコッコ。
●彼氏(彼女)にするならこんな人。(外見) ・うどん屋の一人息子。 お父ちゃんが小さい頃にお母ちゃんを置いて出て行ったけど、お姉ちゃん と二人でしっかり支え合ってうどん屋を守り続けてきた…ような人。
●ファッションに興味を持ったのは?? ・高校演劇を始めてから。 吉本新喜劇の衣裳の配色は物凄く考えられている。 (時々あかんやろ!っていうのもあるケド。)
●次に回す5人 ・吉本新喜劇をこよなく愛するあなたに。
2006年02月10日(金) |
本当はそこになかったのかもしれない |
高校時代にちょっとだけ憧れていた先輩が不祥事を起こしました。
残念です。
周囲の人を精神的に追い込み、傷つけ破滅に向かっていく彼に、なんとか別の道標を示してやることができればと思っていましたが、結局私達の思いは、彼の狭い範囲での頭の回転に追いつくことはできませんでした。
本当に残念です。
残念という言葉と一緒に「期待していたのになあ…」という言葉をぽつりと呟きそうになる私がいます。
でも私の期待なんて、彼にとっては邪魔以外の何者でもありません。
全ては私が勝手に彼をイメージし、作り上げた幻想なのかもしれません。
彼という彼は、どこにいたのか。どこに向かっていくのか。
高校時代の思い出が、更に遠くにいってしまうような気がします。それは確かに、そこにあったのに。
でもきっと、それも私が抱いているイメージで、幻想なのでしょう。
私は自分の思い出にすら、疑いをかけてしまいます。自分の楽しかった思い出にすら、自信を失くしてしまいます。
最近、私はゲームをやらなくなりました。小学生の頃は大好きで、隠れて何時間でもできたのに、今では自分からゲームの前に座るということはほとんどありません。
昔は少しでもきれいな画像や映像に進歩する度にドキドキし、そしてゲームは私たちの期待に見事に応え、今の素晴らしい映像技術があります。しかしあの時の興奮はもう、ここにはありません。
初めてのゲームはスーパーファミコンでした。弟と、友達と仲良く遊ぶからという祈りの元に、サンタクロースがプレゼントしてくれたものでした。私たちは夢中になって遊びました。
しかし、それはやがて、友達と話題を共有するための、友達を繋ぎとめておくためのゲーム遊びでしかなくなり、私のゲームを除いての人間付き合いをだんだんと困難なものにしていきました。
友達(だと思い込んでいた人)が自分から離れていったとき、もはや楽しいゲームのシステムと映像技術を楽しむことはできなくなり、代わりにとてつもない孤独を突きつけられることになってしまいます。
ゲームの楽しさの代わりに突きつけられた孤独はセーブデータのように簡単に上書きできるものではありませんでした。
今は他にやりたいことがあって、ゲームの画面の中に楽しさを求める必要がなくなりましたが、言い換えれば、ゲームの画面の中に孤独が潜んでいることを知っているからこそ近寄りたくないのかもしれません。
友達とわいわい楽しめるゲームみたいなのは今でも好きなのです。でも自分がゲームの中の主人公になって、一人夢物語に依存するのは、なかなか怖くて根気良くクリアすることができません。
私は最初からゲームなんてものには興味がないのかもしれません。きっと、私が一番欲しかったのは、レベルでも武器でもアイテムでもなく、本当の、友達。
|