★悠悠自適な日記☆
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2005年03月29日(火) 浮気の境界線

 二人でご飯を食べたら、浮気。

 二人でデートしたら、浮気。

 手を繋いだら、浮気。

 部屋に入れたら、浮気。

 部屋に泊まったら、浮気。

 抱き合ったら、浮気。

 キスしたら、浮気。

 エッチしたら、浮気。


 で、結局、どこからが浮気か…な〜んて話になる。「私以外の誰かと二人きりでご飯なんて許せない!」なんていう友達もいれば、「エッチしたら完全アウトだね〜」って言う子もいて、「心が動かなければエッチしても浮気じゃない!」なんて不節操な発言をする奴もいる。本当に人それぞれで、その境界線は極めて曖昧なものだ。男と女によって考え方や生きてきた世界も違うから、そのズレによって喧嘩になったりする。

 ちなみに、私は上記に示したものは、全部嫌だ。でも、それは相手を不自由にしてしまうから、ある程度は寛容にしていようと思う。

 で、その「ある程度」はどこか。

 私の中では、相手のことを考えて行動できる範囲までだと決めている。つまり、自分基準ではなくて、彼氏(もしくは彼女)が基準であると。いくら私が「浮気じゃない!」と思っていても、相手が「浮気だ!」と思ったらそれは浮気なのだと。相手のことを思いやって行動できなかったところでそれは浮気なのだと。

 例えば、私が「男友達とご飯くらい」と思っていても、相手にとってそれがどうしても嫌で、浮気だ!と言うならば、それは浮気であって、踏みとどまらなければならないところだ。そういう彼氏が好きで、そういう彼氏と付き合っているなら、そこは思いやらなければならないと。それが自分にとって重荷で、どうにかしても解決できないのなら、別れるべきだと。私はそういう境界線と決めている。

 一瞬でいいから、私のことを考えて!と思う。思い出して!と願う。それすらされないのであれば、私は彼の中に存在していないから、私はその程度の、いらない存在なのだなと諦めがつく。悲しいけど、それはあまりにもつらい現実だけれど。

 男女の友情は成立すると思う。けれど、男と女が一緒にいるということは、物凄く気を遣わなければならないことだ。気を遣ってこそやっと成立する友情だ。

 私は女だから、自分の身は自分で守らなければならなくて、その必要性から、誰かと二人きりになるときは無意識のうちに警戒をする。友達なら、友達としての付き合い方を徹底して守ることにしている。それがお互いのいい恋愛を、いい友情を守ることだと思っている。そんなけじめのできない奴とは、友達にならない。

 …と、自分はかたくなに守ってみるものの、上手くいかないことが多い。つらいなぁ。


 


2005年03月28日(月) ハラスメント

 今日、バイトで、セクハラに遭ってしまいました。従業員ではなく、常連のお客様です。

 そのお客さんは時々深夜の時間帯に奥さんと一緒にご来店されます。年齢は50歳〜60歳くらい。白髪のパンチパーマです。奥様共々他のお客様とは違う、少し変わった雰囲気を持っていらっしゃる方です。

 その奥様がお手洗いに行っている間にベルスターが鳴りました。注文のメニューを読み上げながら、持ってきた雑誌を広げ始めました。さりげなく、けれども私にはっきり見えるように。

 エロ本です。

 私がいくら見ないようにしても目に飛び込んでくるように、メニューの真横にその雑誌を並べています。結構ハードめのエロ本です。局部のアップがコマ切れになって並べられています。普通こういうのって隠れて見るモンよねぇ!?え!?と思っていると、奥様が帰ってこられると途端にそれを隠します。なんなのよさ!

 数分後、またベルスターが鳴ります。いや〜な気持ちになりながらオーダーを取りに行きます。追加注文らしいのですが、そこでメニューを開く際に、片付けていた雑誌をわざわざ取り出して、メニューと同じようにそのエロ本を開いて読み始めます。もう、故意的にやっているとしか思えないっ!

 普段なら「当店ではそのようなメニューはご用意しておりません。」なんてかる〜く突っ込みが入れられる私なのですが、今日は無理でした。本当に気持ち悪くて、怖くてそのお客様のテーブルに近寄ることができませんでした。キッチン裏や従業員室で交わされる下ネタトークや、ほろ酔いのサラリーマンがウヘウヘ言いながら私に絡んできても笑いながら受け流せる、もしくはそのトークに参加できるのに、今日はオーダーを取る手が震えていました。

 そのお客様が持つ独特の気持ち悪い雰囲気も大きかったと思いますが、それだけではなく、ちょっと精神的に参っていたのも大きく影響したようです。

 学校では、ちょっとしたパワーハラスメントがあります。私は特に気に留めていなかったのですが、ちょっと相談したところ「それはパワーハラスメントやで!」と多数の先輩から指摘を受けてしまいました。まぁ、「嶋子って暇やろ?」と言われて私に全く関係のない雑用的な仕事を突然ポンっと任されただけなのですが。いや、そんなに大変な仕事ではないし、任されること自体は全然よくて、やります!!って感じなのですが、その前の「暇やろ?」っていうのがちょっとチクリ。私って、そういう風に見えてるのかなぁって。

 あぁ、男性不信になりそう…。

 ただでさえ今悩んでいることが男の人のことで、今日のファミレスのおじさんといい、学校でといい、偶然にも男の人ばかりが原因になっていて、どれも全然大したことのない、些細なことばかりなのですが、一番悩んでいる時にそういうことが立て続きに起こったので、正直参ってしまいました。気持ち悪いと思いました。

 私は、性欲の捌け口ではないし
 都合のいい便利屋でもないし
 甘えや寂しさの穴を埋める存在でもない。

 私は、一人の人間であるわけで、
 私は、一人のオンナであるわけで、
 私の、私だけの、個別の単体であるわけで、
 私が、今、ここにいるわけで
 ただそこにいるだけの私ではない。

 私は何なのか、私はなぜここにいるのか、私はあなたの何なのか。

 私がそこにいない。

 そう思うと、悲しくて、寂しくて、閉店後、トイレ掃除をしながらいつまでも泣いていました。
 
 


2005年03月15日(火) いらいらしちゃうわ。

 今日はず〜っと口をへの字に曲げていたと思う。自分でもそれが自覚できるくらい、今日はイライラしてしまった。

 今日は4回生追い出しコンパの仕込みの日。私達の追いコンは、学内のホールに舞台を組み、照明を吊り込んで、少し大きめのライブハウスのようなものを作り上げてしまう。そしてそこでダンスやバンド、コントを披露したりします。いかにも演劇芸能専攻といった感じ。

 その仕込みで、非常にイライラすることこの上なし。

 私達に回ってきた連絡では10時10分前集合。しかし、10分前集合していたのは私と同回生のみっかみ君だけ。

 10時になってぼちぼちと人が集まり始める。ところが今度は肝心のアート館が開かない。許可の取り方で不備があったとか。許可を人任せにしたことで起こったミス。

 20分遅れで仕込み開始。私達の感覚では仕込みとなれば参加団体全員が参加して当然と思うものの、1回生の団体を除き、各団体2〜3人しか来ない。チーフなのに遅刻する人も。

 仕込みも順調に進んでいるかと思いきや、2階の制作室からドラムの音が。仕込みをサボってバンドのお練習。こっちは練習時間を割いて仕込みに参加しているのに、平気でドラムをバンバンできる。一方、ホールでは先輩方が私達がナグリ(金槌)でコンコンしている横でプロレス遊びを始める。今回はプライドをやるとかでリング(のようなもの)を作るのだけれど、自分達がやるくせに、作るのは他の人任せで、自分達は遊んでいる。1回生怒りバクハツ。計画性のない仕込みがダラダラと続く。それが平気でできてしまう図太い神経に、私達の信用を一気に失う。

 1回生は、このテの先輩達が企画するライブにあまり参加しない。というのも、このような先輩陣のやり方についていけないからだ。いつも中途半端な宣伝、曖昧な企画に、何をしようとしているのかがさっぱりわからない。今回の企画にしても、調整会議で企画書が出た時点で参加団体を集う連絡が回らなければならないのに、それをしない。1週間前になって、その企画があるのを当然のように参加団体の確認を取る連絡が回ってくる。直前まで仕込み、リハーサルの日程が決まらない。どのような舞台になるかも知らされない(から練習に困る!)そして、人を集めるための宣伝活動を行わない。詳細を知らせる連絡がまわってこない。そして仕込みを手伝わない。自分達内輪だけで、さも当然のようにやった気になっている。

 そうなってしまう原因を探ってみる。すると、この企画の代表に当たるチーフ陣が、他の自分達の企画でいないのだ。連絡が全く取れない状態。毎年この時期に追いコンの企画があることをわかっていて、それでいながら自分のやりたいことばかりに気がまわっている。

 自分達で何かを企画して、それに真剣に取り組むことはとても素晴らしいことだと思う…けれど、自分の好きなことばかりしていられないはずだ。チーフの仕事に就くということは、仕事を抱えるということは、そういうことだ。時に何かを犠牲にして、我慢しなければならないことがある。優先順位を間違えているのではないか。ひとつひとつの仕事の重さをナメていないか。連絡ひとつ遅れることでどれだけの人が迷惑をこうむるか、それを全く考えていないではないか。

 10やらなければならない仕事があるのに、目の前に面白そうな別の企画が飛び込んでくると、いつも7くらいでやめてしまって次のことに目移りしている。そしてその企画も、また別の企画の出現によって7で終わってしまう。その繰り返し。そして「時間があったらできたのに…」な〜んていつも言い訳ばかりしている。「本当はできるのに…」って。

 バカじゃないか。そういうところに幻滅だ。ガッカリだ。嫌いだ。ひとつのことをやり遂げる習慣がついていない。「本当はできる」んじゃない。できないんだ。仕事ができないのよ、あなたたちは。

 1回生は、みんなこんなことを思っていて。

 こんな風に思われていながら、思われていることを知りながら、改善しようとしない。改善しよう!って言い出す人がいない。仕切れる人間がいない弱い人間ばかり。後輩達は自分達を反面教師にしてくれたらいい…な〜んていいように言ったりしている。そんなことはどうでもいいから、今!ここで!仕事してよ!!…と思う。私は。

 こんなつまらない鎖が代々続いていくと思うとゾっとする。せっかくある企画を、こんなつまらないものにしてどーする。もっと気持ち良い現場にできないのか。

 

 毒をいっぱい吐きました。ここは同じ専攻生が結構見ているらしいので、この日記を読まれてしまうと、私はもう大学にいれなくなるかもしれません(苦笑)締め出されること請負い。覚悟覚悟。でもね、嫌なモンは嫌(笑)アカンもんはアカン。伝えなアカンことは伝えなアカン。…ということで、こっそりここで書きました。ゲロっとな。いや、毒いっぱい吐いていますが個人個人は個性的で、面白くて、いいところいっぱい知ってるのに、なのに群れるとおかしくなる。なんだろう、この汚く漂う空気は。

 いらいらしちゃうわ…。
 


2005年03月14日(月) 白い日

 私の携帯には「くーまん」という機能がついていて、携帯を開くと待ちうけ画面にいるくまが私に話しかけてくる。

「なんで白い日って言うんでふかね?」

 3月になったのに今日も雪が降った。冷たい空気に向かって、私は白いため息をついていた。ずっと、ずっと、自分でも信じられないくらいの気を落として、私はため息ばかりついた。

 テレビをつけるとホワイトデー特集などで賑わっている。街はそうなっているらしい。最近はチョコレートをお返しでプレゼントするのが流行だとか。チョコレートのお返しにチョコレートっていいんですか?なんてぼんやり思ったりする。

 私が望んでいるのはチョコレートじゃない。ヴィトンのバッグでもない。そもそも物じゃない。私が本当に欲しいと思っていたのは、時間の共有。ただ、同じ時を、一緒に、過ごしたくて。長い間一緒にいられなかったから、その時間を私はたまらなく欲していて、愛しいと思っていて。

 お話がしたかった。話を、言葉を、声を。本当にそれだけで、それ以上のことは望んでいなくて。でも、その願いすら叶わなくて絶望的な気持ちになる。遠くに感じる。見えない。きっとそれはお互いにそう思っていて。離れて過ごした時間は大きな氷の壁を作っていった。今日はあたたかい息でそれを溶かしていくつもりだったのに。

 愛することは、見返りを求めないことだと誰かが言っていた。しかし、話をすることですら私は望むことを許されないのか。

 洗濯した ご飯作った 食器洗った トイレ掃除した 掃除機かけた 洗面台磨いた

 「のに…」

 食器洗わなきゃ ゴミ捨てなきゃ 冷蔵庫の中を整理しなきゃ。

 強迫観念。
 私は見返りを求めている…。

 氷の壁に、私は冷たい白い息を吹きかける。私は私に絶望して、白くて冷たいため息をつく。

 気を紛らわせようと友達と話をする。誘われていた映画を観に行く約束をする。先輩と長話をする。先輩とご飯を食べる。バイトを思いっきり入れてみる。店長に歓迎される。店長と話をする。

 だけど私の白い息は止まらない。

 はぁ。
 はぁ…。
 はー。 

 ざーーーーー。

 今日は白い日。ホワイトデー。

 


2005年03月09日(水) 第一の問い「なぜ僕らはここにいるのか」

 先日、友達のお父さんが亡くなりました。

 高校時代に演劇を通じて仲良くなり、浪人中はずっと仲良くしていた友達のお父さんです。脳卒中でした。去年の12月に倒れてリハビリを続けていたそうですが、内出血が止まらずそのままお亡くなりになりました。

 私も遊びに行った時1回だけお会いしたことがあり、Tシャツ姿で犬の散歩をしていたのが印象的でした。私は穏やかな印象を受けましたが実際は厳格なお父さんで、そのことで恋愛について悩んでいるとよく相談を受けたものです。
 
 彼女にとって絶対的な存在だった父親が、突然いなくなりました。

 彼女の身の回りが一転することはもちろん、その話を聞かされた私にも世界の流れがふと変わったような、せき止められたような、息苦しいよどみのようなものが感じられます。

 私達のご両親の世代はまだまだ若い。死を意識する年代ではありません。私も両親が今日明日死ぬだなんてなんて考えもしません。しかし、私達が思ってる以上に死というものは確実に、近づいてきているのかもしれません。

 変わらず元気に見えていた私の母が先日、椎間板ヘルニアで倒れました。周に一度、病院でリハビリを受けています。思うように動けないで落ち込んでいる母は、凄く小さく感じます。

 また、母はよく頭痛を起こして寝込みます。立ちくらみを起こします。検査はしましたが更年期障害だと言われます。あちこちに小さな異常が出て、あちこちの薬を飲むのに大忙しです。

 母に、確実な老いを感じます。

 私達はだんだんと大人になっていきます。世界が広がっていくと同時に、狭まっていくものがあります。
それは、親族の死だったり、両親の老いだったり、自分が以前より体が動かなくなっていることだったり、徹夜が次の日にこたえるようになっていることだったり…。

 自分、身の回り共に、以前とは少し違う、よどみのようなものを感じます。よどみを感じる世界の流れ。そのことに戸惑いを隠せません。

 明日から劇想 空飛ぶ猫の公演の仕込み、明後日から本番です。

 物語は、ある工場で働いている6人の男と女の物語。
 自給750円でせっせと働いて、働いて、働いて。
 毎週木曜日にだけ売りに出される行列のできるピロシキだけを楽しみにして。
 でも、その会社は2年前にとっくに潰れていて。
 そこには、今、何もない。
 私達はそのことに気付かずに働き続ける。
 死んだ人のことは忘れていないが、思い出すことすらしない。
 世の中には、どうしようもない流れというものがあって、
 大切なことは、雑事にまぎれて見えなくなる。
 泥の滝のように、音を立てて流れていく。

 ズーガラガラピー。

 真実は何なのか。
 それを見つけるために、私達は空を見上げる。
 空には青い猫が跳んでいる…。

 現実の中でも、芝居の中でも、生と死と向き合います。
 嫌というほど。
 
 私が今生きているということは、これからを生きていくということは何なのか。
 死んだ人の上に生きているのか、生かされているのか。

 こんなことを精一杯考えながら演技しようと思います。
 いや、あんまり演技しない。
 考えると欝になりそうなことを、そのまま本番で出せたらなと思います。
 私の迷いや戸惑いを、そのまま舞台に乗せます。
 答えを探しません。きっと見つからないから。

 劇想空飛ぶ猫、3月11日より、天王寺ロクソドンタ ブラックで封切です。是非ご覧アレ!!


嶋子 |MAILHomePage

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