★悠悠自適な日記☆
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2003年11月20日(木) フェミニズム

フェミニズム【feminism】
女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。

学問的な知識は全くありませんが、とりあえず広辞苑にはこう書いてあります。

 私の両親は「女の子なんだから…」という言葉が大好きです。ことあるごとにこの言葉を私に投げつけます。「女の子のくせに料理もできないのか」「女の子なんだから服くらいきっちり畳め」「女の子なんだから飲んだコップくらいは洗っておけ」…etc。「女の子なんだから」余計な副詞節です。

 私が女として生まれた時、姑が母に言った第一声はなんだったのでしょうか。

「次は絶対に男の子よ。」

 その話を聞いて以来、私は祖母のことを「おばあちゃん」と呼ばなくなりました。

 我が家にはこういう空気が伝統的に根付いています。

 父は長男で、家の跡取りとして大切に大切に育てられました。反対に母は、考え方の古い父の第二子という立場で、更に女であったために、昔から欲しいもの、やりたいことは全て我慢させられて育ったのだと言います。そして母は、時代のせいか、ただ単に素直な性格だったせいか、それを当然のこととして受け入れてきたとそうです。

 そんな母が、長男の嫁として我が家に嫁いできました。ピアノ以外の習い事を一切やらせてもらえなかった母は、お茶もお花もできない無作法な嫁として、姑と小姑にさんざんやりこめられることになります。

 母は相当悔しかったのでしょう。子供の世話から解放された今、茶道も華道もたしなみ程度ではありますが頑張って身につけようとしています。

 女だから、母はやりたいことを我慢し、女として身につけているべき(だと歴史が作り上げた)作法を当然のことと受け入れてきたのです。

 さて、そんな境遇の中で生きてきた母だからこそ、今度は私にこんなことを吹聴します。

「夫が家に帰った時、妻が家にいる方が家庭は上手くいく」
「妻が夫においしい料理を作ってあげられることが夫婦円満の秘訣だ」
「女は子供を産んであげないと男は嫌気をさす」

 ここに書くだけで吐き気がしてくるセリフです。

 私が家で夫の帰りを待つのは、少しでも夫と過ごす時間を長く「得たい」と思うときであり、私が料理を頑張って作ろうと思うのは、誰かにおいしい料理を「食べてもらいたい」と思うときであり、私が子供を産む時は、私とその人の間に子供が「欲しい」と思った時です。男のための義務ではありません。私が主体です。結果的には同じでも持ち合わせている意味が全然違います。私が必要だと思うからするのです。私にはそれを選ぶ権利があります。女だからという義務はありません。

 しかし、我が家にはこのような観念は存在しません。比較的私も弟も平等には扱ってもらえますが、両親は相変わらず私に「女の子であること」を強制するのをやめようとしません。

 私は女の子に作り上げられたいのではありません。自分で考え、自分で必要と感じたことを身につけていける女になりたいのです。しかし我が家ではその考えが通用しません。だから私はこの伝統的思想から抜け出したいと思い、家を出たいと提案しました。自分の生き方を守るためです。

 すると、「子供は子供らしく、親の言う事に従いなさい」と言われました。あ〜全否定。


2003年11月19日(水) ふるさと

 私には「ふるさと」がありません。「出身地はどこ?」と聞かれると、どこを答えていいのかわからなくて困ってしまいます。

 19年間で引越した回数は4回。大阪→大阪→奈良→神戸→大阪…いずれも関西で、大阪近郊ということは、大した都合ではないのでしょう。しかし、引っ張りまわされる方の身としては、たまったもんではありません。

 私はどこへいっても自分がよそ者な気持ちになります。ここが自分のふるさとだ!ホームグラウンドだ!!という場所がないので、自分の中の支えが常にフラついている状態なのです。

 大阪で生まれたものの、物心ついた頃には奈良に移っていて、奈良でせっかく仲良しの友達もできて、自分の地位を築いたかと思いきや、奈良はたった5年でさようなら。次は神戸にやってきて、よそ者と言われていじめられたりいじめたりしながら震災で人の生きる力を間近で経験し、ドロドロの思春期と甘酸っぱい青春時代を過ごし、10年の時を経てやっと神戸の良さがわかってきたかな〜と思いきや、今度はまた大阪。せっかく「神戸っ子」が名乗れると思ってたのに、また自分の居場所を失ってしまいました。次に住む大阪の地は、ただ住むだけの土地。そこには高校時代の友達も、中学時代の友達もいません。思い入れは何もなくて、ただ実家がそこにあるだけで、ホームグラウンドにはならないのです。

 私はふるさとが欲しかった。将来どこに行っても、私のふるさとは「○○です!!」「○○が思い出の地です!!」って言える場所が欲しかった。せめて実家があればよかったのに。

 最初は奈良だと思ってたら、気が付いたら奈良に自分はいなくて、神戸でやっと腰を落ち着けられるかなと思ったら、神戸も出ることになりました。

 両親はいいです。父の育った田舎にはまだちゃ〜んと実家があるし、母の実家もちゃんと母が育った場所にあります。

 だけど、私にはありません。

 これって、意外と凄く寂しいものなんです。
 
 だから私は引越しがきらい。


2003年11月14日(金) 死ぬ事を正当化する人

 高校で同級生だった女の子が自殺をしました。原因は大学で友達が出来なかったという噂。しかし確かではありません。

 隣のクラスに在籍していた女の子で、親しかったという訳ではありませんが、体育の授業では何度か対戦をしたことがありました。優しくて穏やかそうな雰囲気で、私は好印象を受けました。

 私はショックでした。死ぬことを考える前に、誰かに頼るとか、環境を変えることができなかったのか。

 でも、そう思う反面、逆の立場も、ちょっとだけ分からない気もしないのです。

 私は自分が死ぬことをこれまでに2度だけ考えたことがあります。タチが悪かったのは2回目。「死にたい」という欲求がないのです。生きる気力もなければ死ぬ気力もない。そしてどっちに転んでもいいやと思った時、ふと判断を間違えそうになる。これが恐い。

 でも、私は生きています。人の支えがあって、私は今生きています。ギリギリのところで私は判断を間違えなかった。

 そういう状態が分からなくもないから私は彼女の気持ちが分かる…って言ってあげたいけど、言うもんか。とにかくどうあっても、私は、自分が死ぬ事を正当化している姿を見たくありません。判断は間違ってはいけない。絶対に。

 だから、彼女の行為を私は許す事ができません。


2003年11月07日(金) たこ焼き屋のおっちゃん

 毎週木曜日になると、私の家の近所にたこ焼き屋の屋台がやってきます。外はカリカリ中はトロトロ。このおいしさがたまらなくて、私も時々買いに急ぎます。

 たこ焼き屋のおっちゃんは子供達の人気者。学校帰りに通りかかる子供達は皆おっちゃんに声をかけていきます。たこ焼きの香ばしい匂いに駈られて立ち止まる子もしばしば。そんな子供達のために、おやつ感覚で買えるように子供用たこ焼きが3つ100円で用意されています。「家に帰ってからまた来るわ!」その声は、昔ポケットに30円だけ偲ばせて駄菓子屋に走ったあの頃の自分とオーバーラップします。私が子供の頃とは違って、今は下校時間以外は街がとてもひっそりとしているので、こういう声が聞けるのはとても懐かしく思えるのです。

 子供達だけでなく、おっちゃんは私にも色んなことを話してくれます。この前はたこ焼きとの相性の話。そのたこ焼きと相性が良ければ、来た時にすぐ食べられるけども、相性が悪ければ、何度そこに足を運んでもまだ焼けていなかったり売切れてしまったりするのだそう。そういうのがあるらしいのです。

 そして今日お話して下さったのが、幼稚園に通う子供とその親について。おっちゃんは以前とある幼稚園のスクールバスの運転手をしていたらしく、現在おっちゃんに手を振りながら帰って行く小学生の中には自分が過去に送り迎えしていた子供達がたくさんいるのだそうです。

 おっちゃんは言います。長年子供の送り迎えをしていると、子供の顔と、送り迎えに来る親の様子を見ているだけで、その子供がどんな風に育っていくのかがわかるのだ…と。いじめっ子に育つか、はたまたいじめられっ子に育つか、おっちゃんは全てお見通しなのです。

 現在、おっちゃんはたこ焼きを焼きつつ、選挙前になると選挙関係のお手伝いをして、更に夜には飲み屋のお仕事をして生活を繋いでいるのだそうです。そして夜中は執筆作業!なんと、バスの運転手をしながら見てきた親と子供についてを本にして出版するのだそうです。(本のタイトルは忘れちゃった。)

 今日は随分長い間たこ焼きが焼けるのを待っていた気がします。しかし彼の、物静かで落ち着いた話には深みがあり、時が過ぎるのを忘れさせてくれます。

 今日もたこ焼きを焼きながら、おっちゃんは何を見ているのでしょうか。たこ焼き職人でありながら、人を見る達人でもある。そんなおっちゃんにちょっぴり憧れたりもします。

 しかし、今日会話の途中でおっちゃんが自分のことを数回「おばちゃん」と呼んでいたのがとても気になります。もしかして、私がずっとおっちゃんと思っていた人は実はおばちゃんなのでしょうか!?「い〜!?」(←内場勝則風)

 色んな意味で、もっと話を聞いてみたい人であります。
 


2003年11月02日(日) 好き 嫌い すき すき すき

私は梅干しが嫌い。酸っぱいし。

私はしそが嫌い。苦いし。

私は炭酸飲料が嫌い。シュワシュワするし。

私は虫が嫌い。だってイガイガしてて、恐いし。

私は地図が嫌い。道に迷った時、北ってどっちやねん!って思うし。


でも、私はヨーグルトが好き。たこ焼きが好き。コーヒー牛乳が好き。

アナ・スィは好き。小説が好き。


人は、
「嫌い」なモノほど理由をたくさん持ち合わせていて、
「好き」なものほどその理由を探すのに苦労する。


嶋子 |MAILHomePage

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