Leonna's Anahori Journal
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2002年06月28日(金) キテレツ君のめがね

梅雨の晴れ間。
洗濯したり、布団も干したいところだが我慢して仕事に行く。

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先日、いつもかけていた縁なし眼鏡をこわしてしまった。それでこの数日、家では予備の眼鏡をかけている。八年くらい前に白山眼鏡店で作ったもので、横長四角、ハチミツ色透明のセルフレームの眼鏡。うちではこれをキテレツ君のめがねと呼んでいる。

たしか『キテレツ大百科』というテレビマンガがあって(コロスケという忍者の格好をした小さなロボットが出てくる)、その主人公の男の子がこういう長四角の大きな黒縁眼鏡をかけていた。それで、“キテレツ君のめがね”だ。

かなり個性的で、存在感のある眼鏡なので仕事にしていくのはためらわれ、コンタクトにしていたのだが、今日はこの“キテレツ君”をかけて仕事にいった。するとさっそく同じパートタイマーのイトーチャン(二十歳そこそこ・女子・人妻)が、「あっ、レオナさん、新しい眼鏡ですか?!」。

「ううん、これは昔作ったやつ。いつもの眼鏡、壊しちゃったんだ。…これはねキテレツ君のめがねなんだよ。だからあんまりかけて来たくなかったんだけどさ…」と説明すると、イトーチャン不思議そうな顔で「キテレツ、ですか…?」。

「あのね、マンガであるでしょ?コロスケが出てきて、キテレツ君て眼鏡かけた男の子が出てくるの」。すると、ぱっと電気がついたように「あーはいはい、わかりました!」。そしてさも可笑しそうにニッコリしたあとで「でもいい眼鏡ですよ、お洒落じゃないですか」と。えらい、若妻。お世辞も忘れていない(笑)。

これで気にせずにキテレツ君をかけて行かれるのはよいけれど。さらに、新しく作る予定の眼鏡も個性重視で突っ走ってしまいそうで…自分で自分が心配です(笑)

  
    


2002年06月24日(月) 墓参り

横浜駅で妹と待ち合わせて、母の墓参りに行く。

母のお墓のある場所へは横浜から某私鉄に乗って、昔、長く住んでいた町を通って行く。そこには小学生の時分から二十年以上住んでいた。窓から外を眺めるていると、このまえ来たときには息苦しくなるほどの時間の堆積(指で押せば押し返してくるような気がするほどの)を感じたのに、きょうはもうだいぶん慣れて、あまり特別な感じはしなくなっていた。

懐かしい、という感情の大波をはさんで過去と現在に分断されていた私の生活(もしくは私という人間)が、やっとひとつにつながったような感じ。そしてそうなってみると、これは今だからこそこうなったのであって、少しでも以前ならばこんなふうにはなれなかっただろうという思い。つまり、言い換えれば、なんとなくこうなることに以前から決まっていたのかなという、運命のようなものもうっすらと感じる。

運命、などと書くと大げさだけれど、その“うっすら感”はとても自然で納得のいくものだ。実際、母の墓参へ行く途中で抱く感情として、これほど相応しいものはないのではないか。窓の外をぼんやりと眺めながら、いつのまにかなごんでいた。

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あいにくの曇天だったけれど、墓所のまわりの緑は美しかった。お墓を掃除してお線香をあげたあと、妹とふたりでしばらく散歩する。歩きながらいろんな話をしたけれど、最後はいつものように栗ごはんの話になった。なぜ栗ごはんなのか。初めてこの墓地を訪れたとき、案内してくれた人が「ここの雑木林には栗の木がたくさんあるので、秋には栗拾いが出来ますよ」と教えてくれた、そのことを思い出すからだ。

妹が会社で同僚にその話をしたところ「じゃあ、秋になったら大きな袋を持っていってたくさん拾ってきてね!」と、たのまれてしまったのだそうだ(笑)。そういえば私は栗ごはんの炊き方を知らない。秋までに調べておかないとな、と真剣にそう思った。




2002年06月16日(日) 女王陛下のロックンロール

昼間、TVをつけたら野外ロックコンサートをやっていて、歌っている人を見たらビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンだったのでびっくりした。フルオーケストラをバックに『カリフォルニア・ガールズ』を歌っている。それから『グッド・ヴァイブレーション』を歌って、アメリカからイギリスへアリガトウ、と言って引っ込んだ。

しばらくみているうちに、それが『エリザベス女王戴冠50周年記念コンサート』であることがわかった。会場はバッキンガム宮殿の前庭。
ブライアン・ウィルソンのあとにはエリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、ジョー・コッカー、ロッド・スチュワート、レイ・ディヴィスなどが出てきて歌った。
(ほかにクリフ・リチャードなんかの顔もみえたから、私が見る以前にも、もっとたくさんのアーティストが出てきて歌ったのかもしれない。)

ジョー・コッカーのときにはクィーンのブライアン・メイが横でギターを弾いた。昔、武道館でみたときと(遠目には)まるで変わっていない。ロッド・スチュワートは一時よりも随分若返ったように見える。喉のポリープを取ってから歌声までフレッシュになった。ポール・マッカートニーはこの日は白髪を染めていた。クラプトンと二人で、亡きジョージ・ハリソンの曲を二曲演った。

傑作だったのはレイ・ディヴィス。この人、よくまあこんな場所に出てきたなと思っていたら、歌い始めた曲が『ローラ』だった。『ローラ』はキンクス1970年のヒットで、内容はロック史上初めて、公然と性倒錯者について歌ったもの。“クラブで出会った素敵な女性に誘われて家へついていったら実は彼女は男だった”…そういう歌を、女王陛下のお祝いの席で平然と…。まさに「雀百まで踊り忘れず」(笑)。

しかし、なんだかんだ言っても一番面白かったのは、冒頭に書いたブライアン・ウィルソン。きちんとネクタイしめて、キーボードの前に座って、相変わらずニコリともしないで歌ってましたわ。でもって、それを見ているロイヤル・ファミリー(故ダイアナさんのダンナさんと息子達)もおっかない顔してジーッと見つめてるんですよ、ブライアン・ウィルソンを(笑)

それはともかく。『グッド・ヴァイブレーション』を生で聴いたら冗談抜きでブライアン・ウィルソンは偉大だと、改めて感心してしまった。もの凄く前衛的で、しかもきれいな曲!。発表当時はもちろん、いまでもあの曲を生でキチンと演るのはむずかしいはず。でも、この日の演奏はバッチリ決まっていました。




2002年06月03日(月) セネガルのお土産話

きのう、イ・ズーからきいたセネガルの話から。

イ・ズーは劇団の広告写真の仕事でセネガルへ行った。撮影地のひとつにバオバブの林というのがあって、バオバブの木というのは一本でもとても面白い形をしているが、それが見渡す限り何もない平原のなかに林となって生えているさまは日本では決して観ることの出来ない幻想的な眺めだそうだ。

プレーリー(平原)のなかの林だから、山深い日本の森などと違って明るい。明るいだだっ広い平原のなかに、忽然とバオバブの林が在る。しかし忽然と現れたのはバオバブだけではなかったらしい。現地に着いて撮影準備を始めてふと気がつくと、数人の子供がいつのまにかそばに立って、イ・ズーたちの仕事を見つめていたというのだ。

イ・ズーいわく「まわりには家も道もなんにもないのに。いつの間に、どこから来たのか、全然わからないのよ〜」(笑)

その珈琲色の肌をした小さな子供たちはその後も、撮影作業の途中で確認するたびに少しずつ増えていったそうだ。
「でも、本当にどこから来たのかわからないの。『歩いてきたの?』って訊いても黙ってるし。」
「まるで、プレーリーから生えてきたかのように…(笑)」
「そう!そうなのよー。ホントに不思議なの。」

その集まってきた子供たちのなかにひとり、眉間のあたりに何か貼り付けている子がいる。何かと思ってよく見たら、サッカー選手のシールだったそうだ。昔、お菓子のおまけに爪でこすって転写するシールが入っていましたよね?私も家の柱やタンスにこすりつけてよく両親から怒られた、あのシール(笑)。

子供の眉間に貼られたそのシールは、もしかしたらディウフ選手かアンリ・カマラ選手(いずれもセネガル代表、FW)のシールだったかもしれません…
    





これは昨日イ・ズーからもらったおみやげ。林檎のシナモン煮と梅ジャム。ラベルまで全部お手製です。
      





林檎のシナモン煮をアイスクリームといっしょに食べました。ベリウマ〜〜〜。イ・ズー有難う!





2002年06月02日(日) nakata.net.cafe

友人のイ・ズーを誘って、筋肉痛のケアに使うマッサージオイルを買いに銀座へ。松屋裏のニールズヤード(英国の薬草療法の店)でオイルとサルヴ(軟膏)を買う。

テニスとマシントレーニング後の筋肉をこれでもって揉みほぐしてやろうというわけだ。物凄く薬草臭いけれど、私はこういうのは大丈夫。(というより大好き。)さて、効くかな?


買い物のあと、歩いて有楽町へ移動。以前から行きたいと思っていた東京国際フォーラムのnakata.net.cafeへ。テラス席でローストチキンのプレートとコロナビールを前にしばし歓談。

私たちが着いたのは午後一時くらいで、混んではいたけれど入場制限はなく、なんとかテーブルも確保することができた。ところが時間が経つにつれて店内は猛烈に混み始め、二時前には階段下に長蛇の列が。おそらくアルゼンチンvsナイジェリアをカフェのモニターで観戦しようという人たちが集まってきていたのだろう。

しかしnakata.net.cafeは期間限定の仮設カフェ。それで、二階テラス部分の強度の関係から一定の客数を超えると入場制限が行われ、出たお客と同じ人数だけ順番に入れてもらえるようになっている。
ビールを飲みながらイイ気分で小一時間も喋ったりインターネットをしたり、楽しく遊んだ私とイ・ズー。そろそろ並んでいる人たちに席を譲りましょうと二時過ぎに外へ出た。

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ところで、この日イ・ズーは派手な柄の巻きスカートをはいて現れたのだけれど「きれいな色ね」と言ったら「セネガルで買ってきたんだ」、という。…セネガル!初戦でフランスを撃破したセネガル。なんてタイムリーな!

でも、そう言われてみれば確かに昨年秋、彼女は仕事でセネガルのダカールへ行ったのだった。出かける前に電話がかかってきて、9・11のテロのこともあり「少しビビっているんだ」と言っていたのを旧ジャーナルに書いた覚えがある。(セネガルは回教国で、その時期はちょうどラマダンに当たっていた)

それで、カフェでの話題はもっぱらセネガルのみやげ話ということになったのだが、これがまた大変面白かったのだ。実に抱腹絶倒、そしてチョッピリ不思議な雰囲気も…。
このセネガルの話については、また日を改めて書きたいと思います。












ビールについてきた紙製のコースター。記念品として大事にとっておきます。


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