Leonna's Anahori Journal
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梅雨の晴れ間。 洗濯したり、布団も干したいところだが我慢して仕事に行く。
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先日、いつもかけていた縁なし眼鏡をこわしてしまった。それでこの数日、家では予備の眼鏡をかけている。八年くらい前に白山眼鏡店で作ったもので、横長四角、ハチミツ色透明のセルフレームの眼鏡。うちではこれをキテレツ君のめがねと呼んでいる。
たしか『キテレツ大百科』というテレビマンガがあって(コロスケという忍者の格好をした小さなロボットが出てくる)、その主人公の男の子がこういう長四角の大きな黒縁眼鏡をかけていた。それで、“キテレツ君のめがね”だ。
かなり個性的で、存在感のある眼鏡なので仕事にしていくのはためらわれ、コンタクトにしていたのだが、今日はこの“キテレツ君”をかけて仕事にいった。するとさっそく同じパートタイマーのイトーチャン(二十歳そこそこ・女子・人妻)が、「あっ、レオナさん、新しい眼鏡ですか?!」。
「ううん、これは昔作ったやつ。いつもの眼鏡、壊しちゃったんだ。…これはねキテレツ君のめがねなんだよ。だからあんまりかけて来たくなかったんだけどさ…」と説明すると、イトーチャン不思議そうな顔で「キテレツ、ですか…?」。
「あのね、マンガであるでしょ?コロスケが出てきて、キテレツ君て眼鏡かけた男の子が出てくるの」。すると、ぱっと電気がついたように「あーはいはい、わかりました!」。そしてさも可笑しそうにニッコリしたあとで「でもいい眼鏡ですよ、お洒落じゃないですか」と。えらい、若妻。お世辞も忘れていない(笑)。
これで気にせずにキテレツ君をかけて行かれるのはよいけれど。さらに、新しく作る予定の眼鏡も個性重視で突っ走ってしまいそうで…自分で自分が心配です(笑)
横浜駅で妹と待ち合わせて、母の墓参りに行く。
母のお墓のある場所へは横浜から某私鉄に乗って、昔、長く住んでいた町を通って行く。そこには小学生の時分から二十年以上住んでいた。窓から外を眺めるていると、このまえ来たときには息苦しくなるほどの時間の堆積(指で押せば押し返してくるような気がするほどの)を感じたのに、きょうはもうだいぶん慣れて、あまり特別な感じはしなくなっていた。
懐かしい、という感情の大波をはさんで過去と現在に分断されていた私の生活(もしくは私という人間)が、やっとひとつにつながったような感じ。そしてそうなってみると、これは今だからこそこうなったのであって、少しでも以前ならばこんなふうにはなれなかっただろうという思い。つまり、言い換えれば、なんとなくこうなることに以前から決まっていたのかなという、運命のようなものもうっすらと感じる。
運命、などと書くと大げさだけれど、その“うっすら感”はとても自然で納得のいくものだ。実際、母の墓参へ行く途中で抱く感情として、これほど相応しいものはないのではないか。窓の外をぼんやりと眺めながら、いつのまにかなごんでいた。
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