1988年04月03日(日) |
選手紹介 1988年度組 (後編) |
--- 7月〜3月生 --- ←4月〜6月生 ▼町田 朋弥 1988.07.30生 [176cm/65kg] FW 「マチ」 静岡・井宮FC→清水Jrユース (静岡籠上中) →清水ユース (静岡南高) U-15日本代表・U-15ストライカーキャンプ・東海クラブ選手権優秀選手・静岡選抜 (03年)
決めてくれ、エースストライカー。Jrユースではナイキ杯以来、誰と組んでも、得点を決める役割を自他共に認める存在だった。しかし、小学生の時は静岡FCに選出されていない無名の存在。が、中3春にU-15代表に大抜擢されると周囲の評価も一変し、様々な選抜の場に呼ばれるようになった。昇格当初は主戦を張っていたが、怪我人の復帰と本人の怪我で出番を減らす。2年目も交代出場が続いたが、Jユース杯後半戦から先発の座を手にし、ラッキーボーイ的活躍で同大会の優勝に貢献。そのまま3年目も先発の座をつかんだが、なかなか結果を残せず、早い時間帯に途中交代を強いられることも多かった。
兄の健好 (元清水JY) はポストプレーヤーだったが、弟はひたすらゴールを狙う。シュートのためのポジショニングと、シュートを撃つ意志と、シュートを外しても気にしないお調子の良さを持つ、とってもストライカー。殊にニアに飛び込む動きと、シュートリバウンドに備えてGKの前に飛び出る動きに優れる。しかし、最近になってプレー幅を広げ、サイドに流れるなど得点の起点となるようになった。素早い判断とダイレクトプタッチを得意とし、フィジカルも人並み以上ある万能型選手であり、この方が適正があるだろう。 万能型選手の常として、これぞという武器がないというところがある。「得点力」が最大の武器といえるだろうが、町田の得点は周囲との連携で奪うもののため、攻める時間が短くなるとどうしても消えやすい。トップを目指すのならば、もう一つ単独で局面を打開する力がほしいところであったが、ロングボールを多用した高3時のサッカーでは、残念ながら結果を出せなかった。
▼岩本 大 1988.09.09生 [180cm/70kg] CB 「マサ」「マサル」 清水FC/有度二SSS (清水有度二小) →清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (静岡市立高) →中央大 U-16NTC (04年)、U-15日本代表・U-16/14NTC・メニコン杯選出&クラブ選手権優秀選手・静岡選抜 (03年) U-14日本選抜・静岡選抜 (02年) 、静岡中東部選抜 (01年)
03年度清水エスパルスJrユース主将/ 06年度清水エスパルスユース主将。中2にクラブでCBのバックアッパー、日本選抜としても経験を積み、翌年、クラブ選手権・高円宮杯共に最少失点を誇った堅守の象徴となる。昇格後、いきなりDFリーダーの役割を担うが、村越・佐野克が怪我から復帰した後は出番を減らした。2年目も当初、不動の3バックの一角となるが、最後の2ヶ月に4バックへシフトすると、またも出番を減らしている。主将として臨んだ3年目も、夏頃から下級生にポジションを譲る形で終わってしまった。
攻守に驚異的な判断速度と視野の広さを発揮する。ボールを奪いに前へ出たと思えば、前後左右を広く応対するカバーリングで、着実に穴を塞いでしまう。だが、真の驚異は、殆ど全てダイレクトで処理する判断速度。クリアボールを一気に前線に当てて、一発で局面を転換しようとする。パスだけでなく、機を見れば大胆に攻め上がり、ゴール前の場面に絡む。ポジショニングに難を抱える佐野克とのコンビは、正に好一対であった。こうした知的なDFだが、試合中は常に声を張り上げ、チームを奮い立たせる闘将。筆者は、高円宮杯敗戦での岩本の涙を忘れられない。 課題はフィジカル面の脆さ。特にスピードにも難があり、ドリブラーに対して簡単に一方を切って逆へ切り返されて突破されることが多い。なまじ判断が良い分、相手のミスを待ってそれを奪う癖がある。2年の時、中央ではなく敢えて右ストッパーで使われたのは、その克服を求める指導陣の期待の表れだろう。しかし、ミスを犯す確率の少ない相手=プロに上がるなら対戦を避けられない相手に対し、能動的に体を当てて奪う守備ができなかったことが、プロ育成機関であるユースチームでの出番減に繋がった。あと緊張しやすいタチらしく、一発のパスを狙い過ぎて相手に当ててしまったり、落ち着きのないプレーも多い。
▼池田 康彦 1988.09.15生 [169cm/62kg] CH 「ヤス」 FC島田/初倉FSS (島田市初倉小) →清水Jrユース (島田初倉中) →清水ユース (静岡学園) →阪南大 U-16NTC (04年)、U-15日本代表・U-16/14NTC・メニコン杯選出&クラブ選手権優秀選手・東海クラブ選手権優秀選手・ 静岡選抜 (03年) 、U-14NTC・静岡選抜 (02年) 、静岡選抜 (01年)
ナイキ杯の時の主将。中2の頃から完成度は高く、一つ上の学年に交じって先発に割り込んだ。最終学年では主将を岩本に譲ったが、変わらず声とプレーでチームを牽引。ユースでも、前年の二枚看板ボランチ、枝村と山本真の負傷もあって定位置を掴むと、彼らの復帰後もポジションを譲らずに最長の出場時間を誇り、1年目にしてチームの重心を司る。しかし、2年目は柴田・高野、3年目は前田と、コンバートされた選手の前に出場機会を失った。
好きな選手が、マケレレ (しかもレアル時代) という、実に渋い選手。池田自身もよく走り、泥臭く体を張り、共にボランチを組む選手の攻撃力を遺憾なく発揮させた。169cmと小柄ながら、90分間動き続けるスタミナ、周囲の流動的なポジションに惑わされずに急所を見極める戦術眼、大型選手の突進を正面で受け止める勇気は、それを補って余りある。ゴールが決まれば真っ先に喜びを分かち合い、敗戦に打ち拉がれる選手に駆けつける、そんな真っ直ぐな精神がとても素敵。 そんな池田の課題は、臨機応変さ。チーム戦術に従って「スペース」にパスを出すことはできるのだが、周囲の状況をよく見て正確に「選手」にパスを繋ぐことを苦手としている。体格の問題もあってキープ力に欠ける時があり、素早いプレスを受けて慌ててボールを失い、相手のショートカウンターを許してしまうことも。Jrユースからユースへ、とりわけトップを目指すという視点から見た場合、より厳しくなるプレッシャー下で要求される技術を満たせられなかった。
▼桑原 彬 1988.10.27生 [174cm/62kg] RB・CH 「アキラ」 清水FC/有度二SSS→清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (清水東高)
双子 (実は女の子を含む三つ子) の桑原兄弟の兄。利き足は右。有度二では、2人でボランチを組んでいたそうだ。Jrユースでもボランチでプレーしていたが、渥美の怪我もあって、右SBに転向。今度は、双子で左右対照のSBを組むことに。秋以降は、怪我から復活した渥美にポジションを譲ることも多かったが、無事に昇格を果たした。1年目は右SBとして、渥美と二番手争い。2年目終盤に4バックを採用されると再び渥美を右SBを争い、Jユース杯決勝トーナメントからレギュラーを掴んだ。3年目にはチームの方針がなかなか定まらない中、再びボランチを務めるなどしていたが、夏の大会を最後に引退している。
元々ボランチだったこともあり、視野が広く、柔らかいキックを持ち、パス出しにセンスを伺わせる。後方に位置してアーリークロスで狙いつつ、前方の動き出しに巧みに合わせてきた。カバーリングにも優れ、CBの裏をケアできる。最近になってドリブルに力強さを増しており、前方の状況に合わせて縦に裏へ抜けたり、中に切れ込んだりするようになった。一方、コンタクトに脆さがあり、ドリブラーと対峙すると強引に押し切られてしまうことがある。攻撃面では、相手を抜くためのスピードやフェイントも、磨きを掛けていきたいところだ。
▼桑原 卓哉 1988.10.27生 [173cm/65kg] LB・LH・CH 「タクヤ」 清水FC/有度二SSS (清水有度二小) →清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (清水東高) →東北大 メニコン杯選出・東海クラブ選手権優秀選手 (03年) 、静岡中東部選抜 (01年)
双子 (実は女の子を含む三つ子) の桑原兄弟の弟。利き足は左。有度二では兄とボランチを組んでいたが、清水入り後はサイドプレイヤーに。ナイキ杯で10番を付けたが、小出・佐野克の2人のレフティを前に先発を確保できなかった。しかし、佐野克がCBにコンバートされたのに伴い、Jrユース最終学年で左SBのポジションを取るや、ユース昇格1年目から同ポジションで定位置を確たるものにし、2年目には4バックでも3バックでも、左SB・左WBとして不動の存在。この2年間の出場時間は、同期の中で最長である。当然、3年目もレギュラーを務めるが、安定しないチーム事情の中で中盤の様々な位置を務めることになり、自身のパフォーマンスも安定しないまま、夏で引退してしまった。
兄と対照的に、競り合いの強さとドリブルが持ち味。特に評価したいのは、体のバランス感覚。相手は止めたはずなのに、こぼれ球を先に拾われて結果として抜かれてしまう。守備でも交錯した際に体勢を崩さないので、こぼれ球を拾って奪取できる。それを抜きにしても、足下深く入れるドリブルは脅威であり、中に切れ込んでサイドに回る味方を使うと思えば、するするとPA内まで侵入することも。左足のキックは微妙な変化をする球種が豊富で、クロス・シュート共に正確。ボディバランスに並ぶ隠れた長所が、スタミナ。最長の出場時間がそれを物語るが、試合中にも終盤になるにつれてプレーエリアを広げていく。逆サイドからのクロスへの守備など、ポジショニングも良い。 コンタクトには強いのだが、瞬間系の運動能力は並程度であり、フェイントに引っ掛かって置き去りにされることがある。また、キックのパワーも今一歩で、サイドチェンジなど大きな展開やシュートの威力が足りない。その能力、実績から言っても間違いなくトップ昇格の有力候補だったのだが、国体選抜招集後にめきめきと自覚を増していった隣の佐野克に比べ、最後までリーダーシップを発揮することが殆どなかった。学業の面も含め、プロ向きではなかったのかもしれない。
▼神田 和哉 1989.02.05生 [172cm/64kg] CH 「カンチャン」「カンダ」 藤枝FC/青島SSS→清水Jrユース→清水ユース (静岡学園) →青山大 U-14NTC (04年)
早生まれ保存委員会指定選手。エスパルス支部は、杉山浩・仁科の後に存続の危機に陥っていたので、彼には感謝の意を拭えない。中3夏のクラブ選手権では、消化試合の広島戦を除けば5試合で僅か5分の出場。それが大きく成長して秋にはCHの一角を占め、次の春にはU-14NTCに選出と、実に早生まれ選手らしい経歴を持つ。ユース昇格1年目は出番が全くなく、2年目もその状態が続いたが、Jユース杯F東京戦で負傷の高野に代わって出場すると、続く準決勝・決勝に先発して優勝に貢献。しかし、3年目には揺れ動くチームにあって確たる結果を残せず、出場時間もポジションも安定しなかった。
元々は非常に小さな選手で、その体格故にフィールドに転がされることが絶えなかった。しかし、多彩なキックを装備し、特に浮き球を処理する際のボールとの一体感は、ファンタジスタの名に恥じない。ダイレクトタッチが多く、パスの方向は広角度で、ゴール前のアイデアに恵まれている。ここ数年で大きく成長したのは守備面で、豊富な運動量で体を張り、ボールを持ち運ぶ動きで潤滑油としての機能を果たす。とはいえ、フィルター役を務めるには、体の強さはまだまだ。意外性のあるプレーも良いのだが、場面に応じた確実なプレーも要求したい。
--- Jrユース在籍選手 --- 渡邉 友基 DF 1988.04.07 170/58 清水FC/岡小SSS→清水JrY→静岡学園高 望月 雄介 FW 1988.04.14 169/58 ○◎● 静岡・南藁科SSS →清水JrY→静岡学園高 村松 武 MF 1988.04.19 166/47 焼津JFC/竜南ファイターズSSS→藤枝北高、※U-12NTC (00年) 村越 浩佑 MF 1988.06.11 167/49 静岡FC/港SSS →常葉橘高 遠藤 慎也 MF 1988.09.05 165/56 清水FC/興津SSS→清水東高 西村 嘉章 MF 1988.12.26 170/56 静岡FC/宮竹SSS→清水JrY→玉野光南高、※U-12NTC (00年) 北川 貴史 GK 1988.12.15 174/68 ◎ 清水FC/飯田ファイターズSSS 志村 恭輔 DF ----.--.-- 171/51 清水FC/有度二SSS→清水JrY→清水七中→清水東高
○は02年7月ブラジル遠征登録メンバー、◎は02年8月クラブユース選手権登録選手、●は03年11月高円宮杯登録メンバー。身長・体重情報は、03年クラブ選手権・高円宮杯のもの。
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1988年04月02日(土) |
選手紹介 1988年度組 (前編) |
ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。
ナイキプレミアカップ (中2): 中3 (2003):
−−−−−−町田−−望月−−−−−− −−−−−−町田−−長沢−−−−−−
−−小出−−−−−−−−−−小泉−− −−小出−−−−−−−−−−小泉−−
−−−−−−池田− 桑原彬 −−−−− −−−−−−神田−−池田−−−−−−
− 佐野克 −渡邊−−岩本−−渥美−− − 桑原卓−佐野克 −岩本− 桑原彬 −
−−−−−−− 山崎晃 −−−−−−− −−−−−−− 山崎晃 −−−−−−−
渡邉友基・望月雄介は静岡学園に進んでいる。
昇格後の布陣は、こちら(高1、高2)
--- 昇格 --- ▼佐野 克彦 1988.04.30生 [181cm/65kg] LB・CB 「サノ」 焼津JFC/焼津西SSS (焼津市西小) →清水Jrユース (焼津大村中) →清水ユース (静岡市立高) U-19日本代表 (06年)、U-17日本代表・静岡国体少年選抜 (05年)、U-16NTC (04年)、 U-15日本代表・U-16/14NTC・静岡選抜 (03年)、U-14NTC・静岡選抜 (02年)
スピードのある現代型DF。中2から一つ上と交じり、レギュラーLBとして全国大会を経験する。中3の春先から本格的にCBへコンバート。以後、岩本と共に、清水の堅守を象徴する存在となった。昇格後は怪我もあってやや遅れたが、監督交代後に望月監督代行の下で1年目から左CBの定位置を掴み、高2では3バック・4バックに関係なく不動の存在に。石垣との強固な守備でJユース杯優勝の原動力になる一方、国体ではLBとして活躍。高3では年齢的に1つ上のU-19代表に呼ばれて左SBの座を争ったが、最終選考には落選した。チームではチーム事情から左SB固定とはならず、CBとして若いDFラインの中で孤軍奮闘する姿が目立った。このように、実はLBで起用された時間は長くないのだが、昇格後期待されているのは、間違いなくLBとしてであろう。
恵まれた体格に加え、ジャンプ力を含めた瞬発系に強い。そのため、質量×速さの2乗に比例した猛烈な運動エネルギーをもって、対地対空共に相手を吹き飛ばす、力強い1対1を誇る。走れるタイプであり、前に出ながらや戻りながらの守備を得意とする。足下の技術も確かで、逆サイドを意識した視野も広く、強力なパワーを宿した左足のロングフィードで50M先を狙う。プレースキックを担当するように、インに掛けて鋭く曲げるクロスボールも配備。その左足の技術は、FKから直接ゴールを奪うほど。攻撃参加を好み、スピードを活かして遠い先のスペースまでダイナミックに駆け上がるだけでなく、大胆なフェイントで相手を抜き去ることも。国体参加後は自覚を増したようで、自発的に味方に対してコーチング (精神面も含めて) するようになった。 ただ、ポジショニングの判断に課題があり、守備でのカバーリングが非効率的。時々集中を切らして、裏をとられることがある。ユースレベルでは、少しぐらい反応が遅れてもあっという間に距離を詰められるスピードがあるだけに、むしろ課題の克服に時間が掛かった。高3では唯一の3年生としてDFラインを引っ張る役目を任されることも多かったが、石垣や岩本のようなDFリーダーが他にいた時に比べ、明らかに彼自身のパフォーマンスは落ちていた。また、競り合い自体には全く問題はないが、その後のヘディングのコントロールは磨く必要がある。実際、恵まれた資質に比して、得点が少なすぎる。
▼長沢 駿 1988.08.25生 [189cm/70kg] FW 「シュン」 清水FC/飯田ファイターズSSS (清水飯田東小) →清水Jrユース (清水飯田中) →清水ユース (静岡学園高) U-19日本代表 (06年)、U-17日本代表 (05年)、U-16NTC (04年)、U-16/15日本代表・U-16NTC・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年) 静岡選抜 (02年) 、静岡選抜 (01年) 、U-12NTC (00年)
清水FCの元エースFW。ナイキ杯のメンバーから漏れて一時期、世間の注目から外れたが、その1年後のJrユース最終学年、長身CHとして全国の舞台へ再登場した際には、10cm以上も背を伸ばしていた。U-16/15代表にも選ばれ、中3秋から遂にFWへ復帰。ユース昇格後はFWに固定され、徐々に出場時間を延ばしていくと、2年目のクラブ選手権での奮戦で自信を深める。一方、SBS杯の静岡選抜に選ばれながら国体直前に落選する屈辱を味わうが、それをバネに発憤した長沢はエースとして覚醒。Jユース杯で16点 (うち10月からの9試合で15点) を稼ぎ、得点王として優勝に寄与した。しかし、高3では春先こそゴールを量産していたが、徐々に前線で孤立して空回りする姿が目立つようになり、U-19代表にもアジア予選直前で落選。ただ、課題だったパワーはつけてきており、これからプロの世界で通用するか挑むことになる。
中学生時代、長身をあまり活かせないCHで育てられたことが、彼の器を大きくした。判断の速いポストプレーは最大の強みで、バックパスや左右への展開だけでなく、スルーパスの狙いやゴール前のワンタッチプレーなど、視野が広い。中盤でプレスをいなした経験から、長い手足と柔らかい足技を駆使して足下にキープができ、懐の広さはポストでは勿論、シュートの前のトラップにも活かされる。かと言って典型的なポストプレーヤーではなく、走りながらのパスや裏に抜け出す動きも得意としている。これも、MFとして走らされた実績の賜物だろう。ミドルシュートもある。 一方で苦手とするのが、FW的なプレー。だいぶ改善されてきたとはいえ、姿勢と目測に難があり、空中戦の競り合いに弱い。速いパスをダイレクトで合わせる際の精度に欠けている。シュートの威力も不足している。克服すべき課題は数多とあるが、それを全て満たすことができれば、日本を代表する選手になるだろう。高3の時、行徳監督は意図的に長沢の頭を狙ったロングボールを多用させ、長沢に得意のパスサッカーではなく、空中戦を強いた。チームとしては結果が出なかったが、長沢にはこの経験をプロの世界で活かしてほしいものだ。
--- 4月〜6月生 --- →7月〜12月生 ▼渥美 直人 1988.04.13生 [166cm/61kg] RB・CB 「アツミ」 静岡FC/麻機SSS→清水Jrユース (静岡観山中) →清水ユース (静岡東高) →静岡大 静岡選抜 (03年)
運動能力に秀でたサイドプレイヤー。中1から中2にかけてのナイキ杯では、不動のレギュラーを務めたが、怪我もあって、中3夏のクラブ選手権では先発から外れてしまう。しかし、大会後にCBも務めるなど、忠実にポジションの穴埋めの役割を果たした渥美は、冬の高円宮杯では、再びRBのレギュラーとして4強に貢献した。昇格後も、同じくRBを桑原彬と争っていたが、行徳監督の選択から桑原彬が引退した後も1年生の望月卓にポジションを譲る。しかし、CBやRHも務められるバックアッパーとして、最後まで貴重な存在だった。 運動能力、特に爆発的な瞬発力があり、スピードとジャンプ力で背は低さの補い、10cm以上高い相手を対空迎撃する。精神的に強く、攻めては意欲的にチャレンジを繰り返し、守っては削り合いに挫けない粘りがある。適性は間違いなくSBの方で、スピードを活かしたダイナミックな攻め上がりが持ち味。アウトサイドを多用したキックは面白く、低い位置からも積極的にアーリークロスをPA内に放り込む。ただ、一列前に小泉などのドリブラーを置いた場合、スペースを消し合う場面も見られる。良いキックを持っているが、それ故に中の状況を見ずに手前勝手なクロスを上げる時があり、よく行徳監督から注意されていた。
▼小泉 慶治 1988.05.01 [167cm/59kg] RH・FW 「ケイジ」 清水FC/興津SSS→清水Jrユース→清水ユース (静岡学園) →専修大
突貫系サイドアタッカー。右SHの位置からの高い突破力が特長で、この学年の切込隊長を務める。疲労骨折の疑いで中3夏に出遅れた以外は、常に主戦を張ってきた。昇格後すぐに交代の切札の一人として出場機会を手にすると、2年目にはレギュラーの座に納まった。3年生では不動の存在になるが、長沢にロングボールを蹴り込む戦術の中で得意のドリブルを繰り出す機会が減り、むしろ守備での惜しみないプレスが目立ったほどだった。
スピードとアジリティに恵まれ、切り返しから縦に加速する動きは、分かっていても止められない怖さがあり、2・3人程度なら軽く振り回す。ボールと一体感があり、足下からボールが離れないフェイントを武器に、一度止まった状態からも勝負を仕掛けられる。潰されても潰されても、何度でも勝負を挑む勇気も、称賛に値するだろう。テクニックも高く、特にクロスは、相手を抜き去って上げるせいもあるが、実に精妙。ダイレクトで合わせるボレーも得意で、第3のFWとしての役割も果たす。 切り返しがやや大きくなりがちの傾向があり、途中で大きい相手に体を入れられたりすると、苦労することが多い。プレー幅が狭く、攻守によく走るだけに、突破を封じられるとスタミナが尽きるまで勝負して、その後は完全に消えてしまうことも多々あった。また、案外気の短いところがあり、平松もビックリの交代後7分で退場した履歴あり。
▼小出 洋孝 1988.05.14生 [168cm/61kg] LH・LB 「コイサン」 清水FC/駒越小SSS (清水駒越小) →清水Jrユース (清水第四中) →清水ユース (清水南高) →名古屋学院大 U-14NTC・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年) 、静岡選抜 (02年) 、静岡中東部選抜 (01年)
88年組随一のファンタジスタ。ここぞという場面で決定的な仕事する選手であり、中2からJrユースで、交代の切り札として使われてきた。同期内では攻撃のキーパーソンで、中3夏にかけて好調を維持。しかし、秋口から調子を落とし、一つ下の杉山和の台頭を許すなど、やや悔いの残る終わり方になった。昇格直前に負傷、長いリハビリを経てようやく高2の秋から練習試合に顔を出すと、高3では何とDF (LB) として起用される。ほぼレギュラーの座を掴んでいたが、夏の大会後に引退してしまった。 負けん気が強く、ボールの扱いが小気味よいサッカー少年。ドリブルという明確な武器があるのだが、ダイレクトタッチも多く、即興性のプレーで魅せてくれる。左足のキックは豊富なレパートリーを揃えており、クロスだけに拘らず、鮮烈なミドルでゴールを揺らすこともしばしば。恐らくリハビリ中に黙々と鍛えていたのだろう、復帰後の左足はパワーとキレに磨きが掛かっており、LBで起用されたのも浅い位置からアーリークロスでゴールに直結できるからである。 元々即興性に溢れるがために波のあるのが難点だったが、苦しいリハビリを経て特に守備で粘りが出てきた。しかし、やはり本来は攻撃の選手であり、ポジショニングを誤ったり、相手の強引な突破に弾き飛ばされたりするなど、堅実性があるとは言えない。なお何故か、「こいさん」とさん付けで呼ばれているため、「88年組の裏番じゃないのか?」「Jrユース時の背番号が五十音順だったのも、小出が10番を着けるために画策したのではないか」などと、約1名の観客にあらぬ疑惑を掛けられている (爆) 。
▼山崎 晃太 1988.06.17生 [180cm/65kg] GK 「コウタ」 静岡FC/南藁科SSS→清水Jrユース (静岡服織中) →清水ユース (静岡大成高) U-15GKキャンプ・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年)
88年組の正GK。一つ上の前田からJrユースのゴールマウスを譲り渡されると、その地位を渡すことはなく、チーム最長の出場時間を記録している。昇格1年目は出番がなく、2年目も控えに甘んじていたが、夏のクラブ選手権前に怪我をした前田から再びゴールマウスを受け継ぐ。この緊急事態にも安定したセービングで応え、以後は正GKとしてJユース杯優勝まで清水のゴールを守り続けた。当然、高3でも正GKとして君臨するが、結果を出せないまま夏のクラブ選手権で引退。以後、チームは吉田/柴田/長島の間で正GKが決まらず、大いに苦労したあたり、彼の存在感の大きさが伺える。
石垣・佐野・岩本といった強力なCBに隠れがちだが、山崎も堅守のワンピースに相応しいGKである。流れの中での冷静な判断は特記するものがあり、我慢して「待つ」ことができる。特にドリブルシュートに対する反応が鋭く、分かりやすい攻撃からのゴールは許さない。キャッチング・フィスティング・ディフレクティングの使い分けも確かで、真田の経験が確実に伝授されているようだ。正確なキックは体の成長につれて飛距離を伸ばし、今や彼の武器の一つになった。 ただ安定しているように見えて、何故かポカの多い選手であり、時間的余裕があると逆に迷いを見せてしまう。サイドからのボールに対する空間把握が狂うことがあり、ニアや頭上を抜かれることも。空間把握の面では、セットプレーでのポジショニングも今ひとつ。
▼山崎 竜男 1988.06.24生 [177cm/63kg] FW 「タツオ」 清水FC/FC両河内 (清水西河内小) →清水Jrユース (清水両河内中) →清水ユース (静岡農業高) 静岡選抜 (03年) 、静岡中東部選抜 (01年)
丸刈りの髪型のおかげで、見分けがつきやすいのが嬉しいFW (笑) 。中2のナイキ杯では登録の20人から漏れたが、最終学年にポジションを確保。が、得点という結果に恵まれず、神田の台頭に伴い長沢がFWにコンバートされて、秋から出番を減らした。昇格後1年目は殆ど出番がなかったが、2年目は春先から好調で先発に名乗りを上げる。その後、長沢が頭角を現すにつれて長沢と相性の良い町田にポジションを奪われることが多くなるが、長沢・町田・山崎、同期3人のポジション争いは最後まで続いた。 ボールへの執着心があり、勤勉なフォアチェックで貢献。前線では同期の中で最も身体的に強く、ゴール前だけでなく前後左右への幅広い動いて体を張り、ボールを体ごとゴールに運んで泥臭く突き進む。シュートに力みが見えたり、逆に躊躇を見せたりすることがあったが、最近はだいぶ足技が洗練され、決定力を改善してきた。ただ、プレー幅の狭さは問題。体格は並以上ではあるが、群を抜くほどではないので、体を張ったプレーを跳ね返すほどの相手に対し、いかに周囲との連携でチャンスメイクし、ゴールを決めるかが、彼への命題である。最終学年ではスペースへのパスと動き出しに長けた長沢・町田のコンビを意識するあまり、山崎の良さである泥臭さが失われ、そうした荒削りさが残る一年下の藤牧にポジションを奪われたきらいもあった。
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