2003年02月20日(木) |
interlude〜どうしていつまでも恨むの〜 |
見えないものなら、どこまでも愛せる。
でも見えないものは、いつまでも憎むことはできない・・・。
相手を恨む気持ちを、持続させるというのは 真に根気のいることだと思う。 相手を思い出し、今も見続け、執念深く 思い続けなければ、憎しみの気持ちを継続して 行くことはできない。
それは、建設的なエネルギーではないから・・・・。
どうして、いつまでも、恨みたいのですか。 本当は好きだからですか。
いつまでも愛することさえ自信がないわたしには、 心底、わからない。
2003年02月15日(土) |
interlede〜望み〜 |
高すぎる望みなら、 手にしない方がいいのだろうか。
それとも、手が届かないから欲しい?
人にとって価値がなくても欲しいものがある。 でも、今欲しがってるものは、たぶん、 人が欲しがるからわたしも欲しい・・・・・
世界中で見捨てられても、わたしがいるよ。 そう言ってあげられるけど、 それはどこまで本当のこと・・・?????
2003年02月05日(水) |
間違った?日本の家族・介護 |
うちの利用者さんは、子供や嫁、婿など家族に主な介護を受け、サービスを その補助として利用している人がほとんどだ。 しかし中には身内が近くにおらず、独居、もしくはそれに近い生活で、 かなりの部分をサービス利用で暮らしている人もいる。
大分前、関係者と意見が食い違ったことがあった。 「子供に介護を頼まない親は、本心からそう言っているのか、あるいは 無理をしてそう言っているのかどうか」ということについてである。 在宅にかかわる我々には、古くて新しい話題なのだが・・・。
ワタクシの方は、それまで、介護保険施行前のとある地域の調査結果で、 子どもの介護よりサービス利用や施設介護を選びたいと回答している 中高年者が多かったという結果も記憶にあったこともあり、 「実際に、身内の介護より他人の介護を希望する人はいる」 と、言った。
しかし、 「そんなはずはない」「それは本心ではない」「条件が整わないから 遠慮してそういう選択をするのだ」 と、それを頑として認めない人がいて、どうにも平行線のまま、その時は 話が終わった。
今もしばしば周囲の関係者や利用者さんから、そう言う意見を聞くことがあり、 「介護は家族がする『べき』である」「介護は家族が行うことが最高」 という神話の強さを感じるのである。
今も変わらない結論としては、 「あなたの介護は、あなたと、周りで行う人が納得する方法でやればいい」、 それだけである。 そしてそれは、「あくまで自分の身内の価値観である」 ということを自覚し、自分たち以外のよその家庭の人間に押付けるべきでは ない、ということである。
家族以外の介護の価値を認めない人の中には、こんなことを言った人もいる。 「日本の家庭は何かが間違ったんだわ」
何も間違ってなどいない。
地元で職を得られ、祖父母・孫まで同居でき、女は黙っていても自分の2倍以上 稼いでくれる夫の元で家事・育児・その余剰としての介護に専念でき、 寝付いた年寄りは半年程度であっさり亡くなり、あるいは親が倒れたら 仕事を辞めても若い夫婦は生活に困ることなどなかった、 そんな呑気な時代ではなくなった、ただそれだけのことだと思う。
また、親と子は必ず愛し合っているものだろうか、そうではないと思う。
子どもも自分の生活を持ち、自分の価値観を持つうちに生活観が 相容れないものとなる場合もある。実の親子なら同居がうまく行くか、 というともちろんそんなことも絶対ではない。 互いに悪感情は抱いていないのに、何か価値観や性格がかみ合わない親子だって いるのだ。 声高に「介護は子どもが行うことが絶対」「自分達の生活を優先させるのはエゴ」と叫び、 積極的にサービス利用をする人や、諸事情で介護に携わらないでいる人を 批判したりする人の中には、自身、親の介護を行っている人もいる。 ワタクシには、こうした人たちはきっと自分の介護生活に疲れ果て、ストレスを 抱えているが故の八つ当たりもあるのだろうな、と思えてならない。 親も自分の子どもには大事にしてもらいたいだろう。 でも、親自身というものは、いくら年老いても子どもは子どもだと思っている。 自分はさておいても何よりも子ども、そして孫たちの生活を精一杯生きて欲しい。
そう考えるのも、また「親心」だと思うのだが。
付け加えると、前述の「介護身内絶対主義」の人たちには、親御さんの障害が重く、しかも重度の痴呆を抱えているという共通点があった。 さらに介護者ご自身は「介護のために」(?)独身を貫いていたり、離婚してしまっていた人であった。 お父さんが、お母さんがしっかりしていたら一体何と言っただろうか。
自分のせつなさのはけ口を、大事な親の介護に求めているかの様子は、 非常に傍目にもやるせないものであった。 介護は、欠損した心の穴埋めではなく、自分も愛に溢れてありあまる愛情で行って欲しい。
・・・そこまで言っちゃうと理想すぎですけどね。
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