気持ち★すっ飛びダイアリ
↓良かったら投票してね。

My追加
 < 過去  INDEX  未来 >

2002年11月29日(金) 「在宅」でも外に出よう

訪問看護を受けてるのは、持病のある人、障害を持つ人である。
うち多くは急性期症状が出ていたり、病状が安定していなかったりするが、
中には、比較的安定した状態で家で過ごしている人もいる。

そうした人に対して、ワタクシたちは、
外出もどんどんすすめたりします。

言わなくても自ら積極的に外出して、少々無理をしすぎる傾向の方には
「気をつけて」と声をかけます。
が、制止はしません。

だって家にいるんですもの。

家にいるということは、まちの中にいる、
コミュニティの中にいるということです。
社会の中にいるということです。

世界とつながっているということです。

外出するのだってその人の自由です。
外出許可なんて要りません。

多少はお金がかかったり、人手がかかったりしますけど、
ちょっと本人も疲れたりしますけど、
「外に出たい!」と思う気持ちが叶えられると、
それに代えられない幸せが手に入るんです。

 同じ障害でも外出に積極的な人のホームページを見て、
「この人は元々頭がいいから・・・」
「自分と違って若いから・・・」
なんて決め付けないで。

呼吸器つけてたって、体に麻痺があったって、
みなさん、外に出ましょうよー。ワタクシは年をとっても、体が
悪くなってもできるだけお買い物にも、旅行にも出たい。
だから、利用者さんにもそうしてもらいたいんです。

ひと季節に1回くらいは表に出て、季節の風を感じましょうよ。

 そうでないと、もっともっと、からだだけじゃなくて、
 こころまでなんだか弱くなっちゃいますよ。

今また、イルミネーション観覧に誘おうと思ってる
利用者さんがいます。どうかな?

いい成果をここに書けたらいいな。


2002年11月28日(木) 頑張れ若い介護者さんその2

前回つづき。

 年若い20代の方が、親ごさんの介護にあたっていたり、
主介護者ではなくても自分の時間を使って、介護に熱心に
協力しているようなご家庭にもよくお目にかかる。

 そういう若い方たちの内訳は、まあ既婚であったり未婚であったり、
様々だ。主介護者として、時間的に多く介護にかかわるには、
当然、長い時間自宅にいられる人、例えば仕事をしていないか、
パートタイマーか、自営で時間的には短くても家族交代で、こまめに
見に来られる人に限られるので、これは誰もができることではない。

(とは言えフルタイムで働いていても、職場の協力を得て
昼休みだけ帰ってきて日中1時間半だけ介護に携わったり、
夕方ぎりぎりまでサービス(ヘルパーさんなど)で埋めて、
定刻帰りで夜から朝までは家族で介護を担当したり、
ぎりぎりのスケジュールの中で、多くの人が頑張っている
のも現状であるが)

 しかし、主介護者が自分ではなく、例えば自分の母親だったりして、
父方の祖母を看ている状況だとしても、
その母親の姿を見て育つからなのか、あるいは意識してそう育てたのか、
介護そのもの手伝いや、負担のかかっている分家事や用事の手伝いで
実際、何かと協力している人が若い家族には多く、
個人的な体験で言えば
「若い人、特に20代後半の人は、家族を思いやれる優しい心を
もっている人が多い」
とつくづく思う。

 これは厳密に言えば、地域性なのか(よその地域では違うのか)
どうかわからない。ただ、前に書いたように、中途半端な
中年の世代よりも、割合で言うと圧倒的に
「家庭や家族を大事にする」人が多いように思えるだけだ。

 一方で、仕事中毒になどなりようもない現在の雇用情勢が、
自宅にいるフリーターの若者を増やしている事実もあり、
そのような若者が
「どうせうちにいるならばあちゃんの面倒でも見ようか」
と考えて、家庭の出来事に対して積極的に協力する傾向にあると
すれば、国の経済を考えると必ずしもばら色とは言えないかも
知れないが、しかし、これは巷の評論家が10年も昔から
知ったように言ってきた「パラダイムの変換」が、
若い世代から確実に進んでいるとは言えないだろうか。

 キレる若者、危ない子供。
 かの「17歳」は今20歳くらいか。

 今自分がかかわっている「優しき20代」は20代後半である。
厳しい時代だが、彼らがもうすぐこれからの日本の中心を担っていく。


 物質中心主義から心の時代へと。


無機質な感性を持つ、彼らの半周り後輩達を、その優しき心で
うまく導いていってくれはしないかと、ぼんやり思ったりもするのである。



2002年11月26日(火) 頑張れ若い介護者さんその1

訪問看護の利用者さんをご家庭でささえているのは、
うちのステーションの場合、多くが利用者さんの同年代の伴侶である。
夫が妻を看る、あるいは妻が夫を看る例がまあまあ多い。

しかし場合により実のお子さんが看ている例もあり、
中にはまだ20歳台の若い方もいらっしゃる。
その場合男女の別も、独身か既婚かも様々である。

 子供が親御さんの介護をしている場合、それが娘さんではなく
普通なら働いているはずの壮年期の、独身の、しかも無職の!
息子さんだったりすると、ま〜ず、いや〜な感じでしたね。
それは偏見ではなく、実際かかわった例に限っての話である。

最近は、要職に就いていた男性が、退職して親の介護に専念する例も聞く。
(よく講演などをされていたりしますね。)
今や「介護は女の仕事」などと家の中では言っても
外で言いわる人はぐっと少なくなったように思う。
働いている妻に生計を預けられる場合は、少ないながら
男性でも介護に就くようになったし、
体制としてはまだまだであるが、一応男性も介護休暇を
とれるようになり、先ほどのように専業するまでもなく、
一部にしても、男性も介護にかかわれる世の中にはなってきた。

 が、しかし、うちの利用者さんの例ははっきり言って
「介護を口実にしたパラサイト」オジサンばかりであった。

よく介護をしてくれている人はほとんどなく、
本人は熱心なつもりらしいが医者や我々の助言には耳を貸さず、
何か独自の理論(不気味なことですが。宗教的な理由であれば、まだ
理解できるようになりましたが、あるいは何か精神疾患、
境界域などの方であったのかも知れません)による
自己流介護を続け、大事な親御さんに入退院を繰り返させていたり、

あるいは介護などしたいわけでなく
「年寄りと一緒に住んでやってるだけありがたいと思え」
という態度がありありでおむつも代えず、痴呆のため
介護を拒否する親に対して
「食べないと言ってるから食べさせませんでした」
と食事・水分を与えなかったり、ネグレクトに近いことを
行っていたりする例がほとんどだった。

 そのような例の多くは、親ごさん自身が収入の高い職業で、
その親に可愛がられた息子である。
 可愛がられすぎて、定職にも就けず、結婚もできず、親の年金で
パチンコに行くだけが趣味の悲惨な人生(と言っても彼らはまだ
40〜50代でしたよ!)・・・・・日本は本当にひどい国になった
(そんな昔は知りませんけどさ)と思いました。

 腹いせに痴呆の親を怒鳴りつけるくらいなら、働け、職安行け!
と思います。でもそんなことはいい育ちのお坊ちゃんの
プライドが許さないのでしょう。体だけ(人によっては学歴も!)
一人前、でも人間としては一体どうなのか・・・・?
最近そういう人が多いです。
 いい年になりプライドばかりが高くなり、人の助言に耳を貸せなくなる。
結果医者も看護師もヘルパーも及び腰になり、本当に親身な援助は
してくれなくなる。

 訪問看護で一番苦悩するのは、ワタクシの場合、
 「処遇困難事例」でもなく「重症者」でもなく
 「ターミナル」でもなく、そういう社会のひずみに
 対峙せざるをない時です。・・・・・・


 前置きが・・・また長くなりましたんで、つづきます。

本論は「若い介護者さん」です。20代の介護者さんや、
若いご家族の優しさについて書こうと思います。



2002年11月22日(金) 冬のイタリアン

寒ーくなって来ました。

今日はアジを焼いて見ました。
でも、アジさばいたの初めてで、
えっこの体の両側についてる背骨?って何?って感じ。
いえいえ、キリの方でも医療職のはしくれ、
マジで背骨と思ったわけではないですが・・・びっくりしました、

「ウロコの一種でゼイゴと呼びます」(by non-noお料理基本大百科)

・・・。あ、そうなんだ(汗)。何のためにあるんだろうね。

皮ごとこそげ取ります。

・・・っておーい、もうおろしちゃったよん。
こんなちび魚から皮とったら、食べるところ、
なくなっちゃうんじゃないの!?
どうにかこそげとり、
(うち包丁が指に1HIT!どおお、切れてなーい。あーセーフセーフ。)
皮が思ったより堅いことに気づいて(ワタクシの皮含む)、
皮をむいて身だけを使うことにする。

 一口大に斜め切りし、塩コショーをする。
フライパンで、先にナス、キノコ、余った細々野菜を
オリーブオイルでさっと焼いておく。
ホントはオーブン焼きのつもりだったので、あまりかき回さない。
アジを入れてさらにオイルをかけて火を通す。
水分を飛ばすので蓋はしない。
上からオレガノ、バジル(たっぷり雪のように)、
ガーリックパウダー(ちょびっと)を振りかけ、
市販のトマト缶を加えてさらに焼く。
最低限魚に火が通ったら、あとは
野菜の焼き加減と水分のとび具合で、
その時の好みで火を止めできあがり。

夕食時。

「いいかもー。手かかってるー」
ゴメン、手がかかったのはアジとワタクシの指だけでした。
「パスタに合うかも」
そなんだよね。でもご飯朝炊いちゃってたから、ご飯なの。
完全イタリアンメニューのつもりだから、
本来パンにでもしたかった!

ちなみに他にはこないだの冷凍エビと白菜のクリーム煮。
簡単料理に感謝――!
ワイン代わりに食後はシェルパティーにしたよ。
今日はケイタイ当番の日だから。
でも、シェルパティーは白ワインの方がうまー。

 その日、急変した利用者さん宅からは電話も来ず。
良かった良かった。

 いつかは去り逝くこの地、この世。
毎日を楽しく過ごしたい。この日が大切。


2002年11月20日(水) 共感て何

訪問をしていて思うのは、看護で言う共感とは、「相手に自分と心情的な共通点を見出し、できる限り想像力を巡らせて自分と近い存在だと結論つけること」だと思う。つまりは「他人じゃない」と思うことではないかと。

訪問看護は対象者が生活の場にいるので、IVHが入ってようが、癌末期であろうが、先天性の疾患を持っていようが、「自分達と同じように」家族があり、生活があることを忘れないで援助することができる。生活の援助や全人的な援助というのは看護の決まり文句だが、それを援助できる訪問看護は他より偉い、というつもりはない。それは訪問看護の「偉さ」ではなく単なる「利点」だからだ。
 なかなか見えてこない対象者の自宅の生活に思いを巡らせ、一緒に退院後の生活を考える病棟の看護の方が、一口に「全人的な援助」と言っても不利で大変なのである。

 話はそれたが、訪問看護を受ける人は、あるいは散らかった部屋に住み、家族と喧嘩し、ご近所の通夜に香典を出し、地域を徘徊し、犬や猫ときままに寝起きする。これが施設で叶うなら、もっと皆が入所を希望するだろう。けど、そうではないから多くの人ができる限り家で過ごしたがる。
 健康レベルがどうであろうとも。
 重い病気を抱えても在宅生活に戻った人が、(周りの)思いのほか長生きするのはやはり人らしくいられるからだと思う。治療や検査で必要があれば多くの人は入院を選ぶかも知れないが、病院は生活の場ではない。人として末期を迎える場所ではないと思う。社会と切り離されることが、人間としての死を早め、結果的に生命を縮めてるように思う。

 施設、病棟で看護をするとユニフォーム、縦割りの業務、医療者先導の管理型サービスの中で、看護職が相手を「自分と同じ」と思うことが果たしてできるのだろうか。幾ら相手に共感をしようと思っても限界があるのではないだろうか。
 看護師はキャップをかぶり、白いお仕着せを見に付け、上から見下ろす。ワンピース型の白衣はスタイリッシュに窮屈に、しゃがんだり、相手に必要以上に近づくことを妨げる。つんと立って腕組みするのに実に向いたデザイン。相手は、寝る時間でもないのに寝巻き。無防備と無力の象徴。社会の顔を剥ぎ取られ、押付けられた健康至上主義の中で気ままに生きる権利の主張も認められない。
 いやならば医療を受けなければ良い、と言う意見もあるが・・・いや、今書いたようではない医療を選べばいいだけです。他人には違いなくても、その中でも「他人ではない」とほんの一部でも思ってくれ、医療者が自分と一緒に考えてくれるような医療を。

共感とは「他人じゃない」と思うことだと言う訳は、ワタクシ自身が自分が一番大事な人間だからです。相手に起こっていることが、「自分や自分の家族、周りの人にもあり得ること」だと感じること、それは相手が自分と「地続き」であると感じることです。自分と相手は別の人間だけど、共通する部分もある。生き物としての人間は少しずつ違うバリエーションがあり、その少しずつ違う部分が相手と自分の個性で、人間の全ての個性を四方に広がるグラデーションに例えたら、どこかで相手と自分はつながりがある、そう信じることで自分を大事に思う気持ちを相手に使うことができるのです。

 だから、単なる言葉の違いかも知れないけど、似ているような言葉で、「のめりこみ」は嫌いです。相手と自分の境目がなくなったり、相手の中に取り込まれたりすることには、単なる言葉の解釈の差と幾ら言われたとしても断固、拒否します。それは病的で、気味悪いからです。この言葉が好きな人は、自分は他人に成り代われると思っているのでしょう。その思い上がりも恐怖です。

 「他人じゃない」とは相手を自分と同一視することではありません。違う人間であることを認識しながら、「でも、無関係ではない」と考えることです。熱心にかかわってる振りをしながらどこか空々しく無責任なケアを受けたとしたら、相手の看護職は、きっとどこかで「関係ないし」と思っているのです。


2002年11月17日(日) 電車の看護教員

素ってなんでしょうね。突然ですが。いやあ、考えて見ると、
この日記のワタクシははっきり言って「素」ではないです。

WEB日記の前にも書いていたような、それこそエンピツ書きの日記・雑記なら、
読むのは自分しか想定してないものだったんで、たぶん他人が読んだとしても
意味が抜けてて理解不能だと思う。ただの願いとか、そんなことをひたすら
書き連ねてたりして。書くことをまじないのように続けていたと思う。

 では何で自分がこんな風に書いているかと言うと、
第三者の目を多少は意識することで、書くの上手になるだろうかなんて
思ったりしているからです。

ただ、事実を書くのには案外手間がかかるもので。もし私小説のように、
そのまま書けと言われたら、ただのお出かけの話だったとしても、
それが友達と一緒だったらその友達のことまで書かなきゃいけない。
じゃあその友達の説明や何やらで、何をどこまで書くかと考えるとひたすら
選別するのが面倒くさいから、そういう時は書かない。

まさに、その友達との間に起こったエピソードだと言う内容なら
ともかく、そうでないなら友達の存在は初めから書かなかったりする。

という訳で。

先日特急に乗ってました。

そこそこ混んでいて、ワタクシのまん前の座席には女性4人。
仲良しなのでしょう、仕事かお友達かわからないけど、楽しそうに
喋っていました。通路を挟んでその横、ワタクシの斜め前に女性が一人。
書類とペンをとり出して書類のチェックを始めました。
 しばらくしても4人組のお喋りは滞らず、ずーっとにぎやかでした。
とは言え、ワタクシもうたた寝したり、本に夢中になっている分には
気になるというほどではなく、特に興味も持たなかったのですが。
 一方書類を出していた女性は、ちょうど視界に大きく写る方向なので
見るともなしに見ていると、オヤツを出して食べ始めました。
仕事の書類というより自分の個人的な資料か何かなのだろうか、
汚さないのかな・・・と密かに心配になったりして。
 まあ、ここまではそれだけの話です。

だが、その書類が見えてしまった。

と言うのが(しつこいようだがじろじろ見たわけではない。広げると斜め
後ろには丸見えなのだ)、何だかワタシらか介護畑の人が使うような、
人間のアセスメントチャートのようなのです。
 ほほお・・・と(再三ですが、別にじろじろ見つめてたわけでは
ありません。字まで見えるんだよ!)見てみると発達段階とか、何かそれ
らしい項目・・・そして様式の隅には書いた人の氏名、クラスと、
某看護養成機関の文字が!

間違いない、介護ではなく看護学生の実習か演習記録です。
この人は看護教員なのでしょう。見てると(しつこいけど見えるんだよ!)
引いてる引いてる赤線青線・・・全部引いてます全部!!
それじゃあアンダーラインの意味がないでっしょ。
何か字も書いてる書いてる!電車の揺れで、字は大丈夫か?
あまり楽しそうな雰囲気は漂って来ません。難しい顔をしてます。

 看護教員と思われる彼女は次にオヤツの追加に行きました。・・・お腹が
空いてたのかも知れないけど、学生も、センセイがオヤツ食べながら記録を
読んでたとは思わんだろうなあ。それで何か小難しい真面目なことを
書いている(かのように見えた)かと思うと何だか、です。
 お、向かい側の4人組も絶好調。この辺りの観光的知識や名物などについて
話が盛り上っています。

 すると。おお?

看護教員(と思われる。以下言い切っちゃいます)の女性は、じろり、と
横に一瞥をくれたのです。ワタクシがアフレコをするとすれば、

「うっせいんだよ、あんたら」

と言った感じで。
いやあ、肝が冷えましたねえ。

それで4人組がどうかなったかと思えば、ぜーんぜん、気づいていない
ようです。いいぞ。こう言う時ワタクシはこっちに心の声援を送ります。
どうなるのかなあと思っていたら、教員の女性はさらに事あるごとに、
ちらり、ちらりと視線を送っていました。

 その学校名と記録をワタクシの方にばっちりご開帳したまま。

やがて、4人組の方が先に降りました。最後まで楽しげにお喋りしながら。
この4人組に対してワタクシはうるさくはないと感じたように、他の乗客から
も苦情などは出ていませんでした。

 つまり、あくまでワタクシの視界だけで言うなら、「うぜえ」と感じて
無言のアピールをしていたのは看護教員さんだけ。しかもその無言の言葉は「恐れ入りますが、少し声を低くして下さいませんこと」
ではなく明らかに「うぜえ」でした。

 何が言いたいのか、お分かりいただけましたか。

看護教員の彼女は、横にいた周囲に(と言ってもつまりは自分だ)
無頓着なグループを非難していながら、実に見事にワタクシに対して、
「そういう自分も同類」であることを暴露していたわけなのです。

 彼女の職業はこの際どうでもいいかも知れないですが、
ワタクシは何だか、「あたしって看護教員なの、偉い仕事してんのヨ」
さらに「横で無知なお喋りしてんじゃないヨ、偉いあたしの仕事
邪魔すんじゃねーヨ」と言った態度に見えてしまった訳ですね。

 確かに人に迷惑をかけるという視点では、お喋りの方がその可能性は
大きいし、彼女は書類を広げて作業していただけで、(オヤツのことを除いては。それだって汚さなければ勝手だと言われれば特に反論はしない)
別段他人の迷惑になる行為はしていなかったと思う。

けれど、他人に対してあからさまな視線を投げかけることの無礼さを全く
意識せず、うるさければはっきりと相手に対して告げればいいものを、
「言わなくてもわかれよ、バーカ」とばかりに睨みを飛ばすなんて、
誠に品のないことだと言わざるを得ません。
 日ごろ学生に対して、コミュニケーションうんぬんと説いてる人の姿とは
到底思えません。

 これはたまたま見た彼女がそうだからと言って、別に看護職が全員・・・じゃあないと思いたいですけどねええ。でも、事実恥ずかしながら看護職って、・・・な人も多い。
 そういうワタクシは先日に続いて買ってしまった「逆説の日本史」に
ムチューでした。・・・それだって誰か見てたかもよ、恥ずかし!


2002年11月10日(日) あ、ほんとにどうでもいい1日(笑)

どうでもいい日常の始まり。

どうでもいいニュース。

きゃれる「ハリー・ポッターの主演3人声変わりで交代するって?」
うちの人「あー、それってだいぶ前から言ってたじゃん」
そうだっけ?そう言や、どこで見たんだっけそのニュース?
別々の時間にネットでニュースを見たりするので、
お互い言ってるソースがどこかわからない。
日中人のうち(って訪問先ですわい)でやってた
TVのニュースだったのか、
人から(って利用者さんですわい)聞いたのか、
何だかワタクシも記憶が適当ですわ。

旧生田邸を残すとか残さないとか、正直、地元でもないので
どうでもいいニュースだが、そういうのに限って、
何だか報道されてる推移までよく覚えていたりする。
人の興味ってそういうものですか。
重要なニュースとゴシップの配分がメディアでは
大切と言うのがよくわかります。

 さて。出張前なので準備をする。
 なけなしの服から天候にあったものを探す。
 かばんを選ぶ。黒いのはどこ行ったのだろう?
 先日片付けすぎて、何がどこかわからない。

利用者さんに「出張があるので来週は他のスタッフが来ます」
と告げると「車で行くの?」と聞かれる。
「車?」と聞く人は、「遠距離は疲れるから気をつけて」、
今時分なら「雪が降るかも知れないから気をつけてね」
と言いたいらしい。年配で運転をしない人なら
「若い人は車でどこでも行けるからいいね」と言う。
「長距離は自信ないんで…」と笑うと、一緒に笑ってくれる。
 お定まりの会話だが、いつも楽しい。

 探してたかばん発見!
 ナイロンの微妙な煤けを濡れふきんで拭いておく。
 部屋を片付けてから、うちの人が今日は不在なので、
 ホホホ。こっそり足マッサージへ。
 帰ってくるまでにかばんも乾くでしょ。

「親指の付け根が痛い」と言うと、ハンドマッサージも勧められた。
やってもらうとする。こういう時は心も無にすればいいのだろうけど、
どうしても考えてしまうのが仕事!仕事!仕事のことである。
ああ、自分がすごくイヤ。
 自己流で揉んでしまったが、痛みがあるときは優しくさするようにと
リフレクソロジストに言われる。そうですよねえ。しゅん。
でも少し痛みが楽。自筆でたくさん書いた覚えもないんだが・・・
他人の体の揉みすぎかも・・・。元々むくみは無かったので見た目
変わりないけど、膝から下の各部が柔らかくなり、動きが軽くなった。
医療じゃないけど、リフレクソロジーってすごい!

帰って、ちまちまと片付けて、コートを出して、洗濯をする。
部屋干しは乾燥対策。

買った本2冊。

井沢元彦「逆説の日本史2・古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎」、
勝岡寛次「韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する」(共に小学館文庫)
どちらも今更だし、ちょっと自分でもどうか・・・と思うラインナップ。
けど、「逆説の日本史」は実は今出てる新刊(織田信長のやつ)が
面白くて立ち読みしてしまったんで、最寄の本屋で探したら
2巻しかなかったんだもん。
しかし、怨霊ねえ。この人、ミステリ作家だしなあ・・・どうなんだろう。
教科書問題は、扶桑社のが出た時に周辺本を何冊か読んだけど、
尽きない興味なのでもう一度。要は衝動買い。

あとはVoCE。なるべく雑誌は買わないようにしてるんですが、
してるんですが、買ってしまいました!買っちまいましたよ、ええ。

 だって乾燥。肌乾燥の季節だよ、おねえちゃん。
 このままだとあたし、超大台を待たずに皺皺になるよ。

マヨネーズものが食べたくなり、CMのように季節外れのブロッコリーと
安いエビを茹でて食べる。これエビは熱いうちが美味しいですなあ。
醒めるとリッチさが無くなる様は、ペテンのようだ。

うちの人から電話。
すまんのう、一人遊んでいて。クリスマスと誕生日と
バレンタインは期待しててにょ。こっそり遊んでるのは
ただの遊びではない!心身の回復!街のリサーチ!
その他有意義な諸々ですにて!

風呂に入って、さあ、寝るよ寝るよ・・・
今日はちーさい生き物にでもなったつもりでくうくうと安らかに寝る・・・
寝たいものだ・・・夕べ何故か寝付かれなかったので・・・
でも・・・こんな時間まで起きてたらおんなじだ・・・

・・・・オヤスミ〜〜。。。。。。

デリコの歌詞は一体…と、落としたCDを聴き直す。こうして夜が更ける。


2002年11月09日(土) 職業と患者役割・本論

役割。

在宅、訪問看護の場合。

病院で出会ういわゆる「入院患者さん」よりは、
ずっと自然体でわたしたちを受け入れてくれることが多い。

それでもしばしば、自分の職業に大きな誇りを持ち、
自宅にいて仕事と離れた場面でも、ずっとその役割で
いつづけようとする方にもお会いする。
 初回訪問でそう感じられた時は、相手を
何とお呼びすれば良いか、訪ねる時に配慮する。
教職や医者、作家、政治家(?)などなど、物を教えたり、
人から「センセイ」と呼ばれていたような利用者さんには
「先生」と呼んでいいのか尋ねる。

 わたしの同業者はわかってくれると思うんだけど、
そうではなく何で?と思った人。
だってね、教職の人って、ご近所の人にまで
「先生」と呼ばせることがあるじゃありませんか。
地域によったり、その家のカラーにもよりますがね。
そういう人は就業時間の呼称を、
私生活にも広げて当然と思っている人なのです。

そういう人もいらっしゃるのです。

 おかしいと言えばおかしいんですけどね。
 別にワタクシこの人の生徒じゃないし、とか。
 家でお父さんだと近所でも「お父さん」って呼ばれることもあるし。
 お母さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃんもそうですね。

高齢の方の呼称として、医療・介護の患者・利用者さんを
おじいちゃんおばあちゃん呼ばわりするというのは
もうだいぶ無くなっていますが、日本の地域の文化としては
根強いものがありますね。
 関西人ではないワタクシは、大阪で
 「ねえちゃん」と呼び止められると、
 ちょっとムッとしたりしますが。
 (ごめんね悪気がないのは知ってるんだけど。慣れの問題よね)

閑話休題。

人によって「いやあ」と言いながらも嬉しそうであったら、
それは「そう呼んで欲しい」というサインと判断することが多い。
 中には「いやいや、もうずっと昔に引退したので
それは勘弁して下さい」とおっしゃる方も。
その場合は苗字でお呼びする。

 しかしその程度で済む気がする。
いつまでもケアの内容まで「先生」として、
高圧的に訪問看護に指示しようとしたりする人には、
今の所お会いしたことがない。
職業役割というより、私的な性格も奔放なんだな、と
いう人はああしなさい、こうしなさい、ちょっとアンタ、と
いう感じで生涯接して来られたりしますが(笑)。

今の所、ワタシの経験ではそのような
「ワガママお嬢さんタイプ」は圧倒的に女性が多いです。
女性は強い?

男性は体が弱って、家にいるようになると、何だか
気落ちしてしまうのでしょうか。それも気の毒な気がする。
おお威張りで堂々としていた人なら、年をとっても、
障害を持っても、家で過ごすようになっても、
ずっと堂々としていて欲しい。

ちょっと命令口調になったって、ワタクシは許します
(て言うのも偉そうだね。いえある意味、ははあ、と
頭を下げる時ほど心の中では静かにプロとしての誇りを
感じていますから。それが不遜であることは自覚してます)。

誇りは持った方がいい。

 それによるリスクや負の見返りは充分その人たちは
受けてるんです。変わらない誇りであれこれ頼むその人に、
「老体のくせに」「『元』センセイか、偉いねえ」
「病気のくせにワガママばかり」
家族や親戚から冷たい視線を浴びせられている人もいます。
プロ意識が足りない介護・看護サービス従事者の中には、
何を勘違いしたのか、家族や親戚なら在り得るこのような
「私的な感想」を、ご本人にあからさまにする者もいます。

 高く伸ばしたプライドは、飛び出せば飛び出すほどへし折られる・・・。
それもまた、痛々しく、この上なく悲しく目に映るのです。


 生活や立場に合わせて自分の役割を変えていくのは、
あくまで本人の自然な心の変化があってからでいい。
それを他人が強要するのは激しく本人を傷つけます。
そうでなく、少しずつ、少しずつ、
仕事をしていない自分も大切にされるし、
家にいてもいいし、その価値があるのだと
思ってもらえるように・・・。

 
そのためにほんの1時間ばかり、訪問看護が
「先生」「先生」とお呼びし、こんな偉い方の所を
訪問させていただいて嬉しいとばかりに
ニコニコすることなんて、

なーんにも苦にはならないのでした。


 


2002年11月08日(金) 職業と患者役割

病棟の場合、産科で助産師・看護師に嫌われる
妊産婦さんの職業ベストは、「教師」「看護職」
・・・と昔学生の頃は言われたものです。

(正常な)お産の場合、病気の治療とは異なり、その方法や
管理については産む本人の育児観や妊娠出産観(?)の
範囲で幅を持たせることができる。

お産は病気ではないからであり、実に人文的な、
社会的な、文化的な出来事であるからですね。
また医学的な面についても、一般の人も経験や本・雑誌などで
かなり知識を得ている場合も多く、病院・産院側は、
出産や管理の方法について、妊産婦さんとよく、
場面場面で話し合わなければいけない。

(ところで妊産婦さんの「婦」はいつまでもこのまま?
今、公共の施設や農協などは、 「婦人」という名称→「女性」
に変わってきてるじゃないですか。
・・・そう言えば「婦人科」という診療科名も
昨今はどうなんでしょうねえ。詳しい方に教えて欲しいですね。)

しかし、日々医学は進歩する。育児や妊娠・出産管理にまつわる
医学的な常識ですら数年で変わってしまう。
まつわる法律ですら変わってしまう。

昔、流行ったでしょ、うつ伏せ寝。

でも、今どうですか?

乳幼児突然死症候群の中の一部のケースの一因とも
考えられており、勧めないでしょ?病院でも保健センターでも。

あと日光浴はどうだとか、外出は何ヶ月からいいのかとか、
離乳食は何からだとか、まあ、その辺は
医学的・社会的なものもひっくるめて、常に移り変わる!
流行があるものなのですよね。

お母ちゃんの育児方法が今、正しいとは限らないのであります。

 そこで嫌われるのが上記の職業の方々。
(・・・失礼。皆がそうではないと、ワタクシは思いますよ)
声高に
「この方法が正しいからこれにするザマス!!」
と言い張り、聞く耳を持たない。
知識欲があり、その方なりに情報収集やお勉強をされているんだが、
問題は2つ。

 1. 所詮自己流のため、本人が最新と思ってるその知識が既に古い。
 (餅は餅屋です。ひごろ、とみにそう思いますです)
 2. 確かにその知識は最新だが、その方法をやっているような
   病院・産院を選んでいない。
  (インテリを自負するなら、そこまで調べてから
   かかりつけ病院を選べばいいのに…)

言わば、中途半端なインテリ具合によって、
プロの方々と軋轢を生む訳ですね。
前に書いたかも知れないが、本当に力のある人は
ヘンに威張ったり、滑稽なプライドを立てて
周りと衝突なんてしない。


 これから産む人、特に高学歴の方は、気をつけた方がいいですよ。
つまり、やるなら、徹底的にやれ。出産に凝るならお金に糸目をつけず、
隅々まであなたの考えに協力してくれる施設、スタッフで固めなされ。

何しろ中途半端はいけない。

あ、本当は在宅の話をしたかった。何で産科の話で終わってしまったんだろ。
もう晩御飯なんでここまで。

たぶん続きは明日ですっ。



2002年11月07日(木) 眠・・・

月末業務も終わり、何となくだらける調子〜の今日。

風邪でもないのよね。気候のせい?
訪問先のご家族も何となくだるそうだったり、
性格がきちきちした人はちょっとおっとりしてるような・・・?

おっとりしてると業務上凡ミスが出やすい、ということはないんだけど(逆だよね)、辛いもんを食べて、水分を多目に取ったりして見た。

まあ、何事もないと言うことだね。

・・・良いことだ!


2002年11月05日(火) フライ

今日もカルドセプトセカンドエキスパンジョン(長いな)話で
恐縮ですが。

夢に見たりする。
あそこの領地をこう連鎖だよ、とか、
カードの図柄とか。
お気には「マナ」と「フライ」。
一作目から馴染みがあってお世話になってるから…てのもあるけど、
何か、青いカード好きというのもあり。

フライは寺田克也氏の絵で素敵です。
よく見ると落ちてないか、これ?という下向きの構図もイイし、
このヒトのガニ股に開いた下半身の妙なぴったり感も気になって、イイ感じ。

ああ、今後も変わんないでぇ。


2002年11月03日(日) 車盗難・続

愛車が盗難に合い、その後。

その後と言うより、そろそろ書いてもいいかな、ということで。
まず、当日の管轄署の対応は非常にスマートで
良かったと言うことを書いときましょう。

ありがとう、こういう風に、犯罪に巻き込まれたようなことでもないと、
自分たちは、仮にも法に守られた国家に住んでいるという自覚がないですね。
今回はそれを、強く思いました。
ありがとう。○○さん他3名の警察官の皆さん。

何せワタクシは雄牛のようにいきりたっていましたから。
それを何とかなだめて上手に事情を聞いてくれ、
同じ対人サービスの職種として、犯罪被害に遭った人間の
特有なクリティカルな状況の心理を、よく理解しているんだなあ、と
あとから感心しました。

それで?

呆れたのが、自動車保険の保険会社の対応。
まず、緊急窓口に電話連絡した所、休日だったので、
担当支社からの連絡が翌日になるとのこと。
ここまではいい。
ところが翌日、11時になろうとするのに、
全く向こうから連絡が来ない。

待ちかねてこちらから電話連絡をした。

それからだ。

登録がここじゃない。
いやこっちじゃない、
あっちだ、いやうちじゃない、とたらい回し。

ややあって、そ知らぬ素振りで地元支社から電話が来た。
「この度は大変なことで〜」
連絡を下さるのが遅かったが・・・
昨日からこちらは連絡してるから、
今日、朝イチにでも連絡をくれると思ってたが・・・
と、こちらは答える。

「え?いや、今FAXが廻って来て、午前中に連絡して欲しいと
いうことでこの時間になったんですが・・・」

!!!!???午前中でいいと言ったのはそちらの内部の指示だろうよ、
こっちは一刻も早く連絡が欲しいんだよ!!

ようやく現れた担当者。
やたらにぶうぶう言うワタクシにイヤな客だと思ったのか、
初め担当だと名乗った人から別の人になった。
何だか役職はついているらしいが・・・
合併したんだよね、ここ。
前の住居地の担当はすごくいい対応を
してくれる人だったが・・・・
合併なんてしちゃったしな、さて、どうだ?


 きゃれる。
「で、今後の流れについて。業務で自家用車も使ってたんで、
不便をかけるわけで、職場にも説明しなければならないので
・・・一連の流れについて何か資料をいただけないでしょうか?」
 保険担当者。
「えっ」
 きゃれる。
「いえ、一般的なもので良いんです。何しろ私の方が、
こう言った場合どうなるのか全く知識がないものですから。
警察とのやりとりですとか、保険が下りるそうですけど、
期間とか条件とか」
 保険担当者。
「いやあ、そういう物は、ちょ・・・(何故ここを伸ばす?)っと
ないんですよね」
 きゃれる。
「え?」
 保険担当者。
「ないんですよ、そういうマニュアルみたいなものは」

 きゃれる。
「・・・あのう」
 保険担当者。
「何かあればいいんですけどねえ、こう言った場合って、
すっごく、ケースバイケースなものなんで」

 キレた。
「・・・・マニュアルが欲しいと言ってんじゃないんです!
私の場合で良い、不確定な要素があればそれはそのままでいいです、
あなたの手書きでいいから、何かよこして下さい!
私は当事者ですから、職場や周りに説明しなければならないんです!!」
 
折り返し、たまたま電話口に出た別の社員に、
「実はこういうことをお願いしたのだがだめなのか?」
と、言って見ると、
「わが社はそういうものはないので・・・。でも何とか作って見ます。
遅くなりますけど」と。

あっきれった!!!
そういうものは、ない、ですと?!
なんじゃあそりゃあ?!


結局後ほど、ワープロ打ちでの「今後の処理の流れ」と、
封ハガキによる仕様の「処理の流れ」が届いた!!

書けるじゃないかよ!!
・・・・しかもお仕着せの仕様もちゃんとあるじゃないかよ!
どうして、これを初期に渡すということができない?


始まりがこの調子で、以後、
万事、後手後手の処理、
必要書類の指示の不備
(要らなかったと返された印鑑証明や
前住所の証明なんてどうすればいいんだ。タダじゃないんだぞ!
そちらの不備で余分が出たんだから買い取れ、金返せ!)、
現場確認のため動くのは9時〜5時の時間帯のみ、
5時を過ぎると電話すら通じない(お前ら役人か!!!)、
香水が臭い(最悪)など数々の嫌な思い出を残した。

合併の目に合ったくせに、いい気になってんじゃないよ
損保ジャ○ン!!!!

もう、更新しないからね!!!


以上でしたん。


☆ 付記⇔雑記:

 某女性週刊誌を立ち読み。
 ビックリー。松島菜々子って・・・ハリウッド版「リング」の
 主演女優さんより全体に一回りデカい!!
 あのナオミさんて人がアメリカ人でも小さいのかな?
 しかし対物比がまるで和■アキ子。
 大きい人だとは聞いたことがあるが・・・
 芸能人の大きさってわかんないもんだね。




2002年11月01日(金) のんきにTVと動物話

今日はTVを見ようと思う。

わざわざ宣言するのも何だが、
普段あまり腰を落ち着けて一つの番組を見る
なんてこともないんで。

という訳で、わーい、
今日は「ポチたま」を見てます。
可愛いよう。ライオンの赤ちゃん、象の赤ちゃん。
カンガルーの赤ちゃん。
真の「可愛さ」とはそれを自覚しない所にある!

動物の可愛さは心を癒します、ホントに。
ワタクシ獣医になっても良かった。

今日車から降りたら、ノラか飼い猫か、
黒い猫が運転席の横にきちんと座って
「ひーん、ひーん」と鳴いていた。

前に、別の猫だが同じ状況で、何したいの?といぶかしんでいたら、
空いてたドアから、するりと乗り込まれたことがある。
「・・・どうすんの?閉めるよ?」
声をかけても返答もなく(ワタクシが動物アフレコ派でないことは
前にも言ったとおりですが、一応聞いて見た)
待ってても降りないので、どうしたもんかと思い、
バタムと閉めたら(あわ、あわ)とばかりに慌てふためいていた。
開けたら脱兎のごとく走って行きましたなあ。

今日は乗り込まず、ただ
「ひーん」猫。
「・・・」ワタクシ。
おやつでも持っていたらあげた所だが、生憎何もなし。
じゃ、そゆことで、とクールにドアを閉めたら、
とっとっと、と向かいに渡り、何だか
空腹でもなさそうに、壁でカリカリと爪を研いだ後、
角を曲がって行ってしまった。

飼い猫にからかわれたか。


番組。それでも実はビューティー・コロシアムも見たい・・・
好き、あの番組・・・・つーか、ただでしたら
出てみたいよ、ああいうの・・・。

最近の日常雑感。

大分前だけど、カンファレンスですっごく
高飛車なケアマネジャーに会って驚きました。

どうして、ある種の人たちは、傲慢な物言い、
尊大に振舞うことが好きなんだろうなあ。
あなたって「お偉い」のねえ、と
周囲に憐憫に似た目で見られていることには、
一項に気づかないのだと思う。
実際、本当に力のある人ほど謙虚だし、
(また謙虚だから実力が伸びる!)
やたらに偉ぶったりはしませんヨなあ。

 ☆偉くないヨ、看護師だからって、保健師だからって、
  ちっとも偉くなんかないヨ。人に興味があって、
  人に援助する仕事が好きで、好きな仕事をしてるだけで
  どこが偉い???

患者・利用者は自分たちと「同じ人間」だって
口が酸っぱくなるほど言っていて、
どうしてヘルパーや、立場の弱い他職種に対して
いたわりや謙虚な気持ちを持てないのだろう。
何かのコンプレックスの裏返し?
学歴とか育ちとか、妙にこだわっていたりして、
うーむ、もしかして、それですか?

バカですなあ、最高学府を出たって別の価値観では
クズはクズ。日々ぶつかる宝石の数々。
人としての凄さというのは本当に多様だよ。

態度にムラがあって、裏表があって、強い人には弱かったりして、
ある意味すごくわかりやすいのは助かるんだが、
まあ、こういう仕事で「偉い」ことに価値観を置く気持ちが、
全く理解できない。

  たぶん、♪ああ〜勘〜違い♪ の世界で、
  死ぬ前にでも気づくと思う。
  何をやってたのかなあ、と。


さて、外が寒くていい匂いがするので、
月が出ているうちに、外の匂いでも嗅いで、
今日は早めに寝る!


 


 < 過去  INDEX  未来 >


きゃれる [MAIL]
これもエンピツ投票ボタン↓

My追加