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2002年09月30日(月) 記録しない人って…

困るんス。

記録や事務をしないスタッフ。いや、忙しくて遅れる、なんて言うのは
ぜーんぜん許容範囲なんです。

自分だって事務屋じゃないし、別に得意なんかじゃないからさ。

ただ、ちょっと苦手だからって、何でもかんでも逃げて、
自分の受け持ち分のミスまで知らん顏で帰ってしまう、


……その根性が気にくわないんだよ!!!

以上。月末の叫びでしたん。


2002年09月28日(土) 看護って「愛」か、「信頼」か ・・・ ?

さて、
学生実習が始まる。

今回は基礎看護3年間の過程の学生、いわゆる「看護学生」が来る。
ワタクシは教職ではなく一応現場の人間なので、現場で実習指導を
するだけなのですが。

いつもうーん、と悩むことがある。
学生が訪問看護の現場で家族同士の様子を見て、

「きゃれるさん、やっぱり『愛情』なんだと思いました!」
「『親子の愛情』から介護するのと『義務』から介護するのでは
やっぱ違いますよね!」
と言われることなのです。

他に、サービス従事者と、受ける本人・家族側の関係を見ていて、

「『信頼関係』があるから訪問看護師にまかせてくれると思いました!」
と言われたりすると、どう自分は発言するべきか、毎度毎度悩んでしまう。

               *

 だってさ、、「愛」「信頼」で片付けられると、
 看護って身も蓋もないじゃないですか!!!!!!!!!!!!!

               *

 とりあえず「看護学」的な言葉をそれらしく使い、現場にいる自分と
しては、それはこれこれこういう状況であり関係である、と解釈して
かかわっている、と説明をする。ああ、と言って再度考える姿勢になる
学生と、すごくいいことを自分は言ったはずなのに、何故わたしから
違うことを言われたのか、納得が行かないという反応を見せる学生もいる。

 そのような学生の短絡ぶりには、別に看護の将来など背負っていない
このワタクシでも何だか不安を覚えてしまう。

 それまでの実習経験から、教科書にも書いていない「愛」や「信頼」と
いう、あまりにも大きく、看護では捉えていない概念まで、
何かしらインスタントに結論を出すよう習慣つけられてしまっているのだ。
看護教育の問題でしょう。

看護の中でも、知識として数値的に覚える部分や、とりあえずの結論として
すでに一応は言語化されているような質的部分、
そんなものは教科書を読めばいい。わざわざ専門学校や大学へ行き、
人から教わる必要なんて無い。

自分が言った「愛」とは何なのか、別の言葉で他者に説明するとすれば
何と呼ぶべきなのか、「信頼」とは一体どういうことなのか、それを
学者の言葉ではなく、それぞれ異なる体験をして異なるココロで受け止めた
学生自身の言葉で言おうとして見ること。
その力を養うこと。

 それが、今、事例を記述してみることで、再度、看護とは人の生活や
人生の質を高める仕事であることの確認作業を始めようとしている
今から次の看護「学」への礎であり、看護「教育」では
・・・・ないのじゃないかねええ。

人の言葉を聴き、態度を訊き、いっぱい語れ。
語りすぎると日本の現場では叩かれるけど。


無口なワタクシでした。






2002年09月27日(金) 髭トラのトレーナー

休みの日、テレビショッピングを見ていて思うんだけど。

主婦向け番組に、わざとなのか綺麗なタレントさんが、
すんごいオバサンぽい衣装で出てることあるよね。

よく見るの、これまたすごいリアリスム(笑)の動物や植物が
プリントされてたり刺繍されてたりするの。
虎の図柄なんだけど屏風みたいな迫力ある筆致で、もうーこれが生き生きと
描かれていて、スゴイことにその虎に髭が生やしてある。

髭が、プリントだけでなく、何か化繊の糸で
美しい奥様タレントの少々平坦→胸・腹の高低逆転か、という時期に
差しかかった腹部あたりにシャシャシャシャーっと飛び出してるんですね。
植え込んでる。

あれ、見た人にどういう効果をねらってるんだろうか。

「うわあ、すごい、迫力ある虎ですねえ」
って言ってもらって喜ぶ奥様の需要は多いのだろうか。
それとか

「うわあ、何てリアルでグロテスクな蝶ですねえ」
って言ってもらって喜ぶような、ちょっとワタシ50超えて
髪にメッシュ入れてオシャレも冒険しちゃったの?って感じの
ノリなんだろうか?

まあいいや、あのタレントさんは私服は普通にセンスのいいものを
着てるだろうに、あれを見て「ステキ!!」という真性のセンスの
奥様を引き寄せるための誘蛾灯なんだろうな。

ねっ、川野太郎。


2002年09月25日(水) interlude〜あたしが死ぬなんて〜

自殺企図の気持ちは、差し迫ったものとしては
全くわからない。

生きて無くてもいいかな・・・くらいの続く気分は
経験ありますが。
(これはうつ的気分というレベルだろう。数ヶ月だったし)

方法や、死ぬ瞬間の感じ方や、死後の自分を思い不安になるより、
自分がいなくなった後、周りの人間たちが
号泣する姿はあまりにもリアルに想像できるから・・・

よほど事情があり、天涯孤独な人間でもない限り、
大抵は、家族や肉親が必ずその人を愛しててくれるはずだ。

自分のことでいっぱいになり、残された人の悲しみにさえ
想像が及ばなくなるのが、自殺に向かう心理だと思う。
ある意味判断力の低下と言ってもいい。
もう少し、ほんのちょっと乗り越えさえすれば
晴れが見えることに、全く想像が及ばなくなってしまう。

だから悲しみどころか、周りが困っても、迷惑をかけても、
もうそんなこと、当人にはどうでもいいのである。
だって死んでしまえば世界の全ては無になるから。
責任など霧散してしまうから。

自殺を思いとどまれない気持ちには、
「死んだら何もかも無くなり、苦しみも消えるはず」
という死生観もあると思う。

果たしてそうなんだろうか。
何もなくなるんだろうか。
信仰を持っていたり、「死後の世界」を信じていたり、
「生生流転」を夢みている人は、
今の苦しみが、いつかは逆転ホームランに変わると
先への想像力を持っている。

宗教心(特定の信仰に限らず)は、今そこには明らかに見えないものを
想像して信じてみようとする、想像力の試行だ。
だから・・・ワンちゃんハムちゃんには宗教がない。

 ★ あたしが持ってるかどうかはナイショにしておく。


ともあれ、自殺に至る本人の苦しさには気の毒さを感じるが、
本当は身勝手だと思う。

だから、勝手に死んだ人のことは、
なるべく忘れるようにしている。

ところで、死んだ子供の年を数えるのは止めましょう。
恐いって!!!誰か「止めましょう運動」を起こして!!!



2002年09月24日(火) 人生はたまたま地上に半分廻る

読書話。

エリザベス・キューブラー・ロス「人生は廻る輪のように」
(角川書店;1998)と、中島義道「たまたま地上にぼくは生まれた」
(講談社;2002年9月)を読み終えた。

平行して読んでたもんだから頭がおかしくなってしまった。
大概の本はごった読みにしても(結構やります。著者には失礼な読み方かも
知れないが)、好きだからって、大概の本はごった読みにしても、
届かないほどある意味敬愛するこのお二方の著書は、
一緒に読むもんではないです。

しかし、感受性が強く、勉強ができ、そして真摯な思いと
いつも暮らして過ごしたキューブラー・ロスと、
中島氏の幼年時代の感受性は似通っていて、そして別の方向へ向かった。

33歳でウィーンに留学するまでは日本に生まれ育ち、
生きにくい生きにくい、と思いながら苦しく生きてきたと言う中島氏と、
時代背景のため、否応無しに人種や宗教、人生や命の問題を突きつけられる
環境に育ったキューブラー・ロスは命と人生には正反対の結論を出した。
(結論というか、中島氏は小学生の頃からの思いだけど)


「死は存在しない」(キューブラー・ロス)
「どうせいつかは死んでしまう」(中島)

対極のことを両者は強く、強く主張するのだけど、
不思議に同じようなことも言っており、それは妙に納得する所だ。

「大切なのは自由選択」

やっぱそうだよね。

「唯一価値があるのは成長すること」

「深く考えて見ることで道が開ける」


開けるのだろうか。
そうなのかも知れないし、そうでないのかも知れない。
ただ、死後の世界を信じ、希望に満ちたメッセージに溢れているにも
かかわらず、ワタクシにはキューブラー・ロス博士の言葉の方が、
無性に悲しく、切なく感じられるのでした。

ワタクシの信じることは
「いつかは死んでしまう」ではなく、
「明日は死ぬかも知れない」です。

不確定な明日のために、
今日や、今伝えたいことを犠牲にするのは、止めたのです。
だから、自分の信念は他の誰にも止められない。
そのことを自分は知っています。
だからこそ、正しくないことを言うかも知れないワタクシに、
誰かが何かを言ってくれることをも期待してしまうのです。



2002年09月20日(金) 執念ぶかいあたしって

過去のことに関しては、

自分でもすごく頓着がない部分と、
何だか、何か月も前のことをメラメラ怒っていて、
次、他人にぶちまけられるかも知れない数か月後のために、
一体どうやって話してやろうかと、繰り返し、
考えたりする部分がある。
あるんだよ。

そして感情が伴う出来事については
記憶力が良いんだ。女かなあ。

そこで、その発散や、自分の中で帳尻合わせるための
脳内仕返しって、いやあ、あきれるほど子供っぽーい。

そういう時に知恵の回る人なら、用意周到に準備(って何だろう)
して、人に話して発散する時も、話をきちんと整理して
話すんじゃないかと思うんだけど。
ほら、よく頭に来た出来事なのに、淡々と話す人いるじゃない。
あれが理想ですねえ。
恐くていい。
(昔私の親しい友達は「将来どういう人になりたい?」という話の中で、
「恐い人になりたい」と言っていた。)


たぶん脳内ならず、実際何らかの大人びたやり方で仕返ししてやる!という
ことも、用意周到にやるんじゃないかと思うのでした。
つーかですね、ワタクシって仕返ししたい!っていつも
思ってても出来ない人???
即座に殴り返す以外の仕返しは、大人の人にしかできません。
できない大多数の、世界中の悔しい人は歯噛みしたり、飲み込んで、
消化して便として排出するんでしょうかね。


さて、「大人びた」ってトコがポイントですよ。
試験に出ますよ。
歴史のテストかしら。

あーあ。


2002年09月19日(木) 髪美人

今日のスパスパ見ましたか、みなさん。
いいねえ、髪美人。
ワタクシも最近髪痛み気味だから、頑張ってケアしてみてるのですが。

ワタクシは「ヘアレスキュー」を自宅でやっております。
これ、美容室でやってくれるトリートメントなんだけど、
1剤から3剤まであって、これを一連として使用。
おおよそ4週間続くので、その間、4剤、すなわち家庭用トリートメントを
フォローとして使います。

これ初め、市販してるって知らなかったので美容室でやってたんだけど、
ソニプラや美容・理容プロユースのお店で売ってるんですよ。
それから、1剤〜3剤の行程も自前でやってます。
染み込ますタイプではなく、表面をコートするタイプなので、
付けおき不要で時間がかからないのも手軽で良いです。

元々癖があってつるつるヘアではないんだけど、
それでも、すごく艶が蘇ったよ!

秋はちょっと髪をしっとり重めにしてみようと思ってます。
いいねえ。
顔のこととか、化粧品のこととか、死ぬまでこだわりたいねえ。
どっちかと言うと、服はボロでもいいから、ワタクシ顔や髪は
ピカピカの美老婆をめざしたい。

「若くいたい」とかって、あんまり思わないねえ。

☆ミ今日の食べ日記:今日はカレーが辛すぎたので、後でアイスを2本食べた。
お彼岸の大福を買ったので、あとで、また食べる模様。





2002年09月17日(火) 死んでるじゃねーかよ

小泉首相は、北朝鮮に旅立った。
金正日総書記は謝罪した(一応「先に」謝罪した)。

しかし11(未認定の1人を含めれば12)人中、「生存」とされたのは4人。

何それ。
つまりは11人中8人、死んでるってことじゃないか。
絶対おかしいよ。何でそんなに死んでんだよ。
関係者は処分したわけ?

「何だよそれ、死んでんじゃねーかよ」
あたしが小泉なら言ってやる所だ。

拉致被害者家族でなくても絶対納得は行かない。
本当に死んでるのかだって誰にも怪しく思える。
亡くなったの?それとも殺されたの?
何だよ、それ、絶対おかしい!!!
パパの仕事だから知らねーよ、ってそんな理屈通ると思ってんのか??

           *

小泉、戦え!こういう時に右の意地を見せろ!
軍事だけが戦いじゃない。
人間としての意地を見せろ。

この国の不甲斐なさと言ったら、アメリカと足して2で割りたいよ、ホント。



2002年09月13日(金) interlude〜幸せって〜。

はい。後からあいてた日付に好きな雑文を書き込むinterlede。
新装エンピツ日記版でもやってしまいます。
見るたびに増えてるすっ飛びダイアリ、です。
・・・・・・お得!(訳わからん)

幸せって何ですかねえ。
浜崎あゆみがよく唄ってるもの。

別に、「幸せになりたい!」って言った記憶ないなあ。
あるの?みんな?
思った?子どもの頃?・・・・・・・・そういうもんですかねえ。

子どもの頃って、すでに存在が幸せだった気がするので、
全然そんなことは思わなかった。毎日、不自由がないのが
普通で、退屈することなんてなかった。
おそらくそれが、エリクソンの発達課題で言うところの、
幼年期の課題=「基本的信頼の獲得」というものが達成されるような
育て方をされたということなのでしょう。

いやー、親に感謝だヨ?
今も、小さい頃の幸せな記憶のお陰で、わたしはどんな困難にも
ひるまず、つぶれず、立ち向かっていけているような気がする。


あー、退屈を知らないと言うのは、スミマセン、今も変わりません。
どうして落ち着きないのかな★
今日も気持ちがすっ飛びでございましゅ。


2002年09月10日(火) あんたは仕事せい

どこにでも「仕事しない人」っている。
ある一定以上の従業員が集まれば・・・

座ったら喋る。連絡・報告・情報交換以上のものだ。
「ねえねえ今日さあ誰々さんさあ・・・・」
何というか、仕事の立場を離れて個人的に思ったことを
同僚と話したいというのは理解できる。誰でもする。

逆にそうする自分=看護者でない素の自分自身の感じ方や、考え方は、
場に応じて隠しこそすれ、押さえ込むべきではないと思うのですわ。

しかし、どうにも長いんだなあ、そのお喋りが。
会話というより本当にチャティング。
まず口調がどうにもオバハンだ。

「いやあ、そ・ぉ・う・な・の・よ」
何故かそうなのよ、の「そ」と「う」の間に何か文字が挟まっている。

「だからサ、○○すればいいのヨ」
でサ、でサ、って民謡を聴いているようだ。
さし挟む相槌で、口調は砕けていても、どのくらい「仕事度」が入ってるのか、
どのくらい「隣のオバチャン的単なる興味本位」なのか、わかる気がする。

「ほんっとにどうしようもないんだよね、あそこ」
どうしようもないのはアンタのアタマだ。

「あー疲れた、じゃ帰るわ。」
帰れ帰れ。

「あー思いだした、あんたに言おうと思ってたのサ」
うわー。

振り出しに戻る。







2002年09月09日(月) 秋の味覚・・・

あー、今日はおなか空いた・・・・空腹〜。
こういう時にスーパーに寄ると何でも買ってしまいそうで
まずい・・・。

今日は豚肉の味付けと、昨日のカブとジャガイモのサラダです。
ご飯は簡単だけど、他にトウモロコシとイチジクも買いました。
昨日作ったプリンにイチジクのコンポートを添えて食べる。
そして明日は今日作ったイチジクのコンポートに、アイスでも
添えて食べる。

うまー。

トウモロコシはもう季節が終わりだから、ちょっと小粒。
それはそれで、安いし、バリバリ食べる。

あー腹減り〜。


2002年09月08日(日) ケイタイでGO!

はいー。新装開店2日目の記入となる今日は、ここならでは?ともかく前の所ではできなかった新機能、ケイタらの書き込みをしてみています。
しかしワタクシ携帯の長文打ち、苦手なのよね。片手で持てる時代は結構早かったんだけどな。
今の折り畳み型は片手で持つだけで精一杯〜。親指で遠くまで打つと、バランスを崩してボロリと手から電話が落ちちゃう…。
ともあれ、短文でも何か書いておきたい!という時に便利そうなので、これからも活用させていただきますわ。


2002年09月07日(土) 新装開店★★★

以前のレンタル日記サイトが閉鎖してしまったんで・・・
あらためてここで新装オープンです。

今まで何を書いてたかというと、
仕事の愚痴とか・・・・悩みとか・・・
生活のヨロコビとか・・・かな?
あーそれは嘘。悩んではいないなあ(笑)

とりあえず、残すのではなく。書けば、自分で満足なんで。
でも数十人でも見てた人いたんだよねえ、
うーん。もしまた見つけて下さった方がいましたら、

はい、ご縁ですね。わたしもあなたもヒマつぶし★ということで・・・。
ではでは。

もうすぐ夏休みよん。

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