2004年06月25日(金) |
外人おじさん席を立つ |
昨日、電車でのことである。 近頃ではトンと見かけなくなった、席を譲る行為。 おじいさんが目の前にいようが、妊婦が小さなお子さんを連れていようが、全く気にかけない人ばかりである。 他人のことなんかどうでもいいのか、はたまた、全く視界に入らないのか、他者とのコミュニケーションの欠落は目を覆うような状況だ。 こうだから、公共の場で事件があっても見て見ぬ振りをする、犯罪者にとっては楽な国だ。 そういう思いをしている時、赤ちゃん連れのおかあさんが電車に入ってきた。 とっさに座っていた外人おじさんは席を立ち、そのおかあさんに席を譲る。その後の反応がほほえましい。 お礼を言われても照れくさそうにしているだけ。まるでちょっと前の日本人を見ているようであった。ちょっと離れたところにいたわたしまでつられて照れくさくなった。 ほんの些細な光景だが、こういう小さな積み重ねが社会を変えていく。 そう思わせていただいた外人おじさんに感謝。すこしずつでいい、すこしずつで。
おやじとは、先日1・3・5の打ち合わせに利用した都内某所の貸し会議室の管理人さんである。 その日利用時刻より遅れて現地に私達が到着すると、声を荒立て怒り爆発の管理人さんが待っていた。 「利用時刻の30分過ぎても連絡がないからもうキャンセルになる!」と物凄い大声でいきなり怒鳴られた。顔は真っ赤で眉毛は逆立ち、規約の書かれた書類を持った手は怒りで震えている。漫画なら頭からは湯気がでている勢いである。規約をきちんと把握していなかったこちらの100%ミスである。 当日は、33度の真夏日。この炎天下ここを追い出されたらどうなるの? 夕方から参加のメンバーもいるのに!と思いながらも、それにしても、こんなに大きな声で人に怒られたのはいつ以来だろう。 思い出せない・・・それにこの人の血圧は今どのくらいだろう?心臓の弱い知人から、瞬間的な怒りが一番身体によくないと聞いたことがある。 この人大丈夫だろうか?などとも考えた。とにかく彼の話を一通り聞き、謝罪して今回限りは特別に使わせてもらうことになった。会場を案内してもらった時には、管理人さんの怒りはだいぶ落ち着き、話し方も普通に戻っていた。 終了後、「こんばんは!今終わりました。大変お世話になりました。今日は、特別にご配慮頂き・・・・・・」と今日のお礼の挨拶をしてきた。 その様子を見ていた夕方から合流した昼間の出来事を知らないメンバーは、「ニコニコした感じのいい人にしか見えないけど」と言うほど管理人さんは、笑顔で親切に対応してくれた。 その日の打上げの席でメンバーから私は、1・3・5「おやじ担当」に任命された。 メンバー曰く、今日のおやじ殺しの武器は私の「笑顔」と「言葉」だったらしい。借りる時は必死だったし、終了後は素直な気持ちなので自分では良くわからない。メンバーは全員コーチだから承認するのも上手い。 「あんな風には、なかなかできないよ」などど言われた。 そっか・・・怒った人も赤ちゃんの笑顔を見ると思わず微笑んでしまうことがある。 赤ちゃんみたいにかわいくないけど、私の笑顔も言葉を足せば武器になるのねと少し納得? でもこれっておやじだけじゃないと思うのだけど。何でおやじ担当なの? sa
19日、コーチング135のミーティングのため、都内某所に集合した。そのときのこと。 そこには、受付があり、担当者がいた。 「コーチング135と申しますが、今日お部屋を借りることになっているのですが・・・」に対し、「はぁ?だれ?」その声は驚くほど大きく、表情は眉間にしわが寄っていた。 あまりに声が大きく、不機嫌な響きがあったので、この人、耳が悪いのかしら?とぼんやり思っていたら、「30分以上送れて連絡無いときはキャンセルなの!規約に書いてるでしょ!」私たちが、部屋がしの時間枠に遅れたことが原因で怒っていたのだ。 こちらははじめから時間枠どうりに集まるつもりもなく、今まで他所でも、言われたことがなかったため面食らった。 「申し訳ありません・・・」ひたすら謝り、部屋は借りることができた。 確かに、時間枠の決まりがあるのだから、おじさんは間違っていない。 非は私たちにあるのだ。連絡も無く、申込者が来なかったら迷惑そのもの。 しかし、第一声の印象が残り、複雑な気分。 そうそう、言葉より、周辺言語(イントネーション、間の取り方など・・・)のほうが相手に与える印象が強いのだ。周辺言語の重要性を改めて感じさせられた。 ところで、「おやじ」って呼び名、なんか親しみや気軽な感じがあって使ってみたが、おばさんの場合はなんと呼ぶのだろう?おばさんでは親しみの距離遠いような気がする。誰か他の言い方があったら教えて! <K>
2004年06月19日(土) |
祐次郎70歳のパワー |
先日、高橋祐次郎さんの弟子に当たる高橋祐さんのライブにお邪魔した 祐次郎さんは今年70歳。しかしばりばりの津軽三味線の演奏家だ。 高橋竹山と比較される、木田林松栄の弟子に当たる人でグループKAZEを率いる家元だ。 この人の舞台が楽しい。 竹山や吉田兄弟の姿,弾き方のまねをしながら、津軽三味線の魅力を楽しく語る。 観客の大半が年配の方だが、このときばかりは子供のように笑う。 もちろん演奏は艶があってすごいが、この観客とのやりとりがすごい。 いくつになっても、みんなに楽しんでもらおうという気持ちがあれば、 コミュニケーションはバッチリだ。 70にならなければできないことも確実にある、そう思うと人生まだまだです。 ああ、毎日はおもしろい。
昨日は、仲間と主催している生涯学習の会でポージング(立ち振る舞い)を習った。 参加メンバーは以前住んでいた世田谷区在住の30代から80代までの人たち。 講師は、コーチングを通じて知り合った元客室乗務員で、 現在は接遇セミナーやポージングの指導で大活躍の私の大好きなM子先生。 とてもエレガントで美しい人である。 昨日は限られた時間の中で、立ち方、座り方、お辞儀の仕方、物の授受、 上着の脱ぎ方、歩き方などを中心に楽しく色々指導してもらった。 どれもいつもしている事だが、目から鱗の内容でいつもの自分と比較してずいぶん恥ずかしい思いをした。 ちょっとした事を気をつけることで、エレガントにそしてスタイルが良く見えたりもする。 美しい先生も悪い例を実践すると別人のようであった! これを実践するとエレガントになるだけでなく、 体が締まったり、体のゆがみも改善され健康にも大きな影響を与えるそうである。 最低でも2〜3ヶ月は意識していれば、自然に出来るようになるそうで日々訓練の必要大。 今日も朝から何度も椅子に座ったり、立ったりしているが、何度も「あっ!」と心で叫んでいる。 コーチングのクライアントさんに「コーチングは、筋トレと一緒です。 毎日意識してみましょう!」と言っているが、 ポージングも全く同じようである。 意識して過ごす。簡単なようでなかなか難しい。 毎回出来ないかもしれないが、やってみよう。少しずつエレガントに健康になるぞ! <sa>
今朝、おんぶお化けに会ってしまった。 久しぶりの青空に心も軽く、電車に乗った。 急行に乗り換えたとたんぎゅうぎゅう状態に巻き込まれた。 電車が揺れるたびに背中に重みが加わっていく・・・ しかもいつの間にか背中にぴったりと張り付いてくるではないか。 おんぶお化けだ! 正体を確かめようと振るかえると20代と思われる男性が目を閉じ私に寄りかかっている。 「おいおい、自分でちゃんと立てよ!重いじゃないか」いいたい気持ちをぐっとこらえながら、これって、何?と考えた。 満員だから倒れるわけがないと思っているのか? 周りの人がどけたりしないと思っているのか? それとも、寄りかかるのにちょうどいい物と考えているのか? いずれにせよ、甘えや身勝手さを感じてしまう。 本人たちにその自覚すらないのかもしれないけれど。 おんぶお化けになると何が得られるのですか?
2004年06月12日(土) |
永平寺104歳の禅師を観て反省・・・ |
NHKの番組で「永平寺 104歳の禅師」を観た。 永平寺は小学生の時、家族旅行で行ったことがある懐かしい寺である。 子供ながらにその静寂、厳しさ、凛とした美を憶えている。 永平寺の第78代の住職、宮崎奕保さんは104才。 番組では、800年にわたる永平寺の歴史上、最高齢の住職となった宮崎さんの禅の修業を続ける姿を作家との対談等を加えて紹介していた。 幼い頃身寄りをなくし、寺に引き取られ11才から座禅をしている。 厳しい戒律を守り続ける彼は、一切肉を食べずに生涯独身を貫いている。 「学ぶということはなにか、1日まねをすれば、1日のまね、2日なら2日のまね、しかし一生まねすれば本物だ」 「何かやめたいことがあれば命がけでやりなさい」 「スリッパが曲がっているのは心が曲がっているからだ。 まっすぐ整えることは修行でもなんでもない。当たり前のこと。」などなど 画面に向かって彼の言葉に深くうなずいたり、 自宅のリビングを見回して恥ずかしくなったりした。 「禅」イコール厳しい修行で特別なことだと思っていたが、 生活そのものが禅であるという言葉が印象的だ。 104歳の宮崎さんの肌はつやつやでとても優しい笑顔だった。 大学時代にお世話になったシスター達を思い出した。 彼らは、全く別の厳しい世界で生きている人で、自分は足元にも及ばないが、 もうちょっとしっかりせねばとこれを書きながら反省をしている。 ピシっと肩をたたかれた感じ、そしてなんだか心暖かい。 さてどこからスタートするか、今夜はじっくり考えることにする。 <sa>
2004年06月11日(金) |
新庄選手のコミュニケーション力 |
先日、東京ドームでダイエー対日本ハムの試合を観戦しました。 ダイエーファンの私としては幸いなことに、8対4でダイエーが快勝しました。 その試合の中で、目立っていたのは実は日ハムの新庄選手。 姿もさることながら、かれのファンに対するコミュニケーションの力に驚かされました。 日ハムの攻撃が終わると、選手は守備に散りますが、肝心の新庄選手の姿が見えない。 交代かなと思っていると、悠然とダックアウトから現れ、大股でセンターへ走っていく。 人によっては目立ちたがりで嫌いというかもしれませんが、 遠くから見ているファンにアピールする方法としてはなかなかのものです。 彼流のコミュニケーションかもしれませんが、 コミュニケーションが下手の日本人にとってはいいお手本かもしれません。 そう考えると、人と人のコミュニケーションはたくさんの可能性と、 楽しさを持っている気がしてきます。 まず相手がどう思うかを考えながら対話していく。 コミュニケーションはすごく楽しいことかもしれない、 そう考えながら帰宅しました。ありがとう、新庄選手。
奈良出張の折、国立博物館で開催されていた法隆寺展を見に行った。 時節柄、修学旅行生が多く、一際トーンの高い声、 館内を走りまわる音が気になって今ひとつ時空を超えた空想に集中できなかった。 ついでに、久しぶりに東大寺大仏殿の大仏様に会いに行った。 そこには、さらにパワーアップした修学旅行生が群がっていた。 彼らは、見学を本当に楽しんでいるのだろうか?
自分が修学旅行生のことを思い出すと、 夜の記憶以外ほとんど見学した場所の記憶は残っていない。 学校は「日本の歴史を学び・・・」と建前あるいは、 今までそうだったからという思考停止状態で旅行の企画を立てているのだろうが、 ワクワクしながら実社会で役に立ちそうな企画を考えて欲しい。 日本では法律が許さないが、例えばカジノで遊びながら、お金の価値を考えるとか・・・。 <T>
お稽古を始めて今月でちょうど1年になる。 月2回とはいうものの、平日の18:30からという時間帯に、 いつまで続けられるかという不安を抱いてのお稽古だった。 なぜ不安だったかというと、仕事で遅くなるのは当たり前、 深夜に帰宅する日もまれではなかったからだ。 18:30に間に合うように行くためには、17:30には職場を出なければならない。 定期的に月に2回もそんなに早く上がれるだろうか、という思いである。 さらに、小学生のころも、社会人になってからも、皆勤賞とは縁遠い存在であった。 最初に勤めた会社は、1ヵ月無遅刻無欠勤だと「皆勤手当て」を支給していたが、 もらったことは1度くらいしかない(^^;。 そんな私が、なんと1年もの間、1日たりとも休むことなく2年めを迎えることができたのだ♪ 自分の意志で参加している会社の部活動も同様に月2回だが、 こちらにはほとんど参加できていないのに、 残り30分でもかまわないからと汗を拭き拭きこのお稽古には通った。 どうしてこのお稽古だけは続けることができたのだろう。 その理由を考えてみると、
1、気迫をもって「何が何でもお稽古に行く」と念じながら仕事をすると、 不思議とその日だけは都合がついて、早く帰ることができた。
2、1回でもお稽古を休むと、 もう他のメンバーについていけなくなるという予感(ほぼ確信)があったから必死だった。
3、行くのが楽しくてしかたなかった (先生が素敵。一緒に習っているクラスのメンバーがいい人ばかり)。
4、そもそもこのお稽古は、先生にあこがれてあこがれて、 どうしても習いたいと思い、通い始めたものだった。 といったところだろうか。
1年間もお稽古の日だけ早く帰れる偶然が続くはずはないと思うので、 何がなんでも帰ろうという執念が、時間をつくったのだろう。 何があってもやり抜く、という強い意志があれば、 人はそれをやり抜くための知恵を生み出す。 できないと少しでも思ったことはできないし、やろうと心から思えば、 達成できない目標はないんだな〜。 要は、何を、どこまで、どのくらいやりたいと思っているか、 ということじゃあないだろうか。 <み。>
2004年06月07日(月) |
映画”ビッグフィッシュ”に泣く |
先週末、ティム・バートンの最新作”ビッグフィッシュ”を見た。 独特のファンタジー好きの彼が亡くなった父に捧げる作品だ。 ユアン・マクレガー演じる若き日の父は、 エネルギッシュで、誰にでも好かれる性格。 唯一つの欠点は、現実と非現実の境がなくなってしまうこと。 彼は、息子に毎日、嘘と夢が入り混じった楽しいお話を聞かせる。 しかし大人になった息子は、父の妄想話にうんざりしてしまい、 親子の会話がなくなってしまう。 だが、父の最後の日、息子は父の望む人生最後のお話を作って、 病床の父に聞かせる。 涙、涙。
私が驚いたのは、観客のほとんどが若い人たち。 想像では、私と同じ50過ぎで息子がいる人で埋め尽くされていると思って出かけたのに。 でもそれを見て、なんだかうれしくなった。 親子、世代のギャップが取りざたされている今、実はそんなことはない、 人のベースに流れているものは同じ、改めてそう感じた。 若い人に気を使わず、中年が思うことをストレートに話していく、 それがかえって若い人には新鮮なのではないか。 そんなことを思いながら、帰ってきた。いい涙でした。
2004年06月01日(火) |
コーチング1・3・5(アン・トゥア・サン)です |
マスコミは、暗い、つらい話ばかりをとりあげています。 でも、世の中を見るといいことに出会うこともしばしば。 そんな時は思わずニッコリ。 そんないいことを紹介して、ニッコリの輪を広げていきたいと思っています。
コーチングスタッフ男女5名で書いています。 HPにも遊びにきてくださね
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