着ぐるみのパンダがパチンコ屋の呼び込みをしていた。
間違いなく運ぶときに頭をつぶしてしまい
左半分が曲がった感じでかわいくないのだった、
さらにだらしない事にハッピを着ているのだけれども
明らかにサイズが小さい物なのだった。
手を振るストロークが小さくていやいやを
している頭の不細工なパンダなのだった。
子供は遠巻きにおかあさんに
しがみつきながらそのパンダを見るだけなのだった。
突然漠とした不安におそわれる、 春の空はしっかり全天を空色で抜き 大気もそれに合わせて肌に心地よい程度に温み、 穏やかさは時を止められるかもと思うほどだ。 覚醒した意識は死をますます近いものと感じさせ、 七十年後をそう遠い時代ではないと感じた瞬間、 訪れるであろう時がはっきりと意識に刻まれるのだった。 命は永遠ではないと理解しつつ、 本当に人は受け入れらはしないまま 死を迎えるのだろうと 不安を抱え明日を迎えるのだろう。
すぐ近くにあるにちがいない。
そのときあわててもきっとおそいに
ちがいない。
それでもきっとそのときがこないと
遺志など持てないのが人間だ。
いい意味で思いこみに人は左右されている。
勘違いというものだろう。
しないとかするとかであるとかいうのは
思いこんでいるだけで実は言葉だけの事
なんじゃなかろうかと、
現実が示している。
気持ちのゆらぎは表層で深淵なる部分では
硬く少しも変わる事のない気持ちが
埋め込まれている。
生まれてから意識がある間個々が持ち、
分かち合う事無く地上から姿を消す瞬間まで持ち続ける、
終わりの時まで揺らぎ続ける。
2005年04月11日(月) |
二千四年十二月二十六日 |
その朝インドネシア沖で巨大な地震が発生したとインターネットが速報を流した。そのときNHKは当たり障りのないクラシックが流れ一向に地震についてのニュースが流れる気配がないままだった。年末なのでかなりの邦人が旅行に出かけているであろう場所での大きな地震、それでも日本のメディアは沈黙したままだった。 二十万人以上の人が亡くなった地震の始まりはまったくこんな風だった。
その頃日本最大の放送局は年末の歌謡番組へ向けて以外の事についは無頓着になっていたのだった。
三ヶ月後日本最大の放送局は地震についての検証番組を放送していた。結果を次に繋ぐためには必要な事ではあってもテレビがすでに速報の旗手でないのは明白であり、世界の広さに追いすがるのみだと改めて思うのみだった。
情報があふれていると情報に
左右されやすいというが
果たしてどうなのだろう。
飽和するほど情報があふれていると
むしろ情報そのものを疑い始めはしないだろうか。
情報源がラジオと若干の紙媒体だった頃には
比較すべき対象がないまま
情報を受け入れていたのだから。
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