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Mi Pensamiento Diario

忘れていたこと

最近忘れていたことを思い出させられた感じがする。ふと立ち寄ったあるサイトに自信ってことについてその人の考えが述べられてたの。詳細は「ここ」からどうぞ。今のムースは自分のやってることに自信がないかと聞かれたら何とも答えられないなぁ。なぜかっていうと、最近は不安に思ってるものがあまりにもたくさんあるから。かといって絶望をしてる訳ではなく、どうにかなるだろうって思ってる。今やってるiモードのレポートにしても、これからやらなければいけない画像処理についてのことについても。ただ両者とも今月末にはプレゼンテーションをしなければいけない。以前にも書いたことがあるんだけれども、ムースは人前で話すのがとても苦手。なぜかってこともいつも書いてるけど、失敗してはいけない、失敗したら笑われると思い続けてきたから、今では無意識に失敗を恐れるし、気がついたときには異常なくらい緊張してる。手が震える、膝がカクカクいう、声が震える、顔がこわばる、引きつるってことはいつものこと。今日こそは緊張しないようにするんだなんて思えば、それは逆効果にしかならず、緊張の度合いはさらに増すの。だから人前での発表はとても苦手。実はこれは発表にかかわらず、試験と名のつくものに関しても緊張したりするの。高々定期考査でも緊張するものに関しては緊張する。ただ中にはリラックスして試験を受けれるものもあるから不思議なんだけど。その違いは何って聞かれてもムースにはわかりません。漠然となんだけど感じることは、リラックスして試験を受けてることは確かだなぁってことと試験中にこの試験に失敗したらどうしようって思っていないこと。いってることは同じかもしれないけど、この2つのことをぼんやりとだけど感じとれるんだ。
昔、ムースがオートバイの免許証を取ろうと思って教習所に通っていた頃の話。学科は真面目に聞いてたから仮免も卒検もちゃんと1度で合格したのね。ただ実地については思うようにいかなかったの。教習中は難なくこなしたんだけど、いざ卒検になったら、教習中に1度も落ちたことない1本橋からカタンって落ちるという大失態をしたの。何秒以上かけて1本橋を渡らなきゃいけなかったかよく覚えてないけど、確か7秒くらいだったような気がする。教習中、長いときは10秒以上かけて渡ってたし、1度も脱輪をしたことがなかったから特に問題視はしてなかったの。それが試験になって突然渡れなくなっちゃったんだ。試験なので全身カチコチなのはわかってもらえると思うけど、もう普段のようにはオートバイが乗れないの。それとムースのもっとも苦手なことが行なわれてたから。何かというと目の前で採点表を持っていちいちチェックしてるでしょ。あれが本当に苦手なの。不安要素拡大って感じで。ただチェックしてるだけかもしれないんだけど、減点されてる気がしてしょうがないの。だから緊張度がどんどん増していくんだ。そのせいで2回もオートバイの卒検を落ちちゃいました。しかも2度とも1本橋で脱輪。1度目はともかく、2度目に失敗したときはガックリと肩を落として家に帰ったの。そうしたら父が体験談を話してくれたんだ。
それは父が大型の免許を取った時の話。実地試験の中に、ここは何速で通過しきゃいけないとか、ここでは何キロで走りなさいとか、そういった決まり事があったんだって。って普通車でもそれは一緒だったっけ?そんな試験の決まりの中に坂道を3速で登っていかなきゃいけないって項目があったんだって。しかもその坂道の手前で減速しなきゃいけないにもかかわらず。そんなことはかなり慣れた人じゃなければ、そのコースの坂道を3速でなんてとても上がれなかったんだって。多くの人はいわれた通り3速で通過しようとしたらエンストしてしまったらしいの。もちろん、エンストなんてしたら試験はその場で終わりだったみたい。その時父の取った行動は、2速のままバンスカとその坂を登っていったそうなの。父曰く、「試験のコースを最後まで走れなきゃ意味がない。何速だろうとエンストせずに最後まで登りきらなきゃしょうがない。そこで減点されたって試験が終わらなければいい」って。そんな話をしたあと1本橋のことについていったのは「そのときの試験と一緒で最後まで走りぬかなきゃしょうがない。時間が足りなかろうが脱輪するよりそこを通り抜けろ」と。
そして迎えた3度目の試験。いつものように緊張はしてました。だたその日はちょっと違ってたの。時間にさえとらわれなければ自分は1本橋を脱輪せずにいけるって思ったの。いつもなら時間が足りなかったらどうしようとか、あぁなったらどうしようとか、失敗したときのことばかり考えてたのに。そうしたら3度目にはちゃんと受かりましたよ。実は1本橋でまたまたふらっとしたの。そのとき父にいわれたことを思い出して、一気にスロットルを回して通り抜けちゃいました。ここで脱輪したら意味がないって思って。
もしあのときに父に何もいわれなければ、3度目も同じミスをしたかもしれない。もしかしたら免許証を取ることは諦めたかもしれない。でも、なぜだか自分を信じることができた。1つ気になってたことが頭の中で妄想のように大きくなってしまっていて、それが不安という名で自分を包み、身動きをとれなくさせてしまってた。もしあの時に父の言葉を信じられなかったら、また脱輪してたかもね。でもその前に自分を信じた結果だと思う。一瞬ふらっとしたときに、もし制限時間という不安材料がなかったとしても、自分は1本橋を脱輪せずにいけるっていう自信がなかったら、通り抜けることは出来なかったんじゃないかと思うの。まず第1には自分を信じることが出来たから、父の言葉も信じることが出来たんじゃないのかなって思うんだ。
ムースが自信をなくしてるとき、そのときは人に何をいわれても信じることが出来ないの。きっとあぁーいえばこぅーいう状態だと思う。何をいわれても出来そうに思わないから。こういうときに人の話をもっと素直に聞けたらいいのに…って反省することがあるんだけど、よくよく考えてみれば、自分が素直になるならないの前に、あまりにも自分を信じてあげてなかったのかもしれない。例え素直に人の話を聞こうとも、自分にできるという確証がなければ、きっと何だかんだと言い訳をしちゃうと思うの。でもその言い訳は誰にしてるんでもないんだよね。いつもいつも自分に対して言い訳するんだよね。あのときはあぁだったからできなかった、このときはこうだったからできなかって。自分を正当化するためにずーっと自分に言い訳し続けちゃうんだよね。だって自信があるときは自分に言い訳なんてしないし、失敗することすら考えないもんね。
自分を信じることって簡単なようで簡単じゃないかもしれない。でも、もっと自分を信じてあげないと何も出来ないと思う。自分を信じれるから他人を信じれるのかもしれない。自分を信じれるから失敗を恐れないのかもしれない。もし失敗したって自分を信じることを出来るならチャンスは必ず巡ってくると思う。それは夢を叶えるのと一緒かな?ムースは夢は叶うものって信じてる。信じてるから叶うんだと思う。だから自分自身を信じることができれば、その思いは必ず成就すると思う。どれだけ回り道をしようとも、自分を信じ続けていくことが出来たなら。
去年の今頃は勢いもあったし、こんなことを考える間もなく当たり前のように自分を信じてたんだけど。すっかり忘れちゃってた。一朝一夕では自分を信じ切ることができないと思うし、不安になることもしばしばだとは思うけど、階段を一段一段上るがごとく少しずつ自分を信じていかないと。そして失敗など恐れないようにしないと。


2002年07月07日(日)




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