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Mi Pensamiento Diario

褒めて

何もしなかった今日。何となくすっきりしないなぁ。せめてこれから読まなきゃいけない文献を調べることだけでもすればよかったけど…。iモードのレポートに続き、今度は人工知能の授業でもプレゼンテーションをしなければいけなくなっちゃったの。テーマは画像処理について。っていってもこれは文献の読み込みをして、簡単に自分の考えを書いて発表するだけだから、iモードに比べたら楽かな。とはいっても、1つの文献をしっかりと読みこなさないとレポートも書けないし。だから今日あたり、文献選びをしなきゃいけなかったのになぁ。1日中、食べては寝てってことを繰り返しちゃった。何となくだるいし、夏バテしてるのかな。昨日書こうと思ってたことをちょっと書き始めたんだけど、頓挫しちゃったし。どうもうまく書けないんだ。考えてることがうまくまとまらないというか、いい言葉が出てこないというか。今って全体的に行き詰まった状況なのかな?そんな気がしちゃった。

書くことがないのでどうしようかなって思ったけど、今ふと思い出したことがあるのでそのことについて。ムースの日記の中で英会話に関することについて何度か触れたことがあるのね。そのときに書いたかどうか忘れてしまったんだけど、多くの人は人前で英語を話すとき、恥ずかしそうに話すよね。中学生、高校生はそれが顕著だと思う。でも何でこうも恥ずかしがらなきゃいけないんだろう?ムースは英会話に3年も通ったんだけど、そのとき先生のいってたことは、英会話に来てもみんな下を向いたままでしゃべろうとしないっていってたの。ムースは個人授業だったからしゃべらざるを得ない状況だったけど、3人くらいのグループで授業をやってると中々話さない人がいるみたい。なぁ〜んて偉そうにいっちゃうムースですが、ムースがスペインでスペイン語の学校へ行ってたときは、あまりにも何も話さないから先生が必ずムースにふってたけど。このことは何かのときに書いたんじゃないかな。
じゃ、どうしてこうも恥ずかしがるかってことなんだけど、先月、友達がここに来たときにこの話題をしたらムースと同じことをいったの。それは失敗することがイヤってこと。彼女は北京で中国語を習った経験があってそのときのことを少し話してくれたの。中国語、っていうか北京語って四声があるよね。中国語を知ってる人ならわかる思うけど。四声っていうのは4つの基本的な発音の方法。媽麻馬罵でいいのかな?この発音をカタカナで書くとマー、マー、マー、マーなんだけど、実際に発音する時にはすべて違う音になるの。アクセントが違うっていった方がピーンと来るのかな?実際にはアクセントって感じじゃないけど。中国語を習う時には最初にこれを練習するようなの。でも中々人前じゃ…って。恥ずかしいっていってたかな。そのときに英語を話すことについてのことも話題に上がったんだけど、やっぱり恥ずかしいと。で、その恥ずかしいっていう気持ちの裏に隠されているものは、笑われるのがイヤだ、失敗するのがイヤだってことだったんだ。もちろん、ムースは前から同じことを思っていたから、彼女のいったことには強く同意したよ。本当にその通りだと思う。笑われるから失敗しちゃいけないって気持ちが生まれて、それが恥ずかしいってことにつながってると思うの。
ムースが親から褒められたことがないってことを書いたことがあるかもしれない。失敗したり、成績が悪かったら、いろいろといわれるけど、テストで100点を取ってきても当たり前って感じで軽く流されちゃう。こんなんだからそのうちに失敗を恐れるようになっていっちゃうんだよね。失敗すること=怒られるって感じになっちゃって。でも人って怒られたくないじゃない。そこで1番いい方法はといえば、試験を避けちゃう。競争を避けちゃう。何もしない。これが1番いいんだよね。人のことだけいって自分では何もしない。口では私は出来るんだっていってればいいんだから。でも、決して人と同じ土俵に立つようなことはしない。そうすれば、その人の実力は常に未知数だからね。
あと英語に関していえば、今の日本企業ってTOEIC至上主義みたいなところがあるじゃない。それもいろいろな人から言葉を覚える楽しみを奪っちゃってるような気がするんだ。確かにTOEICで900点以上取れる人はすごいと思うし、相当な時間をかけて勉強したことだと思う。どの努力が報われるのはいいこと。ただし、TOEICを900点以上取ったからってみんながみんな英語をしゃべれる、もしくは英語でコミュニケーションが取れるとは思いません。だって聞くことと読むことには慣れてるけど、自分から話すことには慣れていない人だってたくさんいるでしょ?受動的な部分には慣れてるけど、能動的な部分には慣れてないから。
今では人前でも少しは英語をしゃべるるようになったムースだけど、昔はひと言もしゃべれなかったの。それは何でかっていったら、間違ったら笑われるんじゃないかとか、間違えを指摘されるんじゃないかって思っていたから。それと恥ずかしいって気持ちもあったかな。でも、スペインにいたとき、しゃべらなきゃいけない状況ってとっても多かったんだ。もちろん、最初は気がかりなことばかり。単語1ついうのもかなりドキドキしてたかな。ただ、誰1人としてムースのことを笑う人はいなかったんだ。それが良かったのかも。最初はルームメイトに頼ってばかりで、よく通訳してもらってたけど、それが段々と自分でわかっていくようになっていったし。彼女はハチャメチャなムースの英語を笑うことなどなかったし、ここが間違ってると指摘することもなかった。だから話すってことに段々慣れていったのかもね。でも、ある程度わかってきた頃にはよくアメリカ人には英語を直されてたかな?特に飲み屋さんで。通じてるんだからいいじゃんって思いながらも、翌日、酔いが覚めた頭で考えると無料英会話だったって思って、心の中でラッキーって思ってたなぁ。今では信じられないくらい前向きな考え。
どこかの日記サイトで読んだんだけど、今の高校生ってかなりの割合で自己否定してる人が多いんだってね。この情報は産経新聞からだったのかな?それといろいろなサイトで今の人は競争を避けてばかりだとも。ムースもその現状については否定しないけど、でもどうしてそうなったか考えれば自然と見えてくるものがあるんじゃないのかな?決して褒めることをせず、怒るばかりだったら、誰だって競争は避けちゃうよ。一昔前までの「勝って兜の緒を締めよ」といって試合に勝っても褒められず、喜ぶことをせずに、お葬式みたいな感じをみんなは受け入れてきたよね。でも、今の人は勝ったときには喜びたいし、負けた時には悲しみたいと、人間本来の持ってる気持ちを表現したいんだと思う。勝ったのに、ここが悪い、あそこが悪いじゃ、試合で勝ったって何も面白くないよね。勝ったら勝ったでその日は喜べばいいじゃない。次の日からまたしっかりやればいいんだから。これがメリハリでしょ?勝っても負けても怒ってばかりの人が、今の人はメリハリってものがわからないっていっても何の説得力もないよ。もしかしたら勝っても褒めてもらえないから、負けたものと勝った自分を比較して、優位に立とうとするのかもよ。それが転じて人の揚げ足ばかり取るようになるのかもしれないよ。
もっともっと人を褒めてあげれば、いろいろなことが変わっていくかもしれない。常にダメだ、ダメだでなく、いいところをもっともっと探して、褒めてあげて。これがムースの思う個性を伸ばすってことなんだけど。排他の法則から受容の法則にものごとが変わればいいのに。そうしたら人前で英語をしゃべっても恥ずかしいって気持ちも消えるようになるんじゃないかな。失敗も恐れなくなってくるんじゃないかな。そうしたら競争もできるようになってくるんじゃないのかな。ムースはそう思います。
もし不幸にも何かに失敗をしてしまっても、もう1度同じようなことの出来るチャンスを上げるのを忘れないで欲しいなぁ。っていうのは、誰だって何かに取り組む時には成功しようとして取り組むと思うの。でももし失敗してしまったら、何かが悪かったと思う。それを反省材料にして人は伸びていくと思うんだ。それが成功につながっていくと思うの。失敗はしていいけど、チャンスは2度とないよじゃ、失敗しちゃいけないっていってるのと変わらないことだから。

何だかとりとめのないことばかり書いちゃった。やっぱりまとまりがないや。

最後に昨日の続きを1つ。今日のホットドック早食い選手権でまた小林尊氏が勝ったようです。去年自らが作った12分で50個のホットドック完食を、今年は1/2個更新して50と1/2個にしたそうです。


2002年07月04日(木)




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