今日、ある方の日記を読んでいてちょっと引っかかる内容の文章があったの。人の書いたものに文句をつける気はないけど、やっぱり何かが違うって思ったからそのことについて書きます。 この日記を知ったのはつい最近のことで、書いてらっしゃる方は不倫をしたいた方のようです。ムースとしてはその人の不倫については何もいうことがありません。ただその方のお母様がいった言葉がどうしても引っかかっちゃった。その言葉は結婚について娘への助言としておっしゃった言葉みたい。
「二人で生活して、夫から得るものがないと思った時は迷わず別れて帰っておいで。得るものの無い人間と長い間生活するなんて、時間の無駄だよ」って。
この方が結婚する時にこうおっしゃったそうです。この日記を書いてた方がどう解釈したかは日記からでは今1つよくわからないのですが、今はご主人からいろいろなものを与えてもらってるってことに気がついたそうです。そしてこの方がご主人をよく見てなかったばっかりに、いろいろなものを与えてもらってるにもかかわらず、それに気づかず、不倫に走ってしまったって書かれていました。今は不倫も終わりにして元に鞘に戻ったそうです。 ムースがこの言葉を見て引っかかったというのは、どうして自分からは何も与えようとせずに、与えられることばかりを期待するのかってこと。これは言葉の文であって本当は私だって…といわれそうだけど、ムースにはどうしてもそれを感じとることが出来ません。どうも最初から与えてもらおうって気持ちが強すぎるように感じるの。実はムースの母も与えてもらおうって気持ちがちょっと強い人。っていっても30年間文句をいわず寝たきりの祖母の面倒を見たり、さだまさしの関白宣言ではないけれど、決して父より早く寝ることなく、父より遅くに起きることのなかったことはすごいと思うけど…。ただ最初から与えてもらおうって思ってるとどうしてもその気持ちが勝っちゃうんじゃないかなぁって思うの。私がこの人に何かを与えることができればって思うのだったらまだしも、何かを得ようとすることを先に考えちゃったらどうしても受身になっちゃうんじゃないかな。学校で先生から何かを得ようっていうのはもっともな話しだと思うの。ムースだって学校へ行けば先生から何かを得られればって思って高い授業料を払ってまで行ってる訳だし、先生は生徒達が何か1つでも多くのものをつかんで欲しいって思って授業してる訳だし。これには与える人、与えられる人というような主従関係みたいなものがはっきりしてるから変に思わない。でも、旦那さんや奥さん、もしくは彼氏、彼女から何かを得ようという気持ちだけで一緒にいるのはちょっと…って思っちゃう。もしかしたら得るものがあるから見返りに家事をしてるなんていわれちゃうかもね。これって打算的に聞こえるし、ムースはとってもイヤ。もしかしたら真意はこういうことではないかもしれないけど、でもそういう風にしか聞こえない。自分だけはいろいろなものを得て、どんどん肥えて、相手が何も与えてくれなくなったらポイッて捨てる。どうもそんな感じがする。考えてみれば典型的日本人って私腹を肥やすことだけに一生懸命で、自分からは一切与えないかもね。政治家を見ていればそんな感じが否めないかも。 若かりし時に読んだ三浦綾子の本があまりにも衝撃的だったのか、基本的にムースは自分が何かを与えられればって考えるの。もちろん何かを得たいっていう気持ちだって人一倍ある。ただ得ることばかりを考えてたら自分の中でバランスが崩れるのがわかっているし、意地の悪い人になりそうだから気をつけてるの。それに若かりし頃はいつも年上の人といたせいか、もらってばかりのことが多かったから。だから今は少しでも何かを与えたい。そう思って生きてる。たまに欲の皮が突っ張って独り占めしようという意地の悪い気持ちが働くけど、後悔することもあるし、自己嫌悪に陥ることも多いから。自分が知ってること、わかってることを出来る限り与えていかないとその知識はあとに伝えられることなく、そこで終わってしまうもんね。どんなにすばらしい技術や才能も後世に伝えていこうという意思がなければそこで終わってしまうと思う。 これって愛情も一緒だと思う。三浦綾子がいつも書いていた聖書からの引用。「愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は、ねたまず、高ぶらず、誇らない」 そして彼女がいつもいってたこと。愛とは与えるもの。ムースはこれに共感を覚えたの。自分の子供へ愛情を与える代わりに、子供から愛情を得ようとしますか?子供に自分の知ってることを教えたからっていって、子供から自分の知らないことを教えてもらおうと思いますか?もし子供から得るものがないからっていって子供を捨てますか?もし子供がいない人でも、自分に子供がいると思って考えてもらいたい。そしてこの答えのすべてが「いいえ」となってもらいたい。無償の愛情。見返りのない愛情。これが本当の愛情じゃないかな。旦那さんや奥さん、彼氏、彼女に対してもこういう気持ちでいれるのって本当に幸せなことだと思う。そしてこういう気持ちでいつもいれたらどんなに幸せだろうって思う。残念ながら今のムースには愛情を注ぐ相手はいないけど、もしそんな相手にめぐり逢ったときには出来る限りの愛を与えていきたいと思う。 恋愛中で交際してる時って中々そのバランスがうまく取れないから、どちらか一方が与えるだけになったり、与えられるだけになったりすると思う。だけどそんなことも月日を重ねていくうちにバランスが取れるようになってくると思うの。その時、与えてもらおうってことを思うんじゃなくって、この人に何かを与えてあげようって思えたらいいなぁって思う。ムースも与えられるだけ、与えてるだけという不安定な恋愛を経験したことがある。片手でも余ってしまう程の恋愛経験なのにあるんですよ。人って不思議なもので与えられ続けるとそれが当たり前のように思い、それを欲する。その時、今までが普通じゃなかった、これからは自分も与えなければって思えることってすばらしいって思うんだ。とっても難しいことだけど。そして1人でも多くの人がこういう気持ちであってくれたらいいなぁって思う。 お仕事にしてもそうだけど、自らの保身に走るばかりに後輩や部下には重要なことを教えずに自分でお仕事を抱え込んでしまう人がムースの周りには多かったの。ムースにしたらちょっと残念だった。1つでも多くのことを覚えたい、そして覚える力があったときに、教えてもらえなかったこと。ムースのやり方がよくなかったのもそのようにさせる大きな原因の1つだということはよーくわかってます。それについては深く反省します。ただこのようなやり方をしてたら、その人がいなくなった時にどうしようもなくなる。これは真の意味ではなく…。お仕事をしてる時、この人がいなくなったらどうしようもなくなるって思わせたいのはみんなが考えること。でもそれは仕事を抱え込んだからっていうのではなく、その人の才能がそうさせること。お仕事を抱え込んでそう思わせても実は代わりはいくらでもいるんですよ。ムースは才能がないから、いつでも自分の代わりがいると思ってる。っていうか本当にいます。それにムースがやってることは誰にでも出来ることだと思ってるから、出来る限り教える。そのせいか、いつでも1番最初に君はいらないといわれるの。だからいつの日にか君が必要っていわれることを夢見て勉強してる。そしてそれが実を結ぶことを願って。 ちょっとだけムースにも弁解の余地を下さい。こんなお仕事ではどうしようもないムースですけど、「どうしていなくなっちゃったの?」とか「ムースがいなくなって困ってる」って別の部署の人からいわれたことあるんですよ。 与えることって自分のすべてを見せるかのようで恐いことかもしれない。ムースだって自分の心のうちを見せるのは恐い。多分、人一倍恐がってると思うけど、でも恐がって何もしなければ、何も伝えることは出来ない。人が種を保存しようとするかのように、考え方ややり方、愛情を含めいろいろなものを多く伝えて保存すること、与えることができたらいいのになぁって思う。
スミルノフ君(ウォッカの銘柄です)と仲良く話しながら書いたせいでちょっと支離滅裂かも。でも支離滅裂な文章はいつものことと思って許してください。読んでくれてる方、ゴメンなさい。それとこれを書いている途中でかなり重要なメールが入ってきちゃったからそっちに神経を集中させちゃった。ムースにとっては妹みたいな子なのかな?って同じお習字に通ってる子なんだけど。みんなが子供の頃から知ってるから何かあると気が気じゃないんだよね。こんな時、実家にいて面と向かってゆっくりと話せたらって思うんだけど…。 |