【独言】
キョウキノウアシタ


2004年02月28日(土) 考える考えない

どちらが良いのか。そんなことは判断の下せる事ではないのは分かっている。
だが、近頃とても動物的になったと思う私は、考えなければいけないのだろうかと思う時もある。
私は一年半前の私ではないのだから、おなじではいられない。
ならばどうすれば良いのか。
新しい道を模索し続けて、未だ答えが出ないのは今も変化の途中だからとも言えるだろう。
疲れているのに中々眠れなかった昨夜。
―もう少し、もう少しだ。
未だ嘗て感じた事の無い弾ける、もしくは開く、そんな予感を奥の方で感じるようになったのはここ最近の話だ。
人は皆一生大人になろうとする子供だ、と言う様なことを私の好きな歌唄いの一人が唄って、あぁそうかと思ったのは大分前のことだが、その思いに実感が伴ったのもここ最近。
昔、人をうざがる傾向があるよね、と言われた事があったけど、あらためて事実であるなぁと思ったのも最近。
「一例」で「独り 一人 ひとり ―――永久不変の」と吐いたのは大分昔だけど、それをどうやら悟れたようなのも。
1年3ヵ月の夢から覚めた様な、久し振りに自分の隣に居るような、全て最近の話。

大切なものが大切なままなのは変わらない。
それは断言出来るのだ。
ただ、羽化する前のような、それでいて夢から覚めるには、蛹の殻を破るには足りないものが多過ぎる、そんな戸惑いの真っ只中の時期であるらしいのにももう目は反らせず。
結局どうしようどうしようどうしようと、繰り返しの思考に答えは出ない。
考えてもどうにもならない、どうしようもない、わからないことが多過ぎる。
それは誰それがどうだから、とかいうのでなく。
単に人だから、おなじではないから、永遠に共感は感じ得ないとかいうレベルの話。
そういう曖昧な中途半端さを割り切れれば、輪郭を形作れれば良いのに私が今までに一度だってそんな事を成し得たことはきっと無い。
死にたいと思うことはあまりなくなったけれど、そんな最近の私は隠棲した方が身の為かなどと思うのは昔とは違う逃げの一つだろうか。
難しい。
他にないから縋るのとは違う。そんなものは有り得ない。
成るべくしてしか成らず、故に今があるのだから。
代わりは無い。
そういう変わらないところは変わらないのだから簡単なんだけど、変化の途中であるらしい時期とかたった一人でも家族がいる現実とかが難しい。
何もかもが曖昧で明確にならない私の根幹が一番の問題かと思う。


カナデ |MAIL

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