平和

さて。もう過ぎちゃいましたが(原爆が落とされた日)……。
僕は広島出身で、母方の祖父は原爆の影響で死んだそうです。
会ったことがないので全然分からないのですが。
そのせいかまぁいろいろと考えたりすることもありますが。


平和と戦争と。
よく、この言葉が対比して、反対の意味として使われます。
でも、本当にこの言葉は反対なんだろうか。
そんなことを思います。

戦争がなければ平和なのか。
平和であれば戦争はないのか。

まぁそんな極論はどーでもいいとして。

平和はなんだろうか、と。
自分にとってはきっと、今のこの状態なのだろうと。
だから、幸せだなぁと。
単純すぎて困りますが、よくそう思います。

世界のどこかで……。

それは知っているし、分かってもいるけど。
実感は沸きません。
だから考えます。答えのない、問いをします。

平和とは何か。
戦争とは何か。


戦争を手段としては認める。

そういうことを聞いたことがあります。
僕はそれを認めたくありません。
でも、認めざるを得ません。
大切な人が殺されたり、強制的に連行されたり……
そんなことがもしも起きたらなら、僕は戦争を認めると思います。
きっと、もしかすると、誰かを殺すかも知れません。
銃で。ナイフで……。

守るために強くなりたいと。
よくそんなことが書かれたりしますが、それとはちょっと違う。
それがなんなのか分からないけど。
弱さなのだろうか。
暴力を認めることは、弱さなのだろうか。
助かりたいと。幸せでありたいと。ただ、願うことは弱さなのだろうか。

断固として戦争は認めない、と。
何があっても認めない、と。

僕は言い切れません。
だから、戦争反対、と。声高に言えません。
簡単に言えません。
笑いながら、そんなことはできません。


原爆記念館にも、原爆ドームにも、特攻基地にも、いろいろと、修学旅行で行ったり住んでるところの関係で行ったりしました。
そこでは、戦争はイヤだ。
生理的な、生物的な感覚しか感じませんでした。
きっと、それは恐怖。恐れ。嫌悪。
そんなものを感じたから。

戦争を認めるつもりは毛頭ありません。
戦争なんてすべきではない。被害を受けるのは弱い立場にいる人だから。力のない、人たちだから。人としての利益がないから。そして、何よりも、嫌だから。

一番大切なことは、これからも問い続けていくこと、色々なことを知っていくこと、考えていくこと、そんなことだと思います。それが初めの1歩で、終わりのない道なのだと思います。
2004年08月10日(火)

日記 / 天木 草