愛が

いっぱいでした。
……って書くとなんだか妙なもんですが。

えっと、教育実習で行ってた小学校へ行ってきました。
昼休みの時間だけですが。
もう明日、終業式。んで、クラス替えもするので。

1年生なのですぐに抱きついてきて、1人がすると2、3人が抱きついたりのっかってきたり。登られたりですけど、可愛くてしょーがなくて。
まぁそんな愛だけど愛だよねー…とか思ってみます。


昼休みが終わってから教室へ帰る途中、一緒にいた子どもに
「先生(実習生はみんな先生)、明日も来る?」
とじーっと見つめられながら言われて
「明日は昼休みないから来れないなぁー」
と。答え、
「じゃあ、つぎの日は?」
「…春休みじゃん?」
笑いながら答えると、
「そっか…。つぎはー……おわったら…?」
「そうだなー…」

そんなやりとりをしながら、ぎゅっと抱っこしながらわさわさと頭をなでて。
そうか最後か、と。
なんだかしんみりと思いました。
子どもがいなくなるわけじゃないけど、クラスがなくなる。
うまく説明できない感情で、すごく寂しくて。
でも、子どもたちの方が…とも思って。もちろん、担任の先生も。

実習日誌(実習のときに一日ごとに書いて提出しなきゃいけないA4サイズ。書くのにフツー1時間かかる悪魔の日誌)の総括のところに『子どもたちに本当に感謝したい』って書いたんですが、本当に感謝。
実習で人生変わったもんネ☆
っていう感じだし。まぁ先生にはなる予定はないけどれど、子どもとかかわることのできる仕事に、っていうの決めたし。

子どもはすごいと思う。
本当にたくさんの可能性をもってて。
大人になるってことは可能性をしぼっていくことだと思う。
選択をしながら歩いていくことだと思う。
可能性をもちすぎてる子どもを見てると羨まして、そしてわくわくする。10年くらいしたらどんな高校生なのか、って。それは怖いことでもあるけど、本当にわくわくする。ギュッと無邪気に抱きついてきて、そして純粋に笑って。きっと子どもにしかできないこと。子どもにしか許されない権利なのかも知れない。
そんな無邪気さに癒されてる自分もきっといる。
愛を与えるとかもらうとか、そんなのじゃないけど。じわりじわりとしみこんでくる感じ。すごく気持ちがよくて。きっと何も考えずにいられるからだと思う。
ひとつひとつ、子どもは覚えてないんだろうけど、1人1人、ひとつひとつが鮮明に記憶に残る。そして、ギュッと抱いてから、半年経ってないのに重くなったなーとか大きくなったなーとか、しみじみ思ったりする。そうかぁ、親ってこんな気持ちとかするのかなぁとも思ったり。
子どもの頃、いっぱい抱きしめられて、いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい遊んで。自分の記憶はあんまりないのは寂しいけど、きっとそれが当たり前で、それが当然のことだったからなのかも知れないと思う。そして、それが幸せだったんだろうなぁっとしみじみと思う。

でも。

それが当たり前じゃない子どももいる。
いろんな事情があるけど。でも、仕方ない、とも言えないと思う。
だから、そんな子どものためにいたいと、そう思う。
進もうと思う道は臨床だけど、別にそれにこだわる必要もない。

子どものためって言い切れるかどうか分からないケド。
自分のためでもあるのかも知れないし。

もうちょっと悩むべきなのかどうか。
分からないけど。
とにかく。今は進みたい。

生きることは可能性を捨てることでもある。
もちろん、戻ってそれを拾うことだってできるけど。
今は、前に進みたい。





ありがとう。


心からこのことばを、子どもたちに。
2004年03月24日(水)

日記 / 天木 草