2006年07月13日(木) |
**1学期成績「1」確定** |
答案返却日に学校に行ったら、1枚の紙が置いてあった。 「著しく成績の悪い生徒がいたら、すぐに担任および学年主任にご連絡ください」 そうかすぐにか。すぐに担任のところに飛んで行った。答案並びに1学期にずっと行ってきた小テスト25回分の成績と得点率、クラス内順位という資料を持って。 「石橋さん(仮名)のことなんですが、こんな得点で(答案用紙を見せる)、小テストの結果もクラスで下から2番目。得点率も4分の1以下なんです(教務記録を見せる)。平常点をつければ評定が2に上がるのですが、この小テストの成績で見る限り平常時の努力が見られませんので、平常点をあげることはできません。ですので、評定が「1」になってしまうのですが、それでよろしいでしょうか」 担任の返答。 「いや、よろしいでしょうかと言われれば、担任としてはよろしくないですと言いたいところですがね。でも、昨日も本人と話しましたので、わかっていると思います」 今回の試験を作ったのは学年主任で、部分点の相談に何度か行っていたので、石橋さんの得点はすでに学年主任は知っている。平常点をつけないようにと私に言ったのもこの学年主任なので、すでに話が行っているようだった。 「でも、もし進路の関係で2学期中に動かなければならないようなことがあるんでしたら、卒業証明が出ないと困るでしょうから、補習をするということで考え、学年主任とも相談してきますが」 「いや、まだ何も聞いてないんです」 ここで、担任との話は終わり、私は石橋さんのいるクラスの答案返却に向かった。
返却後、クラス全体が静まりかえってしまい、それぞれが思う得点が取れなかったんだなあということが伝わってきた。平均点は前回マイナス1点なので、それほど変化はないのだけれど、ここで頑張って評定をあげようとしていた子達が思う成果を出せなかったのだろう、いつもなら喋っている子達も沈黙している。石橋さんの様子が気になって、観察するでもなく見ていたところ、本を読んでいる様子。終わったら話さなくちゃならない。クラス全体に夏休みの課題の指示をし、起立・礼の後、廊下に石橋さんを呼んだ。 「平常点をつけるつもりはないので、「1」になってしまうんだけれど、それで大丈夫?2学期に動かなければならない進路を考えているなら、何か手段を講じようと思うけれど、どう?」 「いえ、まだ何も考えてないんです。昨日、担任からも言われたし、今日もこれから面談なんです」 「そう…。じゃあ次は頑張って卒業できるようにしようね。夏休みにやっておいてもらいたい課題を渡したいから、昼休みに来てくれる?それをやっておけば、2学期からの授業も、もっとよくわかるようになるから」 「はい、わかりました」
そして成績入力。小テストの成績を見ながら数人の子達に平常点をつけた。公平で良い成績処理だと思うのだけれど、やはり「1」という評価が気になり、再度、学年主任のところに行く。 「先生、本当に1になってしまうんですが、大丈夫なんでしょうか。進路に影響が出るんじゃないかと心配で。補習をしてそれを平常点として考慮することにしようかとも思うんですが」 「ああ、いいですいいです、そのままで。それに、他の科目でもあるから」 私の科目だけではないのか…と、少し肩の荷が下りたような気持ちになったけれど、それでも私はこの時期に「1」をつけるのは初めてなので、とても気になって仕方ない。でも、やっぱりやっぱり真面目に努力していた子達の姿を見た後でもあるし、石橋さんだけに平常点をつけることはできない。それに石橋さんに3点の平常点をあげるとしたら、一番頑張っていた子達には15点はつけてあげないと不公平になる。でも、平常点の上限は5点なので、考えれば考えるほどそんなことはできないという気持ちになる。
この平常点なのだけれど、学年を通しての平均点に対してさらに5点までの上乗せができるという仕組みになっている。つまり、仮に5点の平常点をつけるとしたら、毎回毎回の試験に対して5点の上乗せをしたということになる。そう考えると、とても易々とつけられるものではない。私がつける時は、1回か2回、失敗したことで評定がさがってしまう場合。その場合も、失敗しなかった試験の得点の平均が基準を上回っていることが条件。そうでなければ、3年生に限って平常点としてつけた分の2倍(中間試験と期末試験それぞれに上乗せしたことになるので2倍する必要がある)を、2学期の試験の得点からマイナスするという形をとる。ただ、いずれにしても努力しているという姿勢が見られる場合のみで、無条件の数字合わせのようなことはしないことにしている。
昨年度、石橋さんを教えていた同僚に伝えたところ、「かわいそう」という反応と、「すごくいい子なんだけれど」という反応が返ってきた。この同僚はプリント課題をやらせて平常点をあげた温情派。確かにかわいそうだし、いい子なのかもしれないけれど(そこまでの判断材料はまだ持たない)、努力を示さないのではどうにもならない。他の生徒と同じ土俵である程度、勝負してくれないと、他の頑張っている子達がかわいそうだ。
私は1日中、嫌な気持ちで過ごしていたのだけれど、なんともばかばかしい幕切れになった。昼休みに課題を渡したいから来るようにと指示していたにもかかわらず、来なかったのだ。忘れたのなら放課後に来ればよいものを、最終下校まで待ったけれど、ついに現われなかった。忘れて帰ってしまったのか、故意に拒否したのかわからないけれど、つまりは、その程度にしか考えておらず、真剣になんとかしなくちゃという気持ちがなかったということだ。なんだかつくづくバカみたいだった。本人にとってはその程度のことだったのか…。学年主任は石橋さんが1年の時から見ているので、さすがはよく知っていたんだなあ。
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