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2003年12月21日(日) 虹という希望

 金曜日。
 夜からソウル・フラワー・ユニオン結成10周年記念ライブ@新宿リキッドルーム。約2年ぶりの彼らのライブ。彼らの音楽は雑食性が目玉だったが、身体にいいものを食べるようになったと、最近の曲には感じる。面白みには欠けるけど、やっぱりこのバンドは好きだなぁと思う。「HEY POCKY A-WAY」や「こたつ内紛争」に涙。

 土曜日。
 仕事終わってから、テレビを買いに行く。ついでに電気ストーブも買う。説明を受ける際に店員がはっきりしないので、いらつく。なので、いじめた。もっと自信を持て!

 今日。
 みそバターラーメンを食べてから、恵比寿に出かける。small samll exhibitioin@ホツミギャラリーへ。どれも可愛らしく本当場違い。ホツミさんと自己紹介がてら少しお話。お茶、ごちそうさまでした。行けなかった方は日記で作品をご覧下さい。

 その足で東京都写真美術館ホールへ。第5回アジア・フィルム・フェスティバル『アフガン・零年・OSAMA』(監督:セディク・バルマク)を観る。最終日、休日ということもあって、会場はかなり混雑。立ち観まで出ていた。以前にNHKで「マリナ 〜アフガニスタン・少女の悲しみを撮る〜」というドキュメンタリーを観て、この映画の存在を知る。
 タリバン政権の抑圧の下で生きる12歳の少女とその母。病院で働いていた母親は、タリバンが女性の一人歩きを禁止したことにより、就労への道が閉ざされる。タリバンは、女性が男性に伴われずに外へ出る事を堅く禁じ、反した者には刑罰を与えていた。生活の糧を失った家族は、少女の姿を男の子に換え、働きに出すことを思いつく。生きるため、母と祖母は、恐怖におののく少女の髪を切る。(パンフレットから抜粋)。
 タリバン政権下では長い間、テレビ、映画、音楽などの娯楽が禁止されていた。政権崩壊後、はじめての映画がこの作品。当初のタイトルは『虹』。虹はアフガニスタンで自由の象徴。ラストシーンはその虹で終わるはずだった。安易でなくとも、そこに希望を見出すことは出来る。しかし、監督は「悲劇は今も続いているのだから」と、そのシーンをはずし映画そのものを変えた。

 冒頭で「私たちは政治運動をしているのではないのです。ひもじいだけです」と唱えながらデモをする女性たち。もちろんフェミニズムもジェンダーフリーもそこにはない。あるのは決められた不自由さの中で生きてゆくことだけ。少女が男の子ではないと暴かれるシーンが目を覆いたくなるほどに痛々しかった。僕が最初、涙と思っていたものは血だった…。例えこの物語が映画というフィクションであっても、今も続いている現実なのだろう。いわゆる悲しい映画を観たあとの気持ちとは決定的に違う。会場の客も出口への足取りが重い。アフガンに虹という希望をが架かるのはいつのことだろう。
 来春にはNHKハイビジョンで放送予定。NHK総合でも放送したら是非観てほしい。

 重い足取りのまま、同じ建物の地下のレベルX展へ。打って変わって、ここではファミコン以降のゲームの展示会。どれも懐かしいゲームばかり。入り口では巨大画面(10メートルくらい)でゼビウスを堪能。ファミコン初期のベースボールもやったけど、操作性悪いの何の…。6時閉館だったんだけど、時間になってもみんなコントローラーを放さないったらありゃしない!(もちろん僕も)

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