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2003年03月31日(月) 春と修羅〜友部正人@吉祥寺スターパインズカフェ〜

 土曜の夜、久々に実家へ帰る。妹がしばらくニュージーランドへ行くので顔を見に。しかし、当の本人は遊びに行ってて居らず、マック(パグ犬7歳)と遊ぶ。相変わらず無細工。夜中に妹が帰って来て2時間ほど話す。顔を見れば文句を言い合っていた十代の頃ならまずこんなことはなかったが、二十歳を過ぎ、特に働き出すようになってからは少しは話せるようになった。妹は妹なりに抱え込んでいたり考えていることがあり、それは誰にでも言えるものではない。そこをはじめて聴かせてもらった気がする。餞別はないけど気を付けて行ってらっしゃい。
 家族と言うのは血の繋がりももちろんあるのだけど、共に生活している者としての影響は大きい。癖やしぐさが似てしまうのも遺伝と言うよりか、そっちの方が大きいのかもしれない。

 夕べは友部正人『言葉の森で』第2回@吉祥寺スターパインズカフェ。ゲストに鈴木祥子とベースにかわいしのぶ。開店前にチケットを買いに行ったら、ドラムとベースの音が聴こえたので不思議に思ったが納得。鈴木祥子はドラマーでもあった。以前にテレビ番組でカーペンターズをドラムを叩きながら歌っているのを観た事があった。最初にお互い自分の曲を弾き語り、後にバンドセッション。鈴木祥子のドラムは要所要所にオカズも入れて、非常にリズムもしっかりしている。僕も好きなタイプのドラマー。しかし、バランスと言う面では友部さんの唄を掻き消してしまうようなものだった。その時はPA(マイクやギターの音量)をもうちょっとどうにかならないものかと思っていたのだけど、よくよく考えてみるとそれは違う。基本的にPAは音を増幅させるものであり、バランスを図るものではない。いいバンドほど、PAを困らせることはない(但し渋さ知らズは別!)。即席のバンドとは言え、何を1番聴かせたいのかそれをはっきりさせておくべき。それはもちろん友部さんの唄以外何物でもないはず。そうでなくても鈴木祥子はいつもああなのか、心ここに在らずと言うように見えた。見えないと聴けないし、聴こうとしないと見えてこない。
 その中でも『カルヴァドスのりんご』は歪んだエレキギターで友辺さんがソロを弾く。お世辞には上手いとは言えないが、気迫迫るものがある。まるでニールヤングのような。途中で楽屋に潜んでたリクオ(第1回のゲスト)がすうっとステージに現れて即興でピアノで参加。居ても立っても居られずに出てきたのだろう。僕も鳥肌が治まらなかった。
 
 アンコールで『眠り姫』『イタリアの月』。この2曲は同じコードで同じで詞「君が〜」ではじまる。他にも同じコードではじまる曲は多い。コード展開だってそんなに多いわけではない。しかし、どれも同じに聴えたことはない。小さな穴から覗きこんだ世界が、果てしなく広がっているようだ。だから自分の過去の唄にそれほど興味がなく、これからの唄だけでもいいと言える潔さがあるのだろう。

 1月に鎌倉芸術館で友部さんを観たあの日から、僕らは変わった。それは修羅であり、天上であり、地獄でもあった。3月にまたこうして観ているのが正直何なのかよく分からない。5月にまた友部さんを観るとしたら、その頃の僕らはどうなっているのだろう。


臨月 エイジ |お便り気付かない細道へ向かえ旧ぐっどないみゅうじっく

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