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2002年12月29日(日) ぼくの好きな先生

 今日の『真剣十代しゃべり場』再放送。最終テーマは「みんなは先生に何を求めますか?」。提案者の岡くんは小学校の給食の時間、彼が席を離れていた隙に他の生徒に自分の給食をめちゃめちゃにされた。戻ってきてみると先生は「食べられなくなるでしょ」と笑いながら他の生徒と話していたと言う。それは先生の観ている前で行われたことだった。そして、教師に絶望した彼は以後「サラリーマン教師こそ、理想の教師だ」と言う想いを抱くようになる。要は教えることだけ教えて、あとは生徒(自分)には関わらない方がいい、と。番組中でも話していたが、彼の場合はただ単に絶望しているわけではなく、先生に大きな期待と理想を持ち過ぎ、それが裏切られた故すべての教師が悪と思い込むようになる。
 しかしそれでいて、教師に「こうあって欲しい」理想が捨て切れていない。結局は〜でないなら〜で、いて欲しいという押付でしかない。ただこの場合、もちろん悪いのは給食にいたずらをした生徒であり、それを叱らなかった先生。それでも岡くんはそれに反応を示さない傍観者であったということ。先生も観ているだけの傍観者であったならば、彼も同じ傍観者である。ここで番組も時間が来て終了。

 しかし、彼が理想を抱いたり「こうあって欲しい」と願う気持ちは分かる。小学生に「理想を抱くな」という方が難しい。そして理想を抱けないようになっていくのは哀しい。身近な親や大人が絶対であるように、教師もまた子供にとってその内の一人なのだ。親や教師が「ひとりの人間だから」というところに行きつくまでは多少の時間がかかるはず。

 僕は先生にかなり恵まれている。小1から小3までが同じ先生でその後は1年ずつ変わって行くのだが、小5が抜かせば中3までの義務教育の間、教師(担任)に失意することはなかった。この小5の時の担任もいいイメージはないが、かと言ってそれほど厭な想いをした覚えもない(あるいは僕が忘れっぽいだけなのか)。高校の担任は体育教師で、クラスの大半が何かと言えば殴られてもいたが、不思議と恨むような生徒は少なかった。
 幼稚園の先生2人と小6のM先生には今でも年賀状を出している。別に出しているから、どうこうとか言うのではなく、今でも些細な繋がりがあるのは嬉しい。特別目立つ生徒でもなかったから(どちらかと言えば目立たない方)、こちらが気付かなければ道で逢っても分からないだろう。M先生には年賀状の他に手紙を書きたいのだが、ずっと出せずにいる。今年は喪中の知らせを貰ったので、言い方は悪いが手紙書く機会を与えられたのかもしれない。

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