2003年06月26日(木) |
連載小説「プリズムの融点」 1話 『制服の男と紅粉鳥』 |
------プロローグ
古の時代、人々は巨大な昆虫群から身を守る為、 地下に「ジオシリンダー」と呼ばれる街を作り、 そこで生活を営んでいた。 しかし、地上の緑地がほとんど無くなってしまった頃、 地上の生活は放棄され、人々はしだいに海上へ移って行った。 昆虫と人類の生存圏争いは昆虫側の勝利に終わったのだ。 数世紀後、人類はスクリューに代る非回転式動力の発明によって、 海運に革命をもたらした。 それに伴い細々と保たれてきた地下交通機関は、 いつしか忘れられてしまった。 そのころから、海底の地殻変動が活発化しだし、 至る所に海底火山や暗礁が形成された。 人々は海運の保安の為に、 ブイ式ビーコンと固定式ビーコンの設置に追われた。 ここに一人の男がいる。 彼はその危険な作業を生業とする海の男だった。
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星の数ほどのビーコンの保守点検を終えて、 男は母艦に帰還しようとしていた。
しかし肝心の母艦との連絡がつかない。 どうやら悪天候による自動沈下で電波がダメになったらしい。 こんな風においてけぼりを食らうのも慣れっこだ。 最寄の“方舟”で暫くの間体を休めるとするか……
男は頼りないくらい小さな巡視艇を操ると、 水平線のすれすれに見え隠れする黒い筋に向った。
底面が150メートル×30メートル、高さ20メートル。 平たいペンケースのような方舟。 近づいてみると、ぐるりは鉛色の木材で覆われていた。 喫水線になにやら不気味な生物が寄生している。 左右に大きく広げられた桟橋は、 まるで三日月を外向きにくっつけたようになっている。 男は適当なところに停泊すると、食料と水を確保しに上がった。 方舟の内部は、8階層になっている。 男は壁の剥がれかけた案内図をもとに、 何処かにあるらしきマーケットへと歩みを進めた。
船内で擦れ違う客や乗務員達。 みな男の制服を物珍しげに眺める。 悪い気はしなかった。 彼は自分の任務に誇りを持っているからだ。 危険な暗礁に設置されたビーコンを、 ひどく危険な目にあいながら保守点検する。 薄給だが遣り甲斐のある仕事だった。 こんな風に“はぐれ船”になっても悪いことばかりじゃあない。
……ほら、向うから可愛らしい少女がやって来た。
褐色の肌に青い瞳。 透明感のある短い紅色の髪。
少女は不思議そうにこっちを見ていた。 男は少し照れた。
「あのぅ。ここは何処でしょう。」
「…え?」
「すみません。乗務員ですよね。キミは。」
「…はぁ。一応。」
「マーケットに行きたいのだけれど、この階層ではないのですか?」
「ええ。一番上です。」
少女はちょっと訛りのある言葉で短く答える。 男は迷子のフリをして会話の切欠を作っている。
「でも…まぁいますぐ行かなくても良いんだ。 それよりもキミと話がしたいなぁ。」
うつむいた少女は何か決心した様子で男に歩み寄った。
「ねえ、これから鳥たちの世話をしに行くの。 よかったらご一緒しませんか。」
「鳥ですか。ええ面白そうですね。」
微笑む男。 二人は複雑なルートで最下層に降りて行った。
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その少女は物心つく前からこの方舟で生活していた。 だから外の世界を知らない。 テレビで見る陸や森や廃墟やいろんなものが、 全て夢のなかの掴めない世界だった。 それでも少女は自分を不幸だとは思わなかった。 いつだったか乗務員の男が教えてくれた。 ----オマエは親方に木材200本で買われたんだ。 だから一生ここから出しては貰えないよ。 それに年頃になったら、客の男をあてがわれるのさ。へへ。
そう言われても少女には意味がよく分からないのだった。
親方はその浮腫んだ顔からは想像しがたいほどに、 審美眼の肥えた男だった。 この方舟の最下層には大きなケージがあつらえてある。 中には世界中から取り寄せた珍種の鳥が蠢いていた。
…夜行鳥・真珠鳥・時計鳥・紅粉鳥…
少女の仕事は主に乗務員達の汚れ物の洗濯と、鳥の世話だった。 周囲からは「鳥臭い」と蔑視されていた。 少女はかまわなかった。
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「さあ。入って。」
ケージの南京錠を外すと少女は男を招いた。
「ほお。これは素晴らしいね。驚きました。」
まるで生きた極彩色の抽象画だ。 目が痛いほどだ。
「来て。この子が一番なついてるの。」
細い歩道を進む少女を追って男はよろけそうになった。 足元より少女の魅惑的な腰元に見蕩れていたためだった。
「見て見て! 綺麗でしょう。」
少女の肩に舞い降りたカラスほどの大きさの赤い鳥。
「紅粉チョウと言うの。本当は飼ってはいけないのよ。」
いたずらっぽく微笑む。
「ああ。もう絶滅危惧種に指定されたんだものね。」
男は鋭い嘴が少女の耳元を擽るのを見ながら答える。
「この子から摂れる染料はとても高価で取引されていたの。 それで乱獲されてほとんどいなくなって…」
言葉が消え入る。
「ねえ、、わたし…臭いでしょ。」
小さな水入れを交換しながらそんなことを言った。
「……いや。別に」
少女が鳥の羽根に負けないくらい赤くなって訊くのが不思議だった。 男は女心が理解出来ない野暮天だった。 野暮天と言っても、人並みには女性に興味があったので、 今こうしていられるのが幸せだなあと感じていた。
「ここの子達はもう空を見られないんでしょうね。」
ふと淋しそうに呟く少女。
「わたしがココから出られないのと同じ…」
男は何と返したものか考えあぐねる。
「身の上話ならいくらでも聴きます。」
そっと背中を触った。 紅粉鳥がくるるると鳴いた。
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二週間が過ぎた。 男はまだ方舟にいた。 母艦との連絡はつかない。 こんなことは初めてだった。
しかし、 風変わりな美しい少女と一緒にいられるのが嬉しくて、 男は任務のことなどどうでもよくなってきた。 巨大な棺おけのような空間でただ時間だけが過ぎてゆく。 もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
「ねえ、もしわたしがここを出たい。連れて行って欲しいと言ったら?」
少女は男の部屋。男のベッドの中から話している。 相手はもちろん制服の男。
「それは…」
曖昧な答えにぷっと膨れっ面をする少女。 シーツに包まれた下はしなやかな裸体だった。
「考えたの。あなたの帰る船が、本当に沈んじゃえばいいのにって。」
「おいおい。」
そう返しながらも心の中では同感だった。
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さらに二週間が過ぎた。 あっという間だった。
二人は知らなかった。 紅粉鳥は美しい色素が摂れるばかりでなく、 「愛情を注ぐ者の願いを叶える」 という古い言い伝えがあることを。
しばらくの間、 二人はその効力に浸っていられるのかもしれない。
つづく
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