│←「生きるのがしんど〜い」とか言ってみるテスト。→│
母が言った。朝言った。 つまらない。
みたいなね…(アセ。
マイスリー38錠・バファリン40錠・ノーシン40包…を母が!飲んでしまった様子。…
私が、難波に出ているときに、母から電話が掛かってきた。 泣きながら、だった。
注射針は、例の静岡にある病院からパクッたので、 心斎●のハ●ズに、注射筒を買いに、行く予定だった。 そうして、誰かと待ち合わせする約束もあって。。。
とりあえず、注射筒だけは欲しかったので、欲望に負け、 言い訳になってしまうけれど、 携帯で母のいる自宅に救急車を呼ぶことしか出来なかった。 新聞を売っているおじさんに、 「あのぉ…すいません。 救急車の電話番号は何番ですか?」 「救急車!?ねぇちゃんどっか悪いんか?!」 「ぇっと、母が具合悪くって……」 「えっとなぁ、救急車は何番やったかなぁ… たぶん、 いちいちきゅうやったと思うで。 きいつけいや。」 「すいません。。ありがとうございました!」 携帯を握りしめ、119を押す。大阪市内の消防の人が出た…。 百貨店のドアの向こうまでダッシュして、静かな場所で電話を掛けた。 事情をたくさん説明した。
《ごめんね、おかあさん。》 救急車を呼び終わった後、人が周りに沢山居るのに、 座って泣き崩れていた私。 とても、とても、哀しかった。悲しかった。
どうして、 どうして、母がそんなにも・しんどい想いをしなくてはいけなかったのか。 必死で考えた。
私が移してしまったのか? 私がこんな状態だからか?
どうして?アイロン掛けした白いシャツには、「でこ」の毛が附いていた。 母のケータイの待ち受け画面になっている「でこ」の遺影を見て、 弟は涙した。ぽろぽろ泣いていた。 母もよく涙を流していた。 死んでも、体がこの世になくても、「でこ」が残していってくれた想いは、 いつまでも色褪せることがない。
私にぴったりと当てはまる歌詞を 頭の中に見つけた。 書いてみようと思う。
Cocco 「Raining」
それはとても 晴れた日で 未来なんて 要らないと思ってた
わたしは無力で 言葉を選べずに 帰り道の匂いだけ
やさしかった 生きてゆける
そんな気が していた§2003年08月29日(金)§ |