│←「あと弐週間」と「境界性人格障害」という→│
私には、その病名が附けられている。 その病名は、私が勝手に電子カルテを覗き見したものであって、 本当は、他にも10個以上、病名が附けられてあった。 もとこたん(精神科での主治医)が仰言ることには、 「本人の意思に関係なく、不本意な病名を附けていることが多いので、 患者さんに見せたくはない。病名を言いたくはない。」 と。 私も、母も、父も。知らない。ょ。 もとこたんだけが、知っています。
ところで、何度も何度も口を酸っぱくして言いますが、 この日記を見て気分が悪くなるのなら、見ないで頂戴。 なんなら、アクセス制限掛けてもいいですが。 ココは、私のココロの捌け口。 みんなに知ってもらいたい、こんな人間も居るという事を。 そんな気持で綴っている面も在るけれど、ココは、 自分のための、自分の日記。 誰に何と言われようと、私は書き続けるのだと思う。
大人になりたくて仕方のない、汚れた子どもの書く日記。
失礼申し上げますが、私は、先生を「愛して」いません。 精一杯の笑顔と優しさでこの日記を綴っているつもりです。
ねぇやっぱり、私の名前が気に入らない? ハァ?ありえねぇーよ、その発言。やめてけれ。 GO!GO!HEAVEN! 善いも悪いも興味が無いょ。 こんな世の中だから。(bY SPEED)
日記の文章・ 返事の来ないメィル。 どちらも、一方的な意見しかいきわたっていないし、 なんだか淋しい。
珠恵は膨らみすぎた 風船のようにパンっと音を立てていつか割れるだろう。
そう。そうに違いない。 いつかは… 私は、フタツを使い分けることが出来る。 「大人」の汚さを知り大人を操ろうとする自分と 「子ども」の汚さを使って甘えを許してもらおうとする自分。 時に、フタツは混合する。 カッターと注射針を両方とも持っている気持ちだ。 だから、どちらを選ぶことも出来ず、 自分はどちらにも成ることが出来ず、 「子ども」でも「大人」でもない、カッターでも注射器でもない、 自分であることしか出来ない。 わたし達は この広いひろい森に投げ捨てられて、 彷徨い、鎖が体を蝕み、息絶えて行く事のみ許された。 まるで、恋人のように寄り添って。
§2003年08月02日(土)§ |