│←単細胞である自分の「存在価値」だけを求めて→│
おーし!狂喜乱舞だ。
所詮、私は、消費される身であって、飽きられて消えるだけ。 他人の心に自分を刻もうなどとは、思ってはいけないことなのでしょう。 大きな栗の、木の下で眠ってみて、根元を齧る。ナイフみたいに尖っている自分の心。 丸みを帯びた、林檎の赤と、この身体。
変なの。 眠る直前に見る、不思議な予知で御座います。 「コレは要らないね。」 って私をゴミ箱に捨てる。目線は、貴方だけを追っていたのに。 時折、見る夢でした。いいえ、夢ではないかもしれません。
「今のぼくには、今のぼくしかない。」
今、此処にいるのは、 あまりにも傷つき易く、存在価値を知らぬ私で。 元気だった昔の私の言の葉も、 「この存在の中に自分は含まれていて、一つも欠けてはいけない」 そうだと思っても。 実感は致しません。 私は、馬鹿だから。
存在価値なんて、はじめから無いのかもしれませんが。
そんなことにこだわる理由がどこにあるのでしょう。 私たちは、気附いた時には存在していて、存在していない場合など知らないのです。 だからこそ、存在していることを疑問することができるのでしょうか。 だって、私たちは知らないでしょう? 私たちが存在していないという時の空気の色・流れる風の音・溶ける雲の形。 知らないじゃない。
私たちが、たった一つ、知り得る事は、私たちが、存在している時のみ。
存在価値も、生きる理由も要らなくて。 本当は、私たちには、私たちの存在が初めからあって、それが無くなる事は、ない。 だから、理由も・言い訳さえも、必要ない。 ちゃんと、そこにあるから。 無理矢理の何かで、食い止めなくても大丈夫だから。 なんでも宜しくて。 兎に角、判っている事は、私には・今の私には、今の私しかない。 明日の私も居ない、昨日の私も居ない。 ただ。 ただ。 今、この時の、私が、私の手の中に居て、その私だけが、私にスパイスを与える。 笑いなさいといえば、笑ってくれる。 泣きなさいといえば、泣いてくれる。 なんて素晴らしい、私の唯一の玩具であり、宝物。
奇麗事だの、エゴだの、もう・どうでもいいや。 唯、唯、幸せになりに行きましょう。
愛されることだけを注文します。 そう呟いて、もう18年目。 当然のことのように、私という存在だけを信じて、もう18年目。 その点、幸せは簡単に忘れてきて、もう18年目。 傷の舐め合いに活用された、私の身は完治している傷も、もう18年目。
兎に角、このまま突き進むので、前進しますので、 馬鹿なフリして、難しいことから視線を逸らしまして。
今日は、何だか肌寒いね。 低血圧&転倒、万歳。 文月ですょ。もう、一年も半分過ぎてしまった。 この一年を振り返ると、青春という言葉は出てこないけれど、 やはり一生涯の中で最も濃密な一年間だったと、今更ながら思えるのである。§2003年07月01日(火)§ |