│←民主主義。そして、お願い。→│
ただいま母は、パチンコに行っているので、インタァネットの線の在り処を必死で 探し出し、辛うじて、この世界と繋がっている住人です。 珠恵です。まだまだ やりたいことがたくさんある珠恵です。
昨日の日記は、気に入らなかったので、消してしまいました。 更新されたと思って、来ていただいた方、すみません。。。 タダ、自分の心の中だけで叫んで喚いてじたばたしている自分に嫌気が益々さして、そうして、それを判りながら何もできない醜い女の体を棄てきれず、このまま生涯は肺に酸素を入れ続けるのであろうかと悩み始めると、もう、何もできない体になってしまうのです。
あたしは、多数派の意見をとおして、生きていきました。 自分の意見など、自分の考えなど、自分には ひとつも関係のない言葉だと嘲笑してまいりました。 つまり、あたしには自分の意見など、無い。そう云いたいのです。 自分の意見を尊重するより、多数派に従って流れに身を任せておくほうが、 何よりも安全なのだと本能的に知っていたからです。 少数派に居て、意見を言うよりも、多数派に属しているほうが、簡単で 楽な生き方なのです。
今日、郵便局を休んで、病院へ行きました。 民主主義というやり方は、「少数派意見を大切にする」ということだとお医者さんに習いました。 今、日本は民主主義にあると、お医者さんは言いました。 (資本主義じゃないのか?という疑問は口にしないで置きましたが…) あたしの脳味噌の中では、明確に、民主主義という言葉はありません。 何も考えていないから。 考えられる人間になって、 過食もせず、 薬も飲まず、 体を切り刻むことも無く、 そ う し て 、 自殺願望も無く、、、 こんな風になれたら、成れると願ったら、あたしは、 考える人間になれるでしょうに。
もしも、果物ナイフで切腹などしようものなら、 もしも、お腹を刺して横に刃物を引いたなら、 これから生きていくための代金は払わなくてもいいけれど。 「死」のための代償は、なんと大きなものでしょう。
「失敗したらどうするの。」「失敗したらどうしよう?」
それだけの理由で、簡単に死んだり、生き返ったりできる そのような人間ではないのです。 今まで18年間生きてきた中で、あたしと出逢った人は何人居るだろう。 その人たちに どんなにか不快な思いをさせてまで、自ら命を落とす理由があるのだろうか。
---------------------------------------------------------------------- 昨日・一昨日、足(脚)を剃刀で。 ハンガァで母は。
「切ったことに怒っているんじゃない。 やめてほしいから叩くんとちゃうん。」
お医者さんにそのことを話したら、このような答えをだしてくれた。 本当ですか? お母さん。
折角の貴女の誕生日だったのに、切ったりしてごめんなさい。 ごめんなさい。 この一言さえ喉の奥からでない。 ごめんなさい。
********************************************************************* 追記。20時。 母の脚を切りました。太ももを三箇所ほど。 血は出ませんでしたが。。 理由は、切りたかったからです。(ぉぃ
どうしてだろう。 あたしの左の太ももには、120本の赤い線がある。
§2002年12月27日(金)§ |