│←地面から、出てきてください。→│
@切り刻んでやった。私の両手首。
今日は、いつも会えない人にあうことができ、迷惑だと思うけれど、お喋りができて、本当に嬉しい、けれども、哀しい、二つの感情が交差する、摩訶不思議な一日でした。
最近日記の更新をしていなくて、ゴメンなさい。色々目の腫れ上がることが続いていたのです。 たくさん、お許し下さい。 といっても、私の日記など、読んでくださっている方は、いらっしゃるのでしょうか? 最近、とても、それが疑問で堪らない。 でも、日記を書くときは、いつも自分の出せる限りの文章を記しているつもりです。 受験生なのですが、一つでも、文章を書かないと眠れない夜だってあるのです。胸がドキドキして、心臓が高鳴って、眠れなくなるのです。 自己満足に過ぎませんが、自分の精一杯の言葉を使って、日記を記してきました。 このような私にお付き合いいただいて、私は、凄く嬉しいです。 この目が、どれだけ腫れ上がっても書き連ねますので、どうぞ影などでお休みになって、気楽に見守ってくださると光栄です。
そして、勝手ながら、タイトルの話に戻ることにします。 胸と、胃が、とてつもなく痛いんですよ。 もう、泣いてる場合じゃないくらいな痛さ。 考え込んで、歩く私。 雨の中の私、素敵に見えた? あまりにも、胃痛が激しいので、うずくまりました。 そう、だったんです。先ほどまでは。。 経路をお話いたしましょう。 深夜、私は、無性に狡賢い自分が憎たらしくなって、貶めたくなって、カッタアで、何十本も手首に線を入れちゃいましたとさ。 切れ味の悪いのは、もう二度と使ってやんないぞ。ケケケ チクッと、痛いんだけど、なんだか、其れが楽しくて、嬉しくて、鏡を見たら、自分は満面の笑みで。怪しすぎるのは承知で。ついでだから、縦にも切っておこうという話になって、最終的に、血の赤と肌のチェックが完成しました。ははは。わしゃ、もう知らン♪ その後、ゴムでくくったりして、血が流れていくのを見てました。楽しいといったら、変態扱いですか?異常者ですか? いいえ、NO、私は普通高校生。 暫らく眺めて、明るくなってから、眠りにつきました。
けさも、普段どうり、マイカア登校いたしました。 朝早くだったもので、手首痛いな、と思ったから、バンクソを三枚拝借する為、久々に、保健室に行っちゃいました。保健室の先生は、可愛らしい声で、迎えてくれます。癒されます、はぃ。 チェックを隠すように、はがす時のことも一切考えず、バンクソ貼りつけました。 明日は検尿です。 泣きそうになりながらも、今日は体育の授業がなかったので、無事に泣かずに済みました。 職員室の前を何度か通ってみましたが、勇気が出なくて、結局は、一度も顔を出さずじまいでした。 終礼の時間が来て、先生が入ってきました。 私は、さようならを言うまで、何も話しかけませんでした。 彼もまた、私には話しかけませんでした。 さようならを言ってもなお、話はしません。 数学の講習が明日から始まる所為か、生徒がどっと教室に増えます。 耐え切れなくなって、階段を登り、息を半ば切らしながら、図書室へ借りていた精神医学の本と、吉本ばななさんのキッチンを返しに行きました。 教室に戻り、私は、先生が立っている後ろをワザと通って、黒板を綺麗にし、そそくさと教室を後にしました。 すると、進路に悩む女子高生が一匹(友か)和歌山大学の資料を先生から受け取っておられました。 思わず(ホントに何も思ってないです;)、涙が溢れました。 私の其れを見つけたこの女子高生一匹は 「どうしたん?なんか辛いことでもあるん??何でも言うてや。」 見事に、詰め寄られて。 私が、心から信頼している人はきっと、一人もいないと思うので、相談など持ちかけませんし、相手側から見てもそう、おそらく信頼などされてもいないんです。こんなことは自分にとって当たり前です。 口下手で、語彙力不足、日本語うまく話せない(ワタシ純ニホンジン...)、自分の悩みは自身で解決する、それか、悩みは自分の中に溜め込むだけ溜め込む、というのが私のモットーで。人に相談した事なんか、ない。 自分の気持ちを巧く表現できない私にとって、相談など敵。 しかしながら、不覚にも、その一匹、いや、御一人、と言って尊敬すべきでしょうか、私は、不細工な顔で泣きながら、その御一人(以下:彼女)に助けを請うてしまった。 嗚呼、何たる不覚。 現実の私自身、コピー機を酷使したカンニングや、偽物の話や、百万編の嘘で固められているのです。 そうして、自分自身を、最悪最低の人間に育て上げました。 未だこんなことを言っていては、彼女に叱られます。
もはや彼女にとっては、私は単に無用な人間であるのに、彼女は自分の辛さや苦悩まで語って下さって、私は、自分自身がカンニング大魔王の事もすっかり忘れて、 「死ぬなんか、楽な道、進まんでも、道はまだまだ分かれてる。遠回りしてでも、一緒に辛い人生を生きよう!!ひとりじゃないんやから。うちが居るやん。」 その言葉や、其のほかの言葉、彼女が勇気と共に握ってくださったその温もりに、感動に感動を覚え、 こんなに親身になってくれる友人を、たったひとりでも持てて、私は凄く幸せなんだ、幸せの環境にいるのだ、 と実感しました。 私の顔は、むちゃくちゃになりながら、 ありがとう と ごめんなさい を連発。 また気附いたのですが、私には、会話力が全くない。 その二つの言葉を発するのに、精一杯でした。 彼女の受験までの大切な時間を、私の泣き言の為にお使いいただけて、光栄に思います。 ありがとう。
単純な真実は、自分は、他人を考えるより、自分のことをまず考えられていなかったという事。
そうして、私は、家までの道のりをとぼとぼと、また、例によって、独り言、涙、自分を追い詰めるべく言葉が次々と吐き出され、自宅近所の中学校辺りに差し掛かると、元の絶望・彷徨、悩まされながら、歩きました。 どうでしょう。 一台の車が、どんよりした私の空気へ、入ってきた。テメェ、ナンヤネン、危ないやんけ。 「なんや、暗い顔して。いつもの元気は?!」 「ん? .....ふぇ。。?」 ぉぉぉぅ、N先生ではないか。 トンだ場面を見せてしまいました。私、こうみえても、中学時代は、明るい!元気!デブ!の三拍子でとおっていましたから。 こんな泣き姿を見せるなんて、トンでもない事だったのです。 ところで、N先生は28歳、私が中学に居た二年生当時、社会の講師をやってらっしゃって、私の先生フェチ(?)を決定付けた張本人です。ぁぅ、勿論、N先生には、気持ちは伝えないまま、私の一方的の片思い、ですけれども。一年間だけで、転勤なされて、私は三年生になってからも、N先生を思い続けました。だから、生きてたんです、アノ頃は。。
今日の日記の続きは、また明日書きます。 腰が痛くなりました。よぼよぼです。 自己満で、すみません。
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§2002年04月15日(月)§ |