│←もう、終わり。→│
@意地っ張りどころか、可愛げも何も無い、不誠実だ。
最愛の人にまでそう言われました。 そうです。私自身、前々から、そう思っていました。 私は、ぼんやり坐っています。 いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。 何を待っているのでしょう。 太宰治氏は、 彼の著書『鴎』で 「「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら、私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。」 と、 また、『斜陽』で 「待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮しているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ、生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。」と書いています。 「待つ」という言葉に、太宰治は大変なこだわりを持っていたと私は考えます。
お終いだって?
何が?
わたし、あなたに未練なんか感じない。 だから、私をほかすなら、ほかしたいって、はっきりして。 もう、誓いなんてどうでもいいから。 約束なんて、初めから、守るためにあるんじゃないんだから。 私は、つまり苦しすぎるのです。 自分が唯一に考える、そうして、求めている、私の幸せが無くなったからです。 私は認めたくなかった。 あなたが目の前から消えていくことを、認めたくなかった。 でも。 これで、自分の気持ちにけじめがつけられるかも知れない。 自分の幸せを壊すものは全て消し去りました。 あなたが私の元から去っていくのならば、幾ら苦しくてもいい 私の心は汚く閉ざされたまま、皆様の前から、この醜い心体が消えるのならば、喜んでこの身を、三途の川へと沈めよう。
不倫なんて、いけないことだった。 解っていました。
もうあなたは、型にはまっている人間なのでしたから、私のような愚か者が、こっそりあなたを型から抜きとって、自分の型に、閉ってはならなかったのです。
私は罪です。
心惹かれる相手がいても、その次のことを考えねばならなかったのです。
そしてその罪が、自分の身体をこんなにも、喰いちぎるとは予想していませんでした、つまりは、やはり、自分自身に甘かったという事なのです。
先生、ごめんなさい。
謝っても、謝っても、もうあなたは帰ってはこない。
全部をダメにしたのはあたし。
みんな死んでしまった。
嗚呼、死んでしまった。
純粋だったあたしも、優しさも、あなたが愛したあたしも、
そして、最愛のあなたも、
みんなあたしが殺した。
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§2002年03月19日(火)§ |