| 大きな声を出して泣ける場所がありますか? 私にはない。実家の時はよくお風呂の中で泣いていた。 でもお風呂は響くから、声を押し殺して泣いていた。 布団をかぶってもやはり声を押し殺して泣いていた。 どこにいても、声を出して満足いくまで泣く事はできなかった。 今は、一人暮らしなので、家族の事を考えずに泣けるとおもいきや、 近所の手前やはり声を抑えて泣く。 ここでもやはり、お風呂の中でよく泣く。 実家よりはやや声をあげては泣けますが、それでもやはり満足はいかない。 もともと、泣く事は少なかったけれど 『人前では泣かないように、泣いてる事が分かられないように』 これを心がけていたので、いつも泣く場所を探してそこでひっそり泣いていた。 どうして泣かないようにしていたかといえば、物心ついたころから 泣くたびずっと親に、 「泣いて済むと思ったら大間違いだ」といわれ続けて育てられたから。 それから、こういう風にしていた。 それからずっと泣く事なんてほとんどなかった気がする。(もちろん泣いてはいたけれど) それなのに、去年一年間はほとんど毎日泣いて過ごしていた。多分誰も知らない。 友達も親も恋人も。誰の前でも泣かないから。 ある事がきっかけで、何年かぶりに人前で泣いた。もう記憶が薄くなっているけれど 結構感情をすべて出して泣いた(とはいえ、声をさして泣いたわけではないけれど)。 今まで人前で泣いてはいけないと思っていたけれど、 そのときばかりはどうしても抑えられなかった。人のことなんて考える余裕もなかった。 言葉ではどうしても表せないことがある。黙りたくもない。そのとき泣いたのは本能だと思う。 このとき泣いた事で、自分がとても弱い人間だということを知った。(確信したのはもっと先だけど) だから、その一年間はちょっとしたことでも泣いていたと思う。 今までじゃ考えられない。泣く事すら思いつかなかったことでも泣いていた。 一人で泣く分にはいい。人前で泣くのはやはり、自分の中での掟破りな行為。 人前で泣きそうになったら、いつもどこかに逃げる。 一人で泣ける場所を探す。 さっき書いたけど、そのときは悲しいから泣いたけど、人前だったので 声をあげては泣かなかったけど、これより数ヵ月後に本当に声をだして泣いた事がある。 それはもう本当に体の奥底から声をあげて泣いた。 号泣ってこういうことだと初めて実感した。 夜中に屋外だったけれど、誰もいないところで。とても寒い夜だったけれど関係なく。 私はもう、そこまで声をあげて泣く事はないと思う。 そしてこの声を出して泣いた場所では、もう二度と泣かないと思う。 もうそれっきりだと思う。 だから、そのときその場所だけが、私の声をあげて泣けた場所。 |
| diary |
| 2002年06月12日(水) |
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