テーマ:8月の空を思う愛憎 お 題:「夕立」「夏休み」「飛行機雲」「蝉」「風鈴」 お時間:45分
煙草から、細く長く煙がのぼり、風に揺らぐ。 庭木に溜まった雨の滴を払い落とすように吹く風が、軒先に吊してある風鈴を撫でた。 夕立が去った後の庭はしっとりと濡れ、庭木の緑と土の黒を、より一層深いものにしている。しばしの静寂。幽かな一時(ひととき)の涼。 木目張りの縁側にあぐらをかき、スラックスにだらけた半袖開襟シャツという姿で庭を眺めていた正隆は、その胸深くに煙を吸い込むと、濡れた庭に向かって長く息を吐き出した。灰色の煙が風に絡まり、庭に溶けていく。 夕立によって黙らされていた蝉たちが、思い出したように一斉に鳴き始める。 庭は一気に夏色を増し、縁側に押し寄せる蝉の声とともに、空から再び太陽が容赦ない光を地上に投げ込んできた。 灰色に包まれていた空に、8月特有の、深く澄んだ青が広がり始める。 正隆は忌々しげにフィルターを噛みつぶすと、短くなった煙草を、傍らで転がっていたビールの空き缶に押しつけ、火を消した。 「そろそろ、か」 呟いて立ち上がる。 それを見計らったかのように、玄関から軽いインターフォンの音と、声変わり前の子供特有の、透き通るような高い声が響いてきた。 のろのろと、わざとゆっくり歩いて玄関へと向かう。 たたきに降りて草履を足先にひっかけ、引き戸を開けると、大きなリュックサックを背負った小柄な少年が一人、ひまわりを思わせる笑顔で立っていた。 「こんにちは!」 元気な声で挨拶されて、正隆は「ああ」とだけ曖昧に答えた。 「雨、大丈夫だったか?」 ふと思いついてたずねると、少年はその笑顔をより一層輝かせて、 「はい! 駅で雨宿りしましたから、大丈夫です!」 まるで会話のすべてが嬉しいとでも言うように、答える。 「そうか……」 眩しすぎる笑顔に、思わず顔をそらして、ぽつりとそれだけ呟く正隆を、わずかに不安げな瞳で見上げて、少年は控えめに玄関から中をのぞき込んだ。 「あの。入っても、良いですか?」 問われて、我に返る。 「ああ、もちろんだ。広いだけで古い家だが」 正隆の言葉途中で、引き戸にかけた手の下を抜けて、少年は玄関へと足をすすめる。 薄暗い部屋を見上げて、「すごい、かっこいい」とだけ呟いた。 靴を脱ぎ、部屋に上がっていく少年の後ろ姿を眺めて、正隆は密かにため息をつく。 厄介なことを引き受けてしまったかもしれないと、今更ながらに、改めて深く後悔してしまう。 姉の忘れ形見である少年を、夏休みの間だけ預かることになった。 親友であり、姉の結婚相手であり、長年思い続けて未だに諦めきれない男から頼み込まれての、仕方なくの承諾だった。 軽い足音をたてて進んでいく少年の後を、のろのろとついて歩きながら。 その後ろ姿に、姉と親友の影を見る。 「あ、庭があるんですね!」 嬉しそうに振り返り、駆け足で縁側へと向かうその姿に、目眩のような感覚を覚えながら、正隆は胸ポケットから煙草を取り出してくわえる。 思いが不安定に揺れる。 まるで、夕立を受け、夏色を深める庭のように。 容赦ない太陽にさらされ、再び熱を取り戻す、庭のように。 明るい声を上げて空を見上げる少年の、視線の先を辿ってみれば、残酷なほどに深く黒い青空を、悔しいくらい純白で汚れなき飛行機雲が、心を切り裂くように横切っていた。 火のついていない煙草を、口から外して、無意識に握りつぶす。 蝉の鳴き声が、庭と、部屋と、そして正隆自身を、騒々しく包み込んでいた。
おわり。
おわり。の文字が虚しいくらい終わってないけど、良いのです。 45分で4枚半。10分で1枚計算? ということは、長編は3500分で書けるってことですね!(虚しい)
|