最近はどうにも仕事が忙しく、ここ数ヶ月間ずっと、会社を出ると外は真っ暗という日々を送っていた。せっかくの夏であるのに、日長を味わえないことが非常にもったいなく思える。夜空は夜空で美しいけれども、この時期にしか楽しめない日暮れの時間を、たまにはゆっくり堪能したいものだ。 そんなことを思いつつも、今日も多分に漏れず、4時間みっちり残業をする羽目になった。すっかり暗くなった夜道を一人、金色に輝く月明かりに照らされながら家路を急ぐ。 途中、ふと見慣れない光が視線の脇をかすめた。何だろうかと目を向けると、平日の夜であるにも関わらず、裏路地に数件、露天商が店を広げている。 ランプの光で浮かび上がる店には、雑貨や骨董品に装飾品、野菜に植物の苗など、様々なものがひっそりと眠るように並んでいる。麺麭や腸詰めを売っている店もある。すべての店には、帽子を目深に被った初老の男性(だと思うのだけれども、ランプも月明かりも朧気で、はっきりと年齢までは解らない)が、音もなく店番をしている。どこか幻想的で、神秘的な、まるでこの世のものでは無いような、その不思議な光景に、わずかに戸惑いつつも、興味を引かれて近づくと、店番の男性がゆっくりと、無言のまま頭を下げた。 言葉はなくとも、自然と、「ゆっくり見ておゆきなさい」という意志が伝わってくる。 私はそれに応えるように頷いて、広げられた店を一つ一つ、のぞいていった。 小さな路地の、小さな露天商は、全部数えても両手で足りる程度の数しか出ていなかったけれども、仕事で疲れた体で見て回るには、ちょうど良い数だったように思う。 腸詰めと、茹でた小海老と香草と、甘辛いピーナッツソースをレタスと厚めのクレープで包んだ、なんとかいう名前の食べ物を買って囓りながら、一通り見て回った。どれもこれも、綺麗だったり珍しかったり安かったりで、とても興味をそそられたけれども、中でも一番、私の心を捕らえて離さなかったのは、小さなうす緑色の二葉を広げた、一本の苗だった。 ランプの光に照らされて、涼しげに光る、蓮の葉型の二葉。紙でできているらしいポッドには、綺麗な手書き文字で、「水饅頭」と書かれたプレートが刺してある。 水饅頭とは、あの水饅頭だろうか。と、首を傾げていると、チューリップ帽を被った店主が、わずかに掠れた声で言った。 「一つの苗から、一つの水饅頭が生えるよ。それは、水色の水饅頭の苗だ。お嬢さんの好みにぴったりだと思うよ」 水饅頭が生える。しかも、水色の水饅頭。よくわからないけれども。水饅頭みたいに、つるりとした半球体の種でもできるのだろうか。などと、しばらく思い悩む。 水饅頭というプレートも気になるが、それ以上に、二葉の蓮葉と、涼しげなうす緑色が、なんとも可愛らしく、手に入れたい衝動に駆られた。 問題は、金額である。他の苗には50円〜500円の値札がつけられているが、この水饅頭の苗には、値段が書かれていない。 いくらなのだろうか。今なら、1000円でも買ってしまうかも知れないけれども。しかし、そんな買い方をすればきっと、明日の朝には後悔という二文字が、目覚めとともに襲いかかってくるだろう。 どうしようか。苗の前にしゃがみ、考え込んでいると、再び、店主が掠れた声で言った。 「今日は、月が綺麗な金色だから、200円にまけてあげるよ」 水饅頭の苗、200円。興味と欲求を満たす代価としては、申し分ないと思われた。 何がどう水饅頭なのか。結局、店主にたずねることをしないまま、200円を払って、透明のビニール袋に入れられた苗を受け取る。 どの辺が、どう水饅頭なのか。育ててみればわかるかもしれないし、最後までわからないかもしれないけれども。 わけもなく幸せな気分になりながら、足取りも軽く、家に帰った。
そういうわけで、我が家には今、水饅頭の苗がある。 硝子製のポッドに植えられて、出窓に置かれているその苗は、金色の半月に照らされて、うす緑色の二葉を揺らしている。 どんな花が咲くのか。正式名称は何なのか。どこが水饅頭なのか。枯らさないように気をつけながら、気ままに観察日記でもつけて見ようと思う。
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