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駄文。 - 2003年02月19日(水)

本日は文字書き練習なんぞをなんぼかやってみました。作文対策。
…で人様に見せられないよーなもの書いてどうする(汗)。
(練ってない上にネタがハコブネでした。)
でもいくらか感覚は掴めた気がするのでこれからどーにかしていきます。


ちょっと間は空きましたが、今日も工作やってたりしました。
現実逃避は必要ですよね!(普段の生活それ自体が現実逃避だろお前は)
今度の相手は紙製品。
BGM聞きながら作業しつつ、「あぁ、自分ってばやっぱり不器用やなぁ」と
わりとほのぼのと実感してたりしました。
小学校の図工の時間の記憶を引っ張りだしてきて慣れぬ手付きで道具を使って。
上手く行かなかろうが不細工だろうが、『つくりだす』ってやっぱ楽しいです。
着色は今回は超難航しそうだなぁ…ま、それもまた一興。
ちゃんと完成したら写真でも撮ってみるかな。


今日の英会話のレッスンで聞いたのですが、
某県の小学校では、
1年にひらがな、2年にカタカナ、3年になってようやく漢字。
逆に、英語は4年で日常会話と作文だそうです。
インターナショナルな人間にしたいのだとか。

日本人の日本語の下手っぷりを感じている人間には、この教育方針は納得できません。
言葉は、言語は、変化していくものだ、ということは分からないでもないのです。
けれど、誰かを敬ったりする時とか、何か特別なことを感じた時とか、
そういう想いをカタチ(=言葉)にして、他の人や未来の自分に伝えたりできなくなるのは、
とても哀しいことだと、自分は思う。
それに、自分は日本語が好きです。
日本語をよく知っていてもインターナショナルな人間になれるのは当たり前だし、
逆に、英語を使う上でも、きちんとした日本語を知っていなければならない時というのもある。
日本人が日本語を使えなくて、誰が日本語を使うというのでしょう。
英語の講師は、日本語は母国語だから問題ないだろう、と言っていたけれど、
教えてもらわないとわからないことは結構多い。
思考ってのは、言葉を使って行うものだと何かで読んだと想う。
ならば、未熟な日本語と未熟な英語で、日常以上のことを想うなんてできるんだろうか?

『愛国心』とか『独自の文化』とかいうものは考えないでも、
自分が好きなもの、好きなことを愛しいと思うこと、大事にしていくことっていうのが、
どっかの誰かに言わせると上記のモノに相当するんじゃないかなぁ。

つらつらとエラソ−なことを書いてしまいました。
自分も日本語が未熟なのは分かってるんですけど、ね…
そもそも、一人称に『自分』を使うのも実はあまり相応しくはないのですし。



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