ゲームは一日一時間
モクジ|
キノウ|アシタ
|
インパ日記
2003年07月03日(木) |
無自覚であるということ |
頂き物追加です。 美人さーん!美人さーん!(錯乱)って感じです。ありがとうございます、清露姫様。 またいっぱいください(殴)
で、UPしたはいいのですが背景色とかぜんぜんイラストと合ってないですね(汗) うぅ、そのうち頂き物ページは本気で改装しなければなりません。 何かずる長いページになってきたし、背景色も頂いたものにあわせて変えるべきだし。 夏の課題です。
でもとりあえずはみなで美人さんを愛でましょう。 びじんさーん!(錯乱)
-----------------------------------
長いです。
森前総理の失言が話題になっていますね。
こんなことを言っていたようです。 要約すると子供を産まない女性が税金で福祉などを受けるのはおかしいと。 子供を産まない女性は駄目だと言わんばかりだったようで。 首相時代から失言王だったけれど、本当にこの人は馬鹿だなぁとある意味感心するほどです。
まぁ話の前後を聞けば要するに少子化が社会福祉に問題を与えており、将来的に若年層への負担が大きくなる。 ゆえに子供を多く産む人には優遇措置を考えてしかるべきであると。 間違ってはいませんね。 それがなぜこんな馬鹿な発言へと繋がってしまうのでしょうか。
考え方自体は悪くありません。 子供を産めば優遇措置や育児手当が出るとわかれば、経済的問題から子供を産まないことを選択した人たちも考えを改めるかもしれません。 そこまでは何の問題も無いのです。 そこまでで発言をやめておけばよかったのです。 調子に乗って子供を産まない女性は云々と始めてしまうからこの男は馬鹿なのです。
子供を産みたくても産めない人も冷遇されるべきなのか。 子供を産むことがそんなに偉いのか。 専業主婦よりも多く税金を払っている独身女性をなぜ冷遇しなければならないのか。 そもそもなぜ女性のみを攻撃するのか。子供を作らない男性はどうなのか。 この程度の反論は予想されてしかるべきです。 予想して、人権団体から抗議を受けることを覚悟して、その上での発言ならよいのです。 それはその人のきちんとした考え方に基づくものであり、議論の余地があるものです。 これが『失言』であることが問題なのです。 何も考えずに、無自覚に人間性の本質を見せてしまう発言だから根が深いのです。
おそらく本人はこれを『失言』であると、『口が滑った』程度の認識しかないものと思われます。 もう少し反省しているならば、総理時代の数々の失言から少しは何かを学んでいるはずです。 失言である以上、ついもらしてしまったことを反省こそすれ、自分の考え方そのものを省みることは無いでしょう。 だからこの人はいつまでも同じことを繰り返すのだと思います。 この発言からは誰でも女性蔑視、古い家制度の考え方を読み取ることができると思います。 ですが本人にその自覚は無いでしょう。それが問題なのです。
ヒトは、差別をする生き物です。 それはもう本能としか言いようが無いほどに、差別をしないヒトはいません。 そしてその多くは無自覚です。 大抵の被差別者はそれを隠しています。 自分を出すことは偏見と差別につながることなので、常に自分自身というものを隠して一般的な人を装っています。 だから多くの人は気づかないのです。 自分の発言が彼らをどれだけ傷つけるのかということを。 被差別者はその身を隠しています。差別者から被差別者は見えないことがほとんどです。 だから忘れてしまうのです、そこに被差別者がいる可能性というものを。 自分の発言を聞いたらどう思うだろうかと、そう考えることをやめてしまうのです。
今回の森元総理の発言もそうです。 子供を持たない女性がこの発言を聞いたらどう思うのかと、そう考えることをせずに発言をし、そして今も考えてはいないと思います。 ただ過剰反応されている、不当に責めを受けていると思っているだけで、当事者たちがどう思ったかなど考えてはいないと思います。 もし少しでもそう考えているのなら、態度を改めようとするでしょうから。 ですが被差別者というのは今回のようにわかりやすい形で現れることは非常にまれです。 子供を持たない女性という世の中の多数を占める人たちではなく、大抵はもっと少数派が攻撃されることとなります。 あまりにも少数派過ぎて、存在は知っていても実感として捉えられない、あるいは存在すら知らない人たちとなるのです。 実際私も差別をされますし、私も差別をします。 ですが、常に考えながら発言をしているつもりではあります。 それでもその注意からもれた一言で、周りの人を傷つけているかもしれないという可能性を、常に考慮しています。
失言に対する釈明は大抵『そんなつもりではなかった』です。 ですがはっきり言って、『そんなつもりではなかった』から問題なのです。 はじめから覚悟の上での発言ならまだましなのです。 無自覚に人を傷つけること。その可能性を考慮しなかったこと。 そして『そんなつもりではなかったから』許されると思っていること。 それが問題なのです。 無自覚の差別は存在の否定です。 被差別者がいるという、その可能性すら考慮されなかった、存在の否定なのです。
今回の騒動で森前総理も少しは学習してくれればいいと思います。 でもきっと無駄だろうな。この程度で学習するくらいだったらとっくにしてるよな。
|