健康日記

2002年03月13日(水) 恥ずかしい

先週の診察で,感情を抑えているのではないか,と言われた。意識はしていないが,そういう可能性はあると思う。そこから思いつくことがあった。一番古い記憶から,私は泣くということは恥ずかしいことだと思っていて,以後鬱になるまで殴られたとき以外に泣くことはなかった。鬱になって,泣くようになったとはいえ,頻繁にあることではない。

泣くことが恥ずかしいと思っていたのは,何故なのか,わからない。幼稚園の入園式,周りの子供が泣いているのをみて,「恥ずかしくないのかな」と感じた。やはり幼稚園の時の注射も同じ,「泣くなんて恥ずかしい」と思った。入園式の日,家や親とはなれることは私には泣くような事件ではなく,多分むしろ家にいるよりも安心できたのではないかと思う。とにかく,泣くということは一番古い記憶から恥ずかしいことで,その後鬱になるまで変わらなかったのだ。

その後しばしば,母が怒ると殴り,殴られるとさすがに泣くのだけれども,泣くとまた殴られたり怒鳴られることがあった。「泣くな」と言われ,泣くのをこらえると,「その目つきはなんだ」と殴られたり,怒鳴られたりした。成長してから,泣くことが恥ずかしいことであるのが変わらなかったのは,この母の行動によるのかも知れない。

泣くということに対する感情が特別なのではなく,恥ずかしいと思うことが特別のように思う。多くの子供が,多分恥ずかしいと思わないことを,恥ずかしく思って育った。車や電車などで寝ることは,寝顔を見られるのが恥ずかしくて出来なかった。同時に,なにか寝るのが不安だった。幼稚園の水遊びの時に,着替えるのが恥ずかしかった。4歳でこんなふうに感じる子供は少ないのではないだろうか。文章を書くことが嫌いだということを前に日記で触れたことがあるが,内面が人にさらされるのが恥ずかしかった。走るのが遅かったために,父兄の前に自分の欠点をさらす運動会は恥ずかしかったし,体育の授業も恥ずかしかった。それどころか,人前に出ること自体恥ずかしかった。

恥ずかしいと思うことと関連して思い出すのは,母が怒ったときに,「パンツを脱いでお尻を出しなさい」と言って,お尻を殴っていたこと。叩かれることよりも,お尻を出せと言われることの方が,我慢できないことだった。そして,親戚や私にとっては見知らぬ,両親の友人の前でばかだの,のろまだのとけなされること。

家では失敗することは許されていなかった。忘れたり,物を壊したり,無くしたりすると,馬鹿にされ,けなされた。学校で習ってないことでも,知らないと馬鹿にされた。両親とも,お互いにばかにしあっているし,子供は尚のこと馬鹿にされる。そして,何か気に入らないことがあると,母は「父親に似ている」というし,父は「母親に似ている」と言う。試験の結果が,一つでも間違いがあると怒鳴られ,けなされた。とにかく,いつでも恥ずかしい思いをすることを恐れていた。

私をこのように恥ずかしい目に遭わせることを,母がどう思っていたのかもわからないし,それにどういう意味があったのかもわからない。けれど,このようにいつも恥ずかしい思いをさせられていたことが,恥ずかしい思いをより強くしていたのではないかと思う。


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