まったりぐったり日記 メモ 夏古
2008年10月20日(月)  マザコン
気分は相変わらず落ち込みっぱなし。
勉強だけはやらないといけないのに、それすら提出日の決まったレポートと発表の分の最低限しか手につかないっていう…。
こんばんは、どうしたものかね夏古です。

とりあえずみかんが美味しいです。
今日は頭がお疲れモード過ぎる日記なので、ここから下は読まなくて大丈夫です。







最近よく感じるのは、景色がきれいだなーということです。
これは、前にもよく感じたことがある、ある意味懐かしい感じ。
人間を嫌いになると、人間以外のものの全てが無機質有機質に関わらずキレイに見えてしかたなくなるあの感じ。
困ったなあと思う。
わりと重症に、他の人と一緒にいたくない。
自分のことなのに何が原因か分からないところが参る。
前の時は分かりやすい緩やかさだったけど、今回は原因不明で緩やか〜に落ちこんでる。
誰にも会いたくないよー。おやすみしたいよー。

休みたいと切実に思う。
でも、帰りの道でとぼとぼ歩いてて(これはいつもの速度ですが)、突然うずくまりたくなる。
家にもどこにも帰らないで、ここで立ち止まって、ぼんやりしたいと思う。
でも、一回でも歩くのやめて止まって、しゃがみこんだら、もう二度と立てない気もするから、苦しくても歩くしかない。
それで、お母さんを思い出す。お母さんは今大丈夫かな、と。

私は、お母さんのことは嫌いじゃない。
でも、好きなだけじゃない。
私は確実にマザコンだけど、別に好きなわけじゃなくて、ただ単に負い目があるから、いつも気に掛ける。
あの日、私が彫刻刀を持っているのを見られたあの日。
お母さんは泣いた。私も見られて泣いた。
あの日から、私は不自然にならないようにお母さん子の皮を被って、私よりも母を気にかけてきた。
お母さんはまだ覚えてるだろうか。ごめんなさい。お母さんを泣かせてごめんなさい。もうここにいたくなかったの。ごめんなさい。
それまでは普通に喋ってても、ふと気が付いてしまうと、懺悔と後悔でいっぱいになって、一緒にいるのがつらくなる。
嫌いじゃないのに。楽しくないわけじゃないのに。

お母さんだけじゃなくて、誰かと一緒にいて、普通に話もするし、楽しくないわけじゃないのに、でも、一緒にいすぎると、鬱陶しく感じてしまう。それが私。
好きな人が出来ると、それが友人だろうが先生だろうが家族だろうが、あんまり近づきたくない。
近づいていると、何かが起きたときに、私は耐えられない。
それなら、どんなに寂しくても、最初からある程度距離があった方がいいに決まってる。

寂しいのに、好きなのに、でも誰のことも好きじゃない、信じられない。

おいてけぼりはもう嫌だから、勉強する。
今まで出来なかった分を取り戻す。
私は勉強がしたくて大学に入ったんだから。資格がどうとか就職がどうとかじゃない。
出来なかったことをやり直すために勉強する。
中卒のお父さんの分まで勉強する。
だから、早く復活しなくちゃ。また知恵熱でちゃいそう。


もう分かんないや。
頭も心も整理整頓しなくちゃ。
明日になったらケロリとしてないかな。
助けてと言える唯一の人は、もう近くにいない。
私はもう大丈夫だから、さようならをしたのに。
電車に乗ればすぐらしいけど、きっともう迷惑だろうなあ。もう忘れてるだろうなあ。
苦しいな。家に帰りたいな。どの家に行っても、居心地は悪いだけだけど。
100年後には私はもういないのに、何も残らないのに、今の私は何をしたらいいの?
わかんねー。

珍しく早く眠くなったから寝ます。
明日も朝ごはん食べられるように早起きしなくちゃ。
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