まったりぐったり日記 メモ 夏古
2004年06月07日(月)  やめてよ
最初に謝っておきます。
月曜日という週の一番ブルーな日にブルーな内容ですいません。
やたらと長くて愚痴臭くてごめんなさい。
暗いのが嫌な人はどうか読まないでください。
やつが私のところにやってきたので、これから秋頃まで現実と空想の間を行き来せねばならないのです…。









■「やめてよ」
というのが私の一番言いたいことなのではないかと考えた。
いくら考えても自分のことはひとつも分からないからとっくに考えるのはやめてたんだけど。
鬱が来るのにも「やめてよ」
考えが纏まらない時にも「やめてよ」
出掛けた先の人の多さに「やめてよ」
家族のお喋りにも「やめてよ」
鬱には言えるし自分にも言えるし誰でもない人にも言えるけど、面と向かって人に「やめてよ」とは言ったことは、ここ2年無い。
私はあの一件以来、人を拒絶する言葉を吐けなくなったのだと思う。
父には嫌いだのキモイだのは言っているけれど、家族のことは基本的に好きだ。
裕福というわけじゃないけどいい家庭であると思う。
通信に行くことにも反対をもらったわけじゃないし、それについての発言も言わないし、ただ「勉強しなさい」「大学へ進む意志はあるんでしょう」と、ごく普通の「高校生の娘」に言うべき言葉をくれる。
本当に、いい家族に恵まれている。
ごめんなさい。
私、こんなになるために生まれてきたわけじゃない。
両親もこんな娘にするために育ててきたわけじゃないのにね。
いつもそう。私の予想外のことばかり起きてしまう。
本当はもっと。本当はもっと。
なんか本気で死を考えている自分がいて、急に怖くなってきた。
いろんな事がすごく悲しいんだけど、この悲しみを一緒に味わってくれる人は、残念ながらまだ一人もいない。
いつかそんな人が側にいてくれたらとは思うけど。
どちらにしろあと一年は死ねない。
せめて弟が高校生活を初めてから、と思っているので。
弟は私に生意気を言う割には繊細なので、せめてもうちょっと心が成長してから、と思っている。
……この病気を「治らない」と気に病んだことはないが、「治したい」と気に病むことはある。
でもどうしても家族に言えない。
完治しているとまでは思っていないだろうけど、ほぼ治っているとは思っているはずだ。
初めてちゃんした病院、まあ心療内科なんだけど、そこへ行った日の夜の母の泣いている姿にショックを受けてしまってから、なぜか「いけないことだ」と思ってしまったのかもしれない。
とにかくその時の光景は、事の発端で彼女から言われた時と同じくらい、私の脳にこびりついている。
だから。
ここでだからというのは変かもしれないけど、だから私はここに居るのが辛い。
治したくても治せない。
決別したと思っても出来ない。
それに今私が死んだところで悲しむ人がいったい何人いるだろうか。
そればかりは私には推し量ることさえも出来ない。
親が泣くかどうかさえも、私には分からない。
ただ、私はこの世に未練がたくさんあるわけで。
本の続きも気になっているし、もっとご飯を食べたいし、元に戻りたい。
でもそう簡単には死なねーなってことは分かる。
意気地なしだし。

あーなんだか書いたらだいぶスッキリしてきました。
お腹も空いたし、そろそろ終わります。
ここまで読んで下さってありがとうございました。

しかし、なんで鬱気味の人はこう詩的な文になるんだろうね…。
七不思議。
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