伯父(母の兄)が亡くなった。
ここには書いているのだけど、伯父は7年前に一時停止無視の車に追突されたのが原因で首から下の自由を失った。 仕事と撮影旅行が大好きな活動的な伯父が、これ以上状態が悪くならないように首を固定し、寝たきりの生活となった。 「こんな体じゃ死にたくても死ねない」 そう言っていたこともあったという。 (だから通夜の席で葬儀社が行った故人の紹介で「Y(伯父)さんは一切弱音を吐かず…」と言った時に「あなたに何がわかる!」とつい思ってしまったのだ) しかし必死でリハビリし、手を動かせるようになり、文字も書けるようになった。 初めて書いた文字は伯母の名前。 伯母はそれを見て隠れて一人泣いていたという。
そんな伯父に約1年半前肺がんが見つかった。 まだ初期の段階で健康な人なら手術は可能だが、伯父の身体では手術に耐えられないと言われ、初期なのに余命を宣告された。 その余命は1年。 告知はしなかった。 しなかったが、自分に何かあった時に延命措置をしないことを伯父は望んでいたそうだ。 きっと自分の状態にもいつしか気づいていたのだろう。
伯父の希望通り延命措置はされず、ガンはあちこちに転移した。 最終的にはリンパにも転移していたそうだ。 不幸中の幸いなのかはわからないが、首から下が麻痺している伯父は全く痛みを感じることなく、穏やかに衰弱していった。 時々呼吸が停止することもあり予断を許さない状態だったが、うちの母に会うかと聞かれると伯父はこう答えたという。 「まだ会いたくない」 それでも9月には会いに行こうとうちの両親が準備をしている中、急に伯父の呼吸は停止した。 家族のほとんど…伯母も死に目には会えなかったという。
通夜の時、葬儀の時、バタバタしながら、皆の泣いている姿を見ながら… 私は考える。 麻痺さえなければ手術ができた伯父は不幸だったのだろうか? それとも動けない状態から伯父は解き放たれたのだろうか? 結論は出ない。 出ないけれども伯父の顔は安らかだった。 まぁ結論は「一時停止無視したヤツ、マジたひね」だ(ダメじゃん!)。
余談だが、通夜から告別式の間の夜に伯父の顔を見た母が「納棺の時綺麗に剃ったはずの髭が伸びてる!」とパニックを起こしていた。 私は私で「遺体の髭が伸びる現象は聞いたことあるけど実際に見たのは初めてだ、ビックリした。男の人の葬儀は初めてじゃないのに何で今回に限ってこれが起こったんだろう」とか思ってた。 悲しんでないんじゃないんだよ。 ただ母を気遣うあまり必要以上に、しかもおかしな方向に冷静になっていたのと、結論が「マジ略」だったもんだから、つい…
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